日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

朱儒の言葉の「朱儒」って・・・知らなかった!

2011-11-17 12:53:57 | 私の雑感あれこれ
先日洋画を見ていたら、字幕に「朱儒」とあり、(意味のわかる訓読みの)読み仮名がふってあった。
知らなかった!
芥川龍之介の「朱儒の言葉」は、高校時代に確か読んでいる。
勿論「しゅじゅのことば」と発音して。
読書習慣のスタートが高1だったこともあり、長編は苦手で、比較的短い日本の作家の本ばかり読んでいた。

そのとき「『朱儒』の意味も知らなかったのか」と夫にはなじられたけれど、私は、この歳で知れたことが嬉しかった。

そういうことだったのか・・・と。
で、芥川龍之介の「朱儒の言葉」をネットで検索。
何十年ぶりの「芥川」でした。
で、その中に、二宮尊徳の項がありました。―後記に引用あり―

これって、私が、先日ブログに書いた『幸福の王子』に似ていない?
私的には、一緒ジャン!と。

きっと、芥川の執筆は、私の半分の歳でしょう。苦笑
でも、そんなの些細。

「ものごと斜(ハス)に見る癖でしょ」といわれそうですが、
なんだか、共通項を見つけたようで、書きとめておきます。

その洋画鑑賞は途中でチャンネルを変えてしまって、ストーリも把握していないのですが、私にこんな出会いを与えてくれました、とさ、のお話です。

因みに、芥川の作品でも、「しゅじゅ」と仮名がついていました。
洋画の読み仮名は「こびと」でした。
「こびとの言葉」という意なのですね。
私の文章は、「かかしの文」です。アッハハ



以下、芥川龍之介の「朱儒の言葉」抜粋

二宮尊徳

 わたしは小学校の読本の中に二宮尊徳の少年時代の大書してあったのを覚えている。貧家に人となった尊徳は昼は農作の手伝いをしたり、夜は草鞋(わらじ)を造ったり、大人のように働きながら、健気(けなげ)にも独学をつづけて行ったらしい。これはあらゆる立志譚(りっしたん)のように――と云うのはあらゆる通俗小説のように、感激を与え易い物語である。実際又十五歳に足らぬわたしは尊徳の意気に感激すると同時に、尊徳ほど貧家に生まれなかったことを不仕合せの一つにさえ考えていた。……
 けれどもこの立志譚は尊徳に名誉を与える代りに、当然尊徳の両親には不名誉を与える物語である。彼等は尊徳の教育に寸毫(すんごう)の便宜をも与えなかった。いや、寧(むし)ろ与えたものは障碍(しょうがい)ばかりだった位である。これは両親たる責任上、明らかに恥辱と云わなければならぬ。しかし我々の両親や教師は無邪気にもこの事実を忘れている。尊徳の両親は酒飲みでも或は又博奕(ばくち)打ちでも好い。問題は唯尊徳である。どう云う艱難辛苦(かんなんしんく)をしても独学を廃さなかった尊徳である。我我少年は尊徳のように勇猛の志を養わなければならぬ。
 わたしは彼等の利己主義に驚嘆に近いものを感じている。成程彼等には尊徳のように下男をも兼ねる少年は都合の好い息子に違いない。のみならず後年声誉を博し、大いに父母の名を顕(あら)わしたりするのは好都合の上にも好都合である。しかし十五歳に足らぬわたしは尊徳の意気に感激すると同時に、尊徳ほど貧家に生まれなかったことを不仕合せの一つにさえ考えていた。丁度鎖に繋(つな)がれた奴隷のもっと太い鎖を欲しがるように。
コメント
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