日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

ガーデニング事始

2012-03-04 13:05:22 | 庭 3月
今月からはじめる。
窓から東側空き地が一望。
敷地はイヤに広い。
とりあえず2月末に本を1冊購入。
去年採ったマリーゴールドの種を沢山蒔いて、今年はマリーゴールドガーデンあたりからスタートしようかな。
昔通ったテニスコートの一角の花壇でナデシコが上手に育っていたイメージがあるので、ナデシコも試みようとは思うが、こちらは成功体験がないので、どうなることか。
スイトピー育てが好きなのだけれど、去年秋のスィトピーの蒔きどきには、この隣地購入の影形もなかったわけだから、この秋からの予定となる。
花壇とプランターに埋めておいたチューリップの球根から、しっかりとした葉っぱが顔を出している。来年からは、もっとたっぷりとチューリップも植えれるぞー。
球根などたっぷり買いたくて絵を描いてきた。とはあのターシャさん。うーん、ガーデニング費用は、なにから捻出しようかなー。
堆肥や肥料、草木の費用、芝生や通路のセッティング。
ものいり、物入り。
実は、その前に外構工事の費用が待っているのであります。

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アラン「幸福論」を読む

2012-03-04 11:38:47 | 
アラン「幸福論」石川湧 訳  1945年11月発行
アランは筆名、本名エミール・オーギュスト・シャルティエ 
1868.3.3~1951.6.2 83歳で死亡。平和主義・反戦主義者ではあったが46歳で第1次世界大戦に志願。3年で除隊して、アンリ四世校で教職。65歳で退職して執筆活動。
因みに夏目漱石1867~1916 1900年イギリス留学 49歳で没、です。
NHKの「100分で名著」という番組があり、何回目かをたまたま見て、解説のなかで「・・・だよね」と、いたく腑に落ちたところがあって、読んでみたいな、という気になった。

入手した本の貫禄にびっくり
訳者石川氏のあとがきは、1945年10月です。東京は焼け野原の時代。あとがきに「日本の読書界でアランの名前を知らない人はいないだろう」と記されている。かつての人も、戦争中も、アランを読んだという、その作品です。
93の短編からなる。
網羅的に書くと、ピンボケの感想になるから、気に入ったところを抜粋して残しておく。
1、 名馬物語 2/7  ★★★
 影におびえる馬は、常に太陽に鼻先を群れて御せば、落ち着く。
 暴れ馬を御さないといけないときは、その馬が一番落ち着くところに方向を向けてやれ ば、無駄な労力なく御すことが出来る。そのどの方向がいいのかを見極めないで、馬が 暴れると喚いても賢くはない、という筆者は聡明。
  
3、 悲しいマリイ 2/7  ★★
  「幸福というものには、人が考えるより以上に意志の力が必要である。」
  周期的に幸福気分と気落ち気分を繰り返すマリイの話題。
  体内物質の変化だと思って、気落ちのタームを辛抱して、幸福気分が来ることを知る  ことが、なぐさめだよ。…この考え方で、気落ちした気分を支えられる、ということ  か。

5、 ふさぎの虫 2/28 ★★★★★
  発想の転換、考え方の切り口を替えるとふさぎの虫の状況でも、気分がかるくなることもある。不幸であることが苦しいのは、不幸についての考えそのものである。悲しみの征服の仕方。お祈りの目指すところ。しかし、われわれの不幸を数えたてることからそらせるこの種の想像上の阿片を服用することさへは、良識によっても到達できる。

28、 求めれば得る 3/1 ★★★★☆
    社会は自ら求めるところのない人にはなにも与えない。求めるといっても、それは絶えず継続してのことである。…耳が痛い!

41、 希望 3/2 ★★★★☆
    保険の話から始まる。自分の心のなかに財産を持っていない者は、倦怠に粘られ、やがてそれに捉えられてしまふ。←こんな台詞が散らばっているところが、読み応えなのだろう。
    常に行動に先立ち、あらゆる仕事に対して光であり喜びであるあの倦むことを知らぬ創意から生ずるものである。
祝福するとは、本来成功を褒めることであって、功績を褒めることでない。

42、 行動すること 3/2 ★★★★★
○する人は苦労する。苦痛のなかに求めているのは、快楽ではなく幸福というべきである。自分から進んでやる仕事は快楽というより、幸福である。
人は落ちてくる幸福などはあまり好かないものだ。自分で作りたがる。子供はわれわれの庭をばかにして、砂の山や麦藁などを使って自分で立派な庭を作る。自分で蒐集しなかった蒐集家は考えられようか。←拍手!

44、 ディオゲネス 3/2 ★★★★☆
    人間は意欲し創造することによってのみ幸福である。中略 人間は、人から貰った、快楽などには退屈して、自分で獲得した快楽のほうを、はるかに喜ぶものである。しかしなによりもかによりも、彼は行動し獲得することを好む。中略
    出来合いの快楽を受取る人は、当然もっとも意地が悪い。かうして、金持ちは不機嫌や悲しみをもって支配するのである。働き手の弱さは、本人が考える以上に満足していることから来る。それは意地の悪い人間を作る。

89、 幸福は美徳なり
  2/12 
   遺産を相続、富籤でもうけるのたぐいの幸福は外套のたぐい、だ。
   本当の財産とは、裸の男からもそぐことは出来ないもの。
   幸福を与えるためには、自分の内部に幸福をもっている必要があるだろう。
90、 幸福は鷹揚なものであること
  2/12 ★☆☆☆☆
   よく言っていることがわからない。礼儀も外部と内部の反作用によって外観上の幸福になる・・・とか。
92、 幸福たるべき義務について
  2/12 ★★★☆☆
幸福になろうと望まないならば、幸福になることは不可能だということである。
    幸福であることが他人に対しても義務であることは、充分にはいわれていない。幸福である人以外には、愛される人はないというのは至言である。
   ⇒この章は主題を語っっているのだろうが、私には幾分肩透かし。私が哲学書に興がのらないタイプだからだろうか。・・・再読したら、ちょっこと真意がわかってきた。了解です、アラン先生。
93、 誓うべし
  2/12 ★★★★☆
   悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する。・・・
あらゆる幸福は意志と自制で出来ている。どんな場合にも、理屈は奴隷である。
   ⇒テレビ番組で取上げていて、こころにかかったフレーズはまさしくコレ。これからの自分に与えられた時間を、意志をもって生きて生きたいものだ。


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なにがなんだか、損失額の額のすごさよ!

2012-03-04 08:04:12 | 社会問題
2月の下旬に発覚してから、新聞が次々と報道しているが、AIJ投資顧問関連で損失発生しているとされる、企業年金基金の損失額の大きさに驚く。

この手のことをブログ投稿なさっている、「闇株新聞」氏の記事に、しごく納得させられる。

件のA氏は、現役で証券マンだった当時は、投資のプロではなく、営業のプロ、とのこと。
うーーん、である。
さぞかし、営業戦略が上手かったのだろう、と想像する。
営業先は、企業年金を扱う部門担当者。
多分、歳のころはみなさん50代で、順調にサラリーマン生活を励まれ、会社では堅実タイプで、仕事への信用を失うこともなくここまで勤めてきた人たち。
当初の会社から、定年近くなっての2度目の職場だったとも想像する。
で、元の職場の企業年金を預かり、効率よい運用先を選択する立場。
世は低金利時代。株価も暴落を経験したりで、不安定要素アリアリ。
そこへ、「営業のプロ」が言葉巧みに、数字を示して勧誘する。
堅実タイプは資料に弱い、のかも知れない。
すっかり、信じ込んだのでしょう。そう社会保険庁OBが顧問だとか言われたりすると。
この低金利時代に、「確定給付」しなくてはならないという使命感がそうさせたのかも知れません。

日中、自宅にいると、資金運用の営業電話がかかってくることもある。
今の金利をご存知ですか、と尋ね、当社で運用すると、○%です。比べてみてください。
と、丁寧言葉で畳み掛けるように話は続く。
「そんなに運用益がいいのなら、ご自分で運用なさったらいいのに」という、反語が頭にムクムク湧き上がり、丁重にお断りする。

投資のプロがかかわっている、金融機関などがこの低金利の時代に、かけ離れて高い運用実績って、マユツバと思わなかったのだろうか、と思うのは素人、なのでしょうね。
営業のプロあいてでは、コロッといっちゃう、ということは、営業のプロ≒詐欺師かしら(苦笑)。
きっと、この手の営業のプロはごろごろしていると思う。
コレは氷山の一角かも。

ドブねずみ色のスーツに身を包んで、勤倹実直に勤め挙げるつもりのところで、えっ!うちのお父さんが!という局面が、アチコチで芽を吹き出す春かも知れません。
みんな渡るから大丈夫、と思っていた信号が急に危険マークを発し始めたわけですから。
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