日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

今を生きる

2012-03-29 07:24:28 | 私の雑感あれこれ
今を生きる」っていうアメリカの東部の高校生活を描いた青春映画があった。
高校の文化課目でだったのか、高校1年の息子が「感動した」「涙がでたよ」といっていたのを時々思い出す。その後なんどかビデオでも見たものだ。

いつであっても、「今をいきる」というフレーズが背筋を伸ばさせてくれる。
私の世代になると、映画のような高校生に比して、なんと多くの過去を持っているか。笑
20年前、30年前、いや40年前も50年前も記憶で遡れる。笑
そんな長い道筋を辿って、今がある。

時々頭をよぎる。
愚痴っていたのだろう。
そんな私に、かけられたことば。
「お母さんは、なんでもできるのだよ。なんでもできるお母さんが、していないだけなんだよ」と。
「まったくだ」と思った。
本当にやりたければ、たとえ障害があっても乗り越えていくものだろうし、「そこまでの気持ちがないくせに」という切り口でのことば、でした。
ま、そんなレベルの、ワタシ、です。
あ~、5分10分の時間との格闘して子育てと仕事をしていましたけどね。
そんなのは、したいことが出来ない理由にはならない。アッハハ

「今を生きる」
いくつで使っても清々しい言葉です。
たれかが使ったから、といって言葉が品切れにはなりません。
私たち夫婦は、それぞれ60代の「今を生きる」そのものです。

高校時代に、映画「今を生きる」に感動した息子は、今、自分の心がゆすぶらされたときの思いを、ときには思い出すのだろうか。
鑑賞後の話題で、わが息子は、登場する高校生の中で、おとなしい弁護士の息子が映画の主人公だといっていた(わが身になぞらえていたのか。苦笑)。その後息子は、映画のメイン主人公のひとりのように、演劇やミュージカル、踊りにはまっていったっけ。あんなにも目立つことがキライだったのに。
さて、今は、仕事に追われての生活なのか。
でも、誰にとっても「今を生きる」だろうし、
ふふふ、こんな話題、お母さんなんかに言われたくない!と
跳ね返されるだけ、でしょう。

はて、ワタシのわが夫婦の「今を生きる」です。
コメント
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