日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

次、更新します。

2012-04-19 15:42:08 | 母のことなど
トップが写真では、ちょっと気恥ずかしくもあり、ですから。
日本の医療制度はすごいです。
3日目で個室に移動して、今日5日目で、嚥下のリハビリが始まりました。
なにせ95歳ですから、1週間も飲まず食わずだと、食べる能力も衰えると心配していたのですが、どうやら、プリンやらゼリーを食べる試みが始まりました。
看護師さんではなく、これはこれで専門の方だそうです。
よく考えられた仕組みだと思うし、高齢者の体力減退を知り尽くしたプロが関わってくださるというのは、本当に助かります。

病室には小さな有料テレビもあるそうです。
右手に力が入らないから、左手での操作になりますが、使い方をマスターしたとのこと。
95歳で新しい機械操作になるわけですが、好きな時にテレビをつけられる状態になったのはよかったな、と。
ベットの上での24時間は長いでしょうから。

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そして戦地からの写真。父です

2012-04-19 07:24:11 | 母のことなど
20代後半でしょうか。身長も高く、甲種合格です。
一人っ子です。ずっと、父が死んでからの昔話として聞いたのですが、妹二人が幼くして死んでいるので、祖母(明治21年生)は、大事に、危ないことはさせないように眼を光らせて育てたそうです。今で言えば過保護、でしょうか。
息子の帰りを希いつつ、自分は孫の世話をし、嫁は必死に生活費を稼ぐ。
母が、病に伏せた実母を見舞いに帰っても、実母は、顔を見て直ぐに(姑さんから叱責されることを慮って)「早く帰れ」と追い返した、とも。
ボケてはいませんから、自分の母親の病床のことも思い出しているでしょう。そのときの癖で、今病院のベットで臥せっている母も、もうここはいいから帰れ、って言うのですよ(苦笑)。

戦争があったり、貧しかったり、であっちにも、コッチにも、トゲが張り出していた時代だったように思います。

ちなみに、息子ひとりしかいなかった祖母ですから、初めての女の子である私には、甘かった、です。
コメント (4)
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