日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

今の平安に感謝、です。

2013-03-04 06:53:56 | 家族
産まれてすぐ緊急搬送された赤ちゃんを赤ちゃんの新父親と見舞ったのは翌日の夜。
出産後の回復が遅れていて、新母親(娘)が見舞うのは一日あとにしたのです(父親は仕事で無理なので、新おばあちゃん(ワタシ)が同行です)。
「じゃぁ、そのときに主治医から状況を説明しますね」と、看護師さん。
「いや、明日の状況説明は待って下さい。妻とボクが一緒のときがいいと思うので」と。
それでは、明日は、先生(主治医)は詳しいことは話さず挨拶だけにしましょうね、ということで了解しあっていた。

翌朝、ビジネスホテルを出て朝食をとっていると、新父親から携帯に電話。
赤ちゃんとの面会で先生(主治医)に接すると、きっと新母親は、自分から状況を質問するに違いない。まだ、彼女一人で対応させたくないので、挨拶に顔を出すことも控えてもらった。挨拶は担当看護師さんだけと、お願いした、と。
病状説明は、明日ボクが仕事を何とかキャンセルして時間を作ります。話を聞いたあとは、一人にしておきたくないから、その日はずっとそばにいます。

今は、webでいろんな情報を得ることが出来る。
新父親の話では、1万人にひとりというケースらしいですよ、と。今の彼にこの状況は如何に覚悟を要するものか、その重さがヒシヒシと伝わる。
眠れない夜が続いているのも判る。
新おばあちゃんは『あなたがここで、ぼぉっとして交通事故を起こしても大変だから、仕事中は気持ちを切り替えてね。しっかり食事を摂ってね』ぐらいしかいえない。

新母親の入院病院へ。
「『ゴメンね、こんなことになって』というと、『今は自分の子供が生まれて、すごくうれしい』と新父親は言ってくれた」という。

赤ちゃんは脳低温療法で意識がない。
人工呼吸器で動かされているのだろう胸部の機械的な動きが「治療がっばっている」証でしょうか。ちいさな身体に管、管、管、です。
新父親も、翌日に面会した新母親も、赤ちゃんのオデコに触れて、かわいいね、かわいいね、の連発です。
「こんなに自分の赤ちゃんってかわいいとは思わなかった」とは新父親、母親の感想。
レアケースの体験、非常事態の出会いだったけれど、「かわいい」という言葉を降り注ぎながら、彼らは痛々しい赤ちゃんを見つめていました。

で、3日目が状況説明を受ける日。
多分、説明も終わった頃だろう、と思うものの連絡が来ない。
遠方の新おばあちゃんは、いろんなことを想像して気持ちは沈むばかりです。
土日は、時間をやり過ごす、というすごし方しか出来ませんでした。
月曜の朝、「予想がいいほうにはずれた」ようなメールが来た。

連絡の遅さに、腹を立てながらも、涙があふれてきた。
「うれし涙だよ」と叫びながら、2階の書斎の新おじいちゃんにメールを見せに行ったものだ。
2度目の東京行きで病院に面会に行くと、脳の冷却装置もはずれ、翌日には人工呼吸器も取れ、酸素の管が鼻に。そのとき初めて聞いた「オギャア」というか細い声の、なんと愛しかったか。ゆっくりでいいよ。自分の肺で呼吸できるんだもの上等だよ。
翌日には、酸素の管も取れて鼻から、空気を吸っていた。
「合格だよ。立派だよ」そう褒めてやりたい思いであふれていた。

そんな風に、日一日と治療中の痕跡が外されていった。
「○○にも異常なし」「△△にも異常なし」という報告を受けたとメールがあった。
それにしても、生まれたばかりで、脳外科やら眼科やら耳鼻科などなど、いろんなお医者さんに診てもらったらしい。

昨日の夕方に届いた写メールでは、新父親の腕(多分)の中で、沐浴しているものが送信されてきた。
いってみれば「普通」なのだけれど、気持ちよさそうにシャンプーしてもらっている赤ちゃんに感動した。
この普通がどれほど待ち遠しかったか。
今、退院の話になっている。
ありがたい。


コメント (3)
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