日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

今月から、ひとつボランティアが始まります。

2013-12-02 07:33:19 | 私の雑感あれこれ
「如何ですか」と声を掛けられたのは夏でした。
「私でお役に立てるのでしたら」ということで、引き受けることになりました。

民生委員の仕事というのは、ボンヤリとしたイメージしかありません。
でも、地域の下支えの仕事、のように思えます。
子供の頃のイメージで言えば、地域というクラスがあって、困っている人がいたら声を掛ける「係り」なのでしょうか。
検索していたら、民生委員法という法律があることがわかりました。
昭和23年に出来た法律です。
戦後まもなくから、「暮らしに困っている人に気を配る」ルールが整っていたのかと思うと、この国の優しさを思います。
思えば、母の口から「民生にかかる」という言い方を聞いたように思います。
詳しく話題にしたことはないので、想像もこめてなのですが、母の言っていた「民生にかかる」というのは、「民生委員の介助で生活保護を受ける」という意味だったのだと思います。昭和30年、40年代の田舎にも、病気だったり、働き手がいないと、そんな手当もなされていたのでしょう。
時代が変わって、役割も変化しているのでしょうか。
引継ぎの際に聞いた話では、「独居老人への配慮」がメインのようです。
いつかは我が姿かも知れません。
出来るときに、自分で役に立つのであれば、その精神で役割を務めたいと思っています。

関係仕事に保育園や小中学校の卒業式参列というのもあるらしいです。
養護施設へのかかわりも耳にしました。
自分の子供もとおに巣立って、このままでは「街中の職場」と「庭仕事」だけでしたので、地域に顔出しする機会が出来たのもよいことだと思っています。

そして、高校時代に、是非是非と養護施設を訪ねたりしたことを思い起こしたりしています。今みたいに、どこに施設があるのか検索も容易ではなかったので、電話帳で調べて連絡をとって、電車やバスを乗り継いで出かけていったのです。
いくつかのダンボール箱を抱えて。ダンボールの中身、なんだと思いますか(笑)。

ま、なんだか、あの高校の頃の私のルーツが細く繋がっているような気がしないではありません。

コメント (4)
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