日本人も捕虜となったことから、テレビで取り上げられる時間も格段に増えました。
喧喧諤々、専門家やコメンティターのまことしやかな情報が伝えられているけれど、現地の状況そのものが私たち日本人の理解の範疇を超えているってこともあるのではないだろうか、と思ったりしている。
「宗教、宗派の違いで血が流れる」という社会を、自分たちも、何代も以前の先祖も体験もしていないし、更に遡って、、、お寺が武力をもっていた時代までさかのぼらないと、心当たりもないのが私たちの国です。
だから、彼らの身の内からほとばしり出るような憎しみも、使命感も理解できないのではないでしょうか。
だから、ここからは想像です。
そこまで、宗教指導者に帰依すると言うのには、帰依した方が、そうしないより自分の暮らし向きが安定する、生きていける、そういうレベルなのではないでしょうか。衣食が充分に満たされていないレベルでは、まず自分を頼ってくるものに安定を与えようとします。安定を与える責務を負った指導者は、他を排斥、他からむしり取ってでも、自分の周りに集まってくる者たちの保護に努めます。
そういう時代を何世紀にもわたって過ごしてきた地域には、排斥された過去の記憶が、どちらの側にも残っているのです。
根っこを一つとしている一神教である、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、どれも、自分以外の宗教を信じる者を、自分たちとは別物として扱ってきたのでしょう。
たまたま、ルネッサンス、産業革命の時代以降は、ヨーロッパ地域に、18世紀以降はアメリカにも、富が集中しました。いずれもキリスト教の国々です。労働力を必要としたキリスト教の国々は他宗教の人たちを受け入れることは受け入れても、下層階級に甘んじなければなりません。年月を経ても、他宗教との境界がなくなるはずはありません。何世代にも亘ると人口も増えるでしょうが、うっ屈、不満も脈々と受け継がれていきます。
それが、ヨーロッパ諸国(労働力としてアフリカや中近東から多くの人を受け入れてきた)ではないでしょうか。
「イギリス生まれの、英語がネイティブのイスラムのテロリスト」というと、なんで?と一瞬戸惑いを覚えるかもしれませんが、こう考えて行くと納得できると思いませんか。
そして、悪名高いイスラム国に、兵士希望の若者たちが集まっている、という話も説明がつくように思います。
自分の今の生活が、面白くない、この社会にいては将来にわたって不利益から脱することはできない!そう考えている若者には、悪くはない収入が得られると聞くと興味がそそられるのではないでしょうか。兵士になるのですから、命の保証がないのに、それでも行く、ということは、いかに、絶望しか見えていないか、ということにつながるのではないでしょうか。
イエ、狂信的な反社会主義志向の人間もいるのですから、全員が先に述べた若者というわけではないでしょうが、ヨーロッパ社会の抱えている闇にも原因があるように思います。
日本人が2人が巻き込まれたケース。
平和過ぎるわが国では、目立たないから、ちょっとキナ臭いところで一旗あげたい、そんな思いが伝わってきます。
凡庸に暮らしていくのは可能でも、それでは満たされない、のでしょう。
地雷を踏みに行くことが英雄気取りと勘違いしている。
自分で自分の責任を、と宣言しているのだから、論評などしてほしくない、と反論したいところでしょうか。
日本国としては、ないがしろにするわけにはいかないけれど。
中近東の石油の出る国あたりの国の仕組みって、知らない。
産油国には民主主義国家はない、と最近読んだことはあるけれど、原油が富を生み、富が武器を買うのを容易にする。不遇な境地で、それを見て育ったものが、自分のルールで思いを達成しようとする。イスラム国から原油を買っている人もいて、武器を流しているルートもある、なんともはや、です。
喧喧諤々、専門家やコメンティターのまことしやかな情報が伝えられているけれど、現地の状況そのものが私たち日本人の理解の範疇を超えているってこともあるのではないだろうか、と思ったりしている。
「宗教、宗派の違いで血が流れる」という社会を、自分たちも、何代も以前の先祖も体験もしていないし、更に遡って、、、お寺が武力をもっていた時代までさかのぼらないと、心当たりもないのが私たちの国です。
だから、彼らの身の内からほとばしり出るような憎しみも、使命感も理解できないのではないでしょうか。
だから、ここからは想像です。
そこまで、宗教指導者に帰依すると言うのには、帰依した方が、そうしないより自分の暮らし向きが安定する、生きていける、そういうレベルなのではないでしょうか。衣食が充分に満たされていないレベルでは、まず自分を頼ってくるものに安定を与えようとします。安定を与える責務を負った指導者は、他を排斥、他からむしり取ってでも、自分の周りに集まってくる者たちの保護に努めます。
そういう時代を何世紀にもわたって過ごしてきた地域には、排斥された過去の記憶が、どちらの側にも残っているのです。
根っこを一つとしている一神教である、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、どれも、自分以外の宗教を信じる者を、自分たちとは別物として扱ってきたのでしょう。
たまたま、ルネッサンス、産業革命の時代以降は、ヨーロッパ地域に、18世紀以降はアメリカにも、富が集中しました。いずれもキリスト教の国々です。労働力を必要としたキリスト教の国々は他宗教の人たちを受け入れることは受け入れても、下層階級に甘んじなければなりません。年月を経ても、他宗教との境界がなくなるはずはありません。何世代にも亘ると人口も増えるでしょうが、うっ屈、不満も脈々と受け継がれていきます。
それが、ヨーロッパ諸国(労働力としてアフリカや中近東から多くの人を受け入れてきた)ではないでしょうか。
「イギリス生まれの、英語がネイティブのイスラムのテロリスト」というと、なんで?と一瞬戸惑いを覚えるかもしれませんが、こう考えて行くと納得できると思いませんか。
そして、悪名高いイスラム国に、兵士希望の若者たちが集まっている、という話も説明がつくように思います。
自分の今の生活が、面白くない、この社会にいては将来にわたって不利益から脱することはできない!そう考えている若者には、悪くはない収入が得られると聞くと興味がそそられるのではないでしょうか。兵士になるのですから、命の保証がないのに、それでも行く、ということは、いかに、絶望しか見えていないか、ということにつながるのではないでしょうか。
イエ、狂信的な反社会主義志向の人間もいるのですから、全員が先に述べた若者というわけではないでしょうが、ヨーロッパ社会の抱えている闇にも原因があるように思います。
日本人が2人が巻き込まれたケース。
平和過ぎるわが国では、目立たないから、ちょっとキナ臭いところで一旗あげたい、そんな思いが伝わってきます。
凡庸に暮らしていくのは可能でも、それでは満たされない、のでしょう。
地雷を踏みに行くことが英雄気取りと勘違いしている。
自分で自分の責任を、と宣言しているのだから、論評などしてほしくない、と反論したいところでしょうか。
日本国としては、ないがしろにするわけにはいかないけれど。
中近東の石油の出る国あたりの国の仕組みって、知らない。
産油国には民主主義国家はない、と最近読んだことはあるけれど、原油が富を生み、富が武器を買うのを容易にする。不遇な境地で、それを見て育ったものが、自分のルールで思いを達成しようとする。イスラム国から原油を買っている人もいて、武器を流しているルートもある、なんともはや、です。