日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

剪定しています。

2015-12-11 12:43:46 | 庭 12月
年が明けてからスタートしようと思っていたのだけれど、ついウズウズしてきて、楽なほうから始めました。
木立バラ(つるバラじゃない方)の剪定を今日で終了。
今年の2月の浜名湖フラワーパークで、冬剪定中の様子をチェックしてきたので(笑)、遅めで大丈夫と思っているのだけれど。
切り込み方がずいぶん深くて(私のはもったいなくて、ついつい残してしまう)、高さの検討をつけてきたので、今年はそれにならって、バッサリ剪定しました。

⇒そのほうが、新たなシュート(枝)が出やすいのかも、、、。
⇒枝をなるべく新しいシュートと更新していかない、株も老化してしまうらしい。

と、素人(私)の判断、です。

あとは、ツルバラが残りました。
そのうちの3分の2は大物です。
高いところで、もっさもっさに茂っていて、じんわりと進めていくと2週間はかかりそうです。
昨シーズンは、ツルバラについても、バッサリが足りず、2度3度と剪定をやり直したので、今度は追加剪定しなくてもいいように、「丁寧に」を心がけようと思っています。

脚立を使うのですが、脚立の足元が平坦でないから、厄介なのです。トホホ

■今日の花たちを。

ガザニアです。








ツルバラのアンジェラの戻り咲きです。


室内のバラ。






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去に「白いコート」について書いたことを思い出すことがあります。

2015-12-11 07:19:35 | 私の雑感あれこれ
このブログをスタートした月、10年前の3月の記事でした。
「白いコート」

中国を腐す話題が出るたびに、中国で暮らすひとりにはこんな人もいるのに、と日本で暮らすひとりは思うのです。苦笑

まったく別の折(天安門事件の翌年)ですが、頭でっかちの私は、中国の知識人(医師資格をお持ちの留学生)の方を、裁判所に案内しながら、この国では、国を訴えることもできるし、新聞社は政府の悪口を記事にすることあるんですよ、と解説したものです。

彼は、ほぉ~とうなづいていたけれど、どこまでわかっていたのか不知です。
中国では、まだまだ行政府批判はご法度なのでしょう。


戦後の暮らししか知らない私たちは、言論の自由は当然のもの、と空気同然に書きなぐっています。


先日、テレビで終戦直後を取り上げた番組がありました。

終戦の数か月前に、「日本は戦争を早く止めるべきで、このままでは負けるだけだ」というような発言をしたことで検挙され、その裁判の判決が終戦後にあり、彼は有罪判決を受けた、という。世の中は彼の発言通りになったのに、裁判は有罪という不可思議。

実際の新聞記事が紹介されていました。

70年前は、私達の国は(も)、こんなトンチンカンがまかり通っていたのです。


私たちは、今現在はブログの文章に国のチェックが入る、なんて思うことなく綴っています。かつては、そうでもなかったし、今もそうできない国があり、それらの国も、私たちの国が変わったように、いつかは変わるだろう、という、緩い枠で見ていたいと思うのです。



今は、今年亡くなった阿川弘之さん(阿川佐和子さんの父上)の「山本五十六」を読んでいます。戦争に突入していった当時の軍部の空気を知ることができるかと思って。
これも「戦艦武蔵」同様、記録文学の分野に入るのでしょうか。戦中を知っている方々からの置手紙のように思えます。

なんだか、支離滅裂な綴り方になってしまいましたね。

要は、隣国を嫌だと決めつけてしまいたくないこと。
いつの時代も、外交は困難を極めるものなのだ、ということ。
戦争は外交の失敗の結果であるから、賢い道筋を模索しなくてはならない、ということ。

まとめてみようと思っても、ピンボケにしかなりません。
ゴメン。







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする