日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

またまた映画の話です。・・・師走なのに~トホホ

2015-12-23 07:47:33 | 映画・テレビドラマ・音楽
書き留めておきたいので、走り書きになるかもしれません。

映画「エクソダス:神と王」2014年制作
映画「ティファイアンス」2014年制作

ネタバレありなので、鑑賞予定の方はご遠慮ください。

「エクソダス:神と王」
時代は紀元前1300年頃のエジプト。
ヘブライ人はこの地で400年間奴隷として働かされている。
宮殿作り、巨大石造作りを担っているのも、ヘブライ人奴隷。
(ヘブライ人=ユダヤ人、これまではぼんやりとしか受け止めていなかったけれど、今回チェック)
その王宮で世継ぎの王子と一緒に育ってきたモーゼ。
祈祷師が、お世継ぎの王子は自らの命を救ってくれるものに狙われる運命にある、と告げる。仲良く育った二人は、思わぬお告げを怪訝に思いながらも、雲行きは怪しくなり始め。王の命を受けて支配地エリアの視察にいったモーゼは総督の絢爛豪華な暮らしと奴隷の扱いの酷さを指摘。それを面白く思わなかった総督は、モーゼはヘブライ人の子だと告げ口するようになる。
王子は祈祷師のお告げも心を離れず、モーゼを追放。命かながな生き延びたモーゼは、やがてヘブライ人奴隷を引き連れて、一時干上がった紅海を渡りカナンの地を目指す、というストーリー。
はい、あの「十戒」のリメイク版なのでした。
「十戒」は、小学生の時に母に連れられて映画館でみたという記憶に残っている唯一の映画です。その後もう一度見る機会がありました。
省かれているシーンもあり、また余りにも嘘っぽく映るシーンも、この映画では納まりよくできていました。
横暴、傲慢、臆病、品格、誠実、飢餓、英明、慈愛、博愛、、、なんだろう、そんな人の心のありように惹きこまれていった映画でした。
あっ、現代人が作った映画ですから、言われてみれば、現代風解釈、と言われてしまえばそれはそれ、ですけれどね。

「ティファイアンス」
舞台は1941年のベラルーシ(白ロシア)。
ソ連です。でも既にドイツが侵攻してきて、ユダヤ人村人は連日撃ち殺されている状況。森の中に逃げ込んだ兄弟からストーリーが始まります。
食糧調達、寝床の確保仕様としていると、森のあちこちから、同じように命かながなに逃げ込んだユダヤ人が、、、。年寄りや女子供も含まれています。彼らを見逃すわけにはいきません。3人、4人だったところが、どんどん増えていき、食糧調達も大変。病人も出ます。攻めてくるドイツ人の攻撃にも、かわしながら逃げ延びなければなりません。
こういうストーリーです。実話に基づいているそうです。
終戦の段階で、その一団として森に潜んで難を逃れたユダヤ人は1200人にもなっていた、とテロップが流れました。モーゼのよう、と思われませんか。当然彼らはユダヤ人なのですから、出エジプト記は百も承知。ユダヤ人は逃げるだけで戦わない、とソ連のパルチザンのセリフにありました。兄弟の一人は、意を決してソ連人らと行動を共にしたりもしますが、ココロ通じずやはり戻ってきます。

以下にわか勉強ですが、
紀元前4000年、旧約聖書によると、カナンの地は神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地、なんだそうですね。カナンとは、パレスチナ地方の古い呼称。
高齢になったアブラハム夫婦には子供がなくて、女奴隷との間にできた子がイシュマル
子どもができるとイシュマルも母親もアブラハムの意見に従わなくなったので、困っていると、今度は超高齢のアブラハム夫婦だったけれど子供が授かり、イサクと名付けられる。
イシュマルはアラブ人の祖先
イサクはユダヤ人の祖先
ということになるのでしょうか。

これでは、カナン(パレスチナ)エリアを巡る諍いが果てしなく続きそうなことは、なんとなくわかりました。

なんだか、2日続けてみた映画が、描かれている時代はとてつもなく離れているのだけれど、抱えているテーマがつながっているようで、奇遇なのでしょうか。
一応、書き留めておきたくて綴りました。





コメント
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