日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

1987年 ベルリンの壁でデビットボウイが歌った「ヒーローズ」

2016-06-04 07:32:48 | 社会問題
いまさらですが、テレビで知る。

昨晩「映像の世紀」を録画で。

1987年 西ベルリンの閉ざされていたブランデンブルグ門の西側エリアで、彼は『ヒーローズ』を歌ったという。
音響の4分の1を壁の向こう側に向けて。
そして、これから『ヒーローズ』を歌うとのメッセージをドイツ語であいさつした。

当時の東側は、許可なく集会を持ってはならない、という体制のもとではあったけれど、聞きつけた若者たちが群衆をなしていた。
テレビ画像では、誰かがその時の様子を隠し撮りしていたらしく、警備隊がピリピリしている中、西側から聞こえてくる音楽に魅せられている若者たちが映る。

この2年後、ベルリンの壁は崩壊した。


今年の1月、デビットボウイが69歳で亡くなったとき、ドイツ外務省りのツイッターで、メッセージが流されたという。

「クッド・バイ、デビット・ボウイ。あなたは今、#ヒーローズの一員になりました。壁の崩壊に力を貸してくれたことを感謝します」


その時の実況画像も今、見れます。すごい時代ですね。(⇒それにしても、ビジュアル的にはかっこいい人ですね。ホレボレ 苦笑)



ヒーローズの歌詞の翻訳版も探したら見つかるのでしょうね。

■追加 洋楽和訳ノートがありました。
実況画像も見れて、対訳が付いています。


この時は誰も、壁が崩壊するのが2年後とは思っていない。


私が子供の時、世界に分断国家が3つあると教えられた。
そのうちの二つが統一を果たした。
もう一つも、何年後にか、があるだろうけれど、それがいつか、どういう形でおとずれるかはわからない。


番外で。
最近読んだ本で(モチ、司馬さん「この国のかたち」)、モンゴルも二つに分かれている、と。
いわゆる、かつてソ連の衛星国だったモンゴルと、中国の領土になっている内モンゴル。
ちなみに、司馬遼太郎氏は大学ではモンゴル語専攻です。
多民族国家で、自分の属する民族と違う統治者のもとで生きていくって、日本人には考えにくいですね。







コメント (2)
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