朝食を食べながら、奈良の旅や司馬遼太郎の「この国のかたち」のことを話題にしていた。
いにしえの昔から、書物を外国(中国)から取り寄せることに熱心だった。
古代から江戸期までの長きにわたって貿易の輸入高の一番が書籍という日本。
こんな国は世界広しといえどもほかにはないだろうね。
それは、この国が辺境だからだよ。
自分の国が辺境にあるという意識が常にあったから、書物を取り寄せて、より高い文化を学ばなくてはならない、という志で貫かれてきたのだと思う。
なんだか、手にしていた知恵の輪がカチャッとはずれたような気がした。
四面が海という天然の防塞を持っていたから侵略されなかった、とか、ユーラシア大陸の東の縁に、それも島国で、という日本を辺境という、という表現にも出会ったことはあった。
でも、今朝の、「辺境という意識があったから、発展していくためには、中国の書物に学ばなくてはならない」というスタンスで貫かれていたのだという応答は私の胸にストンと来た。
だから、現状に固執するよりも改革することや、外国文化を取り入れることについて、ハードルが低いのかもしれない。
そして、この国の中で見ると、私は北陸(育ったころは裏日本とも表現されていた)育ち、というのも、日本の中にあっての辺境育ちだったのだろう。
そしてさらに、女性であることも、私が生育した時代においては人として扱われることにおいて次順位、二番手であり、どちらかというと非メインとみられてきた、ともいえる。
そんなことを、じくじくと考える一日でした。
私は、そんな辺境要素に満ち満ちているからかしら、いつまでも、知らないことを知る(私の場合は歴史がらみの読書する)ことに興味が尽きない。
辺境ありがたし、
というか、
読書できることありがたし、
です。
いにしえの昔から、書物を外国(中国)から取り寄せることに熱心だった。
古代から江戸期までの長きにわたって貿易の輸入高の一番が書籍という日本。
こんな国は世界広しといえどもほかにはないだろうね。
それは、この国が辺境だからだよ。
自分の国が辺境にあるという意識が常にあったから、書物を取り寄せて、より高い文化を学ばなくてはならない、という志で貫かれてきたのだと思う。
なんだか、手にしていた知恵の輪がカチャッとはずれたような気がした。
四面が海という天然の防塞を持っていたから侵略されなかった、とか、ユーラシア大陸の東の縁に、それも島国で、という日本を辺境という、という表現にも出会ったことはあった。
でも、今朝の、「辺境という意識があったから、発展していくためには、中国の書物に学ばなくてはならない」というスタンスで貫かれていたのだという応答は私の胸にストンと来た。
だから、現状に固執するよりも改革することや、外国文化を取り入れることについて、ハードルが低いのかもしれない。
そして、この国の中で見ると、私は北陸(育ったころは裏日本とも表現されていた)育ち、というのも、日本の中にあっての辺境育ちだったのだろう。
そしてさらに、女性であることも、私が生育した時代においては人として扱われることにおいて次順位、二番手であり、どちらかというと非メインとみられてきた、ともいえる。
そんなことを、じくじくと考える一日でした。
私は、そんな辺境要素に満ち満ちているからかしら、いつまでも、知らないことを知る(私の場合は歴史がらみの読書する)ことに興味が尽きない。
辺境ありがたし、
というか、
読書できることありがたし、
です。