録画で。
漱石の妻は悪妻だった、と遠い昔から(学生時代から)、ぼんやりとインプットされたまま、今日に至ったいました。
ちょっと、興味があったので、録画予約しておきました。
私の読書は、漱石からスタートしたといってもよいくらい、なので、当然漱石の世界側からの文豪の妻のままでした。
今回のドラマは、妻に焦点をあてて、というか妻にも妻の言い分がある(当たり前です)、という描き方がなされているので、回が進むにしたがって、面白くなりました。
脚本家が書く人物像ですから、説得力に欠けわけにはいかないわけで、見ていて納得というか、私、誘導されています。よい視聴者です。ハイ
何不自由なく育った鏡子が、切り詰めた生活をしているところへ、富から見放された父親が、借金の連帯保証人を金之助に頼みたいとやってくるシーン。
「私は、お父様に何不自由なく豊かなに育ててもらったから、今度は私がお父様をそのようにしてさしあげたいのですが、うちにはとてもそのような余裕はありません」と断る。
金之助を育てた養父が、小説が評判になった金之助に、まとわりつくようになり、ついには大金を用立ててくれるようにやってくるようになる。
これからも、こんなことが続くとかなわないと思った鏡子は、雨の中、金之助に追い返された義父を追いかける。有り金を渡して「養子縁組を解消した後も不義理をしません」と綴った証文を取り返してくる。
そんな妻に、自分にとっては父親であり、縁者の少ない自分にとっては大事だったと、、、。
齟齬。気持ちの行き違い。
妻が悪妻だ、という風評をたてたのも、ロンドン留学中、部屋に閉じこもるようになり、精神的に参っているころに、留学仲間らに流した話とか。文部省からの経過報告の要請にも、白紙の書面を送付するほどに精神の混乱状態だったらしい。
な~んだ。
たまったもんじゃない。
幻覚が見えたりするほど病んでいた金之助も苦しかったのでしょうけれど。
文豪と比べると凡庸かもしれないけれど、鏡子さんのほうが筋が通っているじゃない、なんて、ひとりリビングで鑑賞しています。
それでも、漱石の小説群を次々と読み継いでいた時の自分、自我について、個人主義、自分本位、則天去私、ってことばに惹きつかれた青年期だったことは事実なんです。
脚本家は誰なのでしょう。きっと、私より、若い世代のひと、なのでしょう。
あなたも、漱石の本、相当読んだんでしょうね、と、語りかけたい気分が、少しある。←実現しないけど。アッハハ
■追記
脚本は池端俊策さんとのこと。初めて聞く名前。というか有名なのかもしれないけれど、私は知らなかった。
妻鏡子さんの人間味ある個性がしっかり描かれていて面白かった。
「吾輩は猫である」にはくしゃみ先生夫婦として鏡子さんらしき人も登場するらしいけれど、未読。
青空文庫で読もうとしたけれど、しおりが挟めないので思案に暮れている。
私が読んだ漱石作品には、鏡子さんらしき人は出てこない。
「坊ちゃん」の中のばあやの清を、幼い時に鏡(きよ)と家族から呼ばれていた妻鏡子に重ねた人物像として登場させているのではと、脚本家池端さんはドラマの中の鏡子に言わせている。ふ~む、そうなのだろうか。
漱石の妻は悪妻だった、と遠い昔から(学生時代から)、ぼんやりとインプットされたまま、今日に至ったいました。
ちょっと、興味があったので、録画予約しておきました。
私の読書は、漱石からスタートしたといってもよいくらい、なので、当然漱石の世界側からの文豪の妻のままでした。
今回のドラマは、妻に焦点をあてて、というか妻にも妻の言い分がある(当たり前です)、という描き方がなされているので、回が進むにしたがって、面白くなりました。
脚本家が書く人物像ですから、説得力に欠けわけにはいかないわけで、見ていて納得というか、私、誘導されています。よい視聴者です。ハイ
何不自由なく育った鏡子が、切り詰めた生活をしているところへ、富から見放された父親が、借金の連帯保証人を金之助に頼みたいとやってくるシーン。
「私は、お父様に何不自由なく豊かなに育ててもらったから、今度は私がお父様をそのようにしてさしあげたいのですが、うちにはとてもそのような余裕はありません」と断る。
金之助を育てた養父が、小説が評判になった金之助に、まとわりつくようになり、ついには大金を用立ててくれるようにやってくるようになる。
これからも、こんなことが続くとかなわないと思った鏡子は、雨の中、金之助に追い返された義父を追いかける。有り金を渡して「養子縁組を解消した後も不義理をしません」と綴った証文を取り返してくる。
そんな妻に、自分にとっては父親であり、縁者の少ない自分にとっては大事だったと、、、。
齟齬。気持ちの行き違い。
妻が悪妻だ、という風評をたてたのも、ロンドン留学中、部屋に閉じこもるようになり、精神的に参っているころに、留学仲間らに流した話とか。文部省からの経過報告の要請にも、白紙の書面を送付するほどに精神の混乱状態だったらしい。
な~んだ。
たまったもんじゃない。
幻覚が見えたりするほど病んでいた金之助も苦しかったのでしょうけれど。
文豪と比べると凡庸かもしれないけれど、鏡子さんのほうが筋が通っているじゃない、なんて、ひとりリビングで鑑賞しています。
それでも、漱石の小説群を次々と読み継いでいた時の自分、自我について、個人主義、自分本位、則天去私、ってことばに惹きつかれた青年期だったことは事実なんです。
脚本家は誰なのでしょう。きっと、私より、若い世代のひと、なのでしょう。
あなたも、漱石の本、相当読んだんでしょうね、と、語りかけたい気分が、少しある。←実現しないけど。アッハハ
■追記
脚本は池端俊策さんとのこと。初めて聞く名前。というか有名なのかもしれないけれど、私は知らなかった。
妻鏡子さんの人間味ある個性がしっかり描かれていて面白かった。
「吾輩は猫である」にはくしゃみ先生夫婦として鏡子さんらしき人も登場するらしいけれど、未読。
青空文庫で読もうとしたけれど、しおりが挟めないので思案に暮れている。
私が読んだ漱石作品には、鏡子さんらしき人は出てこない。
「坊ちゃん」の中のばあやの清を、幼い時に鏡(きよ)と家族から呼ばれていた妻鏡子に重ねた人物像として登場させているのではと、脚本家池端さんはドラマの中の鏡子に言わせている。ふ~む、そうなのだろうか。