日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

3人でよく話をした。

2018-11-05 15:15:19 | 母のことなど
この7年間のこと、それ以前のウン十年のこと、などなど。

やっぱり私から言わないといけないと思うことを話題に。

長男夫婦と同居状態だったのに、95歳から半身不随の夫の親を引き取ることになるって、そうそう世間にはないことだと思う。
普通だったら、いやでしょ。
それを引き受けてくれるなんて、なんとも言えないほどありがたい、と常々思っている、と。
だって、だれもが社会に暮らしているわけで、人間関係、友人関係があるから、弟嫁さんも友人ら(50代、60代)のケースなどを聴いたりして知っているはずです。

そうよ~と、肯いて、
私たち夫婦だから(お母さんの世話が)できることなの~~と。
彼女は軽く笑って返す。

そして、お義母さんもスゴイと思う。
95歳の高齢でガラリと環境が変わることって、受け入れがたいと思うのに、ちゃんと自分の中で理解して、整理して、乗り切ったのだから、と。
これは、そうそう普通の狭い範囲で暮らしてきた女性にはできないことだと思う。
地元を離れて、京都とかいろいろと自立して暮らした経験があるから、自分で物事にあたった時に、自分なりの乗り越え方を身につけている頭のいい人だと思う。
うちに来て、何か月間は、どうしてこうなったのか、毎日、毎晩考えていた節がある。で、考えてもどうにもならないことにこだわっていては、良くない、と判断して区切りをつけた、というのが、接していてよくわかる。

人を責めてもいいことはない。そんなことに時間を使うのはもったいない、という考え方なんじゃないかな。
そんな考え方は頭のいい人にしかできないことよ。

今から、迷惑をかけないようにどう努力すればいいか、そのことに集中するのが大事って、判っている人なの。

スゴイよね~~。

と、実の娘である私に語るのだから、実は、その弟嫁さんもスゴイ。

母は、弟夫婦に言ったという。
やがて歳をとった時は長男夫婦の世話になると思って、一生懸命配慮(援助)してきたのに、だから、二男夫婦であるあなたたちには大したことはしていない。それなのにこんなに世話になって、申し訳ない。だから、はじめにまとまった(それなりの)お金を受け取ってほしい、とも。
弟は断ったらしい。


帰り際に、聞き取りにくい母の耳に向かって、
「こんなにいい環境って、ないのだから、幸せでありがたいね~」とささやくと、母のシワシワの顔に涙があふれてきて、止まらなくなった。
私を駅まで送っていくから、ベットに移動しよう、と連れて行くさなかから、私と別れる辛さも加わって、泣き声は止まらなくなって、こころをわしづかみにされる。

○さん(私)、明日仕事なんだから。

また来るから。

そんな言葉を交わして、バス乗り場である駅前に向かった。

弟夫婦は、私を車から降ろして、今度は弟嫁さんの一人暮らしの父親(90才)宅に行って、買い物に付き合うという仕事があるのです。

良質の、本当に良質の時間が持てました。

アッララ!と、う○○の世話に追われたりしたのですけれど。うっふふ。

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北陸行きから戻る。

2018-11-05 06:44:23 | 母のことなど
長距離バスでの北陸行き。
日差しもまぶしい快晴、秋晴れの空。
バスは日本アルプスを避けながら、山間部はトンネルも多いルートです。
紅葉が見事でした。

バス前方も右も左も、ハイウエーの道路以外は紅葉の山々と川筋ぐらい。

なんという贅沢!

バスの進行とともに迫りくる風景が「まるで3Dみたい。4K画面見たい」と、何度も思いました。

そんな恵まれた往路の終点で弟夫婦が待っていてくれて、一緒に遅めの昼食(いつものお好み焼きやさん)。
弟宅で一段落してから、ショートステイ先に母を迎えに行きました。

勿論、顔を見た途端に、私のことはわかるし、「忙しかったのじゃないか」と気遣いの挨拶もする。うれしさがあふれた顔で。

お寿司で夕食。

いつもは夕食後は自室のベットに行くのに、ずっと茶の間で一緒。
耳が遠いから、みんなの会話には入ってこられないのに、このままここにいたい、と。

話題は、明日のスケジュールをどうしようか、ということに。
いつもは、渓流際のアユ料理のお店に行く予定を入れて、コスモス畑を観に行ったり、観光地を回ったりのコースをとる。
けれど、体調のレベルも下がって、もう見物を楽しむという余裕はないと思う、との話。
アユ料理は何度も行っているから、反対方向のお墓参り(高速を使ってお墓に着くまで片道1時間)は、ということになった。
母にも久しぶり。私などは10年以上行っていません。
これが最後になるかも、行ける今、行っておくのがいい、という結論。

その後、我が家が抱えている問題があるので、それをどうするか、ということで、時間を忘れて、3人で話し合いました。
弟の考え、私の気持ち、、、を語り合い、それでも一番大事のは、お母さんの気持ちを一番考えてあげることだよ、と弟嫁さんも加わっての結論になりました。
耳の遠い母には、このにぎやかな話し合いが聞こえているのかどうか、多分自分に関することを話しているのだとはわかっているのでしょう。そして、3人が和気あいあいと話しこんでいることを喜んでいる、そう感じられます。

で、翌朝、お花やろうそくを携えてお墓参りに10時ごろに出発。
山寺の敷地、急傾斜地にあので、母の車いすはとてもじゃないけれど、墓前まではいかないのです。
お墓が見える場所まで車椅子を運んで、私たち3人は墓前で、という形の墓参りでした。
父が死んだ(26年前)ときに、新しく建てかえた墓です。私にはそれ以前の墓のこともアリアリと記憶にあります。
子どもの頃は、毎年母と浜辺から拾ってくる玉砂利とおけそくのかたちをした白い石持って、墓掃除をに通った所ですから。
何十年も嫁の仕事として、この墓の掃除をしてきたのに、今はもう、車椅子状態なので墓のそばにもこれない。
そして、これが見納めになるかもしれない、と思っているはずです。

帰りは、懐かしの近隣エリアをドライブしました。

ベニズワイガニの漁をするあたりです。ちょうど今日水揚げされたばかりのカニやさんの店があって、ラッキー。
(いつも、送ってもらう立場なので、現地のお店で買える、というのは、私には稀有な機会なのです)
とりあえず、娘宅2か所に送ってもらうように手配。お財布が軽~くなりました。苦笑

この日も、昼食は弟宅近くまで戻っての外食。

ダラダラと長くなりました。
なんという素敵な展開!と思うことのある北陸行きでしたが、今は家事もたまっていて、気が焦り、ここまでにします。

つづく




コメント (2)
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