伊勢海老のお造りとアワビの蒸し焼きが付いている豪華メニューでした。
伊勢海老は二人で1匹。お頭は翌朝のお味噌汁になりました。
築50年になる建物でしたが、10畳間の畳が新しかったので、イグサのにおい、畳みの目のイグサの膨らみさえも足裏に感じられて心地よかったです。
帰路は、城跡めぐりをしました。
松坂城跡、と本居宣長の旧居。
津城跡。藤堂高虎の城。明治まで代々藤堂氏の城であった。
松坂城の石垣のスケールの大きさが思いのほか、でした。
戦国の武将蒲生氏郷が作った城ですが、彼は13歳で信長の人質になり、岐阜城で過ごしていた、と。
信長の安土桃山城よりも後ですが、関ケ原以前の築城で、敵を寄せ付けずという威を感じる城でした。
防衛、戦闘に備えるという実益にのっとった形なのでしょうけれど、人力でここまで作り上げている何百年も前の土木工学に圧倒されます。
江戸期は、管理が紀州藩の管轄となり、紀州の城代が城を管理していたとのこと。
現代社会でも、ルールをどうするか、消費税にしても、外国人労働者の受け入れにしても、常に変動しています。それと同じように、いつの時代も、つねに停まることなく変化していって、今に至っているのだとつくづく思います。
(選挙で民意を問うという発想なんてなかったでしょうけれど)
伊勢海老は二人で1匹。お頭は翌朝のお味噌汁になりました。
築50年になる建物でしたが、10畳間の畳が新しかったので、イグサのにおい、畳みの目のイグサの膨らみさえも足裏に感じられて心地よかったです。
帰路は、城跡めぐりをしました。
松坂城跡、と本居宣長の旧居。
津城跡。藤堂高虎の城。明治まで代々藤堂氏の城であった。
松坂城の石垣のスケールの大きさが思いのほか、でした。
戦国の武将蒲生氏郷が作った城ですが、彼は13歳で信長の人質になり、岐阜城で過ごしていた、と。
信長の安土桃山城よりも後ですが、関ケ原以前の築城で、敵を寄せ付けずという威を感じる城でした。
防衛、戦闘に備えるという実益にのっとった形なのでしょうけれど、人力でここまで作り上げている何百年も前の土木工学に圧倒されます。
江戸期は、管理が紀州藩の管轄となり、紀州の城代が城を管理していたとのこと。
現代社会でも、ルールをどうするか、消費税にしても、外国人労働者の受け入れにしても、常に変動しています。それと同じように、いつの時代も、つねに停まることなく変化していって、今に至っているのだとつくづく思います。
(選挙で民意を問うという発想なんてなかったでしょうけれど)