月曜夜のNHKテレビは「鶴瓶の家族に乾杯」で、訪問地は呉市でした。
たまたま目にしたときは「大和ミュージアム、、、云々」という声が聞こえたので、先月の研修先のひとつだったこともあり、そのあと番組を見ていました。
ミュージアムには戦艦大和があるんだって~、のノリです。そう、実物の10分の1で復元された大和がうつりました。船首の部分の菊の御紋に金箔をはった人が、鶴瓶さんの縁戚にいるとかで、ぜひ見たかった、とか。
雄姿を誇る戦艦大和、といった紹介で終わり。
全長260m、幅40m超の巨大戦艦。胴体部分の鉄板の厚さは40㎝ほどもあったとか。室内は冷暖房完備の快適空間に拵えてあったそうで、どれだけの資材が投入されたか、です。国家予算の多くを戦費として投入し、国民に金属の供出まで求めて、巨大戦艦造りに精を出していたのです。
(ほぼ同時期に作られた姉妹艦に戦艦武蔵があります)
これらの戦艦のことは、おおくは、実際の戦争で活躍することもなく沈没しています。
時代は巨大戦艦の時代から、戦闘機へと移っていたのです。
便利な時代になったもので、よく『映像の世紀』というドキュメンタリー番組を見ています。
過去の映像をもとに編集されています。戦争を写した映像は、負の足跡ながら貴重な資料です。
ナチスドイツとの抗戦に苦戦していたイギリスはアメリカの参戦を望んでいたけれど、アメリカの経済界はドイツに対して多大な融資をしていたり、戦闘機の受注で潤っており、ドイツが負けることは、経済的デメリットのつながるから、参戦をためらっていた。そこに、真珠湾攻撃という、自国への直接攻撃を受けたわけで、日独伊に対する参戦となったのです。
第一次世界大戦で焦土と化したヨーロッパ諸国、アメリカでは、戦争を避けるための軍縮会議が頻繁に行われていた時代です。日本の代表も参加はしていたのです。
そんな状況下での、巨大軍艦の製造。吉村昭著「戦艦武蔵」には、いかに世に知られないように造船作業を続けていくか、その時代の思想統制も描かれています。
欧米の状況を熟知していた山本五十六などは、とてもアメリカ相手では勝てない、と思っているのです。
でも、止めることはできない。
硫黄島の指揮官栗林中将の役割も、2万の将兵は、米軍が本土壌率する前に、少しでも打撃を与えて、足止めをさせろ、というもの。
私たちの国のした戦争、その戦争の作戦。国体を守るため、が金科玉条だったのです。
話は、飛びますが、司馬遼太郎がらみの話も。
司馬遼太郎は従軍した世代です。彼の書いたものでは、自分の所属部隊の上官は、よく言われるような粗暴なことはなかった、とは書いています。彼の部隊は、戦争も終わりころ、敵軍の本土上陸に備えて北関東に移動したそうです。で、いざ上陸したら、大勢の住民が北関東に向かって、押し寄せるのじゃないですか。自分たち軍隊の進行を妨げられる状況に対処はどうするか、との答えは、敵軍への応戦が最優先だから、住民を押しつぶしてでも進軍せよ、だったそうです。
自分の国の人たちを守るための出征であり、自分の命を惜しんではいけないと思っているのに、国民の命を平気でないがしろにするというのが軍隊のあたい行動規範だったことがショックだった、とか。
戦争はしてはならない。そのためには、どういう道筋を選択していくのが最善か。
ホルムズ海峡で日本のタンカーが攻撃を受けたとか。
トランプ大統領は、航路を利用しているのだから、航路の安全確保にも応分の役割を担え、とフェースブックで発信。
アメリカの無人偵察機が撃ち落されたのニュース。
なんだか、いつまでもきな臭いニュースは尽きません。
歴史を学ぶことがすごく便利な時代になりました。たくさんの仕入れをしても(情報を得ても)、絡まった糸のようになりがちです。
あちこちはぎ合わせたような内容になってしまいますが、私の頭で思っていることを「書いて整理」(苦笑)です。
たまたま目にしたときは「大和ミュージアム、、、云々」という声が聞こえたので、先月の研修先のひとつだったこともあり、そのあと番組を見ていました。
ミュージアムには戦艦大和があるんだって~、のノリです。そう、実物の10分の1で復元された大和がうつりました。船首の部分の菊の御紋に金箔をはった人が、鶴瓶さんの縁戚にいるとかで、ぜひ見たかった、とか。
雄姿を誇る戦艦大和、といった紹介で終わり。
全長260m、幅40m超の巨大戦艦。胴体部分の鉄板の厚さは40㎝ほどもあったとか。室内は冷暖房完備の快適空間に拵えてあったそうで、どれだけの資材が投入されたか、です。国家予算の多くを戦費として投入し、国民に金属の供出まで求めて、巨大戦艦造りに精を出していたのです。
(ほぼ同時期に作られた姉妹艦に戦艦武蔵があります)
これらの戦艦のことは、おおくは、実際の戦争で活躍することもなく沈没しています。
時代は巨大戦艦の時代から、戦闘機へと移っていたのです。
便利な時代になったもので、よく『映像の世紀』というドキュメンタリー番組を見ています。
過去の映像をもとに編集されています。戦争を写した映像は、負の足跡ながら貴重な資料です。
ナチスドイツとの抗戦に苦戦していたイギリスはアメリカの参戦を望んでいたけれど、アメリカの経済界はドイツに対して多大な融資をしていたり、戦闘機の受注で潤っており、ドイツが負けることは、経済的デメリットのつながるから、参戦をためらっていた。そこに、真珠湾攻撃という、自国への直接攻撃を受けたわけで、日独伊に対する参戦となったのです。
第一次世界大戦で焦土と化したヨーロッパ諸国、アメリカでは、戦争を避けるための軍縮会議が頻繁に行われていた時代です。日本の代表も参加はしていたのです。
そんな状況下での、巨大軍艦の製造。吉村昭著「戦艦武蔵」には、いかに世に知られないように造船作業を続けていくか、その時代の思想統制も描かれています。
欧米の状況を熟知していた山本五十六などは、とてもアメリカ相手では勝てない、と思っているのです。
でも、止めることはできない。
硫黄島の指揮官栗林中将の役割も、2万の将兵は、米軍が本土壌率する前に、少しでも打撃を与えて、足止めをさせろ、というもの。
私たちの国のした戦争、その戦争の作戦。国体を守るため、が金科玉条だったのです。
話は、飛びますが、司馬遼太郎がらみの話も。
司馬遼太郎は従軍した世代です。彼の書いたものでは、自分の所属部隊の上官は、よく言われるような粗暴なことはなかった、とは書いています。彼の部隊は、戦争も終わりころ、敵軍の本土上陸に備えて北関東に移動したそうです。で、いざ上陸したら、大勢の住民が北関東に向かって、押し寄せるのじゃないですか。自分たち軍隊の進行を妨げられる状況に対処はどうするか、との答えは、敵軍への応戦が最優先だから、住民を押しつぶしてでも進軍せよ、だったそうです。
自分の国の人たちを守るための出征であり、自分の命を惜しんではいけないと思っているのに、国民の命を平気でないがしろにするというのが軍隊のあたい行動規範だったことがショックだった、とか。
戦争はしてはならない。そのためには、どういう道筋を選択していくのが最善か。
ホルムズ海峡で日本のタンカーが攻撃を受けたとか。
トランプ大統領は、航路を利用しているのだから、航路の安全確保にも応分の役割を担え、とフェースブックで発信。
アメリカの無人偵察機が撃ち落されたのニュース。
なんだか、いつまでもきな臭いニュースは尽きません。
歴史を学ぶことがすごく便利な時代になりました。たくさんの仕入れをしても(情報を得ても)、絡まった糸のようになりがちです。
あちこちはぎ合わせたような内容になってしまいますが、私の頭で思っていることを「書いて整理」(苦笑)です。