母は弟宅で自宅介護生活を続けている。
102歳。
大正5年生まれで、老後は子供家族と一緒に暮らすのが幸せ、という考え方で生きてきた。
だから、今は幸せで恵まれていると思っている。
半身不随になって、トイレにひとりで行けなくなってから、もう7年は過ぎた。
倒れた時点で、もう治療しないで終わりでいい、と言っていたけれど、意識もしっかりあって、身体は不自由だけれど、回復。
途中、転んで圧迫骨折で入院したけれど、お医者さんも驚く頑張りのリハビリで、寝たきりにならずに自宅介護復活。
もう、限界だろうと、実は思っている。
私が担当者になるとしたら、とてもじゃないけれど自宅介護は無理。だから、弟には、いつでも施設利用OKとは伝えている。
だから、弟次第なのだけれど、ギリギリまで頑張っている。
幸いなことに、弟は介護にかかりきりではなくて、週に3,4回は学生時代からのスポーツを続けていて、全国大会にも遠征したりしている。そうしてくれていることが、私にはうれしい。介護で大変なのは了解なのだけれど、大変だ、大変だ、で自分の生活を犠牲にしている感を溢れさせていたとしたら、やりきれないから。
デイサービスやショートステイというシステムを大いに活用しながらの毎日です。
それにしても、もうそろそろかな?と思っている。夜中にペットから起きる音に耳を済ませいる生活も、本当にご苦労さん、だから。
母が自宅で姑の介護をしていたときは、寝たきりになってから逝くまで数か月だった(老衰で94歳没)。今は健康管理が行き届いているから、ずっとまだまだなんだよね。施設を利用するのも、ちっとも疎外されたことにはならないのに、そこのところを理解できないところがある。家族のために裏方に回る役目をしてきた。家族の幸せが喜びだった。家族に囲まれていることが最上のことと思っている。弟夫婦も、母がそう考えていることをわかっている。
母がこういう選択をしていることから、私はいろんなことを学んでいる。
私には同じ選択はない。でも、人間関係に我慢を重ねてきた母の生き方を見せてもらっている、と思っています。母なりの精一杯知恵を使っていると思う。