日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

時代が変わっても、人の考えることって、似たり寄ったり、、、なのだろうか。

2019-07-28 07:05:28 | 私の雑感あれこれ
最近の雑感です。
江戸時代の武家社会のルールに、まぁ~、大変なご苦労だったんだな、と思っていた。参勤交代の費用の莫大なこと。身分に見合った設え、贈答品、行事、どれをとっても「しなくてはならない」に追われて、資金繰りが火の車だったりという実情に、上は上で苦労が絶えなかったのだな、と思っていた。

で、雑談から。
客布団の敷布団を2組処分したと話題にしたら、彼女(Kさん)宅には、客布団5組と来客用座布団10枚(嫁入り時に持ってきたもの)があるという。自分用の雛飾りもあったけれど、それは保育園にもらってもらった。でも、娘用の雛飾りがまだある、と。なんという押入れがいっぱいあるんですね、と返答。
嫁入り道具に来客用座布団10枚があるからには、さぞかし呉服もタンスにしまわれていることでしょう。娘さんの成人式の晴れ着1式に300万円かかった!
とのこと。Kさんは私と同年齢だから、娘さんはうちの子どもと同じ世代です。あのころに300万円をかけるとは、ビックリというか、そういう家庭もあったのだと、思った。我が家は晴れ着で成人式というのはなし、だった。
でも、そんな行事のために散財するという風習が、呉服屋さんを存続させていたのでしょうね。江戸期からの呉服に価値を見出す日本文化が技術のレベルを上げていったという面では、有益だったと思います。
先日見る機会があった、江戸期(?)の能装束の絢爛豪華さには感動モノでした。その刺繍の技は贅沢の極みでした。
より良いものを、という願いにはコスト(費用)がついてくるわけで、贅沢品を身に着けられる人と、そうでない人が存在することになる、それが実情。
ま、それだけの散財できることを楽しむことで、お金を使う人はそれで良し、また提供する人も収益につながるので良し、ということなのでしょうか。

そして、ウン十年後の今、たくさんの呉服はタンスに眠り、客布団は使われることなく押入れを占領している。

江戸期の参勤交代制度などの諸々のしきたりは、仕方のないムダを発生させていたけれど、昭和、平成の時代でも、しきたりから来るコストはついて回っていたんだと俯瞰して思う。

さて、今の自分はどうか?
片付け下手なので、ものは欲しくない。
一番欲しいのは、疲れにくいからだ。
(私の不整脈と夫の(飲酒原因の)低血圧が喫緊の懸案です)

子どもや孫たちの健康と笑顔。
賢い消費者でありたいものです。

昭和の時代から平成前期にかけて呉服屋さんも家具屋さんもずいぶん淘汰されました。ネットでものを売り買いする時代になって、様変わりです。
司馬遼太郎の「菜の花の沖」では、北前船が京都の古着が北陸、東北、蝦夷地の人気商品だったことを、思い起こします。

つけたし。
不用の客布団などは、お寺さんでもらってくれるところがあるようです。
どこでも、というわけではないでしょうが、ネットで探せばいいのかも。
気持ち的に焼却処分より救われるかもしりません。

余談。
私のヨガウェアの何枚かは、ネットでポチリ、です。
で、教室に同じウェアの人が、チラリほらり。苦笑
たくさんの中から、おんなじのをクリックするんだから、私も無難の品をチョイスしているってこと。

最近の傾向として、お金をかけるのは、モノではなく、自分自身に、という傾向がある、とどこかで読みました。ちょっと時流にのっているかしら。苦笑















コメント
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