日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

百聞は一見に如かず、かな?

2019-09-26 06:40:28 | 母のことなど
その時になっているのだと、私の中でも確信している。

「その時」というのは、施設入所。

世間的にはすでにトイレ介助の限界だったのに、よくもまぁ、頑張ってやってきていたものです。

部屋には、何種類もの紙パンツ類が山積みになっている。
いままでは、布パンツから紙パンツへ移行してほしい、との路線だったけれど、
改めて、紙パンツの利用説明書を見ると、立位ができる人。補助されると歩行可能な人向き、とある。

母は、全力でしがみついても、10秒も立っていられない状態なのに、、、、。
ムリ、だったのです。
女性の力では、立たせることもできないので、履かせるのにどれだけ難儀するか! 急場は自分の腰が痛いのも言っておられず、必死でしたけれど。
これまでは男性(弟)だから、なんとかできた、状態でした。

オムツに替えたのですが、なかなかオムツに排尿することが理解できなくて、夜中にむしり取ってしまうのです。

「あなたは人に迷惑をかけるのが嫌な人だったでしょう。介護する人が大変だから、嫌かもしれないけれど、そこは我慢して、オムツにして、、、」

と、何度も耳元で説得する。

弟は、そんな長い話は理解できないよ、と。もっと、短く言わないと、何言っているのか、理解しないよ、と。

ずっと介護してきている弟の言うのが正解なのだと思う。

だけど、自分の中では、母親が望まないことをさせることになるので、ついつい、理解してもらいたい、という、私の考え方のクセが出ているのだ。

夜中にベットサイドに見に行くと、足元がズブッ!

ああ、失敗で難儀している、というのは、こういうことか、と思った。

母の世話をする前に、まずこぼれ尿に突っ込んだ私の足をきれいにして、ベットに近づくためにの床を拭いて、それから母の、、、と。

弟夫婦は、こんな下の始末を何度も繰り返しているのだろう。私も体験できてよかった、と思った。

もう、弟夫婦は在宅介護は充分した。

母は自宅で死を迎えたいと希望しているのは承知しているけれど、こんな実情なのだから、そこはちょっと譲歩してもらって、施設にお世話になるときになっている、そう思った。


弟は悪性リンパ腫の完解期だった。親の介護があったから職探しをして就職する選択肢がなくなり8年目。スポーツ三昧(週に6日だとか!
)ができるのは、介護があったおかげ、と言ってくれる。

私にはありがたい言葉です。

特養への入居申込書を提出しても、待ち人数が多いから、、、とのことですが、102歳で要介護3だから、ポイント高いのじゃないかと思うんですけどね~。

老化は間違いなく進んできている。2ケタの暗算ができるし、半年ぶりで顔を合わせても私のことを忘れることはない。でも身体の具合は要介護4に相当するのじゃないかしら、とこころのなかでは思っている。


それにしても、良く考えている人だな~、と思うところがある。

以前に、檀家のお寺で「ひとは片足を棺桶に入れていても、世の中に役に立てる」という、張り紙を読んだことがある。
100歳を超えた夫の祖母と接した時、ああ、この人は私にとって、そういう存在、と思った。

目の前の食事を左手で食べること以外できなくなった母だけれど、介護生活を始めるときに弟に伝えた約束が、愚痴が出ない知恵なんだよな~、と思っている。














コメント (4)
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