日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

言い訳はアル。

2020-01-10 07:41:52 | 社会問題
一昨日の、某元会長の記者会見をLIVEでみて、そう思った。ネット放送局が同時に流していました。
○○が悪かったから、耐えられずに、今回の行動はとらざるを得なかった、という理屈。

この手の弁解って、相通ずるものがあるのだと思った。
ほら、腕白坊主が先生に言い訳をするときのシーンに。

本当は、もっとデリケートな部分もあるのだろうけれど、そんなことはさらりと取り払って、分かりやすく、日本の司法の横暴のせいにしてしまう。優秀な方だから、説明からも学べるところがあるやと思ったけれど、想定していたもの以上のものはなかったように思う。

日本の刑事裁判の起訴されたら9割かた有罪という現状にもどうかと思うし、その部分の指摘は今後も継続して改革すべき部分だとは思う。その改革への一石になったのだとしたらいいこと、なのだろうけれど、それは、日本で自分の正当性を主張してこそ、日本司法のゆがみの是正になるというもの。

楽器ケースに身を隠して逃亡したのでは、ただ逃げたかった、嫌だっただけ、と思われても仕方がない。

↑ も、ホンネでしょう。
だとしたら、相手を非難する方法として、それは的確だろうか。

自分の逃避行に加担したために、トルコで検挙された助っ人には、「気の毒だと思う」で終わっている。相応の報酬で清算済みということなのだろうか。

もう一つ、不思議だな、と思うこと。
一連の会社のお金の私物化(ほしいままに流用していたこと)は、1つや2つではない。何年にもわたって、世界のあちこちに流れているという。その間N社の誰もが知らなかったのだろうか。取締役会決議ってものがなされているのではないのか。その人たちはなぜ、それが私的流用に当たると指摘しなかったのか。

傾いていた(らしい)、N社を立て直した功労者だから、その功績を思うと異論をはさめなかったのだろうか。
彼の言い訳は魅力的ではない。

株主代表訴訟で争われることになるのだろうけれど、像が大きすぎて、チクリと刺してもびくともしない。


一連の事件を映画化するとの話も流れているそうだけれど、自分に都合のいい流れだけをなぞったシナリオだと、観客数は期待できないと思うけどな。



コメント (4)
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