お葬式のために出発する少し前に、長距離バスの道筋の高速道路が大雪警報が出ていて不通になっているとメールが届いて、急遽バス予約をキャンセル。
他の方法として高山本線で行くことにしました。
岐阜を過ぎたあたりから、雪が舞いだして、しばらくすると完全な雪景色。落葉樹の枝に張り付いている雪の様、墨色の山の雪模様は墨絵の世界。山を越えて北陸へ。
汽車の窓からの雪景色は雪国育ちだから、私には懐かしさを覚えます。
駅に迎えに来てくれていた弟の車に乗って、葬儀場に向かい、遺体安置所で母と対面。
「お見舞い」じゃないから、気持ちはぎこちなく緊張する。
一昨日に送られてきた母の顔を想像しながら対面。
お棺の中の母の顔の第一印象は「きれい!」でした。
若いころの母の写真は美人なのです。
(自分の親のことを、しゃあしゃあとこんな表現すると思われるでしょうが、誰が見てもそういう評をするから、厚かましいのですが、、、汗)
そして、滑らかな肌で鼻筋が通って、白くなった髪もつやつやして、最期の姿まできれいなんだね~、と思った。
「貴女の自慢のお母さんだったから、、、」とか友人からメールが届いたりしましたが、「自慢の母」というのとは違いますが、学ぶところがいっぱいある母でした。
弟夫婦とたくさん語りました。
おしゃべりが好きだった母だから、8年5か月を暮らした弟宅でも、弟嫁さんにたくさん話を語ったそうです。
そんな母を前向きに受け入れて、誰からも好かれる人だったから、104歳まで生きて、お母さんと交流のあった人はみんなあちらに行っているから、今頃天国で、みんなに囲まれて、語るのに忙しいのじゃないかしら。もう、膝も痛くないだろうし、、、、という、弟嫁さんの感想は、ジワジワと私を喜ばせます。
本人もこんなに長く生きているとは思っていなかったし、脳梗塞で半身不随になった後、住環境が変わって弟夫婦宅で暮らすことになるとも想像もしていなかった。弟宅での生活は思ってもいなかった「おまけ」のようなものだといっていたそうです。
人生のおまけ。良い意味での、ご褒美のような展開だっのだと思います。
母は79歳で死んだ父から30年近く長く生きました。向こうで父にあったら、この30年間にあったいろいろなこと(孫の結婚や、ひ孫の誕生など)話して聞かせる土産話をいっぱい持って、あの世に行ける、と言っていたそうです。
お棺のなかに入れるものを弟嫁さんに相談されました。
おばあちゃんがいつも大事に持ち歩いていたバックと中の1冊の本。
そして、〇さん(私)から贈られたブラウスとカーディガン、これ新品かもしれないけどいいのじゃない?と。母の日のプレゼント品です。式服用のズボンと靴も入れました。
母が持ち歩いていた1冊は詩集。90歳を超えた柴田トヨさんの詩集が話題になったときに手渡した1冊「くじけないで」です。
話題になってからもう何年もたつのに、常にバックに忍ばせていたのですね。詩集としては小ぶりでもないのに、心の支えだったのでしょう。
これで、一番近い年上の身内を送るという節目は終わりました。
他の方法として高山本線で行くことにしました。
岐阜を過ぎたあたりから、雪が舞いだして、しばらくすると完全な雪景色。落葉樹の枝に張り付いている雪の様、墨色の山の雪模様は墨絵の世界。山を越えて北陸へ。
汽車の窓からの雪景色は雪国育ちだから、私には懐かしさを覚えます。
駅に迎えに来てくれていた弟の車に乗って、葬儀場に向かい、遺体安置所で母と対面。
「お見舞い」じゃないから、気持ちはぎこちなく緊張する。
一昨日に送られてきた母の顔を想像しながら対面。
お棺の中の母の顔の第一印象は「きれい!」でした。
若いころの母の写真は美人なのです。
(自分の親のことを、しゃあしゃあとこんな表現すると思われるでしょうが、誰が見てもそういう評をするから、厚かましいのですが、、、汗)
そして、滑らかな肌で鼻筋が通って、白くなった髪もつやつやして、最期の姿まできれいなんだね~、と思った。
「貴女の自慢のお母さんだったから、、、」とか友人からメールが届いたりしましたが、「自慢の母」というのとは違いますが、学ぶところがいっぱいある母でした。
弟夫婦とたくさん語りました。
おしゃべりが好きだった母だから、8年5か月を暮らした弟宅でも、弟嫁さんにたくさん話を語ったそうです。
そんな母を前向きに受け入れて、誰からも好かれる人だったから、104歳まで生きて、お母さんと交流のあった人はみんなあちらに行っているから、今頃天国で、みんなに囲まれて、語るのに忙しいのじゃないかしら。もう、膝も痛くないだろうし、、、、という、弟嫁さんの感想は、ジワジワと私を喜ばせます。
本人もこんなに長く生きているとは思っていなかったし、脳梗塞で半身不随になった後、住環境が変わって弟夫婦宅で暮らすことになるとも想像もしていなかった。弟宅での生活は思ってもいなかった「おまけ」のようなものだといっていたそうです。
人生のおまけ。良い意味での、ご褒美のような展開だっのだと思います。
母は79歳で死んだ父から30年近く長く生きました。向こうで父にあったら、この30年間にあったいろいろなこと(孫の結婚や、ひ孫の誕生など)話して聞かせる土産話をいっぱい持って、あの世に行ける、と言っていたそうです。
お棺のなかに入れるものを弟嫁さんに相談されました。
おばあちゃんがいつも大事に持ち歩いていたバックと中の1冊の本。
そして、〇さん(私)から贈られたブラウスとカーディガン、これ新品かもしれないけどいいのじゃない?と。母の日のプレゼント品です。式服用のズボンと靴も入れました。
母が持ち歩いていた1冊は詩集。90歳を超えた柴田トヨさんの詩集が話題になったときに手渡した1冊「くじけないで」です。
話題になってからもう何年もたつのに、常にバックに忍ばせていたのですね。詩集としては小ぶりでもないのに、心の支えだったのでしょう。
これで、一番近い年上の身内を送るという節目は終わりました。