日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

性懲りもなくチャレンジ。その他

2021-02-24 14:15:41 | 庭 2月
イチゴ大福を作ってみたくて、またまた餅粉とイチゴを準備。
アンコは先日作った粒あんを使いました。

不可ではないけれど、かろうじて良、といったところ。
沢山出来たのでおすそ分けする予定が、イマイチなので我が家で消費します。苦笑
アンコは美味しいのだけれど、、、。

その前に、久しぶりに園芸店に行ってきました。というか朝一のヨガの帰りに、自宅をスルーしてそのまま園芸店に向かいました。
久しぶり~。
パンジーやビオラのケース売りが沢山並んでいましたが、ケース買いはやめて、ビオラを4ポットだけ購入。
ジキタリス3苗、ローゼンセマム1苗、マーガレット1苗、ロベリア2苗を購入。
イチゴ大福を制作してから庭仕事に取り掛かる。
ビオラは道路側の置くための鉢植えにしたのですが、ぽかぽかと日当たりがいい庭に置いておきたい心境です。トホホ
サフィニアなどの冬越し部隊(無残な姿になっていした)もちょっと植え替えてやったりしました。

まだ細く仕事にはつながっていますが、自由な時間があって、なんと恵まれているのだろう、と思います。
庭仕事は手抜きが目立ってきていますけどね。








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のらりくらりと綴ること。

2021-02-24 07:00:20 | 私の雑感あれこれ
昨日は天皇誕生日だった。
覚えている。その日の記憶。今の私が71歳だから、あの時の私は10歳だったんだ、と逆算してみたりもする。
北陸のその日はみぞれ交じりのようなどんよりとした空模様だった。実家にとっての本家の家の中から道路の方を見ていました。第一報はラジオだったのか、耳から入りました。皇太子ご夫妻の美智子妃殿下に赤ちゃんが生まれたと。本家の家にも同じ日に赤ちゃんが生まれて、ああ~、誕生日が同じになるんだ~、と思ったことを覚えている。その時の本家に生まれた赤ちゃんは礼子ちゃんという名前が付けられ、すっかり会っていないけれど、彼女も61歳になっているんだ、と夕食時のニュースを聴きながら一瞬思いやった。

私の記憶は、そのときにいた場所と一緒に記憶されていることが多い。皆さんもそんなものでしょうか。
👆 の話題なんて、他人に語るほどのことでもないので、ひとの迷惑にならない自分のブログに足跡として残してみました。

昨日、ちょっとピアノ練習の話題をしたので、それに関連する些事も足跡にしておきます。
私はその瞬間は正直びっくりしました。きっと、音楽家になっていらっしゃる方には当然のことなのでしょうが、音痴の自分とは別次元でした。
息子の幼稚園で所定のハモニカを買うことになっていて、初めてもって帰りました。
小さなハモニカです。彼が初めて手にするハモニカ。小学生の頃、音楽で使ったことがある私は、その子に、ドレミファの音の出し方を教えました。物覚えがいい時期なので、すぐに覚えます。
で、ビックリしたのは、その後は自由に曲を吹くのです。少しずつレベルを上げていったのかもしれません。でも、子供用テレビの主題歌などをなぞるようにハモニカで吹くのです。音感がある、というのはこういうことか、と驚きでした。
私は譜面を見て暗譜してからじゃないと無理です。その時は北関東の官舎の一軒家の8畳間での出来事でした。これも思い出すと映像も一緒に出てきます。
そのころには既に息子はピアノを習っていたから、音階というものを理解していたともいえるでしょう。
話は飛びます。
昨日、久方ぶりで息子とメールのやり取りをしていて、付け足しのように書いてきたのは、ピアノの練習をし始めて「幻想即興曲」がまた、かつてのレベルぐらいに弾けるようにまで戻った、という。
今のマンション暮らしに電子ピアノを購入したと知らせてきたのは去年。高校時代に使っていたピアノ練習曲集をやり始めると写メも送られてきていた。今、闘病中の彼女がピアノの先生だったのです。〇〇先生にピアノを習ってよかった、と伝えてね、とも。
たまたま昨日、闘病中の彼女と電話したのでそのことを伝え、本当に難曲を何人もの生徒に指導していたね、と話を向けると、
彼女「あのころは、毎年優秀な子たちが何人もコンペティションにエントリーしていたから、そのおかげで私も勉強したのよ。それがないと、自分がマスターした曲しか広がらなかった。課題が与えられたおかげで私も学ぶことができたと思っている」と。
「私の方こそ、◎◎ちゃんがそう言ってくれて嬉しいと伝えてね」とのやり取りがあった。

アッハハ。音楽は私にとっては蚊帳の外。
◎◎と〇〇先生との子弟であったものとしての交流です。

コンペティションの日か近づくと、マックスで朝1時間、帰宅後1時間の練習をしたことも。あとの二人も練習していたから、ご近所迷惑にならない限りの時間はピアノの音が響いていた。

で、我が家のもう一人、決めたことを続けるのが得意な御仁(夫)のピアノの練習曲が今も流れています。
ボクも幻想即興曲にチャレンジしようかな~、だそうです。

子どもたちの音感は、ワタシ経由ではなく、夫から受け継いでいるのは確かなので、毎日の努力で幻想即興曲が聴かせられるようになるかどうか、果たして、、、です。


追加
自慢話だね~、と思われる方はスルーしてください。
音痴の私がビックリしたエピソードをもう一つ足跡に残しておきます。
その北関東に住んでいた時の夏祭りは盛大でした。幼稚園児も祭りの山車に乗って小太鼓を叩かせてもらえます。連夜の練習がありました。長い垂木?のような棒にちびっ子たちが並んで、バチ使って拍子を覚えるのです。
楽しかったのか、喜んで参加していたと思います。
それから6年後。転居して中部地方で彼は6年生でした。
京都への修学旅行で、小中学生の定番土産っぽい、安価な横笛を買ってきました。
そして、即、あの幼稚園の時に体験したお祭りのメロディを横笛で奏でるのです。
そんなものなんですね~。ビックリ。
リコーダーで笛というものの音程の取り方を学んでいるからできるらしいです。
このシーンは、中京圏の一軒家に住んでいた時の2階の子供部屋。2段ベットのあるその部屋に日差しが差し込んでいました。

こんな子育てシーンをいくつも綴れるのは、母親冥利、子育ては忙しかったけれど、宝物も散らばっていたのだと思います。
そういえば、今闘病中の彼女の口からも、「これまでで一番楽しかったのは子育て」とずいぶん前に聞いたことがあります。なんやかや、悩みや不安で心を痛めることもあったりするけれど、子育てする立場ってのは、イクメンの出現はない時代だったし、女性の特典だったのかもしれません。











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