6日目
3連泊のケープタウンのホテルからの出発です。早朝に下着類のお洗濯。
備え付けの呈茶器でコーヒーを飲むゆとりもできました。
テーブルマウンテンは登頂ケーブルカーが運休のため、テーブルマウンテンを見渡せるシグナルヒルに向かい、その後にオーストリッチファームへ。
南アフリカはワインの産地らしく(下戸だから関心が薄い💦)、ワイナリーを見学。昼食はワイナリーのレストランで。
写メはなし。トホホ
その後ステレンボッシュの街に立ち寄る。
街中の大きいスーパーで買い物した後、少し自由行動。
コレでスーパーに立ち寄ったのは何度目になるかしら。ジンバブエやザンビアでは米ドルが使えます。もちろんカードも。
ところがカードも使えるはずと思っていたジンバブエのスーパーでは私のカード支払いはアウト。対応してくれませんでした。何度試してもダメ。カード会社がロックをかけたのかしら? そこで米ドルで支払うことにしました。すると添乗員さんが待った、と。おつりがジンバブエドルで来てしまうので、使いようがないから、と。ガイドさんが少額のお菓子を見繕ってくれて、無事レジを通過しました。なので、このスーパーでもカードが使えるかどうか不安(南アフリカでカードはOKですが米ドルではだめ。自国通貨ランドしか使えません)。使えなかったときを想像すると添乗員さんの助けが欲しい私です。順番待ちの後、無事カード支払いができました。某社のカードはジンバブエと南アフリカで対応が違っていることがわかりました。
その後短い時間でしたが、ひとり参加の3人が連れ立ってステレンボッシユの街を自由散策(他の方たちはスーパーでゆっくり買い物とか)。地図を頼りにビレッジ博物館に行きました。
入場料を支払って(つたない語学力の3人が💦、です。苦笑)、かつてイギリス領だったころの英国貿易商らの4か所の建物のを見学しました。日本でいえば学芸員のような方が各家にいるのですが、当然説明されても私たちはわかりません。で、グーグル翻訳機に登場してもらいました。案内員女性にスマホに語り掛けてもらい、私たちはそこに表示される日本語文字を覗き込む、という体勢。ちょっと頓珍漢な翻訳文ではありましたが、面白い体験でした。アフリカ人の彼女もスマホに表示される自分の発言した英文に驚いていました。ややこしく配置された4軒の復元された家々を無事に回って集合場所まで到着。英国人貿易商らは当然奴隷を使っていたわけで、その奴隷たちがいたところはのちに学校となり、今はワークショップになっている、とのことですが、果たして私の解釈があっているかどうか、? です。でも、母語以外の英語を使って仕事をしている人たちなので、皆さん勤勉な方たちなのでしょう、この旅ではそう思うことしきりでした。でも、この手の資料館は(日本でも同じだけれど)訪問者が少ない。観覧中の訪問者は私たちだけでした。
写メがないので、↓ を貼っておきます。
ビレッジミュージアム
東インド会社が発展していた時代、その中継地ともなった南アフリカの喜望峰あたりは、イギリス人らの居留地も反映していたとのこと。カルカッタで求められる物資、食料などの調達地点にもなっていて、耕作者が必要なのでインド、マレーシアあたりからも奴隷として集められていたとのこと。18世紀、19世紀を舞台にした映画やドラマでは(例えばシャーロックホームズなどでも)よく海外で財を成して帰国した資産家が登場します。ああ、外地で交易に携わり財を築いていった生活のパーターンのひとつなのかしら、と想像したりしました。時代は立ち止まることなく動いているから、必ずしも正確な理解ではないかもしれないけれど、遠いヨーロッパの繁栄の要素になっているのだと、私の中でパズルのピースの一つがはまったような気がした。
一旦ホテルに戻ってから、夕食は日本食レストランでの食事でした。
興味あることには張り切るのですが、どうも体調がいまいち。写メもとっていないものそれが一因かも。
自宅から持参した薬を飲んではいるが症状に合わない(反省です)。ひとり参加のKさんに事情を話して3回分分けてもらった。参加者の唯一の男性がお医者さんとのことで、その配置薬をチェックしてもらい、彼からはうがい薬をいただいた。
食事も立派なメニューだったのですが、いつもは食べるのが早いね、と言われるタイプの私ですが、食べきれずに残していました。
でも、ここでの日本食(握りずし)は、量もいわゆる日本サイズで、しっかり完食できました。日本茶がおいしかった~。
紅茶パックは持参していたのですが、次回からは緑茶パック持参しなくては、と思いました。
3連泊のケープタウンのホテルからの出発です。早朝に下着類のお洗濯。
備え付けの呈茶器でコーヒーを飲むゆとりもできました。
テーブルマウンテンは登頂ケーブルカーが運休のため、テーブルマウンテンを見渡せるシグナルヒルに向かい、その後にオーストリッチファームへ。
南アフリカはワインの産地らしく(下戸だから関心が薄い💦)、ワイナリーを見学。昼食はワイナリーのレストランで。
写メはなし。トホホ
その後ステレンボッシュの街に立ち寄る。
街中の大きいスーパーで買い物した後、少し自由行動。
コレでスーパーに立ち寄ったのは何度目になるかしら。ジンバブエやザンビアでは米ドルが使えます。もちろんカードも。
ところがカードも使えるはずと思っていたジンバブエのスーパーでは私のカード支払いはアウト。対応してくれませんでした。何度試してもダメ。カード会社がロックをかけたのかしら? そこで米ドルで支払うことにしました。すると添乗員さんが待った、と。おつりがジンバブエドルで来てしまうので、使いようがないから、と。ガイドさんが少額のお菓子を見繕ってくれて、無事レジを通過しました。なので、このスーパーでもカードが使えるかどうか不安(南アフリカでカードはOKですが米ドルではだめ。自国通貨ランドしか使えません)。使えなかったときを想像すると添乗員さんの助けが欲しい私です。順番待ちの後、無事カード支払いができました。某社のカードはジンバブエと南アフリカで対応が違っていることがわかりました。
その後短い時間でしたが、ひとり参加の3人が連れ立ってステレンボッシユの街を自由散策(他の方たちはスーパーでゆっくり買い物とか)。地図を頼りにビレッジ博物館に行きました。
入場料を支払って(つたない語学力の3人が💦、です。苦笑)、かつてイギリス領だったころの英国貿易商らの4か所の建物のを見学しました。日本でいえば学芸員のような方が各家にいるのですが、当然説明されても私たちはわかりません。で、グーグル翻訳機に登場してもらいました。案内員女性にスマホに語り掛けてもらい、私たちはそこに表示される日本語文字を覗き込む、という体勢。ちょっと頓珍漢な翻訳文ではありましたが、面白い体験でした。アフリカ人の彼女もスマホに表示される自分の発言した英文に驚いていました。ややこしく配置された4軒の復元された家々を無事に回って集合場所まで到着。英国人貿易商らは当然奴隷を使っていたわけで、その奴隷たちがいたところはのちに学校となり、今はワークショップになっている、とのことですが、果たして私の解釈があっているかどうか、? です。でも、母語以外の英語を使って仕事をしている人たちなので、皆さん勤勉な方たちなのでしょう、この旅ではそう思うことしきりでした。でも、この手の資料館は(日本でも同じだけれど)訪問者が少ない。観覧中の訪問者は私たちだけでした。
写メがないので、↓ を貼っておきます。
ビレッジミュージアム
東インド会社が発展していた時代、その中継地ともなった南アフリカの喜望峰あたりは、イギリス人らの居留地も反映していたとのこと。カルカッタで求められる物資、食料などの調達地点にもなっていて、耕作者が必要なのでインド、マレーシアあたりからも奴隷として集められていたとのこと。18世紀、19世紀を舞台にした映画やドラマでは(例えばシャーロックホームズなどでも)よく海外で財を成して帰国した資産家が登場します。ああ、外地で交易に携わり財を築いていった生活のパーターンのひとつなのかしら、と想像したりしました。時代は立ち止まることなく動いているから、必ずしも正確な理解ではないかもしれないけれど、遠いヨーロッパの繁栄の要素になっているのだと、私の中でパズルのピースの一つがはまったような気がした。
一旦ホテルに戻ってから、夕食は日本食レストランでの食事でした。
興味あることには張り切るのですが、どうも体調がいまいち。写メもとっていないものそれが一因かも。
自宅から持参した薬を飲んではいるが症状に合わない(反省です)。ひとり参加のKさんに事情を話して3回分分けてもらった。参加者の唯一の男性がお医者さんとのことで、その配置薬をチェックしてもらい、彼からはうがい薬をいただいた。
食事も立派なメニューだったのですが、いつもは食べるのが早いね、と言われるタイプの私ですが、食べきれずに残していました。
でも、ここでの日本食(握りずし)は、量もいわゆる日本サイズで、しっかり完食できました。日本茶がおいしかった~。
紅茶パックは持参していたのですが、次回からは緑茶パック持参しなくては、と思いました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます