日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

被害者・遺族へのインタビュー報道

2005-05-20 07:34:14 | 社会問題
放送局の公共性…
「某社が支配株主になるとマスコミとして担うべき高い公共性と両立しない」との、某ラジオ局・某テレビ局の言い分。
○○○は皆様の公共放送局です。
「公共性」ってなんだろう。
大きな事件、事故があると、テレビ局各社は放送枠を拡げて特集を組む。「視聴者に知らせなくてはならないから」の使命感なのか。刺激を求める傾向がある視聴者の視聴率上昇を思うからだろうか。
事件現場の報道が一段落したところで、被害者の周辺報道となる。
そんな時被害者が悲しみの挙句に、事故を起こした会社代表者を罵倒する映像や、殺された遺族が、犯人が死刑になってほっとした。良かった、良かったと仏前に報告する映像をそのまま流すのは、どうだろう。
突然襲った悲劇で動転し、高揚している一場面をなんども繰り返し日本中に流されてしまう。
数日の動転の後、更に心境が深まったかもしれないけれど、一旦カメラが取り込んだ映像をテレビはなんども繰り返し放送する。取材は事実なのだから、後は問答無用とでも言うのだろうか。
こんな放送をする放送局が「公共性云々」出来るものだろうか。
放送された人には、5年後、10年後も暮らしがある。日本中に流れた、ののしった映像、重罪を望んだ映像が流れたことは消えないのです。
それでも、その事件・事故を伝えるためにその映像が必要で、それが公共性のあるという放送局の仕事でしょうか。
今日の朝日新聞のコラムの中で地方放送局でカラオケ審査員をしてきた作曲家市川昭介さんの話がのっている。
「ボクは、素人の方の歌を絶対にけなさない。どこかいいところを見つける。テレビの中で傷ついたら、自宅に帰れないじゃないですか」
市川昭介さんの言葉のキーを叩いたいて思った。
これは、組織と個人の違いだと。
市川さんは、市川昭介さん個人の生き方で仕事をしておられる。
放送局の記者は、放送局という組織で報道しているから、マイクの先の「人」が、「次の日も暮らしのある人」であることを考えず、「生の声を取材する」という仕事、極論すれば「仕入れ」にあたるのだろうか。
勢いがあるかもしれないが、だんだんエスカレートするようで気になります。
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スペインの旅 その2

2005-05-19 07:22:16 | 私の雑感あれこれ
ヨーロッパ旅行は立派な教会が目白押し。スペインのある教会(まあ、なんといういい加減な表現)、ステンドグラスや聖母子像の彫像や壁画やらが、正面側面を飾っている。装飾は溢れんばかりである。
中世の特徴で教会は高く高く空に向かっており、それを支えている石柱は太くたくましい。

話題1 ガイドさんからひとつ質問
「この石ブロックの柱は当時どのように積み上げられたと思いますか」
そうか、いまどきのクレーンもないから…。
「周りを土で埋めて、その登りの坂道を石ブロックを運び、更に土を盛って石を運び、という方法だそうです。そして石柱が高く積みあがった時、回りの土を退かすんです」
なんと、この教会の建築中はここらは運び込まれた土だらけだったのか、そしててこを使っていただろう沢山の職人が肩をぶつけ合うように作業していたのか、と私の頭の中は当時の現場の風景。

話題2 見事な装飾技術の中に
聖画や回りの装飾彫り物が溢れんばかりの中、聖歌隊の位置するところの辺りに肘掛に彫刻を施した椅子が10脚、20脚と並んでいた。
-「あ、この肘掛の彫り物ぐらいなら、私にも出来るかな」と、そっと摩ってみる-
キリスト像やらマリア様は当時最高の力量の絵師、彫師の作だろうけれど、この椅子に彫り物している若い自分を想像したりして、ちょっと右左違うではないの、などどひとり語りしている私がいる。
ブルューゲルの描く農民の絵のように、ヨーロッパでも殆どが農夫・農婦だったであろう時代に、こんな仕事をしたいと名乗り出るのはどうしたらいいのだろう。生活していけるだけの給金もらえるかな。
と考えている私。
-でも、きっと女性はダメなんだろうな-と思ったら、その想像の物語は終わってしまった。

産業革命以前は軍隊に入るか聖職者になるのが栄誉ある身の立て方であった時代。
ジュリアンソレルやヘルマン・ヘッセの主人公のように聖職者の道は思いも浮かばず(笑い)、教会の肘掛け椅子の彫り物をする人にはなれるかな、と思った自分がおかしくて、これがその旅行で思った事柄なので、私のスペインの旅その2です。

(スペイン旅行と称しておきながら、話は勝手に国境を超え、時代200~300年程はひとっとびの四方山話になってしまいました。相済みません)
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首相の靖国参拝について

2005-05-17 07:54:11 | 社会問題
小泉首相の靖国参拝の話題が昨日のニュースで流れていた。
小泉首相は
「自分の国の戦争でなくなった人を参拝することについて、とやかく言われるのは内政干渉だ」
「亡くなって祭られている人は皆斉しく、生前のやったことのあれこれで差はない」との主旨の主張らしい。

個人がどう考えるかは自由であり、自分の行動の一つひとつに他人からとやかく言われる筋合いはない、のは理解できる。但し、他人を傷つけない限り。
小泉さんが首相でなく国の行政官でないならば、個人的な問題であり、隣国もとやかくは言わないと思う。
しかし、現実は日本を代表する立場の方である。
日本の代表者が、戦争被害国からの「首相の靖国参拝を止めて欲しい」という申し出を、上記のようなスタンスで対応するのはどうかと思ってしまう。
日本が派兵等をまったくしていない国からの申し出であれば、部外者からの干渉と突き放すこともありえよう。
この戦争の場合、中国、韓国は犠牲を強いられた国である。その国からの声を「内政干渉」とつき返すのは適当ではなく、耳を傾けないで門前払いをしているように見受けられる(門前払いをされた側は好感を持つはずがない)。

例えば、子供のけんかで、自分の子供が傷つき、隣の子供も傷ついたと考えてみる。
隣の子供が立派な病院で治療を受け傷がほぼ完治したのに、自分の子は初期治療が遅れて少し後遺症が残ったとしたら、隣の子供を見る度、自分の子供を不憫に思うのは自然のことだと思う。後から治療費を負担してもらったことは覚えていても、気持ちのどこかにしこりが残る。

これに似てはいないだろうか。
加害者である限り、謝罪した、弁償したと言っても、過去の事実までは消すことが出来ない。
だから、アジアにおける日本はその配慮を忘れてはいけないと思う。
戦後60年、相互に経済が発展して、一見傷跡が修復されたかのように見えても、それはこちら側からそう見えるだけであって、靖国参拝で相手の心が傷つくのであれば「配慮」すべきではないだろうか。
本当に「友好」でありたいのであれば。
今日本にはアジアと友好的でありたいと思っている人が多いのではないだろうか。だとすると日本のリーダーには近隣諸国への配慮した対応をしてもらいたいと思う。

以前ブログに書いたけれど、娘が中国留学中に知り合ったインドネシア人の友人から、
「中国や韓国だけじゃあないんだよ。私達の国も同じだよ」と、いわれたと聞いた。
日本の援助に頼らざるを得ないために、声をひそめている国があるのではないか(うやむやな援助でなく正当な解決をしてもらいたいものです)。
「王様の様の耳はロバの耳」と、いつか不本意な声が聞こえてこないように。

経済力がつき、文化を耕すことができるまでになったこの国なのだから、国政においても他の国が学びたくなるような航路を目指すこともありえるのではないだろうか。
そういう問題を解決する方向へと舵をきったことを示した上であれば、「唯一の核保有国でない国連常任理事国日本」というバッヂも映えると思う。

余談
ここにニューヨークで国連を見学してきたという娘の撮した写真がある。
不戦・銃の廃棄を伝えたかったのであろうと思われる銃身を結んだブロンズのモニュメントが写っている。
国連を訪ねてどうなるものではないけれど、いつか詣でてみたいと思っている。




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小さな記事から

2005-05-15 08:07:37 | 私の雑感あれこれ
カタログハウスの冊子の吉永みち子さんと小室等さん(50代半と60歳位頃の方)の対談記事の中から
共働き夫婦の家事の話
吉永 -略- 口では何も言わなくても、洗い物をやっている背中に「やってあげてる」って書いてある(笑)。
小室 おっしゃるとおり。「身の回りの世話をしてほしくてこの人と一緒にいるのか?略」と察知した。-略-トイレと風呂掃除をするようにしたんです。やってみるとたいしたことじゃないんだけれど、でも、背中に「やってあげてる」と書いてある感じは、まだとれていないかもしれない。
吉永 「おれは偉い」って(笑)。-略-

「家事ぐらい俺だって出来るよ」と聞こえてくるけれど、背中の文字が嫌なんですよね。
「休日は家庭サービス」という表現を聞くとなんか違和感を感じてきました。「家庭」が働く男の人以外のことを指しているように聞こえる、といつも思っていました。家族全部で家庭があるのに。
そして、家事は生活していく上で発生するもので、主婦が家にいるから担ってきたのであって、女だからやってたのではないのに…と。
ひとり朝日新聞夕刊の特集「女が働く」を切り取っている自分。書いてある内容はこの30年間のどこかで読んだことばかりだけれど。

近頃の若い世代の共働き夫婦はどうなのだろう。女性総合職もどんどん職場進出しているから、有能な女性を身近に見ている男性陣の捉え方は違ってきているのだろうか。

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スペインの旅 その1

2005-05-12 21:19:19 | 私の雑感あれこれ
2月下旬(但し2年前の)。ポルトガルからバスでスペインへ。どの街からの移動中だったか、途中オリーブ畑の一本道をバスで3時間ほど(ごめんなさい、アバウトです)。
とにかく日本はまだ寒風の季節なのに、南欧は晴れ晴れとした青空で一面のオリーブ畑をトコトコとバスは進んでいきました。
どの畑もオリーブの木は収穫運搬の車が入るように間を取って植えられており、乾いた地肌がアフリカの続きの風土だということを思わせる。
添乗員さんの話によると、
かつては広大な森だったのだけれど、あの大航海時代に気候まですっかり変わるほど木造船建造のため森林の伐採が繰り返され、砂漠化したとのこと。その後作物としてのオリーブの木が植林されたそうだ。
それですっかり辺りはオリーブの畑。
この国は大地主制が現在も認められていて、オリーブ畑の持ち主は都会に暮らしていて、収穫の季節にはアフリカや南米から来た労働者が摘み取り作業にやってくるという。
北アフリカは距離も近いし、繋がりも強いのは納得。そうか、かつての植民地は南米にもあったわけだし…と、丸い地球儀を思い浮かべる。
バスの中の時間は長い。
1970年頃まではこの国の義務教育は4年間だったとの話。
だとすると、今40歳代の人は義務教育4年の頃の人たちなのか、と計算してみる。
それまでは軍事政権だったわけだから、今に続く民主主義の歴史は日本より浅いのか…と。

長い時間を利用して、添乗員さんは沢山の話を語ってくれた。
ユダヤの街に生まれたキリストの話、イスラム文化の話、スペインとオランダの勢力争いのことやら、中世のヨーロッパの込み入ったお国事情。
彼女、すごく話し上手で判りやすかった。
「私は1時間バージョンでも、3時間バージョンでも随意に話できます。長いバスの中、皆様眠い方も多いでしょうが、お一人でも聞きたい人があれば、話します」と。
見事なプロでした。
本当はこれはガイドさんの仕事なのに、ガイドさんは形として同乗しているスペイン人(挨拶程度しか日本語が話せない。ガイドを雇うというルールがあるため、適格者がいなくても同乗してもらっている次第。よって、日本からの添乗員さんがガイドを兼ねる)

マドリッドでは夕食後、家族ぐるみでやっている洞窟のフラメンコ踊りを見た。
木戸銭をおばあさんに払い、お父さんとお兄さんがギターを弾く。
踊るのはお母さん、お姉さんといとこたち、そして10歳くらいの女の子。
フラメンコはジプシーの踊り。この少女は夜遅くまで私達に踊りを見せてくれるけれど、翌朝学校へ行くのだろうか。眠たいだろうな。サービスで配られた赤い色の飲み物を飲みながら、そう思ったりした。







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神の国とポルトガルの彼女

2005-05-12 11:03:17 | 私の雑感あれこれ
彼女は日本人。ポルトガルで日本の旅行客相手のガイドをやっている。
夫はポルトガル人。夫は日本のことを「神の国」というそうである。年に1度家族連れで故郷大阪に帰ると、電車が定刻に来る有様をみて「神様でないとこうはいかない」。だから日本は「神の国」なのだそうである。
ちなみに、ポルトガルでは列車の大幅の遅れは日常茶飯事らしい。
そんな日本の大阪の隣、尼崎で起こったこの度の事故をきっと心配しているに違いない。

彼女の話。
「以前はポルトガルがいかに良い国であるかとお客さんに語っていました。実際の私は日本が恋しくて仕方がなかったのに」と。
「最近はすっかりポルトガルが自分にとって居心地の良い国になったから、普通に悪い面も語ることができるようになりました」と。
ユーラシア大陸の向こうの端に住むポルトガル人にいくら日本という国を説明しても、この国の人にとっての日本は、中国の中の日本地域と思い込んでしまうくらい疎い国らしい。
彼女が話したのはご近所のポルトガル人だろう。
中世の時代の縁はあっても、日本の長い鎖国とポルトガルという国の地盤沈下。そして、教育不熱心。
数十人の資産家が何十パーセントかの所得を占有しているとの話も語ってくれた(紀行文作家だったらメモするのだろうけれど数字はおぼろ。バスの中、車窓を眺めながら、へぇーすごい偏り方と思ったのは確か)。
「庶民は多くを望まず、教育費の心配もしないし、苦労して家を建てることも考えない。親族肩を寄せ合って身近なところに幸せを見つけている、EUのどちらかというとお荷物の国なんですよ」と。
官製の博覧会じゃなくて、こんな生活のにおいのする話も聴きたいなと思う次第です。
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水の話

2005-05-12 08:03:43 | 私の雑感あれこれ
飲み水の話です。
古代、喉が渇いて「神様どうかお助けください」と崩れ落ちた少年(?)に女神現れて柄杓から水を与えた話、それが北斗七星だったような。
一杯の柄杓の水が命を救う話から長い時代を経て、今万博のペットポトル論議である。
外からの持込禁止、場内での購買OKとか。水筒は可とか。
人工的な規制ばかりがまかり通って、人の知恵が少しずつ奪われていくような気になってしまう。
そして、受けるほうも「日射病になったらどうする」と反論する。
入場者が一斉に日射病になるわけでもあるまいし、水道の水があるだろうに。

一日肉体労働していると、ジュース類を5,6本飲むという。それでは毎月の支出が嵩むから、水道水に出来ないかというと、「給水器がない。普通の蛇口から水を飲むなんて出来ない」と。
そうなんだ。そんな時代なのかと街頭に列をなして立っている自動販売機を思い浮かべた。

生活水の話です。
娘がラオスの友人を尋ねた時、「家に泊まってもらってもいいけど、今は乾季でシャワーの水が充分にない。雨季がくるまで持ちこたえなくてはならないから、申し訳ないけど…」と。
節約して使っているのに、親類の人が勝手に使っていくと、ぼやいてもいた。
シャワーの水のの供給が雨季の雨を貯めて、という暮らしもある。

きっと、愛知万博に出展している国の中にもあることだろう。
日射病になりそうなくらい水分不足になっても、水道の蛇口の水を飲もうとしない人が、世界の万博で何を知ろうとしているのだろうか。
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「おばあさん」と呼ばれたその人は・・・

2005-05-11 21:52:36 | 私の雑感あれこれ
午後の地下鉄で。
7人掛けシートの二人挟んで向こうから尖がった女性の声が聞こえてきた。隣の座席の人に怒っているらしい。場所を弁えず夫婦喧嘩かなとも思ったが、お隣は女性だった。
声の主は80歳近く。お隣は60歳位か。
「私はあなたのおばあさんではありません。謝ってください。あなたが私をおばあさんと呼ぶのは失礼だ」と聞こえる。
「キチンと誤りなさい」「失礼だ」と連呼している。
向かいの席の男子学生らが3人、含み笑いを堪えたような表情で、誰も何も言わない。

お隣の人は深く考えずに、呼びかけのことばとして使ったのだろう。
声の主は、日頃から日本語の人間関係をあらわす言葉と年齢に応じて呼び習わされている呼称のあいまいさに、不快感を持っている人なのだろう。
思いがけず怒りを買うことになったその人は、きっと今後は見ず知らずの高齢の女性に「おばあさん」とは言わないだろうな。
そう、私もこれからは気をつける。
どうでもいいことのようにも思えるのだけれど、そう思わない人に我慢を強いることはないと思うから。
そう言えば、このごろは「奥さん」と呼ばれても、聞き流せるようになったと、40歳近くの独身女性からぼやきを聞いたこともある。

「お姉さん」「奥さん」「オバサン」「おばあさん」といろいろ。
人は見ず知らずの人から、そう呼ばれて、ちょっと傷ついたり、鈍感になったりしながら振り返っている。

私は、子供も巣立ってしまったけれど夫を「おとうさん」と呼ぶ。
なんか、まだ子育てしていた頃の残り香があったほうが、味わいがあるような気がして。
子供の親になりたての頃は、自分を「お母さん」と呼ばせることが気恥ずかしくて、無機質っぽい響きを持つ「ママ」と呼び習わしていた。あるとき長女が「おとうさん・おかあさん」と呼び方の練習をし、弟にも指南している。事情を聞くと「幼稚園になったから、パパ・ママではおかしい。これからは、おとうさん・おかあさんに替えたい」との申し出(笑い)。
それから夫は「おとうさん」です。




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週日の午前

2005-05-11 11:49:04 | その他
普段は週日の午前中は家にいることがないので、なんかイマイチ勝手が違う。
洗濯物を干して、布団を干す。
犬の散歩をして、家庭菜園で絹さやを収穫する。
子供から母の日に届いた花をしばらくスケッチをして、パソコンをつける。
久しぶりに寝室に掃除機をかけて、コーヒー飲んでクッキー食べて。
新聞読んでテレビを2回ほどつけたり消したり。
パソコンをまたつけて。

この子が昼寝したら、草取りが出来るのに。
この腕の中の子が一人歩きできるようになったら、どこまでも草臥れずに歩けるのに。
子供を連れないで出かけられるようになったら、好きな映画も観られるのに。
ぜーんぷ出来るようになったのに、あの時間を作ることに必死になっていたときを懐かしがっている私がいる。

今日の午後は犬の狂犬病の予防注射。速攻で済ませて、それから仕事。
我が家の老犬も16年目の歳を過ごしている。



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こんなこともあるんですね。

2005-05-10 11:42:25 | 私の雑感あれこれ
10年近く里親をしてきた友人に、M君(里子)の高校卒業おめでとう、ご苦労様とのメールを送ったのは4月に入ってから。

そして、すぐに彼女からのメール返信。
「いつもありがとう。Mは専門学校へやっと入学。なんといろいろのことがあったことかと思いますが、まだ人に簡単に言うべきでない問題もあり、不安だらけの出発です。
『決して捨てないから』
そのメッセージだけを送り続けたけれど彼がどこまで理解してるか、迷うことばかりです。
無事社会にでられるか。これからです。言葉をかけていただくと、つい甘えてしまいます。
ありがとう。
でも私は、ホントにいい加減な親です。

昨夜、共通の友人であるもうひとりから電話が入った。
数日前にM君が友人とトランポリンで遊んでいて大変なことになった、とのこと。
今は危篤はどうにか脱したけれど、自発呼吸がまだ出来ない状態だという。
彼女(友人)動転して、電話口で泣き崩れて…。

一筋縄ではいかなかった体験の一つ二つを耳にしたことはあるけれど、ずっと離すことなく子として接し続け、『決して捨てないから』のメッセージを送り続けてきたという彼女と乳幼児の頃から親に養育を放棄されたM君に予期せぬ大きな試練が訪れるとは。

なにを祈ることができよう。
医学が進歩して、切断した神経が繋ぐ技術が頚椎に於いても可能になればいいのに。
あったことはないM君だけれど、少しずつでも回復することを祈るしかない。

里親をしながら、障害者が通う歯医者さんの受付のパートをやり、近頃介護の仕事も始めようとしている彼女、すごいなと思っていたのに、身体を壊さないように乗り越え、選択していって欲しいと陰ながら思う。



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