放送局の公共性…
「某社が支配株主になるとマスコミとして担うべき高い公共性と両立しない」との、某ラジオ局・某テレビ局の言い分。
○○○は皆様の公共放送局です。
「公共性」ってなんだろう。
大きな事件、事故があると、テレビ局各社は放送枠を拡げて特集を組む。「視聴者に知らせなくてはならないから」の使命感なのか。刺激を求める傾向がある視聴者の視聴率上昇を思うからだろうか。
事件現場の報道が一段落したところで、被害者の周辺報道となる。
そんな時被害者が悲しみの挙句に、事故を起こした会社代表者を罵倒する映像や、殺された遺族が、犯人が死刑になってほっとした。良かった、良かったと仏前に報告する映像をそのまま流すのは、どうだろう。
突然襲った悲劇で動転し、高揚している一場面をなんども繰り返し日本中に流されてしまう。
数日の動転の後、更に心境が深まったかもしれないけれど、一旦カメラが取り込んだ映像をテレビはなんども繰り返し放送する。取材は事実なのだから、後は問答無用とでも言うのだろうか。
こんな放送をする放送局が「公共性云々」出来るものだろうか。
放送された人には、5年後、10年後も暮らしがある。日本中に流れた、ののしった映像、重罪を望んだ映像が流れたことは消えないのです。
それでも、その事件・事故を伝えるためにその映像が必要で、それが公共性のあるという放送局の仕事でしょうか。
今日の朝日新聞のコラムの中で地方放送局でカラオケ審査員をしてきた作曲家市川昭介さんの話がのっている。
「ボクは、素人の方の歌を絶対にけなさない。どこかいいところを見つける。テレビの中で傷ついたら、自宅に帰れないじゃないですか」
市川昭介さんの言葉のキーを叩いたいて思った。
これは、組織と個人の違いだと。
市川さんは、市川昭介さん個人の生き方で仕事をしておられる。
放送局の記者は、放送局という組織で報道しているから、マイクの先の「人」が、「次の日も暮らしのある人」であることを考えず、「生の声を取材する」という仕事、極論すれば「仕入れ」にあたるのだろうか。
勢いがあるかもしれないが、だんだんエスカレートするようで気になります。
「某社が支配株主になるとマスコミとして担うべき高い公共性と両立しない」との、某ラジオ局・某テレビ局の言い分。
○○○は皆様の公共放送局です。
「公共性」ってなんだろう。
大きな事件、事故があると、テレビ局各社は放送枠を拡げて特集を組む。「視聴者に知らせなくてはならないから」の使命感なのか。刺激を求める傾向がある視聴者の視聴率上昇を思うからだろうか。
事件現場の報道が一段落したところで、被害者の周辺報道となる。
そんな時被害者が悲しみの挙句に、事故を起こした会社代表者を罵倒する映像や、殺された遺族が、犯人が死刑になってほっとした。良かった、良かったと仏前に報告する映像をそのまま流すのは、どうだろう。
突然襲った悲劇で動転し、高揚している一場面をなんども繰り返し日本中に流されてしまう。
数日の動転の後、更に心境が深まったかもしれないけれど、一旦カメラが取り込んだ映像をテレビはなんども繰り返し放送する。取材は事実なのだから、後は問答無用とでも言うのだろうか。
こんな放送をする放送局が「公共性云々」出来るものだろうか。
放送された人には、5年後、10年後も暮らしがある。日本中に流れた、ののしった映像、重罪を望んだ映像が流れたことは消えないのです。
それでも、その事件・事故を伝えるためにその映像が必要で、それが公共性のあるという放送局の仕事でしょうか。
今日の朝日新聞のコラムの中で地方放送局でカラオケ審査員をしてきた作曲家市川昭介さんの話がのっている。
「ボクは、素人の方の歌を絶対にけなさない。どこかいいところを見つける。テレビの中で傷ついたら、自宅に帰れないじゃないですか」
市川昭介さんの言葉のキーを叩いたいて思った。
これは、組織と個人の違いだと。
市川さんは、市川昭介さん個人の生き方で仕事をしておられる。
放送局の記者は、放送局という組織で報道しているから、マイクの先の「人」が、「次の日も暮らしのある人」であることを考えず、「生の声を取材する」という仕事、極論すれば「仕入れ」にあたるのだろうか。
勢いがあるかもしれないが、だんだんエスカレートするようで気になります。