日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

雇用の話

2005-05-09 07:48:25 | 社会問題
雇用形態が多様になり、パート、アルバイト、派遣社員とよく耳にする。
『雇用主側の悩み』
こんな話を聞いた。
派遣会社が人を雇おうとすると、社会保険料等の本人負担分(雇用主と折半、加入は義務ずけられている)を給料から差引くことになる。すると本人手取額が自ずと少なくなり、社会保険料制度を無視している他者に人材が流れることが不本意との話。
雇い主はライバル他社と競争もあり、人件費も無駄な支出は避けたいというのは当然のこと。
その経営者は労働保険や社会保険加入は義務として果たしたいと考える。
…なのに、被雇用者(派遣社員側)が、気にするのは実際の手取額。万一の事故や失業保険の給付問題が発生すると、加入未加入で大きく異なってくるし、その時未加入だったら、雇い主が責められるのに。

『パート従業員の認識』
その① 正社員と変わらない時間働いている女性。
私はパート勤務とアルバイトと二口になっているんですという。ひとりの同じ人がスーパーのレジをしているのに。
給与明細をみると察しがついた。明細書の1枚には社会保険料等の控除の記載がある。もう一枚には控除がない。
社会保険料は給料により納付金額が決まる。但し加入していれば健康保険は使えるから本人の日常生活に不便はない。
基準金額が、二口のうちの1つで決まれば雇用主も本人も負担が小額で済む。
よく考えられているなーと、思った。だけどどう考えても、働いた手いるのはひとりである。
これも社会保険庁のチェックを逃れている例である。

その② パートで働いていた会社が清算することになったという。
社長が6か月分の労働保険料を本人負担分も含めて払ってくれることになり、失業保険がもらえることになったと彼女は喜んでいた。
ずっとその会社は、彼女について労働保険未加入で、本人負担分の控除なく給与を手渡しており、清算時に、遡れる限度枠いっぱいを納付し、失業保険受給資格が辛うじてもらえたわけである。
失業保険をもらえること、6か月分の本人負担を会社が持ってくれたことで、彼女は、いい社長さんだと語っていた。

昨今、社会保険庁の仕事振りが話題になっている。
こんな狭間で、頭を抱えている中小の雇用主のためにも、よく理解しないで手取額が多いことにばかり関心のある雇われる人たちのためにも、雇用システムのルールの徹底を呼びかけて欲しい。
労働保険・社会保険のシステムには隙間が多く残されていると思う。


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草の根外交かな?

2005-05-08 10:26:17 | 子育ての周辺
中国の反日デモが暴動にまでなったことから、新聞でもブログでも盛んに意見が飛び交っています。
この土日は静かなようで良かったのでしょうが、時によっては一方的な暴動までを肯定する政府があるということ。双方にとって学ぶことも多かったと思います。

さて、これも中国留学時の娘の話なのですが、
「私、先週中国人の名前で中国人の友達のところに遊びに行ったの」
「その友人の家は外国人を招いてはいけないらしい。だから友達の家族と話す時も、一切日本人だということを話題にしないで通したの」とか。
娘は、面白い変わった体験として電話口で伝えてきた。
国情が違うと、当然規制のありようも違うから、そんなルールもあるんだと思った。
友人となった娘を自宅に招きたくて、一案を考えてくれた彼女。
ご両親も了解のことなのか、集合住宅のご近所に配慮してのことなのか。
帰国してから、同室だった上海人の友達が我が家に数日間滞在したように、
個人の話となると「友達だから家に呼ぶね」という、どの国の人であっても共通にある思いが、中国でも同じこと。

昨今のニュースでは、外側から見た中国感があふれ出ているけれど、自分の娘の友人だからと、知恵を使って招きいれて下さった方も、中国の町には暮らしていらっしゃるのです。

我が家においても、いくつかの話があるのですから、沢山の留学生が行き交っている昨今は、様々の多くの出会いやつながりがあると思います。
閉ざしていた時代よりも格段に草の根が根付いていると思います。
眉をしかめないで、糸口を探る方向へ行って欲しいものですね。


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誰もが歌える国歌が欲しい

2005-05-07 08:49:43 | 私の雑感あれこれ
「座しているも黙して立つも一分は長き時なり君が代を聞く」
4月25日朝日歌壇菊川香保里さんの一首を引用した本日の朝日新聞声欄「誰もが歌える国歌が欲しい」(中里喜代子さん投書)を読んで

長い間、議論の対象になってきた話題です。
自分の国に国旗があり国歌があることへの異論はないのに、その先に進むと話がややこしくなります。
日本の国歌は「君が代」だということになったのは、いつ頃からでしょうか。
鎖国の時代には国歌が必要だという概念があったのでしょうか。
その前の時代はこれが国歌だと示す機会があったのでしょうか。
NHKの大河ドラマを見ていても、将軍さんたちも朝廷の人たちもどこからも「君が代」を国歌と思っているふしが見えません。為政者に見受けられないなら、生活で目いっぱいの大多数の農民らにおいて君が代が歌われていたとも思われません。
とすると、「君が代」が国歌として登場したのは海外に門戸を開いた明治政府以後のことではありませんか。
立憲君主国日本であることを世界に知らしめるための国歌であれば、教育制度を整え「君が代」という国歌の普及を徹底したのも想像できます。
ここで、行き違いが起きてくるのではないでしょうか。
今は「君主国」ではないのです。民主主義国家になって60年になろうとしています。
60年前に明治開国の時と国のあり方に大きな変革があったのですから、「誰もが歌える国歌がほしい」という声に応えることが出来るのではないでしょうか。
「君が代」の歌が御殿の蔵書の中に古くからあったのかも知れませんが、民主主義国家の国民総意の歌があればもっといいのに…。
きっとそれはなにより有能な外交官の役割もしてくれるかもしれないのに…。
国際間で国歌を変えてはいけないという決まりがあるとも思えません。子供の時から慣れ親しんだという方もあるでしょう。
みんなに聞いてみたらどうでしょう。
けっして国歌を歌いたくないのではないのです。

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『泣いた赤鬼』 のことなと゛

2005-05-06 21:00:45 | 私の雑感あれこれ
「スズメを追い払わない案山子」で、こんなことを思い出しました。
みんなと楽しく過ごしたかったあの赤鬼のことを。
「泣いた赤鬼」が好きでした。ひとつ上の2年生が学芸会で『泣いた赤鬼』を演じていたことが朧に記憶にあるのですが、子育て中に絵本で出会って大好きになり、近所の子供を集めて娘の誕生日会に紙芝居つくって読み聞かせたり。
そう、「こころのやさしい鬼のうちです…」という立札と赤鬼の絵柄の年賀状にと試みたこともあった程(結局は誤解されそうと不採用だったけど)
それから20年。
「お母さん、『泣いた赤鬼』好きだったよね。その人も、好きなんだって」という切り口で、娘は友達(彼)を紹介した。
「お母さん『アンジェラの灰』観たっていってたよね。彼も観たんだって」
そんな話題を持ちかけたのは知恵者の娘の作戦だったのだろうか(笑い)。
そんな紹介の仕方をして、その彼は今は娘のパートナーとなっている。
離れて暮らしているから細かい話は聞くこともないけれど、『泣いた赤鬼』が好きな人なんだから…と、
ひとりうなずいている私がいる。
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カテゴリーの分類

2005-05-05 11:35:39 | その他
日記は続いたためしがないから、この先どうなるか分かりませんが、このブログというまったく便利で器用なアイテムのおかげで2ヶ月続きました。
そこで、カテゴリー分けをしてみようかなと、ちょっとスキルアップ。
そこで「案山子の目・エッセー」という項目をつけてみたのですが、あれって「の」だから、いかにも節穴っぽいのですが、時々は「玉」も混じったらいいなという願いをこめながら「の」の目から始めます。

この案山子はすずめも追い払いません。
というか、我が家の軒先にまた今年も巣作りをしようと、しきりに飛び交っています(笑)。
お立ち寄りいただけたら幸いです。
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昨日の雨

2005-05-02 12:44:30 | その他
我が家は縁側代わりに後ごしらえの庇があります。そこに降った雨を雨どいから大型ゴミバケツに貯めて、草木の水遣りにと、ちょっとばかりの生活の知恵(製作者は私ではありませんが)。
土曜日のキンギョソウの移植時に、何杯も汲み出して残り少なくなっていたのに、今朝は満杯。
ぽとぽととホースから滴る水滴に気づき、蓋を開けておいたらこの収穫(単なる雨水なんだけどネ、昨今の銀行金利よりはいいかも(笑))。
ちりも積もれば…です。
早速蓋をしめて、満杯の水は次の水遣りの水源です。

ゴールデンウィークの真ん中。行楽地で雨模様の人達には申し訳ありません。
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学級新聞を作っていた頃

2005-05-02 07:02:53 | あの頃(~昭和40年代)
昭和36年、その小学校では6年生のクラスで学級新聞作りが盛んでした。
6人ほどのメンバーで新聞の名前を決めて、記事を考えて、ガリ版で原紙っていったかな、油紙のような用紙に鉄筆で書く。間違ったら修正液で鉄筆の跡を埋める。
謄写版でローラーを転がしながら、1枚2枚と刷っていった。

大人である先生達が使っていたものを、自分達が使っていいことがうれしくて、放課後の謄写室で自分達の書いたものが、新聞という体裁で生まれることがうれしかった。
そのうち、私はニュース記事も、連載童話も、なぞなぞなどのお楽しみ欄を考えるのも、カットやレイアウトもひとりでやってみたくなった。
『平和の窓』という新聞。ニュースは当時文通相手が沖縄だったことから沖縄のニュース。まりちゃんという女の子が主人公のお話。
カットは平和にお定まりの鳩だったような…。

おもちゃ屋さんなんて1軒もないような田舎町だったけど、子供は結構夢中で子供時代を送っていました。
そう、テレビが普及し始めた頃。
中山千夏さんらが主演で『現代っ子』って番組を観ていた覚えがあります。
そう、『現代っ子』とも呼ばれていたんです、「団塊の世代」と呼ばれるずっと前には。

ガリ版、謄写版の時代は遥か彼方で、ブログというこんな発信方法まで現れるなんて!

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ギブ ミー チョコレート

2005-05-01 10:39:05 | 私の雑感あれこれ
「進駐軍に『ギブミーチョコレート』と言って、子供達が群がった」と、日本の戦後を語る話として読んだことがある。
進駐軍の施設でアメリカ文化ジャズに触れた、とか。
貧しい時代だったけど、アメリカ軍を通してなのか高価な缶詰なんかも手に入ったそうよ、とか。
それぞれの戦後があったのだろう。
日本の戦後を書いた本『敗北を抱きしめて』(ジョン。ダワー著)をカバンに入れていた頃、その本の話がきっかけで、幼児期に敗戦を体験した友人から焼け跡の話を聞いたことがある。

今住んでいるこの中核都市の城跡をはじめ、その周りも進駐軍の営舎となって、日本人の若い女性と進駐軍の兵士が腕組みして歩いていたという。
通りがかりの兵士が写真写してくれたりして、後から写真くれるって言ったけど、それっきりだったわね。
みんな、チョコレートをもらっていたけど、ウチの父は貰っちゃダメって言うから、もらえなくて…。彼女4,5歳の頃か。

イラクのことを思う。
多国籍の進駐軍が暮らしのすぐそばにいる毎日。
アメリカ、イギリス、スペイン、イタリア、韓国、日本などから沢山の進駐軍(日本の場合は土木作業員か)。平穏な日本で新聞を読んでいても、どの国がどう関わっているか詳しくは分からない。
暮らしのことでいっぱいで新聞を読むどころでないイラクの人たちにとっては、すぐそばにいる進駐軍がさしあたってかかわりがある外国人だろう。
突然、自国が爆撃を受け、逃げ惑い、幸いにも命をとりとめ平穏な生活をしたいと願う中で、外国人が手助けして出来上がった新政府。
彼らの目にはどのように写っているのだろうか。
役得で缶詰を貰ったといってほくそえんでいる人もいるだろうし、「ギブミーチョコレートはいけない」と、子供に教えているお父さんもいるんだろうなと、思う。

とても幸いなことで、私達世代は体験としての戦争を知らない。
「焼け跡」という文字を読んでも、それだけしか分からない。
臭いやひもじさ、そして絶望感もないまぜになったものだろうなと、体験した人の話を聞くと思う。
戦地からの帰還者なのか、ひどい身なりで焼け跡にたたずむ人がいて、気味悪かったと幼かった彼女の話。
悲しみの度合いは一人一人異なる。
イラクのことを思う。きっと新聞が伝えないことがいっぱいあるのだと。
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キンギョソウを植える

2005-05-01 08:39:54 | その他
木の花の季節(梅・モクレン・桜)から草花の季節になってきました。
晩秋に植えたスィトピーが花をつけるはまだまだ先なので、安直ではあるけれど既に花開いているキンギョソウを買い求め移植。
ピンクと黄色の2色。20株余りで680円。ここまで育ててくださった方(勿論本職でしょうが)、こんな値段で申し訳ない気持ち。
庭に灯りがともったような。
移植した途端に華やかになるなんて、随分横着なやり方だとは合点していますが、でも、本当に今キンギョソウの花はきれいです。
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