「仏蘭西に行きたしと思えど、仏蘭西はあまりにも遠い」と詠んだのは萩原朔太郎。
横光利一がインド航路でマルセイユに向かった長旅を書いたのは「旅愁」だったか。
遠藤周作が、戦後まもなくフランス留学を体験している…とか。
私の10代、20代のころは海外は本の中の世界でしかなかった。
それが、「お母さん、ニューヨークのホテルはマジソンスクゥェアーガーデンの近くにとったからね」と電話。
そして、翌日昼頃「お母さん、無事ニューヨークに着いた。仕事先を回って、今ホテル。自分の携帯で電話しているけど、つながるね」
何という、まさに隔世の感です。
パソコンを駆使していらっしゃる方の多くは、娘世代に近いのかもしれないけれど。
60年代後半に青春だった私は、「MADISON SQARE GARDEN」実は知らないわけではないのです。
そのころ流行のスポーツバック。そのバックに大きく白いゴシック体でMADISON SQARE GARDENって、書いてあったから。
スポーツバックが普及し始めたころだったのか、種類も少なく、あちこちで目にしたものです。
その文字が何のことやら判らなかったのですが、ニューヨークの地名だったのですね。
そこは目印となる繁華な街角なのでしょうか。
娘の無事な声に「うん、うん」と、相槌を打ちながら、私は、学生服を着た高校生らが手にしていた、紺のスポーツバックをなぜか思い浮かべてしまうのです。
かつては外国が遠いところだったのに、ここまできたのですね。
自分にとっての外国は、本の世界からだったから、本当に飛行機でいけるんだよと自分を理解させるには、まだ一呼吸の間があるように思います。
横光利一がインド航路でマルセイユに向かった長旅を書いたのは「旅愁」だったか。
遠藤周作が、戦後まもなくフランス留学を体験している…とか。
私の10代、20代のころは海外は本の中の世界でしかなかった。
それが、「お母さん、ニューヨークのホテルはマジソンスクゥェアーガーデンの近くにとったからね」と電話。
そして、翌日昼頃「お母さん、無事ニューヨークに着いた。仕事先を回って、今ホテル。自分の携帯で電話しているけど、つながるね」
何という、まさに隔世の感です。
パソコンを駆使していらっしゃる方の多くは、娘世代に近いのかもしれないけれど。
60年代後半に青春だった私は、「MADISON SQARE GARDEN」実は知らないわけではないのです。
そのころ流行のスポーツバック。そのバックに大きく白いゴシック体でMADISON SQARE GARDENって、書いてあったから。
スポーツバックが普及し始めたころだったのか、種類も少なく、あちこちで目にしたものです。
その文字が何のことやら判らなかったのですが、ニューヨークの地名だったのですね。
そこは目印となる繁華な街角なのでしょうか。
娘の無事な声に「うん、うん」と、相槌を打ちながら、私は、学生服を着た高校生らが手にしていた、紺のスポーツバックをなぜか思い浮かべてしまうのです。
かつては外国が遠いところだったのに、ここまできたのですね。
自分にとっての外国は、本の世界からだったから、本当に飛行機でいけるんだよと自分を理解させるには、まだ一呼吸の間があるように思います。