日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

自分の国の旗

2006-07-11 07:59:19 | 社会問題
あるアジア関連のNGO団体で編集のボランティアをしている。
国際ワークショップを開催して、参加国の記事を編集する段になり、国旗をレイアウトに使ったらという提案があった。

知らない人も多いことだし、それはいいですね。
と、おおむね賛成。
ところが、ひとつ問題。
日本の旗はどうするか。
「会員の中には、日の丸を嫌がる人もいらっしゃいます」
フィリピンでその会を催したときに、各国参加者は、はじめに自分の国歌を歌ったけれど、自分達の順番になって、急遽、アジア侵略の戦争の経緯から国歌を歌わなかったとのエピソードもききました。
そして、今「日の丸」の旗の問題。
知らない国の旗を紹介する意味もあるから、あえて日の丸は載せなくても、という軟着陸案も。

そこでわたしの意見
社会人スタートが教職だったこともあり、「日の丸」「君が代」の話題は、そのつどこころに引っかかってきたものです。
2005年5月7日のブログ記事
そして、最近、ワールドカップの最中の 6月20日にちょうど、「日の丸」を話題にしていました。
なんで、世界中が日本人も含めて自分の国の旗を誇らしげに、振っているのに、一方に、急に萎縮してしまう雰囲気が充満するのだろう。
戦後60年、私が「日の丸」論議を体験してから30年余り。
今、ワールドカップのテレビ画面を眺めながら、「旗」は、旗自身に責任はないのだからと、そう思うようになっていました。

そして、今日、出会ったブログ「遠き山に日は落ちて…」さんの、7月6日の「普通の国」の記事
ドイツの話です。
かの国でも国旗買い求め、飾ったり応援したり…、そうして「ドイツもやっと普通の国になれた」と…。

私はサッカーは素人で、遠目にテレビで見るだけだったけれど、スタジアムからの歓声や国旗をペインティングした人々を見て、人の声っていいものだな、言葉が違っても、普段の暮らしの豊かさ度合いが違っても、同じルールの下で、ゲームに熱中できるって、いいな、そう思った次第です。

ダブルスタンダードって嫌な気分です。
きっと、「長い間の日の丸アレルギー」の方もいらっしゃるでしょう。何でもOKではありません。でもこの件は、そろそろ認知してもいいのではと、30年自分なりに付き合ってきた私は思います。

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わたしの立ち居地からみえてくるもの。晩婚化の流れ

2006-07-09 09:48:03 | 私の雑感あれこれ
◎専業主婦をやってきた50代の主婦の場合

もう、朝昼晩、ずっとご飯の用意しなくちゃならないの。たまったものじゃないわよ。
いろいろ話し合ってね、お昼は外食してもらうことにしたの。
外に用事があるなしに関らず、夫の昼ごはんをわたし作らないことに。

そしたらね、自分自身のお昼ご飯を手抜きするようになっちゃって…。
ほら、そんなにお腹すかないし、残ったものをつまむとか、お菓子でいいや、とかになっちゃって、わたしの体調がおかしくなって…。

で、やっぱり、今はお昼もわたしが作ることになったの。
でもね、わたしが外に出かける用事のときは、夫の昼ごはんのことまで心配しないでいいことになっているから、自分で外食なりなんなり、好きにすることになっているの。

◎専業主婦をやってきた60代女性達の場合

ねぇ、ご飯の準備って、嫌じゃない?
面倒なこと、最近さっぱり嫌になっちゃった。
手抜き、手抜き。
ふたり、三人と相槌を打つ。

子育てが済んで夫婦2人になった主婦達。
かつて、賢くなるには栄養がどうの、手作りのおやつがどうの、元気であっただろうのに、夫婦2人になって、結論は面倒。

あのエネルギー源は、なんだったのだろう。『こども』だったのか。
無意識のうちに抱えていた「理想の女性(母親)像」だったのか。
確かに、かつての食欲がなくなったことも事実なのだろう。

役割分担をしっかりしてきた、しっかり者の奥さん達は、夫の仕事に対応するのが、子育てや食事作りと、長年理解してきた節があるものだから、夫が定年になると、自分の役目にも一区切りつきたい、のが本心か。
ようやく家でゆっくりできる思う夫と、殆ど家にいなかった夫が、気ままに過ごせた自分の城(家)に、いることの違和感を感じる奥さん。

給料収入なしの年金生活の感覚はまだ判りませんが、入ってくる収入が夫の毎日の仕事によるものでなくなり、その感覚に慣れてくると、専業主婦稼業側もむくむくと本音がでてくるのでしょう。

昨今、晩婚化・少子化問題が話題になるけれど、さて、こん親達をみて、20代30代のこどもらは、どう選択するのでしょうね。
長い間、殆どが夫婦ともに働かないと食べられなかった時代が続いてきました。
豊かになって、夫の収入で家族を養えるようになると、それが女性の理想、男性の力量とみなされてきました。
江戸時代で言うならば、ほんのわずかな割合の階層であったはずの武士階級の生活。
この国が豊かになって、かつての武士の妻にあたる夫の仕事にはノータッチの専業主婦層が大量に生まれたけれど、それは夫に生活基盤を依存する生活だということ。この60年、平等を教え、教えられながら、他方では扶養される生活を理想とするダブルスタンダードが現実だったのではないでしょうか。
扶養される生活が理想ではないと気づいている人は、少数派だったのが、最近はすっかり様変わり。均等法もなかった時代の親達とは発想が違います。
晩婚化・少子化問題は、ここのところから根本的に問うていかないと、付け焼刃になるのでしょうね。
おんなこどもの問題だからと、簡単に片付けられません。
若い人たちが「理想とする生活」自体に大転換が起こったから、発生している問題なのです。







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きな臭い問題が行き交っています。北朝鮮がミサイル発射

2006-07-08 07:43:09 | 社会問題
北朝鮮がミサイルを日本海に発射した話題が連日続いています。
新潟沖500キロの地点にも着弾したという表現には、いやな空気を感じます。
今朝のニュースでは、埼玉や神奈川の自衛隊機地で迎撃ミサイルの発射準備を、なんて伝えています。
国はアメリカやイギリスと共に国連安保理に非難決議案を提出したという。

そして昨日のニュースは、森前首相の発言も伝えていました。
何故、近隣の中国や韓国のトップにすぐ電話を入れて、この問題を話し合う状況にないのか。それが外交ではないか、と。

そう。なんか、いつのまにかアメリカ頼みがますます色濃くなって来ているのですね。
きっと、牛肉問題など懸案事項もいっぱいあるから、アメリカは日本が非難決議案をと申し出れば、それは同調してもらえるでしょう。

でも、併せて大切なのは、共に緊迫感を持つであろう近隣の中国や韓国への働きかけがみられないことに違和感を感じます。外務省には中国や韓国との間に作ってきた交流もあるだろうに、小泉政権で気まずくなっているのだろうか。
あの靖国参拝問題がこんな形で尾を引いているとしたら、小泉さん、個人的問題とはいえないですよ。
幸いに戦争を知らないで生きてこられた戦後生まれです。かつて戦争への道へと歩んでいった時代を知らないから、どうしたら、どう対応したら戦争への道に行かないようにできるのか。知らないうちに加担者にならないように、そう心しているひとりとして、今なにを知り、何に声をあげればいいのか、市井の一人として、そんなことを思います。
かつて私たちの親の時代、ひとりひとりは戦争は嫌なはずなのに、国政翼賛会やら、銃後の守りが生活の中に充満してきたことを聞いたりしているものだから。
アジアできな臭くなることは避けなければなりません。
アジアで孤立することは避けなければなりません。



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絵を描いてきた自分に 

2006-07-04 21:29:17 | その他
6月の1ヶ月間、喫茶店で絵を展示していました。5月になって、急遽誘われたグループ展。私が出したのは水彩スケッチ4点と30号の油絵。
情けない癖で、絵を出しておきながら、その1ヶ月、その喫茶店に近づけず・・・。
後になって、評が、ひとつふたつ、三人、四人から入ってきて、照れくさく返事しながら、家に帰って嬉しがっている自分。
アホだなー。
なにやってきたんだろ。
描きたくて、描く自分でありたくて、ヨチヨチ歩きの子供が寝た間に描いていた絵を「いい絵だったよ」「なかなかなものだネ」と、声を掛けていただくことを、今感慨深く受け止めています。
その絵、実は今残っているので一番好きな一枚です。
ものを表現することは、自分の感性の問題なのに、目移りすると、あっちへ行ったり、こっちへなびいたり、そのくせ、いつも心に響くのです。
あの中野重治の詩の一節「トンボの羽やあかまんまの花を歌うな」と。
描きたいのは、自分の心が振れるもの、私を揺さぶるもの。
おしゃべりで、絵のことを語ることもないわけではないけれど、自分の絵については、極端に自己主張を押さえてしまう情けなさ、でした。

評を下さった中には、存じ上げない方々もいらっしゃいます。
ありがとうございます。
あの頃の自分を少し誉めていただいたようで、嬉しいです。
そして、今、いただいた評に勇気をいただいて、描きたいものを表現する気持ちに、少し真剣みを増して、やっていこうと思います。

次の機会がいつになるか、判りません。自分の感性の発露としての絵でないと、いけませんね。
これくらいなら描けるよ、という絵になってしまっていました。
実は、今も町民会館の喫茶店に一枚のスケッチを掛けてもらっていますが…、大人し目の風景スケッチです。

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映画「チャンプ」を観る。

2006-07-04 12:08:09 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
NHKBSで。耳にしたことのあるタイトル「チャンプ」だけれど、まったく内容知らず、でした。
1979年のアメリカ映画、そんな以前の記憶だったかと思いながら、話に吸い込まれる。
子役のTJの表情が輝いている。8歳の設定だけれど、前歯が生え変わったところ。子育ての経験から言えば実年齢はもっと小さいのでは、と思うほどだけれど、とにかく魅力的な感受性あふれる表情が、台詞以上のものを伝えてくれる。

母親役の女優さん観たことある。フェイ・ダナウェー?多分、きっとそうだ。
あの学生時代に観た映画「俺たちに明日はない」のボニーアンドクライドという実話だという銀行強盗役で銃弾の嵐で幕となるシーンが思い浮かぶ。

泣かせる映画でした。
ひとりで観ていたのですが、フェイ・ダナウェーの子供に母親だと告げる台詞のところで、涙が出始めて、後は、いいや泣いちゃえば…、と心置きなく、映画に感情移入していました。
今日はネタバレにはなりません。私の力量で文字で説明すると虚しくなるから。
きっと、昨日BS観た方も多いのでしょうか。
どうでしたか。よかったでしょう。見ていらっしゃらない方、機会がありましたらお勧めです。
★★★★★でした。

同じ年にあのダスティン・ホフマンの「クレイマー・クレイマー」が、傾向の似た作品として話題になったから、この作品が話題になることがいまひとつ、だったとか。
私としては「クレイマー・クレイマー」から25年後に出会ったわけだけれど、「チャンプ」の方がいいな。

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ニュースで流れた「父子の写真」

2006-07-01 09:15:47 | 社会問題
横田めぐみさんの夫が幼子を抱いた写真が、お茶の間にニュースとして届く。
めぐみさんがなくなったと発表されている9ヶ月前、93年の撮影だという。
私たちのアルバムにもありそうな普通の写真。
こんな写真、映しているのは母親だと考えるの普通じゃない?
写真を写そうか、ということになって、母親がカメラを抱えて父子を写す。
じゃあ、今度はわたしね、といって、夫にカメラを渡す妻。
だとしたら、めぐみさん母子の写真もその時写したのではないだろうか。

横田さんご夫妻は、強い意志で、感情を押さえていらっしゃるのだろうけれど、親だったら、その場面を空想し、カメラを手にしている我が娘を頭の中に思い描いていらっしゃることだろう。
不本意な、まったく人権もなにもあったものではない形で、その後の人生を送らなくてはならなくなった人たちに、かける言葉もありません。

今、ニュースで話題になっている人たち以外にも、よく似た立場の人がいるとも聞きます。言論統制されている国に暮らす人たちの絶望感を思うと、生半可なことはいえませんが、一滴の水が磐を砕くことがあるように、解決の日がくることを願っています。

私のふるさとも北陸の海岸線にそう遠くはありません。1970年頃は夕方の浜辺にカップルで出かけたこともあります。事件の当事者になるならないでまったく真剣さは違います(その頃は、拉致という話題は聞かなかった)。
中学時代の同級生も遭難事故扱いだったけれど、実は・・・、と聞いたこともあります。

「実は元気だった」そんな話題がいつか飛び込んでくることを願っています。
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