あるアジア関連のNGO団体で編集のボランティアをしている。
国際ワークショップを開催して、参加国の記事を編集する段になり、国旗をレイアウトに使ったらという提案があった。
知らない人も多いことだし、それはいいですね。
と、おおむね賛成。
ところが、ひとつ問題。
日本の旗はどうするか。
「会員の中には、日の丸を嫌がる人もいらっしゃいます」
フィリピンでその会を催したときに、各国参加者は、はじめに自分の国歌を歌ったけれど、自分達の順番になって、急遽、アジア侵略の戦争の経緯から国歌を歌わなかったとのエピソードもききました。
そして、今「日の丸」の旗の問題。
知らない国の旗を紹介する意味もあるから、あえて日の丸は載せなくても、という軟着陸案も。
そこでわたしの意見
社会人スタートが教職だったこともあり、「日の丸」「君が代」の話題は、そのつどこころに引っかかってきたものです。
2005年5月7日のブログ記事
そして、最近、ワールドカップの最中の 6月20日にちょうど、「日の丸」を話題にしていました。
なんで、世界中が日本人も含めて自分の国の旗を誇らしげに、振っているのに、一方に、急に萎縮してしまう雰囲気が充満するのだろう。
戦後60年、私が「日の丸」論議を体験してから30年余り。
今、ワールドカップのテレビ画面を眺めながら、「旗」は、旗自身に責任はないのだからと、そう思うようになっていました。
そして、今日、出会ったブログ「遠き山に日は落ちて…」さんの、7月6日の「普通の国」の記事。
ドイツの話です。
かの国でも国旗買い求め、飾ったり応援したり…、そうして「ドイツもやっと普通の国になれた」と…。
私はサッカーは素人で、遠目にテレビで見るだけだったけれど、スタジアムからの歓声や国旗をペインティングした人々を見て、人の声っていいものだな、言葉が違っても、普段の暮らしの豊かさ度合いが違っても、同じルールの下で、ゲームに熱中できるって、いいな、そう思った次第です。
ダブルスタンダードって嫌な気分です。
きっと、「長い間の日の丸アレルギー」の方もいらっしゃるでしょう。何でもOKではありません。でもこの件は、そろそろ認知してもいいのではと、30年自分なりに付き合ってきた私は思います。
国際ワークショップを開催して、参加国の記事を編集する段になり、国旗をレイアウトに使ったらという提案があった。
知らない人も多いことだし、それはいいですね。
と、おおむね賛成。
ところが、ひとつ問題。
日本の旗はどうするか。
「会員の中には、日の丸を嫌がる人もいらっしゃいます」
フィリピンでその会を催したときに、各国参加者は、はじめに自分の国歌を歌ったけれど、自分達の順番になって、急遽、アジア侵略の戦争の経緯から国歌を歌わなかったとのエピソードもききました。
そして、今「日の丸」の旗の問題。
知らない国の旗を紹介する意味もあるから、あえて日の丸は載せなくても、という軟着陸案も。
そこでわたしの意見
社会人スタートが教職だったこともあり、「日の丸」「君が代」の話題は、そのつどこころに引っかかってきたものです。
2005年5月7日のブログ記事
そして、最近、ワールドカップの最中の 6月20日にちょうど、「日の丸」を話題にしていました。
なんで、世界中が日本人も含めて自分の国の旗を誇らしげに、振っているのに、一方に、急に萎縮してしまう雰囲気が充満するのだろう。
戦後60年、私が「日の丸」論議を体験してから30年余り。
今、ワールドカップのテレビ画面を眺めながら、「旗」は、旗自身に責任はないのだからと、そう思うようになっていました。
そして、今日、出会ったブログ「遠き山に日は落ちて…」さんの、7月6日の「普通の国」の記事。
ドイツの話です。
かの国でも国旗買い求め、飾ったり応援したり…、そうして「ドイツもやっと普通の国になれた」と…。
私はサッカーは素人で、遠目にテレビで見るだけだったけれど、スタジアムからの歓声や国旗をペインティングした人々を見て、人の声っていいものだな、言葉が違っても、普段の暮らしの豊かさ度合いが違っても、同じルールの下で、ゲームに熱中できるって、いいな、そう思った次第です。
ダブルスタンダードって嫌な気分です。
きっと、「長い間の日の丸アレルギー」の方もいらっしゃるでしょう。何でもOKではありません。でもこの件は、そろそろ認知してもいいのではと、30年自分なりに付き合ってきた私は思います。