日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

大岡昇平著「ながい旅」を読んでいます。

2008-03-07 07:49:44 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
-話を、余談から始めると(笑い)-
この「ながい旅」は、今ロードショー中の映画「明日への遺言」の原作本です。
極光のかげに」を読んでいる頃、映画の新聞広告に目が留まり、アマゾンで購入。
新品が品切れだったので、ユースドのものを購入したのですが、送料360円プラスして1300円超でした。
で、届いた本は新品で20年2月15日再販(第2版)の角川文庫で590円です。
!!
アマゾンで購入するって、こんなこともあり、なのですね。
2月末には届いたから、発売すぐってことです。
本屋へ行けば買えたものを、なまくらしたため、随分高くついた1冊になりました。

あの「俘虜記」や「野火」の作者大岡昇平氏が、昭和40年代、レイテ戦記の取材中に、軍隊の統率する立場の人の中には、確たる意思でその生を貫いた人たちがいることをしり、戦犯として絞首刑になった岡田資中将の生き方を取材してたどったものが本書です。
映画はあの「雨あがる」の小泉尭史氏。
映画化をと思ってから15年、とかいてあつたけれど、そう思わせるものは何なのだろう、という思いも込めて、この本を読み出しました。

「極光のかげに」と、この本、なんだか親世代、祖父世代が30代から50代という年頃を、どういう意識で生きておられたのか、それに出会う旅のようです。
ああ、加賀乙彦氏の長編「永遠の都」(文庫本で7冊)を、読んでいたときも、そんな思いだったですね。

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「極光のかげに」高杉一郎著 読了。

2008-03-05 07:46:58 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
2月24日、ブログ記事続き。

1944年(昭和19年)に召集をうけ、36歳で兵隊となる。
関東軍に配属され、終戦後はシベリアで俘虜4年余り。
帰還したのは1949年9月。
帰還してから半年ほどあとから、一気に書き上げられたシベリア体験記です。
50年に雑誌連載され、その後出版。
ベストセラーになったとあります。

作者はソ連の捕虜です。
連行されたわけですから、身一つです。
でも、彼の知識量の豊富さ、手探りでのロシア語習得のさま(英語、ドイツ語はできる方だった)をみても、その時代の日本の文科系インテリであったという思いを持ちます。
シベリア生活では、捕虜達はこぞってソ連型の民主主義運動を学び、傾いていく。あるものは本心から、あるものは生き延びる方法として。
そのまま肯じることができない旧日本軍将校達や、インテリ層は懲罰部隊に分類され、課せられる労働もきつかったり、警備の目も厳しい。
作者は語学力が幸いして、接する当地の人たちの個性をくみ取った交わりをしている。それはユダヤ人だったり、ドイツの捕虜を体験したロシア人だったり、アゼルバイシャンからシベリア送りになった人だったり。
お互いが立場に拘束されている状況でありながら、幾人もとの交流が芽生えたりするところは、さく。
民主主義体制にすっぽりオルガナイズされた捕虜である日本人が多勢の組織となり、ソ連スターリンに傾倒しない日本人をファシズムだと批判し、批判に晒す。
こんな世界が出来上がっていたのかと、教えられる。
ソ連体制とシベリアに来ているロシア人は、同一ではないってことも…。
それはそうですね。
だから、鉄のカーテンを敷いたのでしょう。
ああ、この言い方も、時代的にはこの本が書かれの後から使われるようになったのではないでしょうか。

日本に帰還してまもなく書かれた、というか、作者が書きとめて、吐き出さないとたまらない、そういうものに突き動かされて書かれた話です。
だから、話は、体験した時期から時間を経ていないから新しい。

戦後5年で、生活物資も不足していたであろう当時にあって、ベストセラーとは、どのような人たちがこぞって、この本を読もうとしたのか、そして数はどれぐらいか、など、自分がやっと生を受けたその頃を思い巡らせながら、ページをめくりました。


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雛の節句も過ぎて・・・。

2008-03-04 11:17:36 | 私の雑感あれこれ
今日は、急いで片付けの日なのでしょうか(笑)。
日本は随分豊かになり、ものであふれています。
昨日、テレビニュースで、古いお雛様を舟に乗せて流すという行事を報道していました。
画面に映ったお雛様は、遠目には充分きれいなのですが、不要は不要なのでしょう。

私が子供だった昭和20年代から30年代(テレビは普及前)は、お雛様の段飾りは贅沢品で、幼稚園で見るものでした。
まちで、多分裕福なのであろう誰かさんところにあっても、それを羨ましいと思うことすら思いもよらない、そんなものでした。
もちろん、一世代上の、私たちの親世代に浸透していたわけでもないのでしょう。

それが、20年ほどで、あっという間に段飾りが普及し、7段飾り、いや8段飾りと、取りざたされる時代がやってきました。
そのちょうど、真っ最中にあたった昭和50年からの私の子育て時代。

「お雛様を眺めながら育つとやさしい子に育つ。お雛様を見ながら育たないと、女の子はロクな子に育たないよ」
そう言って、プツンと電話を切られました。
「転勤族だから、段飾りは揃えない」といっても、「嫁の実家が用意するものだ」の考え方です。
私は、自分の親にウン十万円もする段飾りを買ってくれ、といえませんでした。
だから、我が家のお雛様は、一対の立雛だけ。
それでさえも、飾らなくなって随分になります。

そんな思いをしてから、大分後になって、同じ県に住むご婦人が、「鯉のぼりを揚げない運動」をしている、という記事を全国版で読みました(その頃は、別の地方で暮らしていた)。
この県では、「鯉のぼりも嫁の実家から持ってくるべきもの」男の子が生まれたことを誇り、嫁の実家が恥ずかしくないように、大きな幟を用意せざるを得ないのが実情だから、その習慣をなくそう、というのかその女性の主旨でした。

子供が誕生したことを喜び、元気に育つことを願う、これは理解できるのですが、それが豊かさを競う、負担を強いるものになっていったのか、と想像します。

豊かなことにあこがれる時代から、ものが溢れる時代へと、世の中はすっかり変わって、段飾りを何年も経験済みの今40代のお母様方と話すと、飾り付けも大変、一年中場所をとるし、とマイナス意見も続出。

昭和40年代から30年間程は、お雛様の生産者の栄華の時代。
お金は、こうして流れ、経済が盛んになったのでしょう。
この風習が下火になると、業者さんの景気は下降してしまうのでしょうが、
どっちが良いか。

昨日の舟に乗った溢れんばかりのお雛様の姿を思うと、人って、賢いようで、罪つくりなことしてきているものだと、思ってしまいます。








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こんな形で、ストレスの発露?

2008-03-01 12:52:05 | 私の雑感あれこれ
この月曜日の晩、痛烈な痛みに襲われた。
朝、左足の甲をしたたか打って、目から火花だった。
でも、出血はしなかったし、打撲痛は仕方がない…、そう思って普段どおりに出勤。日中もさして気にせずに過ごした。というか、朝のことも忘れていた。

のに、帰宅後。
夕食を食べ終わるころから、
なんか、
なんか、足が…。
と、気になりだし、痛み出し…。
打撲はしたのだから、と保冷剤を縛り付けて冷やす。

足の甲を打撲したのに、ジンジンと痛みは広がりをみせ、足の指も曲げれなくなる。
骨折であれば、もっと熱を持ったり腫れたりしているハズ、だから、と自分に説明はしてみるものの、痛みはウナリだす。
粉骨骨折とかかも?
骨が少し、欠けたのかも?
皮膚の下のことを、素人考えで、想像してみる。
夫は「固定したほうがいい」と、テーピングをしてくれる。
痛み治まらず。
歩けるどころではなくなる。
夫は「杖があれば」と、登山用のステッキを持ってきてくれる。
踵もつけない。
で、杖も使えず。
自分の姿を思うと、我ながら、情けない。
でも、痛い。
鎮痛剤をのんで、ひとまず痛みをやり過ごそうと、1錠。

早々に二階の寝室へ移動。
なんと、その移動が…。
廊下の壁を支えに使ったり、階段は這うしかない。

ベットの中でも、痛み納まらず、鎮痛剤もう1錠追加。
寝返りもままならず、の状態で、鎮痛剤が効いてくれるのを待つ。
そのうちに眠ってしまった。

本当に痛かった。
だけれど、ケガをして12時間後に、これほどの痛みに襲われたのは、何?
ストレスが痛みという形で、現れたのかもしれないね、と、夫。

身体は不思議です。
ストレスは肉体的なものではないのに、溢れても、その発露を持たないとき、肉体的な弱い部分、気がかりになっている部分に、そのはけ口として発症するのかしら。
これは、真理かどうかは、判らない。
でも、夫のその言葉に、否定し得ないものがあるのは、確か。

自分はそんな形で症状を出すのだという気質かもしれない、ということを頭のどこかに入れておくといいよ。

外から見れば「お気楽奥様」の部類かも知れないのに、器量が小さくって、ストレスが、こんな肉体症状で糸口を探しているなんて…。

でも、気質、なんでしょうね。
数年前にも、一度神経性で痛みを感じたこと、実はありますから。

ああ、翌朝には殆ど回復し、その後、足は元気です。



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