日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

クワバラ、クワバラ・・・。

2010-04-12 07:27:49 | 私の雑感あれこれ
もしかして、引っかかっていたかも・・・。
いえ、そんなことはないと思いますが。

昨日、長女と電話で雑談中の話題。
忘れた頃に何度か、少なくても3回は、「○○高校をご卒業のお嬢さんいらっしゃいますよね・・・」と、電話があったことを話した。
「○○高校卒業の女性を結婚相手に、と求めている人がいるんだってよ。○○高校卒だと、その後はともかく、あの高校の合格水準の優秀さが保証されるから、ということかしら」と、私。

お母さん、それは反対だよ。
えっ!
○○高校卒の娘がいて,まだ結婚していない人に、その会(結婚紹介所)がなんかに、入ってもらいたくての、勧誘だよ。
そういう出だしで電話をかけると、わが子の優秀さ自慢の親心をくすぐられて、かつ、婚期が遅れそうになっている状態だと、○○高校卒にふさわしい相手に、出会えるのかも知れない、という、勧誘の手口だよ。

私が、そんな商売をするなら、当然そういう発想をするから。

うーん、私単純!
勿論、電話の1本目から、結婚済みだったから、即電話を切っていたけれど、
もし、未婚の30過ぎ娘を抱えていたら・・・。

世の中、巧妙です。

家庭教師の勧誘。
英語教材の勧誘。
成人式の和服の勧誘。
コレまで、さまざまな勧誘を、ばっさバッサときって、引っかかっていないよー、と思ってきたのに、
この手の勧誘、関係なかったからのこともあるけれど、
今まで勘違いをしていました。

世の中、弱いところで、出費させられる仕組み、なんですね~。
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司馬遼太郎の「愛蘭土紀行」(街道を行く30)を読んでいます。

2010-04-09 17:34:24 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
数日前に朝日新聞の天声人語」で引用されていた文章に惹かれて、「愛蘭土紀行」を読み始めた。「街道を行く」というシリーズで週刊朝日に連載されていた。
ずっと昔、結婚したばかりの頃、毎日朝から図書館通いしていた時期があった。
勉強に疲れて、というか、何とか理由を見つけては、休憩を取るときに、いつも雑誌棚から週刊朝日をとって読んでいたものだ。
その頃は、独特の挿絵に目を留めた記憶があるのだけれど、文字を追ったのは、1度か2度ほど。転居して住むところが替わって、定期購読するほどの週刊朝日読者だったのに、でも、スルーしていた。
アレから幾星霜。それが、先日の朝の紙面の引用が、私をこの本へと導いてくれた。
うれしい!という気持ち。
大層なボリュームのある書き物だから、どれだけ読み続けることになるか分からないけれど、求めていた先生に出会えた気分で、だからか、うれしい。
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彼女の話、もう一つ。

2010-04-08 12:37:25 | 私の雑感あれこれ
息子が小学校5年の時のこと。
学校から泣いて帰ってきた。
5年生にもなった男の子が、泣いているって!
訳をきいたら、「先生に、『ドンツー』っていわれた」というの。

『ドンツー』って?

ドベ(ビリ)から2番目のこと!よ。
私、頭に来てネ、先生ともあろう立場で、担任の子供に、そんなこといっていいわけない!
で、私、先生のところに、文句いいに行ったの。
腹が立って、腹が立って。
と、昨日のことのように彼女は語ります。
担任に苦情をいうだけでは、自分の腹の虫が納まらず、担任と二人で校長先生の所ところに、こんなことがあったと説明に行こう、といった、とのこと。
私、その頃、他のストレスも抱えていて、ヒステリーだったかも…とも。
そしたら、それだけは、勘弁してほしい、ということになって、以後気をつけること、
ウチの息子は、授業中ても上げず、おとなしくて、言葉を交わす機会もないので、今後は、○○くん、と声だけはかけるようにします、と言ってもらった。
それからは、悪い成績では先生にもみっともない、という気持ちもあって、勉強を見てやったの。
すると、ぐんぐん伸びて、成績もずっと上がっていったのよー。
と、誇らしげ、な笑顔になっていました。

彼女の抗議は正当だと、そう思うのですが、元祖、モンスターペアレントでしょうか。

きっと、もし若い先生だったとしたら、教育になったかもしれません。

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ズッコケタような、でも、それなりに、いい話。

2010-04-07 22:09:10 | 私の雑感あれこれ
先日散策しながら聞いた話。

あの頃は貧しかったのよ、と。
彼女は72歳です。
私、塾のようなものをやっていたの。
学歴も資格もないから、タダ、そう、無料で。
自分の息子3人と、それぞれの息子が友達を連れてくるから、10人ぐらいにはなるわね~。
我流よ。
だけど、ひとりひとりの子供のレベルに合わせて、充分満点が取れるまで、何度も根気よくがんばらせる、というやり方をしていたの。
そんなに人数が多いと、それなりの机なども用意したの?
そんなの、安いのを揃えたわよ。
問題集も、本屋さんで買ってくればいいもの。

あとから思えば、あの公文式学習って、私のやり方と同じよ!
私、公文より先に、あのやり方やっていたってわけ。
彼女、そういって笑っていました。

そろばん教室もしたの。
そろばん、私はできないわよ。
だけど、あの頃、夕方ラジオで、そんな番組があったのよ。
だから、同じように息子とその友人で10人ぐらいに、そろばん塾を自宅でやっていたの。
だって、お金がないのだもの。タダだからお母さんたちにも感謝されたわよ。

ラジオにあわせて読み上げ算をしたり、私は机の周りを回って、見張っているだけ。
そろばん練習帳も、何十円かで本屋さんに売っていたでしょ。

話を聞いて、呆れてしまいました。
なんとパワフル。
自分の子供の勉強の面倒をみるついでに、こんな風によその子もまとめて、という発想。
そして、学校の成績を上げるために教えるのではなく、分かるようになるため、得意になるために繰り返す、結果、学校の成績も良くなるだろう、という発想。

学歴もないのよ、
と、彼女は繰り返し口にしたけれど、
やー、間違っていないし、すごいお母さんだったのだなー、
と感嘆しました。

彼女の子育て年齢からいって、昭和50年代のことでしょうか。
まずしかったから、節約するしかしようがなかったから、
と何度も彼女は口にしましたが、
子供手当てがなくっても、母は強し、です。
それだけの話、です。
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何度目にしただろう、この光景

2010-04-06 12:53:38 | 私の雑感あれこれ
今日は、ウチの学区ではピカピカの一年生誕生の日です。
若いお父さん、お母さんと連れ立って、ピカピカさんは真新しい靴や洋服が気になるのか、神妙です。
リーゼントというのか、前髪を庇のように張り出して固めた髪で、両手をズボンのポケットに入れて歩いているお父さん。ヤンキーの香りがすこーし残っているようで(笑)。

それぞれの家庭に、それぞれの緊張がみなぎっているのでしょう。
通学生がいなくなって、随分になるので、新年度という区切りがぼやけてしまう。
でも、それぞれの子供についての、その頃の記憶があるから、きっと、今朝見たピカピカさんたちも、おんなじなんだろうな、と眺めています。

なんど思い起こしただろう、ワタシ(笑)。
一人目の時
息子は幼稚園に行っているからいいものの、ヨチヨチ歩きの末娘を連れての入学式。
大勢の人に圧倒されて、遠慮なく泣きわめく末娘。
で、我が家のピカピカさんには、よくお話を聞いてね、と、声をかけて、
父兄であるワタシはその場から退席して、体育館の外。

だから、娘は、よく話を聞いて、ワタシに伝えてくれました。
今年の新入生は○○○人で…、から始まり、子供の記憶力は凄いものです。
そして、娘は、校長先生から聞いた「耳の話」は、語ってくれた娘の表情とともに覚えています。
耳には3つの耳があります…と。
鉄砲耳と、ざる耳と、サイフ耳。
鉄砲耳は、話が耳を突き抜けていってしまうのです。
ざる耳は、通り抜けるものと、残るものがある、
サイフ耳は、きっちりと話を逃さずしまい込む

おかあさんは、泣き出した妹をあやすために、わたしの傍にいられない。だから、わたしはおかあさんに言われたとおり、話をよく聞いて、伝えなくてはならない。

彼女の頭は、そんな風に機能して、一生懸命だったのでしょう。
どこへ行くにも、幼い弟妹がいる長子。

思ってみると、いつも彼女は、自分のわがままを言わず、周りがよいように、というタイプに育っていったように思います。

二人目の時
入学式の前日に引越してきました。
住民票を提出して、まだ地理も定かではない土地での入学式でした。
当然、長子は転校生です。
相変わらず、幼児の手を引いての入学式。
転校生お姉ちゃんには付添いはいません。
驚いたことには、転校生が3年生だけで20~30名もおり、弟妹のいる子供たちは、誰も付き添いなし、そんな転勤族地帯でした。
帰り道は、母子で道に迷ってしまって…。
そうそう、引っ越しの前夜、自宅は荷造りした荷物の山という状態で、
ワタシ、子供会の会計報告の役割をしていました!
行事盛り沢山の地域で、青年団や自治会のお歴々も参加して、
「なんで、明日引越しの私が…」と、プリプリしてたなー。
ま、ワタシ、こんな時、頑張ってしまうタイプです(笑)。

ああ、引っ越しを嘆き悲しんだ息子が、お友達と「夢の中で会おうね」と、手紙のやり取りをしたのもこのころです。

3人目
このときの4月から、私の仕事が始まりました。
末娘をご近所の友人に預かってもらう、約束をしたのに~、彼女が転勤で引越!
あー、あ。
急きょ、幼稚園の送迎仲間にお迎えと、その後を頼んだものです。
入学1週目に、中耳炎になって!
おー、春休みになってくれていたらよかったのにー。

だから、良かったのかもしれない。
子供の学校生活は、学校にお任せ、で過ごせたから。

ああ、すべて、私の30代のころの話。

この季節がくると、走馬灯のように、まわります。


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15年以上もひっそりと・・・。

2010-04-02 07:52:18 | 私の雑感あれこれ
こんな話です。

そう、15年以上、身を潜めて暮らしてきた、と彼女は話しました。
夫が仕事にでて一人になる昼間は、できるだけ公園などで時間を潰し、家にいても、昼間もカーテンを開けず、留守を装って暮らしてきました。

ほんとに、本当に怖いんですよ。
貸金業者のお金の取立ては。
早朝やら、夜遅く、ご近所に聞こえるように、扉をドンドン叩くし、夫はどこかへ連れ去られてしまい、ワタシが呼び出されていくと、監禁されていました。

ホント、信じられないでしょうが、テレビに出てくるヤクザ映画のようなのですよ。
怖かったー。

で、そんなに借金取りに追われていては、夫は仕事どころではなくなり、住民票をそのままにして、この街に引っ越したのです。この街でも、居場所を転々として、今の住まい。
でも、誰が来てもドアを開けない、留守を装った毎日です。

いつまでもこんな生活では、夫の今の仕事にも不都合で、何とか方法がないかと、彼女は相談にこられました。

15年以上も、逃げている状態。
借入先は10件ほどもあったでしょうか、法律的には、消滅時効が成立しています。
悪質業者が多いので、社名変更、債権譲渡、諸々、相手の特定も煩雑でしたが、分かっている借入先に個別に、消滅時効を援用する旨を書いた通知を送りました。

なぜこんな事態に陥ったのかは、今回は略。

で、借金の災難から逃れてほっとしたことから、ポツリと。
実は、夫が仕事(国家公務員)を50歳頃にやめたとき、将来の年金受取手続きをしたのですが、その受取の銀行口座のカードと印鑑を、貸金業者に取られてしまっています。
だから、自分たちは年金もあきらめなくてはならないのです。
だから、今の夫の職場で、少しでも長く働いてやっていくしか・・・。

以前にも、悪質業者に返済する分として、年金が入金になる通帳と印鑑をわたしてしまっている女性がいたこともあって、その手口を知らないわけではありませんでした。

で、調査してみました。
受取口座に指定していた銀行支店への入金状況。勿論統廃合で銀行名も支店も従来のままではありません。統廃合先をたどって、知りえた答えは、「入金も出金もない」という事実。貸金業者は、通帳、印鑑まで取ってみたけれど、何らかの書類の不備で、流れはストップしていたのです。
それでは、再度、退職金受給てつづきができるはず、と考えました。
もう15年以上前の退職時の職場、そしてそこを管轄している組織。その組織の年金を管理している在東京の本部にたどり着きました。
本籍、生年月日を示して、本人であることは証明できます。
時間はかかりましたが、着々と手続きは進み、年金受給手続きはできました。
そして、コレまで受取らなかった年金を遡って受取ることもできました。
受給資格を得てから10年以上は経っていましたが、ここでは、上記とは逆に、消滅時効になっている分はあきらめざるをえず、それでも約1000万円を確保することになりました。
そして、今後は、二ヶ月に一度25万円ほどの年金が生涯受取れるのです。
勿論、おおいに、大いに喜んでいただけました。
「住民票を表に出すと、借金取り立て業者がきて怖い、どうにかならないか」
それが、たずねてこられた当初の目的だったのです。
それが、こんな展開に!

アレから10年も経ったでしょうか。
その後も、何度か、忘れていた貸金業者からの督促状かぜ舞い込んだ、と書類を持ってこられたこともありました。これらは、上記したように、消滅時効の援用の通知を出すことで解決です。

我が家に立派なお中元とお歳暮が届きます。
お二人が自分用にこんな高級酒を買い求めることはないでしょう。
充分な高齢者になられたと思うけれど、一年に2回、思い出して下さっているのだな、と思いながら挨拶状を書いてきました。
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生活の中の新年度の変化。

2010-04-02 07:36:40 | 私の雑感あれこれ
市営地下鉄ターミナルからのバス路線が廃止された。
転居してきたときはなかったのに、住民運動をされた方たちのおかげで、自宅近くのバス停から地下鉄直行バスができて助かっていたのに、1時間に1本という不便さもあり、利用者が増えなくて10年ほどで廃止。
ワタシも定期的に利用するわけでもないし、利用者増に貢献しているわけではないから、無理もいえない。
廃止になったバス路線の変わりに、市営地下鉄からつながっている私鉄の一つ目の駅を利用することになる。
この最寄駅だと家まで歩いて20分。
ワタシの生活習慣病予防のための神様の配剤なのかしら。
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