日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

気力が抜け気味

2012-08-16 16:53:57 | 庭 8月
先日の土砂降りの後遺症で、表土がすっかり(水溜りにしようと目論んだ)低いところに流され、花壇は総じてやせた土というか、礫が目立つ。あーーなんとしよう。
暑さと旅行疲れでグッタリ。
しかし、玉村豊男さんのギャラリー、レストラン、農園で買ってきたクリーム色(ほぼ白)のマーガレットを移植。
午後は、いつものフラワーセンターで、ほうき草4本とオリーブの苗、その他を購入。
早速こちらも移殖。
3本のバラは次々と花を咲かせてくれている。9月になると夏剪定をする必要がある、らしい。
大量の雨が降ったときの対策は、イチから考えなくてはならない。
課題を抱えながら、ボチボチ。
こんど病院に母を見舞ったとき、名案を教えてもらえるかもしれない。


ワタシは玉村さんの絵を見ると元気がもらえるヒトなのです。
大学時代はアートを、絵画の意義を、喧々諤々と論ずる人たちの陰で、主張のある絵を描けない自分は、すっかり肩身狭い気分でした。
みんなが評価する絵を一緒に評価できないのです。いいと思っても、自分の筆になるとその手の表現とは遠いものになるのです。その乖離している、という感覚といつも同伴してきました。
一方で、描きたいなという気持ちが湧き、絵筆を執っているときは楽しいのです。
また、病院の廊下だったり、レストランの壁面だったり、そこで見た自分の好きな絵の前では、ひとり感動してきました。好きな絵は、画集にある絵よりも、そんな一作一作です。
玉村さんの絵、大作ではなく、対象以外の余白をそのままにしておく、
その路線が、うふふ、似ているのです。

アナタの絵はダメだ、と断罪されそうになり意気消沈するワタシに、これもアリなのだと、そういってもらえるようで、元気をもらえます。

コメント (2)
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信州松代 川中島あたり

2012-08-15 18:47:04 | 絵画・マイギャラリー
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信州松代へ旅行 2泊

2012-08-15 15:59:15 | 旅行・休養
旅行初日
長野県へはなんども旅行で出かけているけれど、長野市までは行くことがなく、今回初めて、善光寺参りとなった。
善光寺の来歴を読むと、今の善光寺になったのはともかく、その開祖は相当古く、仏教伝来まもなくからのお寺らしい。
民衆は食べるのが精一杯という時代が長く続いてきたわけだけれど、そんな時代にあってこんな威厳ある建築物を建立される風土を想像しながら拝観する。
二日目
松代の大本営として掘られた防空壕へ。
耳にしていたけれど、現地で壕のヒンヤリとした中を歩きながら、戦争末期の空気を想像する。
終了時間ギリギリで中に入り、戻ってから説明書きを読んだ。
19年11月から終戦の日まで、1日24時間3交替で掘り続けたこと。6000人ほどの人がかかわり、食料事情劣悪な中、強制徴用された朝鮮人を含む多く(1000人もか)の犠牲者が出たこと。死亡者の名前も数人以外は判っていないこと。
防空壕入り口の傍らに建てられた朝鮮人の供養塔が痛ましかった。
本当にそそっかしいのだけれど、人気のない壕の中を歩きながら、ココは戦で死んだ人が出たわけではないから。。。なんて、気丈に歩いていた。
その説明書きを読んだ後だったら、暗がり中を歩けたかどうか。
手作業の鑿の音が、汗のにおいが、うめき声が、落盤が想像されて・・・。
三日目
長野市資料館へ
私の乏しい知識、川中島の戦の経緯を少し上書き(苦笑)。
16世紀の千曲川の河川敷で繰り広げられた合戦を想像する。群雄割拠の戦国時代に生まれていたのでなくて良かった~。

宿泊はリゾートホテルだけれど、2泊するとよりゆったりできる。
以上、備忘録として。
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アチャ~!

2012-08-11 18:57:17 | 庭 8月
午後土砂降り。
新庭の地肌をすごい勢いで雨水が流れる。
水流を眺めながら、土地の高低やら水流の変更を考えていた。
と、水溜効果を狙っていたサブ通路の砕石部分がすっかり水で覆われていた。シメシメと思っていたのは最初。雨が小止みになったころ覗くと、踏み石部分も砕石部分も泥をかぶった状態。通路の体が消えている。
水流は粒子の細かい土を含み(なんのことはない泥水)、よって水が去ったあとは細かい粒子の部分が残り、つまり土がかぶってしまうのです。
あ~あ。
地肌部分にグランドカバー的植物を植えて、土が流れないようにしなくてはならないのです。

これまで暑い日が続き、植物を植えるどころではなかったのですが、少しずつ季節も変わって行きます。

四季咲きのバラが次々と花を開きます。松葉ボタン、タチアオイ、マリーゴールドなどなど、1年目にしては賑やかな夏の庭でした。
毎回バスタブ1杯以上の水遣りはそれなりの労働でした(苦笑)!

きょうの土砂降り時の水流を目に焼き付けておいて、水はけをどうしようか、水路をどうしようか、今、そんなことを考えている。

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脳梗塞で倒れてから4ヶ月が経とうとしている。

2012-08-11 07:21:26 | 母のことなど
現在リハビリ入院中。
8月末で退院の予定。病院のスタッフさんたちは励まし上手なのだろうけれど、よく頑張っている、といわれているらしい。
さて、今後。
ガラガラと環境が変わるだろう。流動的。
一日だけ自宅に戻って、自宅介護が出来ない状況という形をとって、ショートスティで施設に行くことにしている、と聞いた。
そのあとは、どうなるのだろう。
その間に、自宅和室をフローリングにして、ベットと隣にトイレを作る、というスケジュールとも聞いた。
そもそも膝が不自由だった身。年齢のこともあり、いつまで自力でトイレに行けるか。

快適だろうと思われる介護施設もたくさんあるのだけれど、満員。入れる可能性はなさそう。昨今は施設を増やすのではなく、在宅介護の方向らしい。維持費が膨大で国も予算が追いつかないのだろう。判る。

在宅介護か、4人部屋の介護施設の空きに行く…のか。
※2年前、脳外科に入院した娘が4人部屋に移動したとき、ベットの上で意識があるのかないのか不明な老人と相部屋だったのを思い出す。ベットの上だけが居住空間で、オムツの生活が日常になるのには、それを受入れたくないところがあって葛藤です。

母は、なるようにしかならずリハビリに励むだけ、というスタンスながら、いろいろ考えているだろう。今は個室。入院ではなく、居住室が4人部屋という状態をどう想像しているか。
私のほうも、少しずつ、こころの準備をする。

私が産まれた頃、母は戦争中の体力消耗もあってか、体調が悪かった。
あの頃は、「具合が悪いからお医者さんに掛かり、治療を受ける」は贅沢なことだったらしい。民間療法で必死に自分の体力をつけることを続けたという。
乳飲み子の私に母乳を与えてはいけない、とお医者さんから指示されて、粉ミルクを購入するのにはお金がかかるから困り果て、私を米粉を溶いて育てたらしい。実家の農家から米粉を貰ってきたのだろう。その米粉を野菜スープで溶いて飲ませたら、青白かった赤ちゃんのほっぺたが、ほんのりと赤らんで元気を取り戻すようになった、コレはなんども繰り返し聞いてきた話しだ。勿論、私の記憶にはない。

思えば、母は、お金をかけることはままならず、知恵をフル動員して、私を育てたのだ。
今、感謝を返すときが来ている。
コレまでは、「私は幸せにやってるよー」と伝えることが親孝行だったけれど、今は本当に、そのときになっているのだと、思っている。

「親の世話を出来るのは幸せだよ」と、家人も言ってくれる。
自分の親の世話を、「気兼ねなく出来る」というのは幸せなことだ、と私も思っている。

長く離れていたので、乳児を抱えての長距離転居の際には助っ人にきてもらったことはあっても、返したことはまだありません。若い頃の夫はテニスに夢中。荷解きもそこそこにテニスに、というタイプでした。今時と違って布オムツで、洗濯物は溜まるのに、洗濯機はヘルツの変更が必要で使えず、転入園があったり、大変でした。

親の世話の初心者です。
「大変だー」の声は、同世代のあちこちから聞いています。
その大変さがどういうことか、想像するたけです。

でも、育ててもらったこと、困ったときのヘルプ、そんなアレコレを思い出していると、
ここでひと頑張りする機会が与えられたのかな、とそうも思います。

8月末からしばらく、とう展開するかは未定な部分がありますが、絶対大丈夫だよ、と
母に、こころの中で語りかけています。


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夏バテか。

2012-08-11 04:38:06 | 私の雑感あれこれ
この10日間ほど、夫の体調がよくない。
咳き込む。頻繁にというほどではないけれど、咳き込みだしたら、3回に一度は、長く酷い咳き込みで、呼吸困難の様相でヒィー、ウゥーという喉をこするような音さえ出す。
「咳止めには、大根を蜂蜜につけて、その液を飲む」という、昔母から聞いたことをしているが、こんなに強烈な咳き込みには気休めにしか思えない。

そして、痛風。
足の親指の付け根どころではなく、足指から半分はポンポンに腫れて、通勤の革靴が履けない状態。
コレは何度目かの発症だけれど、こんなにキツクて長引くのは初めてか。最初はビックリして通院もしたけれど、医者嫌いは、市販の鎮痛剤で堪えている。
鎮痛剤は対症療法で治療にはなっていないということも承知。
水分を取って尿酸を体内から排泄するのだと、水分を一生懸命に取り続けて1週間。
ただし、プリン体の含まれるビールは避けているものの、アルコール入りの水で。
アルコールが入っている限り、身体はアルコールを分解しなくてはならず、アルコールは脱水症状を招くものであり、尿酸排泄の効果にはならない、という説得をようやく聞き入れて、少し控え気味になった程度。

加えて、ひざ痛。
ハイキング用のステッキを持つようになった。
ひざ痛で地下鉄の階段の昇降に手間取っていたワタシの気持ちがわかったようだ。
10年来続けてきた、朝4時から小一時間の修行(四股、腹筋、竹刀振りなど)を中断して10日。

考えたらトコトン極めたくなる人だから、身体作りも徹底していたのだけれど、酷使されているからだが悲鳴を挙げているのだろう。

夏バテか。
還暦バテ(苦笑?)のたぐいか。

この国のきまりで、少なくはない健康保険料を払っているのに、夫は歯医者以外の病院にはいかない。
誰かに相談してもアドバイスは「病院で検査してもらって…」だと思うけれど、それには一切なびこうともしない。
自分の体のことは自分で管理するから、なにも口出しするな、と。

世間は広いから、「絶対に診療を受けない」というポリシーの人はいるのだろうが、当事者のそばにいるとなんとも気が重い。



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原発事故当時の映像が提出された。

2012-08-07 09:53:19 | 社会問題
福島原発の現地と東京本社等の会議の模様が流れた
なんだか見難くいけれど、これで「映像がある」ということを事実として私たちは目にしたわけです。
でも、ボカシがかかっていたり、音声が消されていたり、と編集過多。こんなに編集が加えられているということは、流したくない映像部分が沢山あるということを物語っているわけで、これからどういう展開になるか、個人的には興味深い。
菅前首相も自分の音声が出ないのはおかしいとコメントしているけれど、首相が乗り込んで言って罵声を浴びせたという、その音声が紛失した、と言うのは、作られすぎだと思う。
この映像を公表したのはオリンピックが盛り上がっている最中。当然テレビは放映のメインをオリンピックに充てている、そこを狙っての作戦かしら。
オリンピック放映の少ない民間テレビ局は、コマーシャル会社がらみで、東電への気遣いがあったりして、一定枠では取り扱って体裁はつくろうけれど、深く追求しないバージョンで終わらないだろうか。

「相棒」のファンです。鑑識の米沢さんを呼んで、このボカシの部分、音声の消えた部分を何とか…、といいたい思いです(苦笑)。
ああ、東電版sengoku36さんでも。
大手マスコミは、一般公開された部分だけでなく、150分の録画を視聴したとか。
しっかり、追求する役割を果たして欲しいものです。

ワタシは素人だから、ベントという専門用語は、この事故で始めて知りました。爆発があったということを聞いたもの、テレビの
「なんだか白い煙のようなものが建屋から出ていますね」
「なんらかの爆発があったのでしょうか」
という、遠くからの映像から教えられたのが最初だったように思います。

「海水を入れる」「入れない」のやり取りも、まだ、修理して使えるものを海水を入れることで「廃炉にしたくないのだろうな」と思いながら聞いていました。
…いかに大事故か知らされていなかった素人には、その、あばよくば「廃炉にしたくない」思いも理解できます。
隠蔽することは、疑いをそのままにすることになります。
誰にでも、ためらう気持ちが生じるのは当然です。
でも、こんなに沢山の人がかかわっていて、それでも「隠蔽」がまかり通る、そんな国ではないはずです。

米沢さんとかsengoku36さん、どんな形にしろ、映像公表はあったわけですから、開明へのスタートです。
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今日の一首

2012-08-06 15:30:49 | 今日の一句・今日の一首

―― その比喩の超明快さに納得す 傲慢予防のアンチョコにしよ ――

因数分解の問題が解けたみたいな気分、でした。
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ひとつひとつ学習

2012-08-06 06:37:49 | 庭 8月
◆毎日大きな花を咲かせいるタチアオイの葉っぱが4、5日前からおかしいと思っていた。
くるくると巻いて、病気か~程度で、花用の薬剤スプレーをなんどか気慰み程度に噴射していた。
このままじゃ益々ダメになる一方、という思いになり、ネットで調べると
タチアオイはハマキムシにやられる、とある。
確かに葉は巻いているので、コレです。
で、何とか退治しようと、午前中にハマキムシのついている葉っぱを全部摘み取った。
夕方再点検。取り残しなのかまた数枚摘み取る。
今朝、また数枚。
根気よく頑張ってみよう。

◆ナデシコを種から育てているが、移殖した5月頃にヨトウムシ(根切虫)に次から次とやられて、3割ほど減っていた。そこへ今度は、葉っぱが白変し始めたのが出てきた。
そして元気がなくなる。そけで、コレについても回復見込みなしのものは引きぬいて、一部白変のものは、その部分をハサミで切り取ったのだった。
もしかして、これって、うどんこ病?
花用の薬剤スプレーの記載で知ってはいたが、ナデシコのそれがうどんこ病とは結びついていなかった。うどん粉病には、コンパニオンプランツという対策もあるということを知る。病気から守ってくれる植物と一緒にうえる、という作戦。
で、コンパニオンプランツとして、抜き取って空きが出来た花壇にニンニクを埋める。

ハーブ類もコンパニオンプランツとして有効らしい。
タチアオイの花壇にローズマリーを定植。ニンニクも埋める。
バラのコンパニオンプランツとしてはラベンダーと記載がある。
いま挿し芽をしているラベンダーの定植場所は、バラの周りに、と構想を固める。

―― 蝉時雨 コレが雨なら 涼しいものを ――

一雨が待ち遠しい。



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しばしコブシと向き合う。

2012-08-03 07:36:44 | 庭 8月
ガーデニングの構想を練り始めた頃は、早春のコブシの季節だったので、
わが家も、「あのコブシの家」というイメージになれば、という勝手な妄想(苦笑)で、春に桃花姫コブシの苗木を購入していた。
鉢植えにして八朔の木の根元当たりで,整地されるのを待っていたのだけれど、諸事情から、待機期間が延びていた。
で、1ヶ月ほど前、殆どの葉先が、2割から8割ほど茶色くなっているのに気づいた。
慌てて、日当たりの良いところに移動した。
幸い根元付近から、元気な新葉が出ては来たが、本来の幹についている葉っぱは、茶色部分がカリカリに乾いていくばかりだった。

なにしろ、今年が我が家のガーデニング元年で、それなりに広いこともあり、水と肥料やり程度でイッパイだった。
昨晩は、多少のオシメリがあったので、朝の水遣りはナシ。
そこで、コブシの横にじっくり腰を下ろして、我流ながら、壊死している部分をすべて丁寧にカットした。痛んでいる葉っぱをとってしまうと丸坊主状態になるので、あくまで茶色の部分のみのカットです。
じっくり観ると、縮こまって大きくならない葉の陰に芽がいくつもついている。
なにも語らないけれど、命をはぐくんでいた、のです。
大丈夫でしょう。嬉しい、です。

コブシの花は知っていても、葉だけの木でコブシだとは判らない、そんなレベルの人でした。そんなワタシが、早朝の庭で剪定ばさみを手に、「オャ!」と感動できる、ありがたいことです。

ワタシには、ブログという落書帳があるから、ひとりごとも書き留められますが、そうしていない、世の中の多くの「育てることにかかわっている人たち」も、こんな思いを味わっていらっしゃるのでしょうね。

今、病院でベットの上の人になっている母も、そんな喜びをイッパイ味わって95歳になったのだと、言の葉にせずとも思っています。
いいこと沢山味わったのだねー、と。
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