日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

やっぱりバラ。

2016-10-19 07:25:32 | 庭 10月
夏の手入れに、応えてくれているのでしょうか。

今、庭のバラたちが、きれいです。自画自賛??

ルージュピエールどロンサールがこんなにも!



枝にも。




ガートルードジェキル。強香です。




ル・シェル・ブルー。5月よりずいぶんお花が小さ目です。




シェラザード。




秋らしく小菊も。ミスティック・ガーデンマム




そして、シュウメイギクも最盛期に入りました。




これから、某行事に参加しに行ってきま~す。

あたふた。
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自治会仕事も峠を越しました。

2016-10-18 07:24:28 | 私の雑感あれこれ
先週1週間は、コミュニティーセンターの閉館後の館内の見回り当番でした。年2回の当番があり、これが2回目。

自治会費後期分の担当組30件分の集金が終わりました。

あと、大きな行事と言えば、餅つき大会。でも、これはお手伝いとして参加すればOKでしょう。
実は、去年出席したのですが(某委員として招待状が来るので)、思いのほか盛大でびっくりした印象を持っています。

15年ほど前に役員をやった時は、ホール全体にテーブルセッティングして、数百人用のおもちセットと豚汁なんて、そこまでではなかった。いつかの係の方が頑張られたのでしょうね。それを引き継ぐ今年の担当者は、ご苦労様です。

あの時の思い出ひとつ。
自治会には餅つき用の臼と杵がワンセットしかなく、あと1組あったほうがいいだろうと、町内の方のご実家にあるものを拝借をお願いしました。で、前日受け取りに行ったら、杵の頭と持ち手がガクガクというか、ユルユルなのです。

ええっ、期待していたのに、、、と一瞬でがっかり、あきらめなくてはと思いました。

でも、違ったのです。

手渡してくれた方のおっしゃるには、

こんなものですよ。一晩水に連れておけば、杵が水を含んでシャキッとくいこみ、なにも問題ありません、と。

半信半疑でした。

で、その通りに水につけておいたら、当日は、ピタッ。立派な現役の杵になっていました。

これは、マイエピソードです。

今年の担当者に話すこともないでしょうけれど、もし(ありえない)、古い杵で餅つきをなさる場合は、一晩水につけておけば、、、、なんて、不必要な伝承でしょうね。

個人的には、「知恵を授かった」という気がした、いい思い出なのですけどね。笑


いっぺんに、たくさんの知り合いが増える、これは組長になったおかげです。
月1回の集まりでは、顔と名前が一致しない人もいますけれど、それでも、こんな機会がなければ知ることもないわけですから。


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秋も深まりつつ、、、

2016-10-18 06:50:17 | 庭 10月
雨上がりで、気温が高い、ので、バラの蕾が順調に膨らみ、開花している。

蕾だったシャルルドゴールが一斉に開花。この春に購入したので、まとまって咲いたのは初めてです。
嬉しくって、花束にしてパチリ。





他の花たちと一緒に。



昨夜の夜なべ仕事をパチリ。



美味しい干し柿になりますように。


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過去記事を引っ張り出して。

2016-10-17 21:02:14 | 私の雑感あれこれ
もう10年前に「立ち話から」というタイトルで書いた記事です。

http://blog.goo.ne.jp/salubia2070/e/27ca50dcfc3ee4047f10b38f14f78fcd


若いころは、チ○○、チ○○と陰口をたたかれたものよ、年ごろのころは悲しかった、
と世代の違うワタシに、カラッとこぼしてくださいました。

気丈な女性でしたが、見かけなくなって久しいです。



話は変わりますが、

私の友人に姻戚に障碍者のいる家庭の方がいます。
その友人は、縁あって知的障碍者家族の姻戚になりました。

私は、知的障碍者の話題は聴くことはあっても、途中から姻戚になった方からの身内話として聴くことはありませんでした。
中年になった知的障碍者を介護してこられた母親はもう80代です。
現在高齢者施設の入居を検討されているそうですが、娘が入居するであろう知的障碍者施設に近いところが希望、とか。
かわいがって手元において育ててきた娘と別れるのが忍びないのでしょう。

そうなんだね~、お母さんはもう50年前から、知的障碍児を抱えた母親を生きてこられたんですね、とつぶやいたら、
「あらっ、○○さん、そんな視点から見る人って初めて!」と返答されました。

重度の知的障害を抱えた本人も、不本意かもしれないけれど、ある日突然障碍児の母になって、かわいい、かわいい、で育てて50年。そのお母様の人生も大変だったろうな~、とついそちらを思ってしまったのです。

「そうなのよ、そのお母さんは、付き合う相手も同じような障碍者を抱えた方たちばかり、交際もおのずと限られているの」と、彼女はサバサバ。

私「・・・・・・」

きっと、ちょっとした言葉にも傷ついたりして、だったら、健康な子供だけを育てている方たちとの交流を避けたい、お互いの気持ちを察することができる仲間だけで、、、という月日が続いたのかもしれません。

そんな、傷つきやすい日々を50年も過ごしていらっしゃったなんて、言葉がありません。



たまたま健康でいられたことに感謝。役に立てることがあるなら、、、そういう思考にならざるをえません。














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今すべきこと、を考える。

2016-10-17 19:29:28 | 私の雑感あれこれ
今朝は、久しぶりにまとまった雨ふりで一日が始まった。
昨日、ご近所さんにもらわれていった、アングロステンマ、アシュガ、ワスレナグサの苗たちが移植先で雨を喜んでいそうな気がして、うれしい。

秋になってからは、日課と言えるほどに度々イチジクジャムを作っている。

今、今年収穫した渋柿の皮をむいた。干し柿用。
実は、明日は気温が高くなるらしく、カビが生えないか気になる。

そんな、いつもの日々である。

仕事場で、積極的に整理仕事をすることにした。
夫が独立して私も仕事に出てから30年以上経過している。

子育て真っ最中の専業主婦から事務所の相方に。

スタート時に独学で経理をかじり、知人から税務処理の指導を受けた。

そのときの女性税理士(自営業)さんのセリフ「経費を少しでも抑えたくて、電気代節約で、お客さんがくる前になって冷房を点け、いつも涼しいふりをしたりするものよ」と苦笑されていたことを覚えている。
経営についての、節約精神を伝授なさろうとしてのひとことだったのだろう。それがスタート。

そこまでの経験をすることもなかったけれど、無駄な出費を極力避けて運営してきた30年でした。
経理仕事オンリーになったのは、ここ1、2年。他の仕事もやりながらの経理だったから、数字は正確だけれど、書類整理が私流になっていました。

今回、その私流を、徹底的に後任にわかりやすく引き継げるようにしようと思います。

誰かから引き継いだ仕事ではなく、企業で仕事を経験したこともなく、一人学問でやり始めた、私流なので、第三者が一目でわかるように、という形にすべきです。
他の仕事に追われて、整理仕事に時間を割けませんでした。

人数が増えたこともあり、現在進行形分の処理は若い人のほうがてきぱきしています。
的確な引き継ぎとそうでないのとでは、理解に要する時間に大きな差が出ます。
これまでの積み重なっている契約書類を整理しておいて、バトンタッチができるようにすること、それが今の私の仕事なのだろうと思います。

名前検索で膨大な資料の保存場所が、一瞬にしてわかる仕組みを作りました。必要に迫られてのことでしたが、我ながらよくできているものだと自画自賛したりも。…もちろんこれらの検索方法はみんな共有です。

自分なりの知恵を使ってきましたが、今は集中力も記憶力もいまいちで、経年劣化やむをえません。苦笑

先送りしないで、さくさくと整理し、自分の役割をさらに限定的にしていきたいと思います。

こういう時期が来るんですね。

地下鉄のコンコースを小走りに急いでいたころには、先行きなど考えもしませんでした。

今は今で、また別の、こころの引っ掛かりを抱えています。苦笑

人生って、なんとしたものでしょう。

これも抱え、あれも思い悩みながら、60代を送っています。

きっと、やがて、あのころは若かった、というでしょうから、若い(?)今を謳歌しないとね。

秋です。

自家製自然薯で、とろろ汁でも作りましょうかね~。















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うっふふ、きっと、な~んだ、なんでしょうけどね。

2016-10-17 07:49:07 | 家族
運動会も生活発表会も泣いてた孫が、今度は「おかあさんといっしよ」にでるという。

ええっ、どちらかというと、、、満足にできないタイプなのに、そんなのにエントリーするなんて、ママは立派な親ばかです。苦笑

先日の運動会が、ようやく泣かないで走れた、成長した!

そんなレベルの坊やの初テレビ。

それが今朝。

NHK教育にチャンネル合わせて待っています。うっふふ。

きっと、毎朝、同じことをしている人たちがいるのでしょうね。画面に参加しているシロウト子供の数だけ。

録画予約もしているんだけどね。アッハハ 汗。



40年近く前も同じように、子供たち参加の企画でした。

根強いですね~。


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庭仕事のベストシーズン

2016-10-14 09:06:50 | 庭 10月
昨日は久しぶりに園芸店へ行ってきた。

デルフィニゥムの苗と濃赤の小菊のポットと培養土を購入。

この4年間はほんとにせっせと買ったものだと、冷やかしながら苗売り場を回る。
バラの大苗の普及品種が出ていたけれど、もう買わない。
今あるバラたちの世話が先だから。

ポーチュラカがそろそろ終わりで、そのあとの来春のワスレナグサの季節までに何を植えるか。
ストックなど冬超えしても、寒さに耐え忍んでいる花姿が目に浮かぶ。
どういう花壇にしたらいいのか、構想中。
今朝、とりあえずデルフィニゥムを地植えした。バラ花壇に青ののっぽな花が生える場所に。

この秋は、テッポウムシ(カミキリムシの幼虫)の初被害を経験しました。今のところ8本も!

アブラハムダービー
スーベニールアンネフラナク2本
デリラ
ゴールドバニー
ナエマ
パレード
ニュードン

最初は気分が落ち込んで、どうしよう、状態だったのですが、ブログのバラ育て先輩のファイトのアドバイスに、今は立ち直れました。
殺虫剤の効果ありなのか、新しい木屑が出なくなりました。

■今朝のバラ
①ピンクシリーズ

芳純


クイーンエリザベス


ナエマ


コティヨン


プリンセスアイコ



②紫系です。この春に初対面だったのですが、もっと大輪で感動しました。

シャルルドゴール


シャルルドゴールの蕾


③ブルゴニューワインの色合いからきたネーミングです。

バーガンジーアイスバーグ









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テレビドラマ「夏目漱石の妻」を見ている。追記あり

2016-10-10 06:21:18 | 映画・テレビドラマ・音楽
録画で。

漱石の妻は悪妻だった、と遠い昔から(学生時代から)、ぼんやりとインプットされたまま、今日に至ったいました。
ちょっと、興味があったので、録画予約しておきました。

私の読書は、漱石からスタートしたといってもよいくらい、なので、当然漱石の世界側からの文豪の妻のままでした。
今回のドラマは、妻に焦点をあてて、というか妻にも妻の言い分がある(当たり前です)、という描き方がなされているので、回が進むにしたがって、面白くなりました。

脚本家が書く人物像ですから、説得力に欠けわけにはいかないわけで、見ていて納得というか、私、誘導されています。よい視聴者です。ハイ

何不自由なく育った鏡子が、切り詰めた生活をしているところへ、富から見放された父親が、借金の連帯保証人を金之助に頼みたいとやってくるシーン。

「私は、お父様に何不自由なく豊かなに育ててもらったから、今度は私がお父様をそのようにしてさしあげたいのですが、うちにはとてもそのような余裕はありません」と断る。

金之助を育てた養父が、小説が評判になった金之助に、まとわりつくようになり、ついには大金を用立ててくれるようにやってくるようになる。
これからも、こんなことが続くとかなわないと思った鏡子は、雨の中、金之助に追い返された義父を追いかける。有り金を渡して「養子縁組を解消した後も不義理をしません」と綴った証文を取り返してくる。
そんな妻に、自分にとっては父親であり、縁者の少ない自分にとっては大事だったと、、、。

齟齬。気持ちの行き違い。

妻が悪妻だ、という風評をたてたのも、ロンドン留学中、部屋に閉じこもるようになり、精神的に参っているころに、留学仲間らに流した話とか。文部省からの経過報告の要請にも、白紙の書面を送付するほどに精神の混乱状態だったらしい。

な~んだ。

たまったもんじゃない。

幻覚が見えたりするほど病んでいた金之助も苦しかったのでしょうけれど。

文豪と比べると凡庸かもしれないけれど、鏡子さんのほうが筋が通っているじゃない、なんて、ひとりリビングで鑑賞しています。


それでも、漱石の小説群を次々と読み継いでいた時の自分、自我について、個人主義、自分本位、則天去私、ってことばに惹きつかれた青年期だったことは事実なんです。

脚本家は誰なのでしょう。きっと、私より、若い世代のひと、なのでしょう。
あなたも、漱石の本、相当読んだんでしょうね、と、語りかけたい気分が、少しある。←実現しないけど。アッハハ

■追記
脚本は池端俊策さんとのこと。初めて聞く名前。というか有名なのかもしれないけれど、私は知らなかった。
妻鏡子さんの人間味ある個性がしっかり描かれていて面白かった。
「吾輩は猫である」にはくしゃみ先生夫婦として鏡子さんらしき人も登場するらしいけれど、未読。
青空文庫で読もうとしたけれど、しおりが挟めないので思案に暮れている。

私が読んだ漱石作品には、鏡子さんらしき人は出てこない。

「坊ちゃん」の中のばあやの清を、幼い時に鏡(きよ)と家族から呼ばれていた妻鏡子に重ねた人物像として登場させているのではと、脚本家池端さんはドラマの中の鏡子に言わせている。ふ~む、そうなのだろうか。





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雨の土曜日。

2016-10-08 08:46:35 | 庭 10月
朝7時ジャストに電話。
「雨のため、最寄りの保育園の運動会が延期になりました」と。
なんという律儀な。迷惑にならないように7時を待っておられたのだろうな、と役所の担当者に感心。

小止みになった庭を巡る。テッポウムシの被害チェックのためです。

プリンセスモナコが、雨粒を宿してきれいでした。
トップバッターで3種類購入したうちの1本です。








アメジストセージが満開です。
実は、フェンスを越えて南側アパートに越境しています。日当たりもいいので、そっちのほうが見事。
アパートの庭は、入居者が無関心なのか腰あたりまで成長した雑草がぼうぼう。
ということで、越境のアメジストセージはひとこと言われたら、越境部分を刈り取ろうと思っています。




クレマチスが一輪。春はあまりにも大きい花弁だったのですが、小ぶりになってgoodです。









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何度も話題にする「菜の花の沖」  追記(雑談)あり

2016-10-07 08:38:18 | 
ようやく読了。

海運の話なんて、自分の世界と無関係で興味が続くかしら、と思いながらスタートし、こんなにロースペースで読みつないで、途中でヤメにしてしまうのではないかしら、とも思い、でも、遅々として読みつなぎ、昨日で読了。

18世紀後半から19世紀の初めにかけての、江戸時代の一端を教えてもらいました。
司馬遼太郎さんが、菜の花が好き、というのは知っていました。
バラなどの貴族然とした花より、畑で目にする庶民の花だから好まれるのだろうな、と思っていました。表層的でした。

晩年の嘉兵衛が村人から、蝦夷地で何をしたと尋ねられて「この菜の花だ」と言ったという。


 菜の花はむかしのように村の自給自足のために植えられているのではなく、実を結べは六甲山麓の多くの細流の水で水車を動かしている搾油業者の手に売られ、そこで油になって、諸国に船で運ばれる。たとえば遠くエトロフ島の番小屋で夜なべ仕事の網繕いの手もとをも照らしている。その網でとれた魚が、肥料になって、この都志の畑に戻ってくる、わしはそういう廻り舞台の奈落にいたのだ、それだけだ、といった。


農本主義の江戸時代にあって、土地で食べていくことができないで海に生きざるを得なかった者たち、と自分の周りで働く者たちのことを言っている。彼はその海運の船頭として、幾多の役人と折衝し、頼られる存在、高田屋嘉兵衛という信頼を勝ち得ていく。
ゴローニン事件の余波で嘉兵衛はロシア戦艦に拿捕される。その1年足らずにも、敵将との間に信頼関係を築き、嘉兵衛の帰還、ゴローニン解放という外交交渉をやってのける。
高田屋の廻船は品質にごまかしがないと国内にあっても信頼厚く、またロシア船も「高田屋」の旗印の船には配慮してくれるようになる。が、それが幕府にとっては、ロシアと密貿易をしているとみなされ、所有する廻船すべてを没収されてしまったという。

鎖国を選択している幕府の価値観を文字を通して教えてもらいました。
自分の国が150年ほど前までは、こんな特異な制度で一貫していたのです。
外交不得意というのも、遺伝子に残っているのかもしれませんね。苦笑


■追加雑談■

幕府って、政権維持のためにどこにでも制約を設けていた、ということを知りました。
船の形、構造も、どれだけ改良したほうがよいとわかっていても、規制、規制、でかないません。
魚から作られた肥料が各地に出回るようになると、作物の収穫が格段に増しました。米作りのため、という名目を掲げて幕府も認めていたようですが、なにより綿花栽培による増産が人々の生活の質を上げるのに役立った、とのこと。
それまでは、上流層には絹布が流布していたけれど、木綿はふんだんにというわけではなく、庶民は麻などの植物の皮を織物の材料にしていた、と。木綿が容易に手に入るようになって、綿の入った布団も庶民の暮らしに浸透していった、なるほど、と。

北前船、という言葉は、日本史で聞いたことがあるでしょう。その北前船の日本海を北へ向かう荷には、古着が喜ばれた、という。古着とは京都人が来ていた絹布の女物和服が、山形や秋田の港に立ち寄ると、あっという間に買い手がついて、そのお金でコメを仕入れて、コメの生産ができない蝦夷に運ぶのです。ついでに書くと、蝦夷では米作をしていないから、そもそも藁がない。藁がないから、筵や、カマス、といった魚の肥料を入れるものもない。だから、藁製品も東北各地の港で仕入れなくてはならなかった。
私たちが育ったころは、日本海側は裏日本と堂々と表現されていたけれど、江戸期にあっては、日本海側のほうが商取引が多くて、だから豪商なども存在し、おのずと都の文化も根づいたりしたのです。…私はまだ、秋田、山形は行ったことがありません。そういう観点から、酒田、角館などを尋ねてみたいな~と。

いっぱい、書ききれないほど(当たり前。6巻にもなる長編ですから)知りました。
頭の中は、まだその余波の中にいます。
そんな、福祉とは程遠く、規制の多い身分社会にあっても、わかる人はいるし、わかる人を探り当てる嗅覚を備えている、というか、人を見る目、に行きつくのでしょうね。

その、司馬遼太郎が人物を書くときの、焦点の当て方がお気に入りなものだから、信奉者になっちゃうのでしょう。

いつの時代も、多少の違いはあるとしても、大勢で構成されていることは似たり寄ったり。その中で、自分はどういう人でありたいか、ということに行きつきます。

長電話する相手もいないので、文句を言わない、このブログが長電話の相手です。苦笑













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