詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(107)

2019-04-05 08:22:08 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
107 絶望の中で

彼をすっかり失った。 今は誰か別の
恋人の唇に彼の唇を 探し求める。
新しい恋人を 抱きしめるたびに、
これは前のあの 若者なのだと
自分に 言い聞かせる。

 「誰か別の/恋人の唇に彼の唇を 探し求める」というだけなら、誰にでも経験があるかもしれない。この絶望は、二連目で、こう言いなおされる。

恋人は言ったのだ。 こんな病んだ
汚れた愛から 自分を救いたいと。
汚れて恥知らずな 性の快楽から。
今ならばまだ 間に合うと。

 カヴァフィスは、彼を失ったことよりも、このことばに絶望したのではないだろうか。彼は、そのことばをほんとうに実行したのか。それともカヴァフィスから逃れるためにそう言っただけなのか。
 たぶん、後者だろう。
 性の好みは変えることはできないだろう。この詩を書いているカヴァフィスは「汚れて恥知らずな 性の快楽」のなかに、いまもいる。同じ快楽を体験した彼。彼だけが、それを捨て去ることができるとは思えない。もしかすると、カヴァフィスは、そういう彼を、いつか、どこかで見かけたかもしれない。
 それがカヴァフィスを絶望させる。

 池澤は、詩の構造(脚韻)について註釈しているが、実際にどういう韻なのか書かれていないので、「構造」があるらしいということしかわからない。




カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(106)

2019-04-04 08:47:02 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
106 古い本の中に

百年にもなろうかという古い本の中に、
頁と頁の間に忘れられて、
署名のない水彩画が一枚、入っていた。
力のある画家の手になるもので、
表題は、「愛の肖像」。

 この一連目を受けて、「愛の肖像」をカヴァフィスがことばで描き出す。それはいつものカヴァフィスの詩の繰り返しである。
 最後は、

世の道徳が恥知らずと見なす類の
寝台の上にこそ向いた理想の四肢。

 「恥知らず」が「理想」と言いなおされている。
 そういうことよりも私が面白く感じるのは、この詩の「書き方」である。本の間(ことばの間)から見つかった絵を、カヴァフィスはもう一度「ことば」で挟み込んでいる。カヴァフィスの詩が「百年前」の本のように、絵を挟み込んでいる。ことばとことばの間に、その肖像は隠される。
 いや、あらわしている、いや、それ以上だ。絵をことばで「明らか」にしているというのが詩の読み方かもしれないが、私はそうは読まない。
 カヴァフィスのことばのなかに閉じ込めることで、カヴァフィスは「肖像画」よりも、その本の持ち主のこころを思っている。「ことば」(本)の中に隠しておいて、ときどき本(ことば)を開いて、ひとりで楽しむ。

 池澤は、この詩に、

 一九二二年十二月に印刷された。

 とだけ註釈している。
 そうか、いまから「百年」にもなろうという昔の詩か、と思って読んでみようということか。その「百年」前に絵が本に閉じ込められた。カヴァフィスの詩を真ん中に、二つの「百年」が出会う。




カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

105 アンティオコス・エピファネスにむかって

2019-04-03 10:04:07 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
105 アンティオコス・エピファネスにむかって

マケドニア人が おおいなる戦いのさなかにあります。
もし彼らが勝ったなら-- 誰にせよのぞむ者に
わたしは珊瑚で作った 獅子と馬とパンの像を
粋をきわめた宮殿を ティロにある庭園を、つまりあなたに
頂いたすべてを与えましょう アンティオコス・エピファネス様》

 と、「アンティオキアのある若者が 王にむかって言う」。
 「もし彼らが勝ったなら」という仮定はこころをくすぐるが、同時に「負けるに違いない」という不安をまねきよせる。そして、そのことばにされなかったものが、まるでそれを期待していたかのように実現する。
 王は、

何も言わなかった。 立ち聞きする者が
外に漏らすかもしれない-- それに予想のとおり
彼らは間もなくピドナで 大敗北を喫したのだ。

 「予想のとおり」が肉体に突き刺さってくる。一連目の「珊瑚で作った 獅子と馬とパンの像」云々の豪華なことば、口にされたことばとは違うもの。そこに「真実」がある、という感じで。
 ひとはなぜ「予想」するのか、あるいは「予感」するか。そして、それはなぜ的中するのか。「歴史」と「予想(予感)」が重なる。つまり、「歴史」は繰り返す。知っていることしか、起きないのだ。
 つまり、カヴァフィスは「歴史」のなかに、彼自身の未来を「予感」するしかない詩人だったということだろう。

 池澤は、アンティオコス・エピファネスの「歴史」を註釈で書いているが、長いので省略する。




カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(104)

2019-04-02 08:02:52 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
104 アカイア同盟のために戦った人々

勇敢に戦ってけだかい死をむかえた人々よ、
常勝の軍を前にしてなお恐れを知らぬ男たちよ。
敗北の責と諸君にではなくディアイオスとクリトラオスにある。
ギリシャびとは誇りを口にせんとする時、諸君について
《かかる男らをわが民は産した》と言うのだ。
このような讃辞の高みに諸君はある。--

 池澤の註釈。

 ギリシャ古典文学において碑銘は大きな要素を占め、その盛観はギリシャ詩華集などに見ることができるが、これはカヴァフィスによる模作。

 この作品に限らず、カヴァフィスの「墓碑銘」はみな「模作」だろう。模作することでカヴァフィスは、何を引き継ごうとしたのか。

《かかる男らをわが民は産した》

 これは引用を意味しているのだと思う。引用することで、カヴァフィスはギリシャ語の文体を引き継いでいる。カヴァフィスはシェイクスピアのように、ひとびとの「慣用句」を引用する。そうすることで「ひとびと」になる。
 原文がどういうものか知らないし、読んでもわからないのだが、《かかる男らをわが民は産した》の「産した」という訳語はとても強い。日本語でも墓碑銘を書くときは、「和語」ではなく「漢語」の響きがあることばを選ぶだろうなあ、と思う。「古典」へ帰る。そうすることで自分たちが何者であるかを確かめる。ことばには、そういうことを支えてくれる力がある。「文体」にも。

 余談だが、きのう発表になった新元号「令和(れいわ)」は奇妙な「日本語」だ。万葉集から取ったというが、その文章の「原典」は中国の古典を踏まえているとも言われている。
 奇妙と感じるのは「ら行」からはじまるからだ。私の耳は、どうもついていけない。せめて「りょうわ」なら読みやすいし、聞きやすいと思う。「音感」というのはひとによって違うから、何とも言えないが。
 池澤の訳の「産した」は「産んだ」でも意味は同じだが「さんした」の方が響きが言い。耳の中に、ことばがすっと立つ感じがする。







カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(101)

2019-04-01 08:40:34 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
101 芸術に託した

わたしは坐って夢想する。  欲望と感覚を
わたしは芸術に託した。  ほのみえるもの、
いくつかの顔や線、 成就しなかった恋の
ふたしかな記憶、 それをあずけた。
美しい形を造るすべを 芸術は知っている。
ほとんど気付かぬうちに 人生を完成し
印象をむすびあわせ 日々をつなぐすべを。

 「いくつかの顔」と書くとき、カヴァフィスは「ひとり」のいくつかの表情を思い描いているのか。それとも複数の顔を思い描いているのか。複数であっても「ひとり」ということになるかもしれない。「理想」の顔である。「芸術」になった顔である。
 「ほのみえる」「成就しなかった」「ふたしか」という「不完全」なものが、「むすびあわ」され、「つな」がれる。そうすると「美しい形」になる。
 逆に言えば、「成就した恋」「たしかな記憶」はそこで完結し、芸術にはならない。芸術にする必要はない。
 だから「美しい形」は自然に生まれるのではなく、造られるのだと言える。「美しい形」に「する」のだ。この「する」を名詞にすると「すべ」になる。そして、この「すべ」のなかを動いているのは「欲望と感覚」である。「すべ」をもう一度動詞に戻すと「夢想する」になる。「欲望と感覚」が「夢想する」。
 一行目に書かれたことを、つぎつぎに言いなおすことで広がっていく詩である。
 このことをさらに逆に読めば、芸術の「美しさ」にふれたとき、ひとは、その結び目をほど、つなぎあわされたものをほどき、ほどかれていくもののなかになつかしい恋の日々を見ることができるということになる。あ、この線、この色、この感覚、そこからはじまる欲望--それを知っている、と思い出すのだ。

 池澤は、

 芸術が人生を完成するという考えかたはいかにもこの詩人にふさわしく、また彼の時代にもふさわしい。

 と書いている。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(103)

2019-03-31 09:50:17 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
103  葡萄酒鉢の職人

 職人が葡萄酒鉢をつくっている。真ん中に美しい若者を描いている。

裸体の、エロティックな 一方の足をまだ
水に入れたままの姿-- 記憶よ、お願いだ
手を貸してくれ。 私が愛した若者の
あの顔をそのまま よみがえらせてくれ。

 「裸体」を「エロティック」と言い直し、さらにそれを「一方の足をまだ/水に入れたままの姿」と言いなおす。主人公の職人は、若者が水からあがる瞬間を見ている。水の中にいたときは見えなかったものが、いまは見える。そのために一瞬、顔から目がそれたかもしれない。顔よりも、その瞬間を職人は覚えている。そういう「動き」が見える。
 このあと詩は、こう展開する。

これは困難なことだ。 それというのも
彼がいなくなってから もう十年になるのだから、
マグネシアの敗北に 一兵卒として倒れてから。

 ここにも不思議な動きがある。もし若者が戦死していなかったら、職人は若者を思い出したか。戦死したからこそ、若いときの姿のまま記憶に残っている。
 ここには何か「裏切り」のようなものがある。
 ほんとうに愛していたのなら十年たっても忘れないだろう。思い出せないのは十年の月日のせいだけではないと感じさせる。
 池澤は、「マグネシアの敗北」に関係づけて、こう註釈している。

 前一九〇年、セレウコス朝シリアがローマに敗れた戦い。(略)この詩が扱っているのはしたがって前一八〇年頃になり、(略)

 十年前の恋人の顔を思い出せないというだけなら「現代」を舞台にしてもいいのに、わざわざ紀元前を舞台にしている。
 想像力を二重に動かしている。
 歴史の事実を思い、それから十年後にそのことを思い出すという二重性。この「二重性」が水から上がる姿(足)を覚えているのに、顔を思い出せないという「分離」、記憶の不思議な二重性を刺戟する。「現代」を舞台にすると、二重性の「メタ」の感じが薄くなる。
 カヴァフィスはメタ構造の中でことばと感情を交錯させる。そのとき、ことばが感情になるのか、感情がことばになるのか。




カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(102) 

2019-03-30 10:26:17 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
102  高名な哲学者の学校から

 若者が哲学にあきて政界に入る。つまらない。キリスト教徒にもなってみた。でも、つづかない。両親から「小遣い」ももらえなくなった。そこでアレクサンドリアの快楽の巣窟の常連になった。

この分野では彼は実に幸運だった。
彼はぬきんでた美貌にめぐまれていたから、
この神々の贈り物をおおいに楽しんだ。

少なくともまだ十年は
彼の美しさは変らないだろう。その後は--
若いときのようにまたサッカスのもとへ行こう。
もしもその間に老哲学者が死んでしまっていれば
別の哲学者かソフィストのところでもいい。
しかるべき師はかならずみつかるはずだ。

 快楽の追求(快楽への耽溺?)と哲学が同じ比重で語られている。これはカヴァフィスの思想なのだろう。
 おもしろいのは「しかるべき師はかならずみつかるはずだ。」という一行。
 ここでの「師」は「哲学者」あるいは「ソフィスト」を指すのだろうが、私はほかのことも考えてしまった。
 この若者が快楽の巣窟の常連になったのも「師」がいたのではないか。政界入りしたのも、キリスト教徒になったのも「師」がいたのではないか。
 「師」をあてにするという「習性(くせ)」があるのだろう。それは両親から「小遣い」をもらうというところにも反映している。かれはいつも自分以外の何かを「あて」にしている。
 池澤は、

最も注目すべきはこの詩の舞台が三世紀のアレクサンドリアに置かれている点で、少し見かたを変えればこの町の方が主役とも考えられる。(略)禁欲から荒淫までの幅広い帯域をひろげた都市の像を我々は見るのだ。

 と書いている。すべての「師」がいたということだろう。都市そのものが「師」であった、ということだ。




カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(100)

2019-03-29 00:00:00 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
100  デマラトス

 スパルタの王・デマラトスは王座を奪われペルシャにつかえた。ペルシャがギリシャを攻めたとき同行したが、ペルシャは敗れた。そのときの思いを書いている。ただし、カヴァフィスはそれを「心理」とは書かずに、

デマラトスの性格という主題--

 と「性格」と定義している。
 ギリシャの勝利、ペルシャの敗北を目にした最終蓮。

さまざまな思慮と用心を重ね、ために
デマラトスの日々は懊悩に満ちた。
さまざまな思慮と用心を重ね、ために
デマラトスには一瞬の喜びもなかった。
だからその時に彼が感じたものも喜びではない、
(違うのだ、彼は決して喜びとは認めまい
なぜ喜びなのか? 彼の不運は限りないのに)、
勝利を得るのがギリシャ勢の方であることが
次第に明らかになったその時でさえ。

 喜んでいいのか、喜んではいけないのか。この問題を「性格」と呼んでいる。たしかにここから「性格」が生まれてくるのだろう。
 しかし、そういうことよりも不思議なのは「喜びではない」「喜びとは認めまい」と否定のことばが重なると、逆に「喜び」のこころが浮かび上がってくる。「さまざまな思慮と用心を重ね、ために」の繰り返し、特に「ために」という「論理」の繰り返しが、おさえてもおさえてもおさえきれない「本能」があることを教えてくれる。
 こころはいつでもこころを裏切る。「意志」を「本心」が裏切るといえばいいのか。そして、そう読むとき、これはカヴァフィスの恋そのものに通じるこころと読むことができる。「理性」では何をしなければいけないのかわかっているのに、「本能」はそれを裏切り続ける。

 池澤は、こう書いている。

ギリシャは捨てたとは言え祖国であり、ギリシャ側の勝利に対する心理的反応は微妙だった筈で、この詩の最後の部分はいわば深層心理の喜びを示唆している。





カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(99)

2019-03-28 08:39:05 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
99 コマゲネの詩人イアソン・クレアンドルーの憂鬱 紀元五九五年

身体と要望が老いてゆくのは
恐しい短剣の傷のようなもの。
わたしは決してあきらめはしない。
詩の技法よ、おまえにこそ頼ろう。
おまえは言葉と想像という薬物について詳しく、
苦痛を鎮めてくれるから。

 「老い」は「短剣」と言いなおされ、「傷」に対して「薬物」が対比される。この「薬物」という訳語に私は驚いた。現代では「薬物」も身体をなおすというよりも、身体をむしばむという印象がある。「ドラッグ」(毒物)を思い出させる。
 池澤は、どういう意味でつかったのだろうか。
 「苦痛」には肉体的なものと精神的なものがある。「短剣」がひきおこすものは肉体的な苦痛だと思うが、「恐しい短剣」の場合には精神的な意味も含まれているかもしれない。
 なぜ「老い」が「恐しい」のか。身体と容貌をむしみ、精神に響く。
 「恋」を媒介させたらわかりやすくなる。老いた容貌は恋にふさわしくない。相手にされない。そのとき「傷」ついてゆくのは肉体ではなく、精神だ。
 精神を紛らわせるには、たしかに「ドラッグ(薬物)」がいいのかもしれない。
 この「薬物」が「技法」の言い直しであるのは、なんとも不気味だが、カヴァフィスは古典の「技法」に触れながら、「毒」を自分のものにしたということかもしれない。
 それでは、このとき「詩」が救うのは、詩人の「傷」だけか。そうではない。詩を読んだひと(老人)は、やはり、その「ドラッグ」に間接的に麻痺させられることになるのだろう。そして「技法」に酔う読者は、そのとき老い始めているというこことになるかもしれない。「技法」を駆使するカヴァフィスも。
 二連目「薬物」は「薬」と翻訳し直される。

恐しい短剣の傷のようなもの。
薬をもたらせ、詩の技法よ、
しばらくの間は傷のことを忘れていたい。

 「薬物」から「薬」への変更について、池澤の註釈はない。ただこう書いている。

主人公の詩人は架空の人物であり、老醜と詩による救済を扱う点ではたとえば38「稀有のこと」などを思わせる。




カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(98)

2019-03-27 08:45:33 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
98 アレクサンドロス・バラスの寵児

戦車の輻が折れたからあのつまらぬ競走で
勝てなかったなどと言うつもりは毛頭ない。
今宵は良い葡萄酒と美しい薔薇のさなかに
過すとしよう。アンティオキアはわたしのものだ。
わたしは町で最ももてはやされる若者。
わたしはバラスの弱み、彼の寵愛の的。
明日、みんなは競走が公正でなかったと言うだろう。
(もしもわたしが無粋にもひそかにそう言いはれば、
あの追従屋どもは片輪の戦車を一位にもしたはずだ)。

 「言う」が三回出てくる。この変化がおもしろい。「言うつもりはない」。だが、だれかが忖度(?)して「言うだろう」。そのあとに「ひそかに言いはれば」がやってくる。「わたし」は、公には言わない。けれど「ひそかに」言う。そうすると、まわりの人間が「公に」言う。「ひそかに」だから、いつでも「そんなことは言っていない」と言い張ることができる。「公に」した人間が、「〇〇がそう言っていた」と秘密を言うわけにはいかない。そういうことを、この詩の主人公は知っている。
 池澤は、

 君主の寵愛を受けた若者が、それゆえに集まる連中の阿諛をむしろシニックに受け流している。

 と書いているが、「受け流している」かどうかは疑問だ。むしろ巧みに利用することを知っている。そして、それを楽しんでいるように見える。
 この若者は「戦車の輻が折れたからあのつまらぬ競走で/勝てなかった」とは言わない。絶対に言わない。けれど「戦車の輻が折れたからあのつまらぬ競走で/勝てなかったなどと言うつもりは毛頭ない」とは言うのだ。これが「ひそかに」のほんとうの意味だ。「否定形」をつかって他人を動かすことを知っている。
 「わたしはバラスの弱み、彼の寵愛の的」と言うとき、主人公は「バラスはわたしのもの」と言っていることになる。「わたし」が何も言わなくても、バラスが「戦車の輻が折れた」と一言言えば、それがすべてを動かすということも知っている。そして「ことば」は「声」に出さなくても、ひとには聞こえるものである。
 カヴァフィスは「声」に出されなかった「声」を聞き取り、ことばにできる耳を持っている。







カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(97)

2019-03-26 00:00:00 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
97 そのはじまり

彼らは、法にそむく快楽を味わった
寝台から起きあがると、
口もきかずに手早く衣服を身につける。
別々にこっそりとその家の外へ出て、
それぞれになんとなく不安な顔で道を急ぐ。
少し前にいかなる類の寝台に横になっていたか、
道ゆく人々にわかってしまうのを恐れるように。

 一連目の全行だが、その最後の二行が強い。「いかなる類の寝台」は「法にそむく快楽を味わった/寝台」のことだが、問題は「寝台」ではない。「法にそむく快楽を味わった」である。
 でも、ここから先を区別するのはむずかしい。
 「法にそむく」と「快楽」、どちらがより問題なのか。「道ゆく人々」に「わかる」と困るのはどちらなのだろうか。客観的には「法にそむく」ということになるかもしれない。わかってしまえば法に問われる。でも、そうではなく「快楽」の方に重心があるように思える。
 「法にそむいた」も表情というか、肉体に出るかもしれないが、「快楽を味わった」の方が肉体の表に出てくるのではないだろうか。まず「快楽を味わった」が外に出てきて、それからその「快楽」のあり方を問われる。ひとは「法」をくぐりぬけられるが、「快楽」からは逃れられない。

 二連目。

しかし、芸術家の人生はそれでなにかを得た。
明日、明後日、何年もたってから、彼は力強い
詩行をつづるが、そのはじまりはここにあった。

 池澤は、

一つの体験を描写した上で、それがいずれ詩に昇華することを示唆しつつ、この過程が詩になっている。とすると、ここに言う「力強い詩行」はこの作品自身ではないということになるか。円環的なからくりがおもしろい。

 と書いている。
 私は先に書いたように、一連目の終わりの二行は強いと思う。もう、その強い詩ははじまっている。







カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(96)

2019-03-25 13:53:14 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
96 亡命したビザンティンの一貴紳が詩を作る

 散文的なタイトルの詩の最後も散文的だ。

神話を材に取り、ヘルメスやアポローン、
ディオニュソスや、テッサリアと
ペロポネソスの英雄たちを相手に楽しむ。
わたしは厳密きわまる強弱格を構築するが、
--はっきり申せば--コンスタンティノポリスの
学者どもはこの構築法を知らぬ。
この厳密さがおそらく彼らの不興を買った理由であろう。

 「学者どもはこの構築法を知らぬ。」がおもしろい。カヴァフィスは彼の詩をささえている「厳密きわまる」ことばの「構築法」が学者に理解されないと間接的に言っているのかもしれない。そのとき、「構築法」ではなく「厳密さ」に焦点を当て直しているところが特におもしろい。学者は「構築法」は知っている。でも、それを「厳密に」つくることはできない。大切なのは「構築法」ではなく「厳密さ」なのだ。「構築法」は学ぶことができる。しかし、それを「厳密」に動かすというのは簡単には学べない。力量のさが「厳密さ」にあらわれる。

 池澤の詩の主人公についての註釈。

 これは架空の人物とするか否か、判断は微妙である。つまり、彼を東ローマ帝国の皇帝ミカエル七世と見ることは不可能ではなく、あるいはミカエル七世に触発された架空の人物とする方が自然ともとれる。

 後者はそのままカヴァフィスということになるし、ミカエル七世であったとしてもミカエル七世自身が詩を書いているわけではないから、その場合も後者になる。








カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(95)

2019-03-24 10:34:38 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
95 アンナ・コムネナ

 カヴァフィスの詩のおもしろさは、言いなおしと繰り返しにある。

しかし、真相を言えば、この権力欲の強い女性は
一つしか重要な悲しみを知らぬように思われる。
(自分では認めなくとも)この高慢なギリシャ女は
ただ一つの焼けつく苦しみしか知らなかった。
すなわち、狡知の限りをつくして
帝位を手中に収めんとしたのに、あと僅かのところで
厚顔なイオアニスに取りかえされてしまったこと。

 「権力欲の強い女性」は「高慢なギリシャ女」と言いなおされ、「一つしか重要な悲しみを知らぬように思われ」は「一つの焼けつく苦しみしか知らなかった」と言いなおされる。そして、この繰り返しを経ることで「ように思われる」ということばは消え、断定に変わる。
 ことばは繰り返すと、それがどんなことであっても「事実」になる。こころにとっての「真実」と言った方がいいのかもしれないが、ことばは共有されるものだから「事実」の方が正しいだろう。
 この不思議な魔術を、カヴァフィスは「音楽」の力を借りて実現する。
 「重要な悲しみ」が「焼けつく苦しみ」になったあと、「帝位を手中に収めんとしたのに、あと僅かのところで/厚顔なイオアニスに取りかえされてしまったこと」とことばが変化するとき、それはアンナ・コムネナの心理描写というよりも、読んでいる私のこころに変わる。アンナ・コムネナもイオアニスに知らないのに、怒りと憎しみが肉体の奥から沸き起こってくる。「あの厚顔なやつめ」「ああ、くやしい」。そういう「声」が自分の肉体の中から沸き上がってくる。

 池澤は、こう書いている。

ギボンは彼女について「紫衣の位に在りながら修辞学や哲学などの造詣が深かった」と書いている(『ローマ帝国衰亡史』第五三章)。

 私は歴史に対する感覚がおかしいのかもしれないが、カヴァフィスの詩を読んだあと、ギボンへと読み進み、アンナ・コネムナがどういう人間か知りたいとは思わない。この詩で充分だ。むしろアンナ・コネムナを離れ、権力指向の強い女、さらには権力指向しかできない男の精神へと、いま、ここにいる「人間」へと目が動いていく。








カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(94)

2019-03-23 08:48:51 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
94 ダレイオス

詩人フェルナジスが、執筆中の叙事詩の
ある重要な部分に心を砕いている。

 「ダイオレスが/いかにペルシャ帝国を継承したか」。そのことを書こうとしている。池澤の註釈によれば「詩人フェルナジス」は架空の人物。「ダイオレスが/抱いたに違いない感情を分析せねばならぬ。」

おそらくは慢心、そして陶酔--いや、むしろ
偉大なるものの空しさを見てとったのではないか。
詩人はこの問題を深く考える。

 だが、戦争が起こって詩作は中断。そして、最終蓮。

さりながら、この衝撃と困惑の中で、
詩に関わる思いはそれでも去来する--
慢心と陶酔、それだったに違いない。
ダイオレスが感じとったのは慢心と陶酔だったのだ。

 「慢心と陶酔」が繰り返される。この繰り返しを読むと、「慢心と陶酔」はふたつのものではなく、ふたつでひとつという感じがする。いや、「慢心は陶酔」「陶酔は慢心」とイコールで結ばれ、ひとつになっているように感じられる。結合のなかにセックスの「愉悦」の響きがある。ギリシャ語ではどういう「音」なのかわからないが。
 「去来する」ということばがあるが、「慢心と陶酔」は、それこそ「去来する」のだろう。去ったと思えばまたやってくる。やってきたと思えばまた去っていく。その行き来さえ「愉悦」だ。
 散文だとこういう繰り返しは「うるさい」が、詩の場合は「聴く悦び」を与えてくれる。カヴァフィスは、繰り返しの音楽が得意だ。モーツァルトのように。

 池澤の註釈。

 政治のみにかかわった偉大な君主の心を詩人が推量する。彼はこれが哲学を要する問題だと考えている。

 たしかに「哲学を要する問題だ」ということばは出てくるが、どうだろうか。「君主」も虚構のための素材ではないのか。誰にでも「慢心と陶酔」はある。カヴァフィスが目を向けているのは、人間に共通する愉悦だと私は思う。







カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(93)

2019-03-22 09:18:03 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」

93 翳が訪れる

一本の蝋燭で充分。  ほのかな光こそ
よほどふさわしい、 ずっと好ましい、
愛が翳となって、 訪れる時には。

一本の蝋燭で充分。  今宵この部屋に
明りは多くいらない。  夢想のさなか
想いえがくところ、 ほんの少しの光--
この夢想のさなか、 幻のうちに
愛が翳となって、 見える時には。

 短い詩だが、そのなかに同じことばが何度も出てくる。この繰り返しはモーツァルトの曲のように酔いを引き起こす。そのために、この詩の「意味」を忘れてしまいそうだ。
 「愛が翳となって訪れる」というのは、愛が弱まっていく、ということだろう。「意味」としては否定的なものである。しかし、この詩で展開されるリズムは、まるで快感である。
 悲しみが快感にかわる、悲しみがひとを酔わせるのは、それが「思い出」であるときだ。
 この詩は「回想(追憶)」の形をとっていない。むしろ、これから起こることのように読める。
 しかし、そのリズムは追憶のリズムだ。追憶は、一回ではおわらない。繰り返し繰り返し、繰り返すことで形を整える。そういう追憶の「動き」そのものが詩のリズムに乗り移っている。

 この詩の原形はどうなっているのかわからないが、句点のあとの二字あき、読点のあとの一字あきの表記が、私には「耳障り」である。「音」が寸断される。そこに「沈黙の音」があるのかもしれないが、追憶というのは「間」を消すものである。十年前も、きのうも、そして一時間前も、すぐに「肉体」のそばにやってきて、肉体をわしづかみにする。

 池澤は、註釈でカヴァフヘスの声について言及している。

生前の詩人を知っていた人々の話によれば、彼はたいへん良い声をしていて、朗読もきわめて上手だったという。

 私は、好きな詩は、朗読では聞きたくない。ことばのもっているリズムと、声の持っているリズムが、どうもあわない。黙読の時に、肉体の奥で動く音楽が私は好きだ。

カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする