「現代日本女性詩人85」高橋順子編著
最後の3行がなくても、この作品は、書かれている事実の重さで私を圧倒する。しかし、最後の3行がなければ、私は圧倒されたまま、とてもつらい気持ちになる。8月6日にこの市を読み返すことはしないだろう。
最後の3行は、それまでの散文体のことばから転調し、祈りにかわる。栗原はここでは事実の目撃者ではなく、「産婆」そのものになりかわり、産婆の気持ちを語っている。自己を捨て、産婆と同化している。おそらく、その場にいあわせた人々全員がそうであろう。祈りの中で、人間は一体になる。
この祈りの力のなかに、私はのみこまれていく。
事実の描写から祈りへの転調――そこに「詩」がある。
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生ましめんかな 栗原貞子
こわれたビルディングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者達は
ローソク一本ない地下室を
うずめていっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女が
産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりでどうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と云ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で新しい命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
最後の3行がなくても、この作品は、書かれている事実の重さで私を圧倒する。しかし、最後の3行がなければ、私は圧倒されたまま、とてもつらい気持ちになる。8月6日にこの市を読み返すことはしないだろう。
最後の3行は、それまでの散文体のことばから転調し、祈りにかわる。栗原はここでは事実の目撃者ではなく、「産婆」そのものになりかわり、産婆の気持ちを語っている。自己を捨て、産婆と同化している。おそらく、その場にいあわせた人々全員がそうであろう。祈りの中で、人間は一体になる。
この祈りの力のなかに、私はのみこまれていく。
事実の描写から祈りへの転調――そこに「詩」がある。
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