詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

スティーブ・マックイーン監督「占領都市」

2025-01-03 20:14:27 | 映画

スティーブ・マックイーン監督「占領都市」(★★★★★)(2025年01月02日、キノシネマ天神、スクリーン2)

監督 スティーブ・マックイーン 原作・脚本 ビアンカ・スティグター 撮影 レナート・ヒレヘ ナレーション メラニー・ハイアムズ

 これが映画か、と質問されたら、「映画ではないかもしれないが、映画にしたい」と私は答えると思う。役者は出てこない。カメラも、ふつうの映画のように演技をしない。演技することを拒んでいる。ナレーションも感情を刺戟しない。
 映画の舞台はアムステルダム。かつてナチスが占領し、多くのユダヤ人を殺害し、またアウシュビッツへ強制移送した。そのナチス占領時代にユダヤ人が住んでいた場所(生活していた場所)が、いまどうなっているかを映し出す。名称がかわったところもあるが、そのままのところもある。なくなった施設もあるが、そのままのものもある。そして、そこに住んでいたユダヤ人はどういうひとだったかを、たんたんと語る。
 印象的なことばがある。「消滅した(なくなった)」。英語で何といったか。字幕ではどうだったか。正確には覚えていないが、そういうことばがその場所、そこに住んでいたひとを紹介したあとに、繰り返される。
 生きていたひとがいない。かつて書店だったところが書店ではなくなっている。しかし、それを思い出すことができる。思い出すだけではなく、そこから何ごとかを考えることができる。そして、それはただたんに「できる」ではなく、「しなければならない」ことである。思い出し、考えるとき、消滅したもの(なくなったもの)は、はっきりとそこに存在し続けることができる。それは消滅した(なくなった)のではなく、消滅「させられた」、無に「された」のである。そのことも思い出さ「なければならない」し、考えなければ「ならない」。
  椅子に座ってみつめているだけでは、何も起きない。スクリーンをみつめ、そこに映し出されていないひと、もの、ことを、思い出し、考えるとき、それは「映画になる」。私の知らないひとが、動き始める。「映っていない何か」が見えてくる、そういう映画である。
 その「新しく見えてきた何か」が、あまりに多くて、何を見たか、語ることがむずかしい。いままで見ようとして見えなかったもの、それを見せてくれるのが映画だとすれば、これこそ、まさに映画である。
 それにしても不思議だ。
 ナチスがアムステルダムを占領していたときから、まだ百年もたっていない。それなのに、この映画を見始めた瞬間には、ナチスが占領していたことがなかったかのようにさえ見えてしまう。この「錯覚」を、スティーブ・マックイーン監督は、しずかに、しかししっかりと揺さぶる。そして、最後には、アムステルダムの街が、一度も見たことがないものの姿であらわれてくる。「歴史」に目を向けさせる。「歴史」は、未来を考えるとき、より正確な形であらわれてくる。ひとの人生が百年と仮定して、その百年は「過去の百年」を見つめなおしつづけることでしか築いていくことができない。
 ラスト近くのシーン。路面電車(トラムというのだろうか)が走っていく。運転席から見える「前方」が映し出される。反転して、後ろ(進んできた方)が映し出される。横(左右)が映し出される。どちらかだけが電車の進んでいる方向を教えるわけではない。すべてが絡み合っている。「過去」は捨て去ることはできない。「いま」の「周辺」も捨て去ることはできない。「未来」へ進むためには、すべてを正確に認識ないといけない。そうしないと「脱線」してしまう。
 (まだ肉体の中に「興奮」が残っている。興奮が音を立てて騒いでいる。もう一度、ゆっくり感想を書き直さないといけない、とも思う。)

 

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池井昌樹「だいじょうぶよ」

2025-01-01 22:39:21 | 詩(雑誌・同人誌)

池井昌樹「だいじょうぶよ」(「森羅」50、2025年01月09日発行)

 池井昌樹「だいじょぶよ」は、新川和江に捧げた詩である。夢のなかで、新川の詩の「だいじょうぶよ」が形をかえてあらわれる。

だいじょぶか
そのささやきに
ゆめからさめた
ぢべただった
あおむけだった
まんしんあめにうたれていた
あめかなみだかわからなかった


 とはじまり、途中にこんな展開がある。

だいじょぶか
くもまからさすささやきが
ほねみにしみた
ほねもみもいつかくだけて
あとかたもなくくちはてて
おおきなふるいこかげのあとに
おおきなふるいこころがのこった

 「おおきなふるいこかげのあとに/おおきなふるいこころがのこった」というのは、木が元気だったときできていた「木陰」がいまはなく、その存在しない「木陰」のかわりに、「こころ」が生きている、というのとなのだが。
 私は「こかげ」ではなく「木」そのものが「こころ」に思えたのである。「木陰」とかいているけれど、それは「木」である。
 なぜそんなことを思うかというと、「こころ」というのは死なないものだからである。そして、その「こころ」がいつでも「木」を生み出すのである。「木」を存在させるのである。
 私は「こころ」というものなど、あるいは「精神」というものなど存在しないと思っている。しかし、「思い出す」という「運動」は存在しつづける。では、何が「思い出す」という行為を支えるのか(動かすのか)、それは目であるかもしれないし、手であるかもしれない。耳であるかもしれない。池井の場合、新川の詩を読んだときの目、あるいは新川の声を聞いたときの耳こそが、「こころ」ということになるだろう。目と耳が、新川のことばに触れて、新川を生き返られせている。
 あ、こんなふうにして詩はつづいていくのだ、と私は思った。
 先の引用の二行、「おおきなふるいこ」まで、音がいっしょということも、何か不思議な印象を引き起こす。漢字で「木陰」「心」と書いたときは「おおきなふるい」までがいっしょだが、そのあとは「ことば」はわかれてくが、ひらがなだと「こ」までしっかりつづている。そういうところにも、なにか、人間のふれあいの、詩のふれあいの不思議な美しさが感じられる。
 詩の最後にも、それに似た展開がある。

だれのこころか
こんなところに
こどもみたいに
めをふいた
ふたばがひとつ

 最初の部分の「なみだ」が「め」をとおって「ふたば」になるとき、池井と新川は詩のなかで「ひとつ」になっている。「双葉」は二枚あって「ひとつ」。こんなことは、説明してしまってはいけないことなのだけれど。

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇462)Obra, Joaquín Llorens

2025-01-01 21:24:09 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens

   

 ¿Cual era un trozo de hierro el que decía que quería ser flor?
 El día que el hombre murió, una flor floreció en el jardín. Abrió el puño y se mostró el secreto que había agarrado del suelo.
 "Quiero ser como esa flor", decía el hierro desechado en un rincón de la fábrica.
 ¿Qué clase de secreto, qué clase de universo se esconde dentro de ese hierro?
 Cuando un escultor recogió el hierro que su padre había dejado y lo armó, la sangre de su padre fluyó a través del hierro y algunos se convirtieron en tallos, otros en hojas y otros en pétalos.
 Flores del hierro. La historia de las flores y la historia del hierro. La historia familiar del hombre. La historia de la vida. La sangre de su familia siempre late en las obras creadas por las manos de Joaquín.

 花になりたい、と言ったのは、どの鉄の一片だったか。
 男が死んだ日、庭に一本の花が咲いた。土の中からつかんできた秘密を、拳を開くように広げて見せてくれた。
 その花のようになりたい、と工場の片隅に捨てられていた鉄が言った。
 どんな秘密、どんな宇宙が、その鉄のなかに隠れているのか。
 男が残していった鉄を集め、組み合わせるとき、その鉄の中に父の血が流れ、あるものは茎になり、あるものは葉になり、あるものは花びらになった。
 鉄のなかで開く花、花の歴史、鉄の歴史。男の家族の歴史。いのちの歴史。ホアキンの手がつくりだす作品には、いつも家族の血が脈打っている。

 

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こころは存在するか(44)

2025-01-01 15:17:43 | こころは存在するか

 2025年の読書初めはプラトン「饗宴」。
 ふたたび「中間」「なる」「出産/分娩」「時間」に傍線を引く。
 この世界に存在するものは何か。「運動」だけである。「運動」は「中間」においておこなわれる。存在と無の「中間」においておこなわれる。無から存在への「運動」だけがある。
 たとえば、私の読んだ「饗宴」、その「ことば」も実は存在しない。ソクラテスが語ったことばは、語った瞬間に消えた。プラトンが書き留めたことばも書いた瞬間に消えた。私が「饗宴」を読むときだけ、私といっしょに存在する。読みつづけ、考えつづけなければ、それは「無」である。読むことによって、ことばがことばに「なる」。それは、つまり「出産/分娩」ということである。だれかが再生産しつづける。そのとき「時間」もまた誕生する。

 アガトンのことばから、こんなことを思いついた。詩を定義して言ったことばではないが、詩を定義するのにつかえると思った。
 「詩とは、われわれが互いに他人であるという気持ちをなくし、互いに同類であるという気持ちで満たすものである。」

 

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