詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

トランプ演説から思うこと

2025-01-21 17:52:13 | 考える日記

 トランプの米大統領就任演説要旨を読んだ。(読売新聞、2025年1月21日夕刊、西部版・4版)。いろいろ言っているが、私がいちばん注目したのは、次の部分。

米国はパナマ運河の建設に多額の資金を費やし、人命を失った。パナマによって約束は破られ、米国の船舶はひどい過大請求を受けている。何よりも中国がパナマ運河を運営している。我々は中国ではなく、パナマに与えたのだ。我々はそれを取り戻す。

 これは、「領土拡張主義」である。
 「アメリカ」は、もともとヨーロッパから侵略したひとが、勝手に「建国」したものであり、もともと「拡張主義」の「強欲者」の国である。トランプは、メキシコ湾をアメリカ湾と解消することも主張しているが、いまでこそカリフォルニアやテキサス、フロリダは「アメリカ」だが、それはメキシコから戦争で奪い取ったものだ。テキサスの油田地帯がメキシコのままだったら、アメリカ経済は違ったものになっていただろう。(メキシコも、アメリカと同様、ヨーロッパから侵略してきたひとが力づくでつくったものだが。)
 なぜ、とりわけ「パナマ運河」に注目するのかというと。
 「アメリカ建国」はヨーロッパ人が西へ西へと進んできた結果、つくられた国である。最初は東海岸だけだったが、その「強欲主義者」はアメリカ大陸を横断し、西海岸まで「領土」にし、それだけでは満足せず、いま、それは太平洋を横断し、アジアにまで手を伸ばしている。
 日本はすでに、その支配下にあるし、台湾も「独立」という名目で支配下に置こうとしている。台湾を足場に中国大陸にまで「強欲主義(資本主義とも言う)」を侵略しようというのが狙いだろう。
 この西向きの「領土拡大」の背後では、東向きの「領土拡大」もあって、それはNATOの拡大という形で実現されてきた。トランプはNATO加盟国に軍事費の増大を要求しているが、これはアメリカの軍需産業に金を払えという「強欲主義」の主張である。その主張を隠すためにウクライナを刺戟し、ロシアと戦争をさせた、というのは私の見方だが……。ともかく、東からも西からも、アメリカの「強欲主義」を「自由主義」と言い換えて「侵略(領土拡大)を正当化しようというのが、トランプの狙いである。(バイデンも、この東西からの両挟みを推進していた。やはりアメリカの軍需産業によってコントロールされていたということだろう。)
 で、パナマ運河。
 トランプはすでに、東西両方向からの「強欲帝国」は完成されつつあると考えているのだろう。次は、南へ。南も「強欲主義」で支配すれば、アメリカは「世界帝国」になれる、ということだ。支配の矛先を南へ向けた。
 これは、象徴的な転換である。
 そして、ここでもトランプは「中国がパナマ運河を運営している。我々は中国ではなく、パナマに与えたのだ。我々はそれを取り戻す」と中国を引き合いに出しているのだが、何がなんでも中国を支配してしまおう、中国の影響力を最小限にして、つまり、できれば中国経済を中国国内に封じ込めてしまおうということだろう。
 ここで、私が思うのは、このアメリカの「強欲主義」に立ち向かい、それぞれの国が「独立」を守るためには、アメリカがまだ手を伸ばしていないアフリカの諸国とどうやって連携を築くかということだ。これが、たぶん、唯一の可能性だ。(そういうことを理解しているからこそ、中国は、アフリカの諸国と連携しようとしているように、私には思える。)
 ちょっと脱線したがというか、先走りすぎたが。
 「対南」政策について言えば。
 中南米の諸国は、すでに冷戦時代に、アメリカの政治によってさまざまな支配を受けている。だからこそ、トランプは、パナマを支配することは簡単だと思い、パナマ運河を取り戻すと言ったのだろう。かつての米政権がCIAと軍を利用しながら、南アメリカの政権を自由にあやつった記憶は、トランプにははっきり記憶されているだろう。
 「民主主義」と言えば、聞こえはいいが、冷戦時代に、アメリカが「民主主義を守る」という名目で、南アメリカ諸国で何をしてきたか、その歴史を振り返れば、これから何がおきるか予測できるだろう。
 パナマは「序の口」。中南米には、「親アメリカ」ではない国(政権)もある。そうした国への「工作」もこれから再びはじまるだろう。
 だからこそ。
 アフリカが問題になる。世界を自由で開かれてたものにするためには、まだアメリカが「強欲主義」の手を伸ばしていない地域・国民の活動が重要になる。いや、アメリカには、すでに「奴隷」としてアフリカのひとびとを搾取してきた時代があるのだが、だから、トランプはアフリカに関しては「みくびっている」のかもしれないが。

 ともかく。
 パナマ運河の行方が、今後の世界の行方の「指針」になる。私は、そう思った。


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杉惠美子「春兆す」ほか

2025-01-17 23:07:44 | 現代詩講座

杉惠美子「春兆す」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2025年01月06日)

 受講生の作品ほか。

春兆す  杉惠美子

新しい春に佇み
息をひそめて おさな児と手をつなぐ
一瞬の 未来を見つける

透明さの中に立ち
樹々の息づかいを聴く
一瞬の 呼吸の深さに出会う

早朝の心を歩かせ
通り過ぎる 君の声を聞く
一瞬の はるの渦に溺れる

桜木の影に佇み
朧月のほのかさに埋もれる
一瞬の 回想に包まれる

 起承転結の構造がしっかりした作品。一連目「おさな児」と「未来」、二連目「息づかい」と「呼吸の深さ」の呼応がとても自然。それが三連目で「君の声」と「はるの渦」へと変化する。タイトルには「春」と漢字をつかっているが、ここでは「はる」。そこに、ふしぎな官能性がある。「溺れる」がそれに拍車をかける。これを受けて、四連目で「埋もれる」「包まれる」ということばがつづく。その静かさ。
 「春兆す」。しかし、そのとき、もう二度と帰って来ない「春の記憶」もやってくる。よろこびと悲しみが交錯する。記憶は悲しければ悲しいほどいとおしいし、うれしければうれしいほど、逆にいまを悲しくさせもする。人間の思いとは、わがままなものである。
 こうした気持ちがあって「回想」ということばが選ばれているのだと思うが、この「回想」は、少し「答え」というか「結論」になりすぎてしまっているかもしれない。では、どんなことばがいいのかというと、なかなか思いつかないのだが、「回想」というあまりにも客観的なことばよりも、「かなしみ」(愛しみ)につうじるような感情的/主観的なことばでもいいような気がする。
 つまり、というのは変かもしれないが、私は、この詩を、いま、ここにいない人に対する「ラブレター」のように読みたい気になるのだ。

私人--杭に立つ葉  青柳俊哉  
 
木肌からとじられて離れていく 
自由な私人として 
地上のすべてから力を受けて
 
着地点を定めず飛ぶ
 
殯(もがり)をうつ漏刻の森 落ち葉の列が風に立つ
高くうず巻き さらさらと川へ流れる
 
わたしも水を駆ける 堰の杭にとまる
 
葦 かや吊り草 野鴨 
吊り橋で跳ねる青蛙 
過ぎていく他の木の国の葉たち 
 
出会うものたちが
杭に立つまっ新(さら)なわたしをことほぐ

 たとえば、ここに一本の杭がある。杭だから、それは生きている木ではないのだが、枯れている木なのだが、なぜか一枚だけ葉が残っていると思ってみる。そして、その最後の葉は、いまどこかへ行こうとしているのだと思ってみる。
 その葉から見たとき、世界はこんなふうに見えるかもしれない。
 その一枚の葉は、杭を離れながら、かつて木を離れたいくつもの葉に(仲間に)であう。また、その葉のまわりに存在する新しい世界も知る。
 そんな旅立ちを、世界が祝福している、と読んでみたい。


残された者  堤隆夫

年の瀬 残された者は 
どうやって 新年を迎えればいいのか

愛しい思いは 一片の冬の花びらに 
涙の想いの雫を託して 
こころのせせらぎに 流そう

なぜ なぜ いつも善き人が 
先に逝ってしまうのだろうか

あはれ わたしは 朽ちた花そのものでないまでも
あなたの花影だったのかもしれない

思い出があるから 生きられるのか
然らば 思い出の浮草に乗って 旅立とう

わたしは先を越されてしまった 
置いてけぼりにされてしまった

さようなら さようなら
万葉の鐘の音が聞こえてきた

 「思い出があるから 生きられるのか」という一行に、何を読み取るか。ひとそれぞれだろう。「楽しい思い出」があるから、いまがつらくても「生きられる」のか、「悲しい思い出」があるから、生きられるのか。つまり、私には悲しみ、苦しみにを乗り越える力があると実感できるから、生きられるのか。
 青柳の、「杭に残った一枚の葉」(と、読むのは私の「誤読」で、青柳はちがったことを意図しているかもしれないが)は、「わたしは先を越されてしまった/置いてけぼりにされてしまった」と感じたことがあったかどうかわからないが、この堤の詩のなかの「わたし」はそう感じている。そして、そのとき、もし堤の「わたし」が「葉」ではなく「花」だったとしたら、「わたしは 朽ちた花そのものでないまでも/あなたの花影だったのかもしれない」ということになる。「わたし」と「あなた」は、そんなふうに交錯する。
 あらゆる存在(人間)は個別性を生きているが、個別であるのに、どこかで交錯してしまう。
 ひとの感じていること、考えていることは、基本的に「私の問題」ではないのに、他人なのだからほっておいていいはずなのに、考えたり、感じたりしてしまう。時には、そのひと以上に真剣になってしまう。そして、ふしぎなことに、その瞬間、「私」というもの(枠)が消えて、なんだか豊かになる。
 そんな瞬間をもとめて、私は、詩を読んでいる。詩だけではなく、ことばを読んでいる。

柱時計  淵上毛銭

ぼくが
死んでからでも
十二時がきたら 十二
鳴るのかい
苦労するなあ
まあいいや
しっかり鳴って
おくれ

 「死」が登場するが、ちっとも「死んだ」気持ちにならない。ずーっと生きている感じがする。たぶん、この詩を読んでいるうちに、私は淵上にではなく、淵上が書いた「柱時計」になっているのだろうなあ。柱時計になって、淵上がいようがいまいが関係なく、時を知らせ続ける柱時計になって生きているということだろうなあ。そして、それはまた同時に、この柱時計という詩を書いた淵上になっているということでもある。
 「十二時がきたら 十二/鳴るのかい」という行の展開の仕方も、とてもおもしろい。散文では、こういう展開はしない。そうすると、ここにも、詩が動いていることになる。いわゆる「論理」の踏み外し、踏み外しながら別の「論理」(?)へ移行する。これを「別の論理と交錯する」と書き直せば、今回の「講座」のテーマが浮かび上がるかな? ちょっと、強引かな?

 


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吉田大八監督「敵」(★★★★)

2025-01-17 17:34:44 | 映画

吉田大八監督「敵」(★★★★)(Tjoy博多、スクリーン4、2025年01月17日

監督・脚本 吉田大八 出演 長塚京三、瀧内公美、河合優実

 主人公の年齢が何歳かわからないが、大学教授をやめたあとなので、かなりの高齢。妻が死んで一人暮らしだが、きちんと生活している。その生活が(あるいは、その見る世界が)徐々に変化していく。その変化の過程がなかなか見応えがあるのだが、それは冒頭から暗示されている。そのことに私はいちばん興味を持った。
 朝起きて、朝食をつくって食べる。最初の朝食は、鮭を焼いたものがメインである。この焼いている鮭をアップで見せる。そんなにアップにしなくても鮭とわかるのだが、「わかる」を超えて、鮭であることを主張する。言い換えると、鮭が「自己主張する」。これは、ほかの料理をする部分でも同じ。蕎麦をつくる。そのときの、湯掻いて、水で洗って、という手順、その蕎麦の形。あるいはネギを切るときの包丁、刻まれたネギ。料理番組(料理映画)ではないのだから、こんなにアップにする必要はない。でも、アップ。それは主人公が細部にこだわっているというよりも、細部の主張に押し切られているという感じ。この自分以外のもの、しかも、何かの細部に押し切られるという感じが少しずつ強くなっていく。細部の積み重ねが現実であるというよりも、細部が現実の統一感を破壊して、細部が全体になっていく感じ……。
 その結果、それまで主人公が知っている(統制、あるいは支配していると思っていた)世界が現実なのか、それともその統制を突き破ってあらわれた細部が現実なのか、徐々にわからなくなってくる。
 これを、女との関係に絞って(というわけではないが、中心に)突き動かしていくところが、すけべで、リアルでとてもいい。知っている(支配していると思っている)現実を突き破って動く女は、現実であって、現実ではない。想像、あるいは妄想なのだが、想像や妄想というのは、現実ではないからこそ、男を乗っ取ってしまう。男は、男の頭のなかにあらわれた女に、自在に動かされる。反論できない。女を制御できない。
 主人公を大学教授をやめた男にしたのも「効果的」だ。彼は、現実よりも、彼の頭のなかにある世界の方を「真実」だと思っている。それは日本の現実よりも、フランス文学、とくに演劇のなかにあらわれたものを「真実」と思っている姿の反映かもしれないのだが。
 このなかで、とくにおもしろかったのが、河合優実。「透明な不透明感」を生かして、男をだます。バーのマスターの姪で大学生という設定だが、ほんとうかどうかわからない。男をだまして金を引き出すと、バーのマスターといっしょに姿を消してしまうところをみると、偽学生だろう。これを巧みに演じていた。「あんのこと」「ナミビアの砂漠」は主演ででずっぱりだったから、見ていてちょっとめんどうくさくなったが、この映画のように、ふっとでてきて、「私は主演ではないから」とぱっと消えていく方が「ほんもの」という感じが強く残る。杉村春子が「わき」を演じたときの感じに通じるかもしれない。一瞬、「ほんとう」があればいい。男に「バタイユ」から攻め始めるといか、男を「バタイユ」を利用して釣り上げるところなんか、いいなあ。河合優実が演じる偽女子学生がバタイユの「青空」を理解しているかどうかはわからないが、(筒井康隆の小説が、そうなっているだけなのかもしれないが、原作がどうなっているかを忘れて河合優実を見てしまう。)、男はフランス文学専攻だから、もう「青空」だけで、その主人公になってしまう。性と死の世界、その中心のエロスにどっぷりつかってしまって、まあ、進んでおぼれていく感じになるのだが。だから、その後のプルースト、「失われた時を求めて」をめぐるやりとりなど、河合優実との会話というよりも、すでに男の「妄想」なのだが、ほんとうに「妄想」なのか、現実なのかわからないように、うまく撮っている(演じている)。それが現実か妄想かわからないのは、ちょっと最初にもどって言うと、ここでも河合優実がほとんど「アップ」だからである。「アップ」がリアル性を強調し、かってに動き出すのである。河合優実の「全体」が見えないが、だからこそ効果的なのである。
 「全体」ではなく「部分」に過ぎないのに、それが「全体」になっていく、というのは、「敵」の存在を知らせるメール、あるいは「双眼鏡」などによっても展開されていくのだが、この恐怖は、クライマックスで加速する。このクライマックスも男の家に局限された「アップ」であり、「全体」は描かれないのだが、そして、それがぱっと終わるのもとてもいい。
 最近、私が関心を持ってみた映画は、なぜか監督が脚本も書いている。この映画もそうなのだが、吉田大八のいいところは、「完璧な脚本だろう」という具合に、脚本が自己主張しないところだなあ。クライマックスのシーンなど、脚本で読めば「たわごと」の類だろうけれど、映像になると、いやあ、ほんとうに怖い。もっとも、この恐怖は、若い人にはわからないかもしれない。私が主人公に近い年齢だからかもしれない。そして、変な言い方だが、吉田大八は私より若いはずだが(「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を見たのが最初の映画なので、かってにそう思っているのだが)、まだ若いのに、老人の恐怖がわかるのかと驚きもした。

 

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こころは存在するか(46)

2025-01-12 23:29:06 | こころは存在するか

 大岡昇平「レイテ戦記」(全集9、筑摩書房)は、とてもむずかしい本である。知らない地名が出てくる。地図がつけられているのだが、地図を見てもわからないことが多い。たとえば、距離。何キロという具合に客観的に書かれているのだが、山の中と平野では違う。川や沼地では違う。肉体は、数字に向き合って動くのではなく、あくまでも地形、そしてそのときの条件に向き合って動く。その動きが、私には想像できない。さらに、それに海軍、空軍の動きが加わる。人間の動き(それがトラックにのったり、馬に乗ったりしていたとしても)、そのスピードと、海の上の船のスピード、空を飛ぶ飛行機のスピードが違うから、それを組み合わせて理解するのがむずかしい。
 以前見た映画「ダンケルク」(クリストファー・ノーラン監督)では、クライマックスの一日へ向かって陸、海、空が動くのだが、スピードが違うにもかかわらず、まるでそれが「一日」のできごとであるかのように巧みに語られていたが、現実は、そんな具合には動かない。だいたい、映画と違って小説は短い時間で終わらない。本を開いていれば、自然にページが動いていって、おわりがくるわけではない。自分でひとつひとつことばを追っていかないと、おわらない。
 そして、この「戦記」を読んでいると、当時の世界だけではなく、いまの世界も見えてきて、それがとてもおもしろい。
 こんなことばがある。(347ページ)

 一度廻りはじめた戦争の歯車は、その喚起したエネルギーを使い果たすまで廻り続けるヨーロッパと太平洋には、巨大な兵器と軍事物質が送られ続け、それはハワイ、オーストラリア、ニューギニアに蓄積されていた。戦争を続けなければ、アメリカ経済がひっくり返ってしまうのであった。日本突然降伏したら、一番困るのはルーズベルトであったろう。あくまでも定量砲撃で放談を浪費するのは、アメリカの軍需産業を円滑に進行さすために欠くことが出来なかったのである。

 これを、ウクライナとロシアの戦争に結びつけて私は読んでしまった。
 トランプは、大統領に就任したら戦争を終わらせると言って立候補していたが、いまは六か月に後退している。もっと後退するだろうと思う。トランプに能力がないからではなく、アメリカの軍需産業うが許さないのだ。ゼレンスキーが突然降伏したら、アメリカの軍需産業は大慌てをするだろう。イスラエルが突然和平に踏み切っても同じだろう。NATO諸国に、そして日本に、どれだけ多くのアメリカ軍需産業がつくった武器が蓄積されているか、想像してみればいい。
 こうした大きな「枠組み」だけではなく、人間の、あまりにも人間臭い動きも、「レイテ戦記」には克明に描かれている。それをしっかりと描き出す文章にぶつかるたびに、私は立ち止まる。

 


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Estoy Loco por España(番外篇463)Obra, Joaquín Sorolla

2025-01-12 22:50:55 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Sorolla
 "María vestida de labradora valenciana", 1906
Óleo sobre lienzo 189 x 95 cm

 La luz de Sorolla es completamente diferente a la de los impresionistas como Monet, Renoir y Van Gogh. La luz del llamado Impresionismo es un alegre escape de la penumbra del norte de Europa. Viajé a los Países Bajos en invierno hace unos 40 años. Es mucho más frío y oscuro que la oscuridad de las zonas del norte de Japón que conozco. Mientras me dirigía hacia el sur desde allí, me di cuenta de que esta oscuridad era el fondo de los colores impresionistas.
 La luz de Sorolla no tiene nada que ver con la oscuridad ni con el frío. Hay una inundación de luz y reflejos difusos de luz. Incluso las sombras brillan desde dentro.
 En este cuadro, el amarillo de las flores invade la ropa blanca de trabajo. Sorolla pinta la ropa de la mujer de una sola vez con un pincel grueso, pero el brillo de las flores supera la velocidad de las pinceladas del artista y penetra en la ropa. El color de tu ropa no es un reflejo del color que la rodea.

 ソロージャの光は、モネやルノワール、ゴッホらの印象派とはまったく違う。いわゆる印象派の光は、北ヨーロッパの暗さから抜け出したときの喜びである。私は40年ほど前の冬、オランダを旅した。私の知っている日本の北国の暗さよりもはるかに冷たく暗い。そこから南へ向かったとき、ああ、なるほど印象派の色の背景には、この暗さがあるのだと感じた。
 ソロージャの光は暗さ、冷たさは無関係だ。光の洪水、光の乱反射がある。影さえも内部発光している。
 この絵では、白い作業服に花の黄色が侵入してきている。ソロージャは太い筆で一気に布の動きを描いているが、その素早い筆の動きの間を縫って、まさに光が光速の速さ、画家の筆の動きの速さを追い抜いて、キャンバスからあふれてくる。

*

スペインの友人の作品を紹介するコーナーなのだが、ちょっと思い立ってソロージャの印象を書いてみた。

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こころは存在するか(45)

2025-01-09 12:39:47 | こころは存在するか

 大岡昇平「レイテ戦記」(全集9、筑摩書房)のなかに、こんな文章がある。「十 神風」の204ページ。大岡は、ある特攻隊志願兵の決意を称揚する文章(指揮官が書いた)を引用したあと、こう書いている。

私には、黙って俯向いていた五秒間に、大尉の心中に去来した想念の方が重く感じられる。

  私は、この文章の「私には」が非常に重く感じられる。あ、大岡昇平だと叫んでしまう。大岡の書いている文章は、「私」という主語を省略し、たとえば「大尉の心中に去来した想念の方が重かったのではないか」という具合にも書くことができる。「戦記」全体が主観を退けるように書かれている。「私」という主語が明記されることは少ない。しかし、大岡は、ここでは「私」を、なんとしても書いておきたかったのだ。
 つづいて、こういう文章もある。

基地の兵舎で、特攻と決意してから出撃までの幾日かの間、あるいは飛び立ってから、目標に達するまでの何時間かの間は、人間に最も過酷な生を強いる、と私には思われる。

 ここにも「私には」ということばがつかわれている。「私に」、あるいは「私は」ではなく両方とも「私には」であることに、私は揺り動かされる。私は大岡を文章でしか知らないが、「私には」があらわれたとき、目の前に大岡がいる感じがするのである。活字のなかから、人間がすっとあらわれて、ことばを言っていると感じる。人間の存在の迫力を感じる。
 大岡を「正直」と感じるのは、こういうときである。「正直」というのは、なんというか、人間の「枠」を突き破ってあらわれる。
 211ページには、こういう文章もある。

ただ確かなのは、この頃は特攻実施について、技術的な問題が存在したということである。

 「確かな」も「私には」と同じ強調である。しかも強調しようとして書いたものではなく、自然に出てきてしまう「確かな」である。大岡には、書かなければならないこと、言わなければならないことがあるのだ。
 その正直な気持ちが、たんたんとした文章の中に、ふいに噴出してくる。

 私は「こころは存在しない」と考えているが、もし「こころがある」とするならば、それは大岡の書いている「私には」や「確かに」ということばとなって噴出してくるものだと信じている。そのひとが「肉体」のなかにしまっておくことができないもの、どうしても「あふれでてきてしまうもの」が「こころ」だろうと思う。
 そして、詭弁のように聞こえるかもしれないが、「こころ」は「あふれでてしまうもの/あふれでてしまったもの」だから、やっぱりそれは「ひとのなか」には存在しないと言えると思う。「あふれでなかった」ら、だれも「こころ」に気がつかないのだから。

 


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細田傳造「敵」「ヤヴォール」

2025-01-04 22:45:19 | 詩(雑誌・同人誌)

細田傳造「敵」「ヤヴォール」(「納屋」2、2024年11月09日発行)

 細田傳造が「敵」「ヤヴォール」という二篇を「納屋」に書いている。「ヤヴォール」の方が「文体」に乱れがない。そのぶん、いくらか借り物めいたところがある。「アメリカ兵」が「話者」だからかもしれないが、ことばは現実との「距離感」(そのとり方)が、どうも1960年代、70年代のアメリカ文学(の翻訳)っぽい。と、いうことで、引用するのは「敵」の方。

選挙がすんだし雨もあがったし
衆愚にまけたし個体の清掃でもするか
ねんいりにシャワーをあびるひねもす洗濯機をまわす
地球がまわっている
黄昏がきた空腹がきた
思想する自転車を駆って
日高屋に挿入
三百八拾圓の支蕎麦啜り
二百圓の餃子も食らったし
孤塁にもどって
辛亥の夢でもみるとするか

 細田には「すること」がある。明確に、ある。だから、あとは「○○でもするか」とテキトウなふりをするのだが、もちろん「○○でもするか」といった瞬間(意識した瞬間)から、それは「必然」になる。絶対に「すること」になる。
 漢字熟語とひらがな(あるいは古語)のつかいわけのなかに、「すること/しないこと」の区分けのような、明確な意識化のちがいがあって、それが強烈なリズムをつくりだしている。
 「選挙がすんだし」が「雨もあがったし」を挟んで「衆愚にまけたし」とつづくときの批判力の強さ、そのあとに「肉体(裸体)」ではなく「個体」をもってくるとき、さらに批判力が強くなるのだが、そこから「社会(世間)」へ踏み込まずに、さっと身をかわして見せるところに細田の力がある。いわゆる「論理(正義)」にひっぱりまわされない。「個人主義の強さ」みたいなものだね。それは、最初に批判した「ヤヴォール」の方がアメリカ風な色でより鮮明なのだけれど、ね。
 私としては、「日高屋に挿入」の「挿入」のつかい方が、とっても好きだなあ。「ヤヴォール」には「もっと落ちこんで小便がしたくなってそのまんまファック」という一行があるが、「ファック」よりも「挿入」の方が、なんというか、教養(?)を感じさせる。品というか、奥ゆかしさというか。
 で。
 その「個」の強さ(これは「孤塁」の「孤」に通じるのだが)というのは、やっぱり「怒り」というものが原点になっている。それを強く感じさせるのが、

省線電車の架橋の下で
そのチャリをどこでかっぱらったのか
絡んでくる酔っ払い爺一匹を轢く
敵の敵は敵である

 この部分の「そのチャリをどこでかっぱらったのか」という一行にこめられた「忘れがたさ」である。いわゆる「恨み」というものかもしれない。
 「挿入」とも関係するのだが、詩の最後が、また、とてもいい。私は、あえて省略しながら詩を引用しているのでわかりにくいかもしれないが、細田には「衆愚」にかぎらず「衆=集団/全体主義」に対する「恨み」のようなものがあり、「衆=愚」とつきはなして「個=孤」へ引き返す動きがあるのだが、それが最後の部分に噴出している。

塹壕にて
綿布に包まり我が銃身をにぎる
カルル・ヴァルターp22
時。来たりなば発す
声。充ちずとも射す
革命は俺ひとりで充分だ敵の敵は敵

 絶対に「衆=愚」には与しない、という強さが美しい。

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大岡昇平「レイテ戦記」とスティーブ・マックイーン「占領都市」

2025-01-04 21:23:39 | 考える日記

 大岡昇平の「レイテ戦記」を読み始めて、すぐに思い浮かんだのはスティーブ・マックイーン監督「占領都市」である。
 私はレイテ島がフィリピンにあること、フィリピンの本島(?)のルソン島の南にあること、レイテ島は大激戦地であったこと(大岡昇平がその戦いに参加したこと)くらいしか知らない。レイテ島はもちろんだがフィリピンにも行ったことはない。アムステルダムについていえばオランダにあること、「アンネの日記」のアンネが住んでいたところくらいしか知らない。アムステルダムには一度観光で行ったこと、レンブラントの「夜警」を見たこと、フェルメールのいくつかの作品を見たことを思い出すことができる。ほかは、なにもわからない。
 「レイテ戦記」を読むと、知らない地名がたくさん出てくる。登場人物も、私には覚えきれないくらい登場する。日本軍もそうだし、アメリカ軍もそうである。さらにフィリピンのゲリラも登場する。彼らは、大岡昇平が書いている地名はもちろん知っている(知らない地名もあるだろうけれど、少なくとも彼ら自身が戦った場所の名前は知っているだろう)。ほんとうの名前(昔からある名前)とは別に、日本軍がつけた名前、アメリカ軍がつけた名前さえある。そして、彼らは、さらにそこにはどんな木が生えているか。その海岸はどんなものか。砂の色はどんなぐあいか。いろいろなことを「肉体」で知っている。「肉体」はある場に存在するとき、その場のなかに広がっていく。拡大していく。そして、他の「肉体」と交わる。「名前」をとおして、その「場」そのもの、空気、時間を共有していく。それはたいていの場合、明確な全体像として意識されないが、「肉体」で触れることのできるものとして、そこにたしかなものとして生きている。山も川も海も、水も風も、台風も。あらゆるものが、大げさに言えば死を否定しながら、生きている。死んでいくときさえ、その死を否定するように、もがき、苦しみ、生きている。
 それはアムステルダムでも同じである。私は映画の中に登場する地名、建物の名前、そしてそこに生きていた人たちの名前を知らない。それがほんとうであるかどうかさえ、私には確認のしようがない。しかし、そこには私の知らない土地の名前、建物の名前、何階であるか、どの部屋であるかを自分の世界の中心として生きていたひとがいた。彼らにとっては、世界の中心であり、世界のすべてだったときもあるはずだ。
 そういうものは、抽象化してはいけないのだ。ストーリーにして、要約してしまってはいけないのだ。レイテ島では大激戦があった、無残に死んでいたひとがいた、あるいはアムステルダムでは何人ものユダヤ人が強制移送されいのちを奪われた、という具合に「要約」してはいけないのだ。一つの場所、ひとりのひと、一つの時間(何をしていたか)をむすびつけ、具体的にしていけないといけない。人間は、いつでも具体的な存在であり、具体をはなれて存在し得ないからである。
  「レイテ戦記」も「占領都市」も、大岡昇平やスティーブ・マックイーンにとっては、まだまだ「具体的」とは呼べないものかもしれない。ことば、映像にはかぎりがある。両方とも長い作品だが、どれだけ長くしてみても、そのことば、その映像からこぼれおちたものは限りなくあるだろう。記録すればするほど、記録できなかったものの「量」が逆に増えてくるように思えるかもしれない。
 そして、たぶん、その「増えてくる」ということが大事なのだ。
 私はレイテの惨劇、アムステルダムの惨劇とは無関係であると思っているが、その無関係であると思っているものがどこかでつながっているかもしれない。そのつながりはとても小さいかもしれない。しかし、同じ地球で起きたことであり、それが起きてから百年もたっていない。
 何もレイテ島やアムステルダムに限ったことではない。いま、まさに、世界でいろいろなことが起きている。そして、それを要約されたニュースとして私は知っているが、その要約からはみ出しているものは数限りなくある。それを全部知ることはもちろんできない。しかし、そうした「個別」の「具体」を意識しないといけないのだ。
 映画の中に、虐殺されたユダヤ人の名前を刻んだ壁が登場するが、その名前だけがすべてではないだろう。もっと多くの記録されていない名前があるだろう。だれも、そのすべてのひとを具体的に知ることはできない。しかし、その何人かを具体的に知っているひとがいる。その「具体性」を、どうやって引き受けることができるか。そのことを、観客は問われていることになる。
 大岡昇平は、死者によりそうだけではなく、批判すべきこと(ひと)は批判し、評価できるものは評価し、体験したことをできる限り「具体的」に記録しようとしている。その「具体」のなかに、私がどれだけ入っていけるか、たぶん一毫もはいっていけないだろう。それでも、私は読む。「具体」を忘れない、忘れてはいけないという大岡昇平の意志に触れるために。映画も同じである。二つの作品に描かれているのは悲劇であり、絶望だが、それが悲劇である、絶望であると意識することのなかにこそ「希望」があるのだと思う。

 

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「シネマ歌舞伎 ぢいさんばあさん」(★★★)

2025-01-04 17:50:03 | 映画

「シネマ歌舞伎 ぢいさんばあさん」(★★★)(2025年01月03日、キノシネマ天神、スクリーン1)

出演 片岡仁左衛門、坂東玉三郎、中村勘三郎

 正月なので、歌舞伎でも。でも歌舞伎は高いし、福岡では見ることができないので、「シネマ歌舞伎」で、その気分だけでも……。
 たいへんな人気だった。私のように考えたひとが多いのか、片岡仁左衛門、坂東玉三郎、中村勘三郎という人気者の顔合わせに惹かれたのか。指定席なのに、入場前に列を作らされた。入場をスムーズにするためとか。(私のような高齢者が多いからかもしれない。入場も時間がかかったが、出るときはもっと時間がかかった。立ち上がり、コートを着て、手袋をして、忘れ物がないか確認して……。)
 映画は、というと。
 うーん、歌舞伎そのものをあまり見たことがないから、私の視点が的確かどうかわからないのだが。
 シネマ歌舞伎は、たしかに見やすい。表情もアップで見ることができる。あ、こんなところに体の動かし方に気を配っている、なるほどなあ、と関心もする。若いときのじいさんというのも変だけれど、片岡仁左衛門の座ったときの背中(背筋)の線がいかにも若くて美しい。じいさんになったときの、膝、腰の曲げ方というか角度も、品がある。とても美しく見える角度を保っている。乱れない。この姿勢の「維持」というのがすごいものだなあと思いながら見た。
 でも。
 歌舞伎だけに限らず、芝居というのはやっぱり「映画」ではだめだなあ。「空気」が動かない。先に書いた片岡仁左衛門の肉体、それが動くとき舞台の上の空気も動く。その空気の動きが劇場全体に広がっていく。それはちょっといいようのないものだが、何かしら直覚できる微妙なものがある。そばにいるわけではないのだが、役者の肉体が動くとき、それにともなって動く空気が私にまで伝わってくる。もちろんほかの観客にもつたわっていて伝わった感じが劇場の閉ざされた空気のなかで増幅する。これが感動になる。
 そして、それは何といえばいいのか、役者にも跳ね返っていく。たとえば、「じいさんばあさん」では、第三幕の、ふたりが「つらいことがあったけれど、幸せだねえ、これからもっと幸せになろうねえ」と語り合うシーン(実際に、そう言うわけではないが)では、歌舞伎座なら、きっと観客がすすり泣き、そのこらえてもこらえてもこらえきれない震えが役者に伝わり、また観客に跳ね返ってくるというような「共有感覚」が生まれる。
 観客が役者に声をかけ(大向こう.、と言うのだったっけ?)、役者が「どうだいいだろう」というように観客を見渡す、といような応答も生まれる。
 それが、シネマ歌舞伎では、生まれない。
 これは、「声」についても言えることで、スピーカーで増幅され、役者の口とは違うところから響いてくる「音」も、なんだか奇妙である。はっきり聞こえるが、はっきり聞こえればいいというものではない、ということだろうなあ。
 歌舞伎を見る予習(?)なら、それでいいかもしれないが、シネマ歌舞伎で歌舞伎を見た気持ちになったら、それは大事なものを見逃すことになるかもしれない。
 しかし、まあ、片岡仁左衛門は、うまいね。やっぱり「花」があるね。映画のアップが芝居を損ねない。スクリーンをしっかり引き締める。


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スティーブ・マックイーン監督「占領都市」

2025-01-03 20:14:27 | 映画

スティーブ・マックイーン監督「占領都市」(★★★★★)(2025年01月02日、キノシネマ天神、スクリーン2)

監督 スティーブ・マックイーン 原作・脚本 ビアンカ・スティグター 撮影 レナート・ヒレヘ ナレーション メラニー・ハイアムズ

 これが映画か、と質問されたら、「映画ではないかもしれないが、映画にしたい」と私は答えると思う。役者は出てこない。カメラも、ふつうの映画のように演技をしない。演技することを拒んでいる。ナレーションも感情を刺戟しない。
 映画の舞台はアムステルダム。かつてナチスが占領し、多くのユダヤ人を殺害し、またアウシュビッツへ強制移送した。そのナチス占領時代にユダヤ人が住んでいた場所(生活していた場所)が、いまどうなっているかを映し出す。名称がかわったところもあるが、そのままのところもある。なくなった施設もあるが、そのままのものもある。そして、そこに住んでいたユダヤ人はどういうひとだったかを、たんたんと語る。
 印象的なことばがある。「消滅した(なくなった)」。英語で何といったか。字幕ではどうだったか。正確には覚えていないが、そういうことばがその場所、そこに住んでいたひとを紹介したあとに、繰り返される。
 生きていたひとがいない。かつて書店だったところが書店ではなくなっている。しかし、それを思い出すことができる。思い出すだけではなく、そこから何ごとかを考えることができる。そして、それはただたんに「できる」ではなく、「しなければならない」ことである。思い出し、考えるとき、消滅したもの(なくなったもの)は、はっきりとそこに存在し続けることができる。それは消滅した(なくなった)のではなく、消滅「させられた」、無に「された」のである。そのことも思い出さ「なければならない」し、考えなければ「ならない」。
  椅子に座ってみつめているだけでは、何も起きない。スクリーンをみつめ、そこに映し出されていないひと、もの、ことを、思い出し、考えるとき、それは「映画になる」。私の知らないひとが、動き始める。「映っていない何か」が見えてくる、そういう映画である。
 その「新しく見えてきた何か」が、あまりに多くて、何を見たか、語ることがむずかしい。いままで見ようとして見えなかったもの、それを見せてくれるのが映画だとすれば、これこそ、まさに映画である。
 それにしても不思議だ。
 ナチスがアムステルダムを占領していたときから、まだ百年もたっていない。それなのに、この映画を見始めた瞬間には、ナチスが占領していたことがなかったかのようにさえ見えてしまう。この「錯覚」を、スティーブ・マックイーン監督は、しずかに、しかししっかりと揺さぶる。そして、最後には、アムステルダムの街が、一度も見たことがないものの姿であらわれてくる。「歴史」に目を向けさせる。「歴史」は、未来を考えるとき、より正確な形であらわれてくる。ひとの人生が百年と仮定して、その百年は「過去の百年」を見つめなおしつづけることでしか築いていくことができない。
 ラスト近くのシーン。路面電車(トラムというのだろうか)が走っていく。運転席から見える「前方」が映し出される。反転して、後ろ(進んできた方)が映し出される。横(左右)が映し出される。どちらかだけが電車の進んでいる方向を教えるわけではない。すべてが絡み合っている。「過去」は捨て去ることはできない。「いま」の「周辺」も捨て去ることはできない。「未来」へ進むためには、すべてを正確に認識ないといけない。そうしないと「脱線」してしまう。
 (まだ肉体の中に「興奮」が残っている。興奮が音を立てて騒いでいる。もう一度、ゆっくり感想を書き直さないといけない、とも思う。)

 

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池井昌樹「だいじょうぶよ」

2025-01-01 22:39:21 | 詩(雑誌・同人誌)

池井昌樹「だいじょうぶよ」(「森羅」50、2025年01月09日発行)

 池井昌樹「だいじょぶよ」は、新川和江に捧げた詩である。夢のなかで、新川の詩の「だいじょうぶよ」が形をかえてあらわれる。

だいじょぶか
そのささやきに
ゆめからさめた
ぢべただった
あおむけだった
まんしんあめにうたれていた
あめかなみだかわからなかった


 とはじまり、途中にこんな展開がある。

だいじょぶか
くもまからさすささやきが
ほねみにしみた
ほねもみもいつかくだけて
あとかたもなくくちはてて
おおきなふるいこかげのあとに
おおきなふるいこころがのこった

 「おおきなふるいこかげのあとに/おおきなふるいこころがのこった」というのは、木が元気だったときできていた「木陰」がいまはなく、その存在しない「木陰」のかわりに、「こころ」が生きている、というのとなのだが。
 私は「こかげ」ではなく「木」そのものが「こころ」に思えたのである。「木陰」とかいているけれど、それは「木」である。
 なぜそんなことを思うかというと、「こころ」というのは死なないものだからである。そして、その「こころ」がいつでも「木」を生み出すのである。「木」を存在させるのである。
 私は「こころ」というものなど、あるいは「精神」というものなど存在しないと思っている。しかし、「思い出す」という「運動」は存在しつづける。では、何が「思い出す」という行為を支えるのか(動かすのか)、それは目であるかもしれないし、手であるかもしれない。耳であるかもしれない。池井の場合、新川の詩を読んだときの目、あるいは新川の声を聞いたときの耳こそが、「こころ」ということになるだろう。目と耳が、新川のことばに触れて、新川を生き返られせている。
 あ、こんなふうにして詩はつづいていくのだ、と私は思った。
 先の引用の二行、「おおきなふるいこ」まで、音がいっしょということも、何か不思議な印象を引き起こす。漢字で「木陰」「心」と書いたときは「おおきなふるい」までがいっしょだが、そのあとは「ことば」はわかれてくが、ひらがなだと「こ」までしっかりつづている。そういうところにも、なにか、人間のふれあいの、詩のふれあいの不思議な美しさが感じられる。
 詩の最後にも、それに似た展開がある。

だれのこころか
こんなところに
こどもみたいに
めをふいた
ふたばがひとつ

 最初の部分の「なみだ」が「め」をとおって「ふたば」になるとき、池井と新川は詩のなかで「ひとつ」になっている。「双葉」は二枚あって「ひとつ」。こんなことは、説明してしまってはいけないことなのだけれど。

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇462)Obra, Joaquín Llorens

2025-01-01 21:24:09 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens

   

 ¿Cual era un trozo de hierro el que decía que quería ser flor?
 El día que el hombre murió, una flor floreció en el jardín. Abrió el puño y se mostró el secreto que había agarrado del suelo.
 "Quiero ser como esa flor", decía el hierro desechado en un rincón de la fábrica.
 ¿Qué clase de secreto, qué clase de universo se esconde dentro de ese hierro?
 Cuando un escultor recogió el hierro que su padre había dejado y lo armó, la sangre de su padre fluyó a través del hierro y algunos se convirtieron en tallos, otros en hojas y otros en pétalos.
 Flores del hierro. La historia de las flores y la historia del hierro. La historia familiar del hombre. La historia de la vida. La sangre de su familia siempre late en las obras creadas por las manos de Joaquín.

 花になりたい、と言ったのは、どの鉄の一片だったか。
 男が死んだ日、庭に一本の花が咲いた。土の中からつかんできた秘密を、拳を開くように広げて見せてくれた。
 その花のようになりたい、と工場の片隅に捨てられていた鉄が言った。
 どんな秘密、どんな宇宙が、その鉄のなかに隠れているのか。
 男が残していった鉄を集め、組み合わせるとき、その鉄の中に父の血が流れ、あるものは茎になり、あるものは葉になり、あるものは花びらになった。
 鉄のなかで開く花、花の歴史、鉄の歴史。男の家族の歴史。いのちの歴史。ホアキンの手がつくりだす作品には、いつも家族の血が脈打っている。

 

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こころは存在するか(44)

2025-01-01 15:17:43 | こころは存在するか

 2025年の読書初めはプラトン「饗宴」。
 ふたたび「中間」「なる」「出産/分娩」「時間」に傍線を引く。
 この世界に存在するものは何か。「運動」だけである。「運動」は「中間」においておこなわれる。存在と無の「中間」においておこなわれる。無から存在への「運動」だけがある。
 たとえば、私の読んだ「饗宴」、その「ことば」も実は存在しない。ソクラテスが語ったことばは、語った瞬間に消えた。プラトンが書き留めたことばも書いた瞬間に消えた。私が「饗宴」を読むときだけ、私といっしょに存在する。読みつづけ、考えつづけなければ、それは「無」である。読むことによって、ことばがことばに「なる」。それは、つまり「出産/分娩」ということである。だれかが再生産しつづける。そのとき「時間」もまた誕生する。

 アガトンのことばから、こんなことを思いついた。詩を定義して言ったことばではないが、詩を定義するのにつかえると思った。
 「詩とは、われわれが互いに他人であるという気持ちをなくし、互いに同類であるという気持ちで満たすものである。」

 

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