哲学の科学

science of philosophy

逃げない人々(6)

2014-09-06 | xxxx逃げない人々

そうであって、結局は動こうとしない。怠惰という範疇に入る人もいるでしょう。無気力とか、臆病とかネガティブな言葉で叱られる場面も多そうです。逆に褒められる場合は、よく我慢した、だとか、度胸が座っている、とか言われる場面です。状況によって叱られたり褒められたりする。しかし、ここで考えているような迷いもなく逃げない姿勢を取る人々は、たぶん、叱られるとか褒められるとかいうような人の評判をあまり問題にしていないはずです。人にどう思われるかではなく自分が納得すればそれでよい、とするところがある。拙稿としてはそういう人々に興味がある。

人の評価を無視する、という点では怠惰な人と言えます。たしかに中年あるいは老人に多そうです。しかし一日中寝そべっているような人ばかりではない。日常的には職業や家事をきちんとこなす人が、突然、逃げなければならない状況に遭遇した場合、逃げない。そういう人々がいます。

逃げるのが得意な人とそうでない人がいるのかもしれません。生まれてから一度も一人だけで逃げるという行動をしたことがない人は、いざという時にどうしていいか分からずに固まってしまうのかもしれません。逆に、いつも一人だけ逃げてばかりいる人はいざとなればさっさと逃げるでしょう。

そういうものであるとしても、極端に怠惰ということでもない人が逃げない場合、なぜか、と疑問のような思いが残ります。逃げる気にならない。そういう気になれない。このままここを動かなくてよいのではないか、という気になるということでしょう。

想定される危険はかなり確実と思われる。それでもそれは想定でしかない。顔に向かって黒い大きなものが飛んでくれば人はそれを避けるでしょう。そうでない場合、こちらに向かって襲ってくるものが想像でしかない場合、目前には見えない場合、人は逃げないことがある。逃げる気がしないことがある。

目に見えない、音も聞こえない、想像でしかない、そういうものは感じなくても良い、という気もする。そういう気がしているとき、人は逃げないでしょう。逃げることはかえって危ない気さえする。そして逃げない理由を考えてしまう。そう思うことがあります。特に老人はそういうことがありそうです。

このままでよい。今までいつもこのままだったから、今もこのままでよい、と思ったりするのでしょう。

身体の深いところでそう感じてしまうと、周りの人がよほど強く呼びかけない限り、人は逃げない場合がありそうです。

第三者が逃げない人々について考える場合、とにかく命を大事にしろ、と言いたくなるでしょう。あるいは哲学者が言う場合、いやただ生きるのではなくよく生きることのほうが大事だ、と言ったりする。しかし拙稿の見解では、そういうことは、逃げるか逃げないかのとっさの状況で当事者の感じていることと少し違う。身体を動かす気がしない、というところから来ている、それがまずある、と考えます。

そこから、逃げる人と逃げない人の運命が違ってくるのでしょう。

筆者ですか?筆者は逃げるのは得意です。二十何年か前ですがイギリス南海岸の保養地で国際学会の最終日に二百年来という大嵐に遭いました。大木がなぎ倒され、列車は全面ストップ。同行していた妻と当時小学生だった娘を連れてどうやってロンドンに帰ろうか?レンタカーはひとつもないという。各国の学会仲間は諦めてホテルの滞在を延長しています。筆者は顔を覚えていたホテルのボーイに十ポンド札を握らせながら相談しました。不思議、レンタカーが一台だけ残っているというではありませんか。三割くらい料金は高かったけれどそれを運転して、倒れた大木を避けながら無事にロンドンに着きました。■

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逃げない人々(5)

2014-08-30 | xxxx逃げない人々

このようにその時その場ですぐ行動を起こさなくてはならない事態に追い込まれた場合、周りの仲間の行動、言動、助言、勧告、命令といった働きかけによって、人の行動は大きく影響されます。「逃げろ」という命令、「逃げたほうがいいよ」という勧告、「逃げたらどうですか」という助言、「私は逃げる」という個人判断の提示、あるいは黙って逃げる姿勢を見せる人の姿などは、人に逃げる行動を起こさせる決定的なきっかけとなることが多いでしょう。逆に、その場面ですぐ動こうとせずグズグズしている人たちを見た場合、逃げようとする気持ちがなくなってしまうかもしれません。

今回の大津波の場合、家族やいつもの仲間に「逃げよう」と言われた人のうちで逃げなかった人の割合にくらべて、周りに人が居ずにテレビや防災無線あるいは広報スピーカーからの放送で避難勧告を聞いただけの人のうちで逃げなかった人の割合は、はるかに大きかったはずです。しかしこれも死んだ人の体験を聞くことはできないので、推測でしかありません。

周りが、逃げようという雰囲気に満ちていた場合、ふつう人は逃げる。そうでない場合、逃げない、と思われます。

大津波から逃げようとする場面で、若い人が集まっている場で判断が行われたのか、老人だけ、あるいは老人一人だけの場で、逃げるか逃げないかの判断が行われたのか、そこで運命が別れたということも言えそうです。男ばかりだったか、女ばかりだったか、男女ともにいたか、という状況の違いも大きく関係したかもしれないと推測できます。

いずれにしろ、人は一人の判断で動くというよりも周りの人と共に動く。突然の災害のような場合は特にそうなるでしょう。

興味深いことですが、ソクラテスの場合、周りに影響されたかどうかという点で、極端な逆の例のような逸話になっています。周りの人々が皆、逃げてくださいと懇願しているのに、それを頑固に拒否している意固地な老人のようです。歴史に残る天邪鬼とも言えます。たしかに、些細なことで意固地になる老人は多々いるようですが、死ぬかもしれない危険を前に天邪鬼に徹する人はあまりいないでしょう。

ソクラテスはだれが何と言っても逃げる気はなかったように見えます。牢獄に入れられる前から決心していたのでしょう。いつから彼はそう思ったのか?

アテネの裁判でソクラテスは、死刑になることをまったく避けようとしていない態度をとっています(紀元前339年 プラトン「ソクラテスの弁明 」)。検察に告訴された時点でもう覚悟していたように読めます。最初から逃げない人だったということでしょう。では、告訴される前はどうだったのでしょうか?

当時のアテネの政権が、政府の管理下に入らずに青年を堕落させるような間違った思想を流布する教育者を排除する姿勢をとっていたことはよく知られていました。つまりソクラテスは、沈黙するか、政府の方針に従うか、早々とアテネから逃げ出すか、いずれかを選ぶ必要があった。本人がその状況を一番よく知っていた、といえます。アテネから逃げれば簡単に逃げられた。それなのに逃げませんでした。

アテネへの愛国心があった、良心に忠実だった、あるいは教育者としてのプライドがあった、などといった精神的なものを大事にする人ではあったようです。しかし、それだけに殉じたとは読めません。処刑直前にぐっすり朝寝をしていた。当時七十歳で年をとりすぎているという自覚を持っていた、ということですから、まったく逃げる気がないという態度は見せかけではないでしょう。

ソクラテスは、伝聞によれば、さすがに哲学的あるいは思想的にいろいろむずかしい理論を述べていますが、それとは別に、面倒だから逃げるまでもない、という単純な気持ちが根底にあったのではないでしょうか?

国の支配権力に真っ向から逆らう言論を展開したところで成功するはずがない。死んでから顕彰されるのが良いところでしょう。洋の東西を問わず知識人の立場というものは、いつの時代でもそうです。西洋哲学の創始者である賢人が社会のそういう現実を知らないはずはありません。

ソクラテスも自分の言論が政府を覆すなどと夢想してはいなかったでしょう。そうであれば、いつかは死刑になるかもしれないという覚悟を持って持論を語っていた。実際、そうなりましたが、それは想定済みです。逃げる気ははじめからなかった。その哲学の内容とは別に、彼は逃げる気がなかった、といえます。

逃げない人々について、あえて大津波の被害者と古代ギリシアの哲学者という極端に背景が違う例を比較してみましたが、他にいくらでも例を挙げることができるでしょう。たとえば襲い来る敵から逃げなかった勇者など。しかし話をまとめるためには、これ以上あちこちに飛ばずにここで抽象的な一般論に入ることにします。

さて、なるべく簡単に結論をまとめられるように、拙稿本章としては、逃げない人々を次のように限定させていただきます。

ある人々は、今の状況ではだれもがふつうは逃げていくということが想定できるにもかかわらず、自分としては動きたくない、動こうという気がしない、と感じる。

その理由が分かっている場合もあればそうでない場合もあります。理由が分かっている場合、その理由は人によって違い、場面によって違い、千差万別です。身体に力が入らないから動こうとしても無駄だ、とか、人を煩わせたくないから頼みごとをしない、であるとか、何も考える気がしないからしない、とか、いろいろあるでしょう。

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逃げない人々(4)

2014-08-16 | xxxx逃げない人々

ソクラテスの場合はどうか? この哲学者は、ただ生きるということよりもよく生きるということが大事だ、と語った。自分でもそう思っていたでしょう。そうであれば、脱獄はありえなかった。七十歳までよく生きてきていまさら、よく生きるのをやめる気はなかったのでしょう。今までよく生きてきたのに、ここで節を曲げ逃げのびて生き続けても、さらによく生きるチャンスはないでしょう。

今までの生き方を急にやめる必要はありません。したがって今は動く必要がありません。ただ動かなければよい。逃げる必要は、ソクラテスにとって故に、まったくない。迷うことは何もない。

はじめからそう思っていたから朝はぐっすり眠れた。友人のクリトンがうるさく脱獄を勧めに来たから理論的な対話がはじまってしまったけれども、ソクラテスにとって、結論は考えるまでもなく決まっていました。

はじめから逃げる気は全然なかった、ということです。

どちらのケースも、現役を退いた老人、という状況がある。社会からも老人と思われているし、組織を率いている立場でもなく家族を支える役目も終えている。なによりも本人がそうだと思っています。こういう場合、自分がいないと若い次世代が破滅する、というような危機感はない。そういう認識であれば、何がなんでも逃げるという気にはならないでしょう。

逆に若い人たちは、逃げる理由がたくさんある。というよりも逃げるように身体ができています。家族や仲間を守る必要があるとか、さらになによりも、全力で走り続ける状態に身体がなっている。逃げないと危ないとなれば、全力で逃げるような身体になっています。

自分がその現場にいない人は、「命を粗末にするな」とか、「命あっての物種」とかいいますが、緊急の事態が起きて進むか退くか一つしかない現場では命などいう抽象的なものの価値について考える余裕はないでしょう。不確実で困難な前進を実行したとしてそのさきどうなるのか、直感で判断すると思われます。

瞬時に判断しなければならない場合、不確実であろうと困難であろうと、とにかく少しでも良い場所へ全力で進むしかない、という直感を持つ人は多い。一方、進むのはたいへんそうだから動かなくていいや、という判断をする人たちもいるでしょう。いずれにしろ、命は価値が高いからそれを失わないように努力する、という理論に従ってそれらの結論を出すのではなく、ただその時その場の直感で行動が決まっています。

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逃げない人々(3)

2014-08-09 | xxxx逃げない人々

腰の重さというか、身軽さ、というようなことは年齢と関係があると思われています。若い人は身が軽く、はやばやと移動する。老人は腰が重く、なかなか動かない。老人は身体に故障をかかえていたり筋力や関節が衰えていたりするから移動が好きではないのか?頭の回転が鈍ってくるから動作が遅いのか?あるいは気力の衰えか?諸説ありそうです。

しかし大津波の場合、マスコミなどでされている一般的な解説は、逃げなかった人たちは危険を過小評価していたからだ、というものです。津波がこの高さまで来るとは思わなかった、という言葉は、生き残った人たちによっても語られています。老人たちが多く死んだということは、老人たちは危険を過小評価する傾向があるということでしょうか?

老人たちは経験が豊かで若い人たちよりも自分の経験に自信を持っています。老人たちの長い人生において、津波がこの高さまで来ることはなかった。津波は何度も来たし、最大の津波だといわれた津波も知っています。たとえば一九三三年の昭和三陸地震

では場所によっては二八メートルの大津波があった。それらもこの土地ではこの高さまでこなかった。だから津波が来ても動かない方がかえって安全。あわてて騒ぐとかえって危ない。と、死んだ老人たちが思っていた可能性はあります。

また、危険を過小評価するということは、危険を避けるための労力を厭うところからも来るでしょう。津波の場合、その危険を避ける労力というのは高いところに移動することです。もともと腰の重い老人にとっては体重を持ち上げるという仕事はきつい。めんどうです。めんどうだから、危険を過小評価してしまえばその仕事はしなくて済む。そういう場合、だれでも危険を過小評価するものです。そういうことにしてしまえば動く必要はない。逃げる必要はありません。

今回の災害に関して実際にこのような気持ちになっていた老人がいたかどうかは定かではありませんが、想定される危険の過小評価は一般にその回避コストが大きいほどなされやすいという傾向はだれもが陥りやすい安全対策の過誤といわれています。たとえば成人病対策、交通事故対策、原子炉事故対策、など対策のコストが高いと危険は過小評価されがちといえるでしょう。

津波に関して極端な安全対策は、海岸から離れた高地に住居と職場、学校、病院などすべての生活空間を移転することですが、その土地で生計を立てコミュニティを維持している人々にとってその対策は失うものが大きすぎてまったく不可能でしょう。それをしないから危険を過小評価しているという論法は無意味な極論です。

では津波警報によってすみやかに退避行動をとれば十分であるのか?実はそれを実行することも、多くの老人にとっては住居移転と同じくらいコストが高いものであったのかもしれません。

まず一人では迅速に動けない。だれかの補助がいるとなれば、補助者に常時待機していてもらわなければなりません。家族にその役を担ってもらうとなると、その家族は自由に仕事ができません。そのコストは住居移転よりも大きいかもしれません。

そういう事情から危険は過小評価するしかない。本人もちょっと危ないかな、と思っている。しかし老人はそれを黙っているでしょう。そうなったときはたぶん逃げられないがそれはしかたない、とひそかに思うだけです。

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逃げない人々(2)

2014-08-02 | xxxx逃げない人々

死ぬかもしれないのに逃げない老人という形だけを見れば、大津波で死んだ老人たちとソクラテスは似ている。それ以外の面では大違いでしょう。なぜ逃げなかったのか、という理由も大いに違っているように見えます。どの程度の確率で自分が死ぬことになるのか、という予想も大いに違っていたでしょう。特に、周りから逃げるようにと勧告されたにもかかわらず自分の意志ではっきりと退避を断ったかどうか、に関しては正反対かもしれない。しかし、拙稿の見解では、逃げないという形だけではなく、もっと大事な点で両者は非常に似ているところがあるのではないか、と思われます。

それはどちらのケースでも、逃げなかった人は老人であったこと、そして老人たちは自らの意志で自分が助かるための行動を熱心にしたようには見えない、ということです。

大津波のとき助かった老人たちは、たいていだれかに助けられています。「おばあちゃん、すぐ逃げなきゃダメだよ」とか言われて、手を引かれたり、持ち上げられたり、車に乗せられたりして高い場所へ移動させられた結果、生き残ったと言われています。自分から助かろうとしてひとりで死に物狂いの努力をした老人の話は少ないようです。老人に関しては、自力というよりも他力によって、生死が決まっているように見えます。

ソクラテスの場合も、弟子たちが彼の言葉を無視して縛り上げ担いで隠れ家に移動させ、監禁しておけば死ぬことはなかったでしょう。つまり本人が助かろうとして努力したかどうかということではなく、家族や仲間など他の人々の行為によって助かるかどうかが決まってくる。

そうであるとすれば、大津波の場合もソクラテスの場合も、周りの人たちが強引に逃がそうとしなければ、「彼らは逃げない人々だった」という結果になる、といえます。つまりこれらの老人たちは、身の安全のためには身体を移動させなければならない状況であることを知っていても、いまいるところから移動しようとしなかった、ということになります。

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逃げない人々(1)

2014-07-26 | xxxx逃げない人々

40 逃げない人々 begin

40 逃げない人々

二〇一一年三月十一日東北地方東海岸を大津波が襲いました。死者は一万五千人に及びました。午後三時少し前でした。

テレビや防災無線あるいは広報スピーカーから大津波の到来と避難勧告が繰り返し聞こえていたにもかかわらず、自宅あるいは職場にとどまり、あるいは家族を引き取りに海岸近くに降りていったために、波に呑まれた人々が多数いました。半年後に行われた生存者からの聞き取り調査 では死者の二割は避難しなかったか避難できなかった状況だったようです。死者の六割は、家族を助けるため、あるいは職業的任務を遂行するために避難先から再び危険な場所に向かったために死亡したと推定されています。

死んだ人の状況は生き残った人々の証言 から推測するしかありませんが、多くの人々がなぜ逃げなかったのか、結局は、いまだに疑問として問われ続けているようです。

この歴史的大災害に関して、直接的体験がなく伝聞のデータによる知識しか持たない拙稿としては一般的な論評をなす立場にありませんが、一点、死者の六割が六十歳以上であったことに強い印象を受けました。多数の老人たちはなぜ逃げなかったのか、逃げられなかったのか、という思いは、三年を過ぎた今でもあるようです。

逃げないと死ぬかもしれない、たいていは大丈夫だとしても、もしかしたら死ぬかもしれない、という場合、逃げる人と逃げない人に分かれる。このような場合、逃げる理由はよく分かる。しかし逃げない人はなぜ逃げないのでしょうか?

人それぞれの状況で逃げない理由は違うでしょう。それらの理由の強さも違うと思われます。しかし共通する部分があります。それは逃げる気がしなかった、せっぱつまって何もかも投げ捨ててこの場所から走り出したいというような気持ちにはならなかった、ということでしょう。

古来、逃げなかった人の逸話は多く残っています。旧約聖書にある大洪水では方舟を作ったノアの一族だけが逃げのびた。他の人々は逃げなかった、あるいは逃げられなかった。神のお告げを聞いていなかったからです。

旧約聖書ではソドムの爆滅のときもロトの一族だけが逃げた。他の人々は逃げなかったがために絶滅した、となっています。

戦記物などでは逃げない人々が賞賛されています。多くは仲間を守って逃げなかった英雄譚になっている。ペルシア帝国の大群と対峙したスパルタの決死隊(テルモピレーの戦い )は、西洋近代の知識人の閒では、東洋の専制帝国に対して降伏を拒否した西洋自由人の勇気を象徴するものとされています。

古代ギリシア哲学の祖といわれるソクラテスもまた逃げないことで有名になった人です。この老人が、死刑囚としてアテネの牢獄に監禁されていたとき、同情した看守たちはむしろ少額の賄賂で逃亡してくれることを望んでいたし、弟子たちはそれを懇願していたそうです。しかしソクラテス(当時七十歳)は従容として毒杯を仰いだ(プラトン著「クリトン 」)と伝えられています。この老人はなぜ逃げなかったのでしょうか?

ソクラテスが脱獄しなかった理由については古来数え切れない数の研究書、論文、あるいは教科書が書かれていますので、いまさら拙稿の見解を述べる必要はありません。ただ、「クリトン」の記述が事実だとすれば、この老人は死刑が明日あさってに迫っていることを知りながら、ぐっすり朝寝をしていたということです。その後、弟子のクリトンとの対話でソクラテスはいろいろ立派なことを熱心にしゃべるわけですが、要するに自分の生死の問題だから熱心に語ったというよりも、弟子の教育のために語り、加えて会話を楽しんでいた、というように読めます。

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