哲学の科学

science of philosophy

私はなぜ顔を洗うのか(5)

2018-10-28 | yy65私はなぜ顔を洗うのか


私たちの自我意識は社会を維持するために不可欠な機能である、といえます。そうであるとすれば、この機能は社会生活を効率よく実行できるように進化しているはずです。自分のことに関しても余計なことは感じずに大事なことだけを鋭敏に感じ取る。それが、私たちが自覚する自我意識になっているはずです。

自我意識は、人間の一人としての私を他人が見てどう思うか、まずそれを感じ取らなければなりません。
私は、まともな人と見られているのか、キチガイに見えはしないだろうか、危険人物に見えはしないだろうか。私は、良い人と見られているだろうか、それとも悪い人と見られているのだろうか。そういうことを瞬時に判断する必要があります。
相手の心の中に写った自分の姿を読み取る。私に相対する相手の気持ちになる。拙稿の用語では憑依といいます。
他人の目に映る私の姿は、私以外のだれにでも同じように見えるはずです。それは客観的世界の一部分となっています。つまり自我は私固有のものである以前に、まずだれの眼にも同じように映っているはずの客観的な世界の中にある一人の人間です。
自我は、しかしながら、私の内側にある私にしか感じられない部分を含んでいます。腰の痛さであるとか、鼻のむず痒さであるとか、私にしか分からない部分です。腰をさすっている私の姿は他人に見えますが、本当にどのくらい腰が痛いのか、他人には分からないでしょう。
これを人に分からせるためには言葉で言うしかない。「腰がかなり痛い」と言ってみる。まあ、ある程度は分かってもらえますが本当の痛さは絶対に伝わらない、と思えますね。







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私はなぜ顔を洗うのか(4)

2018-10-20 | yy65私はなぜ顔を洗うのか


身体のほうは、「私は」という言葉が浮かぶ前に、0.1秒くらい前に、もう必要な動作を開始しています。自分の状況のチェックを始めている。人に見られても良い顔になっているか、おかしくない服装になっているか、一瞬にチェックしています。
言葉よりも身体の動きのほうが早い。手で顔を触ってみるとか、髪を触るとか、鏡を探すとか、でしょう。逆に、自分の姿をチェックする身体のその動きが、「私は」という言葉を作り出している、といえます。
試しにハロウィーンの格好をして外に出てみましょう。骸骨のコスチュームを頭からかぶる。あるいはコスチュームがなければ素裸で外出すればもっとよろしい。
かなり緊張しますね。恥ずかしい。やめようかな、と思う。それは、相当強烈に自分の姿を自分で見ているからです。いや自分で見ているというよりも他人になった自分が他人の眼で自分を見ている。自我意識の原型でしょう。
他者の視座で自己を見る。これは、自意識過剰とか心理学でよく使われる概念ですが、もっと深い意味があります。自我意識の有無は人間の本性です。我を忘れる、という言い方があるように、私たちはふつういつも自分を観察している。これは他の動物にはなく人類だけが持つ顕著な特性です(拙稿12章「私はなぜあるのか」)。これは何なのか?

人間は常時、他人の目に映る自分の姿を自覚している。監視カメラが監視カメラ自身の映像をも映し出せる機能を持っている、というようなことです。
すべての人間がこの機能を備えているおかげで社会が成り立っています。逆にいえば、この機能を持たない人間は社会が形成される過程で淘汰されて遺伝子を残せなかった、という事実があるのでしょう。
他人の目に映る自分の姿を自覚することができる。この能力を持っているから私たちは仲間と協力する事ができる。そして社会が形成されました。逆に、すべての人間がこの能力を持っていなければ人間社会は維持できません。






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私はなぜ顔を洗うのか(3)

2018-10-13 | yy65私はなぜ顔を洗うのか


こういう話は、当たり前すぎて、だれも問題にしない。しかしだれも自分で自覚はできませんが、いつでも他人の存在が発生するこのような信号をしっかり感知して反射的に事態を予測し、身体はしかるべく反射運動をしています。
たとえば視線を感じたらそちらを振り向く。これができる人がふつうの人と思われます。これができない人はおかしな人、避けるべき人、とされてしまいます。
だれでも人に顔を見られそうな場合、それを予測して事前に必ず顔に目ヤニがついていないか、よだれを垂らしていないか、表情がちゃんとしているか、無意識のうちにチェックしています。無意識なので覚えていません。
人前で何かをする場合「私は・・・する」と思うときはすでに顔をチェックしたり、足場をチェックしたり、手に持っている道具をチェックしています。何かをしようと思ったときはすでに自分の状況を確かめています。特に他人にどう見えるか、数メートル離れて見た自分の姿を思い浮かべています。0.2秒くらいの間に。
それと同時に「私は・・・する」と思う。「私は・・・」という主語はそういう身体状態に対応しています(拙稿26章「『する』とは何か」)。

「私は・・・する」と思う、ということは自分自身を意識しているということです。私の意識の中に私がいる。つまり、「私は」という言葉が浮かんだ瞬間、私にとっての私が存在する、といえます。自我という概念はそのような身体状況を概念化したものでしょう。





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私はなぜ顔を洗うのか(2)

2018-10-06 | yy65私はなぜ顔を洗うのか


目ヤニをつけたまま通りを歩く。筆者はメガネを掛けているので、すれ違う人くらいなら気づかないだろう、という自信はありますが、それでも自分自身気になってしまう。
ときたまひどく急いでいて顔を洗わないで家を出るときは、こういう予測がちらつくので、歩きながらとりあえずティッシュで目尻をふいたりします。

人に見られているか、すぐ分かる。なぜすぐ分るのか?
猫もすぐ分かるらしい。猫の顔をちらっと見た瞬間、猫はこちらを見返します。視線を感じるのでしょう。この感受性は赤ちゃんもけっこう鋭い。ゼロ歳児でもしっかり視線を返します。
動物は動物の動きに敏感に反応します。特に鳥類や哺乳類では、これに鈍い動物は少ない。他の動物の動きはしばしば自分の危険ないし重要な利害に直結するからです。
人間も同様ですが、特に仲間の人間の動きを予測する能力に優れています。いわゆる対人関係の、ある種の動きについての予測能力は驚くほど優れています。
たとえば視線、話し声、足音や咳払いにも敏感に反応する。仲間の動きとそれを発生している原因と感じられる内的な感情や動機を瞬時に推測できます。その能力が人間の社会を形作っている、といえます。
考えてする予測ではなくて、本人も気づかないくらい瞬時に身体が反射することでなされる予測が重要です。顔に目ヤニがついたままで外出すると、まずい。人に顔を見られる。こういう予測は一瞬で身体が反射する事態に近い。
0.2秒くらいですかね。考えていません。考えてしたのではない証拠に自分の身体の反応を覚えていない。気にしたはずだが詳しくは覚えていない、ということです。






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