哲学の科学

science of philosophy

現実を語る人々(9)

2022-10-08 | yy85現実を語る人々



ではインターネットがない時代はどうだったか?筆者など昭和の人間は新聞とテレビしかなかった時代をよく知っています。人々は今以上に新聞を読みテレビを見ていました。毎日の現実はそれで作られていました。核戦争の幻影におびえてはいましたが、それで元気が出ないとか日常生活が不幸だとか、思ってはいませんでした。
メディアの記者や発言者にも今よりインテリ的な人が多かったのでしょう。観念的というか思想的というか、組織化が好きな人も多くデモなどいつもしていましたね。今の感覚ではイデオロギーに毒されていたといえます。
左右の党派争いが深刻に報道されていましたが、実際はみな一様に貧しく経済格差は今ほどではありませんでした。
現在は、グローバリゼーションが最大期に達したらしく、どの国でも底辺が豊かになり上層は超富裕層になっています。格差へのジェラシーは昔と同様に根強くありますが、一様に幸福になってきたという感覚があるのでしょう。闘争よりも諦観と退屈が時代の気分となっているようです(拙稿84章「幸福な現代人」)。

現代社会になって、私たちが互いに現実を語る能力は進歩したのでしょうか?マスメディアやインターネットの中で語る人々が、経済的に社会的に立場を得て、元気に満ちているように見えることは確かです。それが現実を必要とする私たちユーザーにとって良いことなのかどうか?
インターネットのSNSは現実語り機構を安定化させるバッファー効果があるようですが、しばしばそれよりも偏向を極大化する発散効果が見られます。
現実を語るシステムは年々その能力を増大させているようですが、ちょっと離れてみると、巨大なこっくりさんがうごめいているかのように見えます。■









    
(85  現実を語る人々 end)








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現実を語る人々(8)

2022-10-01 | yy85現実を語る人々


ピューリッツァ賞や日本新聞協会賞を取る人の場合、まさに現実を作り出すことになります。ジャーナリストとして名を成す人は評論家、大学教授、政治家として出世する道も開けます。社会としてはこのメディアビジネスが正しい現実を作ってくれることを期待しています。
SNS上の匿名の発言もまた現代の現実を作っています。インターネット上の発言者は圧倒的に匿名が多い。それがときにバズります。それが匿名の発信者の目的になっている場合があるでしょう。
ポジティブでもネガティブでもバズらせることが快感。リツイートする人々はバズらせて発信者の現実を確認してあげることが快感。というようなシステムがなりたっています。その結果それは新聞、テレビにも表れる。現実が作られていきます。マスメディアの消費者やインターネットの消費者は、毎日一定量の現実を供給され、それを消費することで毎日の幸福を維持している、といえます。
それを噂の種として人と語り合い、現実を把握していると感じ、現実をリツイートし、一日中それに浸ってその現実を消費することを求める。消費に対応する供給者はその要求に応えることでシステムが恒常的に維持されています。
















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現実を語る人々(7)

2022-09-24 | yy85現実を語る人々


マスメディアもインターネットも現実を語ることによって現実を作っていく。作っていきたい。声高に語る人が無責任だと言い切ることもできない。
責任があるはずのエリートは現実を語るつもりがない。声高に語る人は現実を作っているという自覚を持たない。善意のアジテーターといえます。意図的なプロパガンダをしているつもりはないでしょう。それでもそれだからこそ現実は、こっくりさんのように、作られていきます。

マスメディアであるいはインターネットで、学校や集会で、現実を語る人々はなぜ現実を語るのでしょうか?
興味深いことは、どの現実を語るのかに関わりなく現実を語る人は繰り返し毎日のように現実を語ってやめない、ということです。
テレビのアナウンサーのように、あるいはジャーナリスト、記者、評論家のように、それを職業にしている人たちが多い。職業あるいは準職業として、日々それに励んでいるようにみえます。
新聞記者、放送記者は新聞紙面、テレビ画面で自分のスクープ記事が大きく現れ、読者視聴者が話題にしてくれることが生きがいで働いています。それが特別記事や特別番組になったり記者会見を引き起こしたり国会で質問に出たりすれば最高でしょう。
大成功した場合、その報道が発展して「・・・問題」と名付けられる社会問題になったり、「・・・現象」と呼ばれる流行ワードになったりします。
問題は、その働きがその場限りの成功を目的にしていて、その活動が作り出した現実がその後どう発展するかには無関心な人だけが成功するシステムになっているらしいことです。














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現実を語る人々(6)

2022-09-17 | yy85現実を語る人々


二〇二二年七月八日、元内閣総理大臣安倍晋三が選挙演説中に銃撃され死亡しました。元総裁が暗殺された与党、岸田内閣は国葬を実施することを決定しました。
国葬とする理由は簡単です。日本のリーダーとして長年勤めた人物が民主主義を守るための選挙演説中に凶弾に倒れた。きれいなドラマになっています。内閣や自民党のエリートたちは党のプライドを守りたい、民主主義国であることを表明したい、と共通の感情を持ったのでしょう。
しかしテレビなどマスメディアはそうではありませんでした。国葬について賛成、反対の意見を聞いて回り世論調査をしました。結果は反対が多いとなり、相乗効果が始まり、野党やそれに与する理論家たちは犯人の供述から動機の背景を調査し与党の暗部に迫る議論をもりあげ、番組の人気は高まりました。
国葬決定から一ヵ月後、膨れ上がった反対パーセンテージが現実を作っています。多数派の横暴と批判される与党の政治手法が世論の多数派に批判攻撃される形が現れました。マスメディアは楽しさで張り切り総理大臣たちはさぞ困っているでしょう。
犯人の母親が多額の献金をした旧統一教会の真実。韓国発祥のそんな宗教集団が日本人に多く献金させていて自民党に接触し互いに利用し合う関係なのかどうか。内閣の恣意で国葬をきめてよいという法律はないだろう、こんな背景で勝手に税金を使ってよいのか?反対論は多方向の攻撃拠点を作り相当勢いがでてきました。
高慢なエリートが党内や外国に見栄を張るために勝手に決めた儀式など失敗するほうがいい気味だ、困らせてやりたい、という無責任な感情も、実はあるでしょう。
一方、政府としては当然公表した国葬計画を貫徹しなければ国内でも国外でも信頼を失う。反対があるからこそ首相の責任でやりぬく意義がある、という議論も作れます。 最後は政治家のプライドの問題になってくるでしょう。それで、何が起こるか?そこに現実が現れてきます。













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現実を語る人々(5)

2022-09-10 | yy85現実を語る人々


違う世界の風景はなかなか語られない。認めたくない現実は語られないでしょう。小さく語られていても聞こえません。聞こえても自分に合わせて理解する。
小野田さんは漏れてくる日本敗戦記の情報を曲解していました。小野田さんだけでなく無条件降伏の前日まで多くの日本人は現実を理解していませんでした。
ラジオ、新聞、マスメディアが悪かったといっても、メディアだけが悪いのか?その裏にいる人々はどう考えていたのでしょうか?それに気づいていても気が付かないふりをするしかないのかもしれない。
みんなで同じ穴に落ちる。民主主義は、見えている陥穽に落ち込んでいくシステムなのでしょうか?

民主主義体制はときに権威主義体制を呼び込むが逆に戻る革命は、豊かな社会では、起こりにくい。
間違った現実の中であっても、その中で安逸に生活している限り、システムを是正する力は出てきません。それどころか間違っているほど局所最適に陥っていて復元力は弱いのかもしれません。

現代日本社会は民主主義体制に到達できています。それは現実として語られ続けている。独裁政権は警戒され、少数意見は語ることができているようです。

政府批判も、マスメディア批判も、大企業批判も、教育批判も、ユーチューブやツイッターにあります。そのSNSも逆にマスメディアに批判される。語りの機会が多様に大きいことで権力分散があり、その分散もまた批判されている。現実は多様に語られることでますます現実らしくなるのでしょう。

大きな物語を語る権威主義体制は国際競争には強いが多様性を失って老朽化します。エリートが現実から逃避すると体制は腐敗します。そこでは現実を語ってくれる人がいない。語る人がいなければ現実は消えていきます。












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現実を語る人々(4)

2022-09-03 | yy85現実を語る人々


自分が置かれているこの現実がこうであることはよく分かっているが、こうでない現実があり得るとも思えない。そうであれば人々が語る現実を聞いてよく確認し、よく理解して対応していればよいのだろう。と私たちは思っています。

政府やマスメディアのエリートたちはきれいごとで我々をだまして搾取している、という、時々聞こえてくるような現実の見方が正しいのかもしれない。しかし仮にそうであろうとも、目に見える生活の現実感は変わらないような気がする。政府への批判はそれなりに正しい面がありそうだが、それを語る人々はそれを語る立場を持っているからそう言っているに違いない。
マスメディアその他の語りはどれが正しいといえるものではなさそうだが、それを聞いている私たちの語り合いにそれほど間違はないだろう。それが現実と思っていれば特に問題はない。私たちはそう安心して暮らしています。

この現実が続いて行って将来が困ったことになるという話は本当だろうか?地球温暖化は止まらないのだろうか?日本の少子化は止まらない、といえるか?日本の産業力はいつまで低迷を続けるのか?マスメディアや政治家の現実認識が変わらなければいけない状況なのでしょうか?
語り合っても何も変わらないような気がする。
子を作ることと作らないこととどちらに不安が多いか?現代の状況がその圧力になっているのか?時代が変わるとその見通しも変わるのでしょう。神の思し召しがなくなった現代人の人生にだれが責任を取ってくれるのでしょうか?人々が語っている現実のどこにも答えが見えません。
産業の世界では、若い世代の事業家に創設され牽引されてきた米国IT企業が勝ち残っています。前世紀に隆盛を誇った日本の大企業群は沈んだままです。時代が変わってしまったといわれながらもその企業群だけが生き残っている現実の中で若い企業が成長する姿はこの国では見えません。
その現実をよしとして語り続ける人々が実際は多数であるようです。何も問題はないと思えば平和な鎖国時代はいつまでも続くでしょう。










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現実を語る人々(3)

2022-08-27 | yy85現実を語る人々


広告料、購読料として人々はメディアの維持費を賄い、その月額が維持される分だけニュースは報道され解説され、量産され、サイクルは安定して回転します。

メディアから離れる。テレビを見ない、新聞を読まない、という生活をするとどうなるでしょうか?インターネットも見ないことにします。そうすると現実が分からなくなるのでしょうか?
しかし人と付き合わないわけにはいきません。人と話せばその背景にはテレビの語る現実がある。インターネットを見てもその背景にはマスメディアの語りばかりが見えます。結局、現代人である限りマスメディアの作る現実の中で生きることになります。
漫画やアニメ、SFには異世界があります。しかしこれもなかなかこの世の現実から離れられない。傑作はあります。ジョージ・オーウェルの1984(一九四九年 George Orwell 「Nineteen Eighty-Four」)などまさに現代のデジタル権威主義社会を予言したようなディストピアを描いています。 
これは現実と乖離した絵空事を描いた傑作なのか?逆に当時の現実(スターリン体制の拡大)を切実に表現したからこそ傑作になったのではないでしょうか?
現実とまったく独立した幻想の夢物語は傑作になれるのでしょうか?RPGゲーム・ドラゴンクエスト(一九八六年 堀井 雄二他「ドラゴンクエスト」)は魔物と戦う異世界の物語です。これも仲間と協力して経験値を積み上げ階層をよじ登っていく青年期の願望を絵にしたものといえます。
現代の現実の中でどうすれば確実にステップアップできるのか?現代青年の悩みが映されているとみればこれも現実を語っているこの世の声の一つなのでしょう。









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現実を語る人々(2)

2022-08-20 | yy85現実を語る人々


マスメディアは自信をもって現実を語っています。結局はそれに連動した同じ自信をもって人々も語る。そうであるからその現実は正しいことになるのでしょう。現実をつかんでいるというその自信はそもそも、どこから来るのか?
マスメディアはその名の通り寡占によってブランドを確立し、その権威によって経営を保全しています。毎日の報道により語り続けている世の中の現実がまた読者視聴者の現実感覚を作り、再帰的にマスメディアのブランドと信頼性を確立しています。
ある事件が起こったり無名の人が事件を起こしてニュースに登場したりすると、人々は新しいその現実を今までの現実のどこに当てはめれば良いのか、判断をマスメディアに依拠します。その期待に応えてメディアは今日更新された現実を語る。
テレビではそのニュースの順番、語順、解説の長さ、そしてアナウンサーの表情と声のトーンがその情報の位置づけを教えてくれます。新聞では見出しの位置。文字の大きさ。選ばれた単語、写真のサイズ、アングルなど新聞がどう感じながら報道しているのか、読者に訴えます。
人々が聞いてくれるから、メディアは新しい話を熱心に語る。熱心に語るから人は新しい話を聞く。そうして現実はあらわれ一日は過ぎていきます。
明日になればまた新しいニュースが現れ、それを織り込んだ明日の現実をメディアは語ってくれるでしょう。ニューストゥデイ、あるいはトゥデイイズニュースです。









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現実を語る人々(1)

2022-08-13 | yy85現実を語る人々


(85  現実を語る人々  begin)




85  現実を語る人々

人はなぜこの現実を現実と思うのでしょうか?
自分に見える現実は人々が見ている現実と同じだ、と私たちは思っています(拙稿6章 「この世はなぜあるのか」)。
人の話を聞くことでその人が私と同じ現実を感じているらしいと分かります。その話がどうもおかしいと違和感がある場合、この人はうそを言っている、と思えたり、精神病ではないか、と感じたりします。

ルバング島の小野田さんは意外と現実を知っていました。
旧陸軍情報将校だった小野田 寛郎(一九二二年―二〇一四年)は戦後もルバング島の山中でゲリラ活動を続け一九七四年になってフィリピン軍に投降し最後の日本兵と言われた人です。
この人と山中で一対一の接触に成功した冒険家の鈴木紀夫(一九四九年ー一九八六年)は「戦争は終わりました」と語りかけたが小野田は「俺にゃ戦争は終わっちゃいねえ」と返したそうです。(二〇一二年 戸井十月「小野田寛郎の終わらない戦い」)
夜通し会話し情報交換をした鈴木に小野田は、君の話は小説日本敗戦記としてよく聞いておくよ、と言ったそうです。
数日後、小野田は旧陸軍の上官と会い山を下り、フィリピン軍将校、司令官などと次々に会って降伏儀式に従いました。この経過で彼は人々と現実認識を共有するようになっていったのでしょう。
しかし、帰国一年後、小野田は日本を脱出し兄に倣ってブラジルで牧場経営をするようになりました。この後の行動を見ると、現代日本社会との接触が彼の人生観を変えたと推測できます。親族、故郷やマスコミの人々の語る現実を知りそれに反応したということでしょう。
日本社会の外側で多く過ごした人生でしたが、小野田はいつも日本の敗戦という現実を強烈に感じていたように思われます。
日本敗戦記という小説の中に巻き込まれ、それが現実であることを否定しながらも日常としてその中で生きるしかなかった。
最後の日本兵というこの状況が多くの日本人の琴線に触れたこととマスコミを通したその人々の態度によって彼の後半生における現実があらわれてきたともいえます。








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