いくら勉強しても、テレビや動画を楽しんでも、まだ知らないことが多すぎる。いや、私たちが過去に書かれた知識を勉強したり今日放映されたテレビを見たりしている間に、世界では、その数千倍の知識が作られ、もっと重要な事実の発見がされたり、もっと面白い番組やドラマが作りだされたりしているのです。どうせそうであるならば、ぜんぜん勉強しなくても事態はあまり変わらない、といえるのではないでしょうか?
こういう事態は、百年ちょっと前にはなかった。それ以前の時代には、ほんの少し勉強すればたいへんな知恵者になれました。明治時代初期には小学校卒業でインテリでした。今は大学院を出て博士になっても学者の卵でしかない。それも実に狭い専門領域での最先端知識を持つと認められるだけです。むしろ、世界に充満しているほとんどの情報や知識には疎くなっています。
学問のような高尚な話に限らず、たとえば、おいしいものの知識は毎日爆発的に増えています。テレビをつければタレントさんたちが「おいしい!」を連発している。インターネットはグルメの店を無限に紹介してくれます。しかし人はふつう、一日三回しか食事は食べられません。一食失敗しておいしいものを食べ損なったら、そのおいしかったはずの一食の機会は人生から失われる。世界は、とんでもなくおいしい食べ物が毎日新しく湧いて出てくるのですから。
面白いビデオを見るのも大変です。二時間ドラマなど見てしまうと、その時間にほかの映画や動画を見る機会は失われる。インターネットであらすじや評判を見ておいて、正しい選択をしようとしても無理です。実際見ると聞くとは大違い。つまり勉強と同じですが、全身を打ち込んでしないと、本当に正しい知識を身につけて楽しみを味わうことはできません。
しかし時間が足りない。試行錯誤して正しいものを見つけている暇はありません。人生のわずかな時間に何を選択すればよいのでしょうか?
どう選択しても得られる知識はごく限られていて、ほとんどの知識を知ることができないまま人生が終わるとすれば、そんなわずかの知識など得られなくても、事態はあまり変わらないのではないでしょうか?
たとえばインターネットの閲覧などは、使うのを一切やめても、人との話題に困ることはあっても、生きていかれないというほどのことにはならないでしょう。新聞など読まなくてもあまり困りません。テレビもビデオも見なくてもすむし、本も雑誌もまったく読まないという生活もありでしょう。
学校についても、大学院にいかなくても困らない。大学にいかないと就職に困りますが、ほかに十分な収入源があれば、それも困りません。ということで、大学にいく必要がなければ高校にいく必要もなし。部活がないと困るという人は、スポーツクラブなどに入会すればよい。つまり、世の中が今のようでないとすれば勉強などする必要はありません。
むしろ現代においては、知識など努力して手に入れるものではないでしょう。いやでも、情報は入ってくる。知識はあふれかえっています。これ以上知識を集めるよりも、整理して捨てることが大事です。
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45 無知という特権
アレキサンドリアにあったプトレマイオス朝の図書館は、最古の学術の殿堂といわれ、七十万巻のパピルスが所蔵されていた、といわれています。現在、世界最大といわれる大英図書館には、一億七千万点の出版物が収められています。どのくらい多いというべきなのか、表現に困りますが、毎日図書館に通ったとしても、全部読むには十万年はかかるでしょう。
現代社会では、インターネット、特に動画あるいはテレビ・ビデオの普及により世界を駆け巡る情報量は爆発的に増加しつつあります。毎日DVD数億枚分の情報が作り出されており、その増加速度は年々加速されています。しかしその情報を消化するはずの人間の数はそれほど急には増えないし、情報を吸収する時間は睡眠時間を多少削ったとしてもそうは増えません。したがって、毎日未消化の情報が増えていることになります。
ゴミのような情報がどんどん増えている、ゴミ情報が世界を駆け巡っている、とはいえます。しかし、ゴミもこれほどの量であれば、その中にわずかのパーセントあるいはppm(百万分の一)くらいでも貴重な情報が含まれていたとすると、相当量の重要知識が毎日増えていることになります。まあ、重要情報もゴミまみれでどうやって見分けるのかが大問題ですが。
私たち、今日を生きている人類は、間違いなく歴史上最大の人口になっているし、最高の富と知識を蓄積しています。したがって優秀な人の数も、産業設備や科学機器の量も性能も、歴史上現在が最大になっている。
人類が抱えているあらゆる重要な問題は多くの優秀な人々が研究しているし、毎日、重要な発見がなされ、発明がなされています。それらの知識を普及し教育する人も歴史上最大の規模で活動しています。歴史上かつてないほど、知識の普及が行われ、あらゆる知識は地球上に、指数関数的に、蓄積されつつあります。
現代では膨大な数の人々が歴史上最高の知識を手に入れることができる。可能性としてはそうなっています。
知識は力なり(scientia potentia est)という。
これほどの膨大な知識が日々流れ込んでくる現代世界に生きている特権を生かして、私たちがそこから重要な知識を拾い上げて吸収することができれば、それこそ歴史上最高の賢人になることができるでしょう。
しかし現代人が昔の賢人たちより本当に賢いか、というと首を傾げざるを得ない。
問題は、個人が知識を吸収するには時間がかかるということです。勉強しなければ新しい知識は理解できない。字を読むばかりでなく、テレビや動画を見て笑ったり泣いたりすることも知識の吸収とみなせば、一日の吸収知識量はかなり増えます。しかし限界がある。眠りながらテレビを見ることはできません。
結局、膨大な知識を吸収するためには膨大な時間が必要なのであって、実際には個人がそれをすることは不可能です。では、インターネットの検索機能を使いこなして、膨大なデータから搾り出した上澄みのごく少量の最高品質のエッセンスを個人が取り込むことはできないでしょうか?
そういう夢想もしたくなります。しかしどうもそういうことに成功した事例はないようです。インターネットを使いこなして賢人になった人もいそうにない。人工知能を使って、ビッグデータから売れ筋の商品を選び出すことはすでにある程度の成功例がありますが、最高の知識というものではないでしょう。
結果としては、残念ながら現代の膨大な知識の量を使いこなしている人はどこにもいない。現代の私たちは、昔の人たちに比べて平均的には良質の知識を持っているのでしょうが、個人レベルでは、昔の賢人に比べて図抜けて賢いということはない。
それはたぶん、膨大な知識の使いこなしによって最高レベルの知識を得ることは、実は不可能だということなのでしょう。つまり現代社会にあふれかえっている知識の膨大さは、単に量が驚異的に巨大なだけであって、驚異的に役に立つというものではない、といえます。
人生の数だけ歴史がある、とすれば、歴史の教科書はどんどん厚くならざるをえません。特に、人口が爆発的に増えた二十世紀、二十一世紀の歴史の記述ページ数はどうなってしまうのでしょうか?歴史学者も細かく専門別にならざるをえない。西洋中世史の専門学者です、などといえるうちはよいが、2010年代史の専門家です、とか、2015年専門の歴史家です、とかいうことになってしまいます。
科学者の数に比例して発明発見が増えるとすれば、科学論文の量は爆発的に増えていく。機械やコンピュータは爆発的に便利になっていくし、科学知識も急速に増えるから、科学者も専門分野を勉強するだけで精一杯でしょう。だれも科学全体は分からなくなる。それで大丈夫なのか?
その世界が現実に近いほど、その世界での行動は役に立つでしょう。しかし、その世界がファンタジーであったとしても、少なくとも、それを共有する仲間との協力は成り立つ。単なる親睦であるかもしれない。親善試合であるかもしれない。それでも、仲間の親睦が深まれば、実用的な別の場面での協力に役立つ。
私たちはそのように共有できる物語に引き込まれる。実際はその物語を共有する仲間がいない場合でも、物語そのものに引き込まれるような身体になっています。それでもなるべく共有されそうな物語が魅力を増す。人が語る物語。語る人の表情が見える物語。演劇、アニメ、印刷物。記事。
しかしその記事がまったくのフィクションでしかもコンピュータが自動的に作文したものだと分かった場合、その物語は急に魅力を失うはずです。
語る人が懸命に語り、それが本当にあった話のように思えるとき、物語は魅力を増す。そう感じ取るように私たちの身体ができているといえます。
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蛇足として、筆者の好きな物語を挙げて本章を終えてみます。百年前に書かれた短編の書き出しです。
文化六年の春が暮れて行く頃であった。麻布竜土町の、今歩兵第三聯隊の兵営になっている地所の南隣で、三河国奥殿の領主松平左七郎乗羨と云う大名の邸の中に、大工が這入って小さい明家を修復している。近所のものが誰の住まいになるのだと云って聞けば、松平の家中の士で、宮重久右衛門と云う人が隠居所を拵らえるのだと云うことである。なる程宮重の家の離座敷と云っても好いような明家で、只台所だけが、小さいながらに、別に出来ていたのである。近所のものが、そんなら久右衛門さんが隠居しなさるのだろうかと云って聞けば、そうではないそうである。田舎にいた久右衛門さんの兄きが出て来て這入るのだと云うことである。
四月五日に、まだ壁が乾き切らぬと云うのに、果して見知らぬ爺じいさんが小さい荷物を持って、宮重方に著いて、すぐに隠居所に這入った。久右衛門は胡麻塩頭をしているのに、この爺いさんは髪が真白である。それでも腰などは少しも曲がっていない。結構な拵の両刀を挿した姿がなかなか立派である。どう見ても田舎者らしくはない。
爺いさんが隠居所に這入ってから二三日立つと、そこへ婆あさんが一人来て同居した。それも真白な髪を小さい丸髷に結っていて、爺いさんに負けぬように品格が好い。それまでは久右衛門方の勝手から膳を運んでいたのに、婆あさんが来て、爺いさんと自分との食べる物を、子供がまま事をするような工合に拵えることになった。(一九一五年 森鴎外「じいさんばあさん」)■
(44 物語はなぜあるのか? end)
