令和五年目の現在、パンデミックの人流規制は全廃され、インフレはまだ規制域に達していません。悲観が加速される状況はなくなったように見えます。
分断が進む世界政治の中で日本はいまだ勝ち組に与しているらしい。沈み込みがさらに進むこともなさそうです。ただし強い楽観が国民に広がる気配はありません。不安と悲観はむしろ目立ってきているようです。不安定ないらだちがマスメディアをシニシズムに追いやるでしょう。
若い人がアンシャン・レジームを尻目に見て新世界を作り出せるかどうか?その気配は、見えていません。しかし多くの人が目新しい情報を探してはいます。機会をうかがう気分は一方で高まっている。どこかに割れ目があればそれを押し広げる場面はあり得る、といえます。
夢がある新しい世界はどこか?才能と挑戦が殺到する戦いの場は間もなく現れてくるのでしょうか?
それは生成AI・VR世界の展開なのか?医療・農業・生物の革命的な新製品、あるいはエネルギー変換システムの大発明なのか?旧世界にしか視野がない筆者には予想もつきません。
規制好きの政府とメディアが気づかない新領域で、新しい資本主義の夢がふつふつと沸き上がり、たくましく育ってほしいものです。■
(89 資本主義の夢 end)
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危機感は、最近強調されつつあります。新産業、スタートアップの創出は、昨今、国を挙げての最重要課題とされています。技術イノベーション、企業デジタル化、アントレプルヌール教育、ベンチャーキャピトル。手法の研究、試行プロジェクト、優遇制度など、多くが実行段階に入っています。もちろん成果はまだ出ていなくて、それを待つ、奨励、勧告、あるいはさらに進行させる、など政府、マスメディアでも多く主張されています。
起業家の育成、個人の資質などを問題とする議論も活発です。明治維新、戦後高成長など新企業がかつて輩出した時代はどうであったのか、今とどう違うのか、歴史的興味やノスタルジーばかりでなく分析的な検討が必要でしょう。
日本資本主義は、一九世紀の開国以来、二〇世紀にかけて高度成長に成功、世界の先進国に追いつく快挙、という夢をかなえました。
次の瞬間、冷戦の終了と同時にシーンは切り替わり、世界の先頭に立って新技術開発と社会革新に取り組まされる場面での戸惑いからか、前進を止め、世界の前線から離脱し、ひそかに守旧的防衛的な姿勢を強めているように見えます。
結局は年功序列の給与生活、安全運転の会社経営、無事故無違反長寿が得。企業も個人も(拙稿81章「ノーチェンジャーゲーム」)。ブランド志向の顧客。大企業の人気。大卒一括採用は依然として根強い。などなど。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
とは言うが、徳川時代二六〇年ほどではないが、平成令和三十数年の沈滞は長い。
資本主義としては、いつまでも続く悲観には耐えられない。耐える沈滞から飽きたための沈滞に変わってきています。全システムを断捨離したい、との気分が底流から湧いてきそうです。
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戦後資本主義の大発展には、SCAP(連合国軍最高司令官)の権威を借用した中央官僚の手腕があったといわれています。一方、その底流には逆方向に、自由に解き放されたと感じた国民個々人の巨大な楽観が沸き上がっていた、とみることができます。
この時期、福沢が夢見た尚商立国、つまりリバタリアン的世界がついに実現したといえるでしょう。
この後、シーンはまた一変して、ソ連崩壊、バブル崩壊があり、冷戦に勝利した米国一強のグローバリゼーションが始まります。インターネットサイバー新世界の広大な開拓地で米西海岸のリバタリアン起業人たちの世界制覇が顕著に見えてきます。
シリコンバレーのリバタリアンたちは、コンピュータシステムの活用に長けたその能力を生かして、規制論者たちがまだ気づいていない自由なサイバー天地で資本主義システムを最大限に活用しているかのようです。
福沢たち明治日本のリバタリアンが、今世紀米国新産業の興隆と官尊民卑の旧弊から脱却できない現代日本との対比を知ったとすれば、さぞ慨嘆するでしょう。この違いはどこから来るのか?
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中国、韓国、シンガポール、香港、台湾など、歴史的に関係が深く、文化が日本に近い国が、経済、厚生、教育、治安などで優秀なシステムを現在獲得できていることも関係があるでしょう。
近隣に楽観をもたらした中心であったこの国は昨今、ひとり悲観に沈んでいきます。ジャーナリストや言論人の関心は、GDP世界三位への転落、少子高齢化、コロナ感染などへ向かい、ステータス喪失のショックとして報道しています。それら憂鬱な話を拝聴するしかない国民は希望を砕かれていきます。
マスメディアの悲観論をバランスする楽観論があれば沈降は止まるはずですが、悲観が悲観を呼ぶという悪循環が根強い。スポーツ国際試合の快挙だけでは食い止められないようです。
福沢諭吉は一八九〇年、時事新報の社説で、尚商立国論を展開しました。明治維新以降も改まらない官尊民卑の風潮が日本の発展を妨げている、との主張です。
元来尊卑とは相対の語にして、低きものを高くするも、高きものを低くするも、其成跡は同様なる可ければ、従前の如く官途人が独り社会の高処に居て人民の自から奮て高きに登らんことを俟つよりも、先づ自家の容体を平易にして人民に近づくの工風専一なる可し(一八九〇年「尚商立国論『時事新報』八月三〇日」)
東大入試を頂点とする現代の受験競争にもつながり企業内格差や企業間格差の根源にもなっているこの風潮は、福沢によれば、自由の敵である。教育も産業も自由市場にまかせれば人情にかない国も強くなる、とする。スペンサー流のリバタリアン思想です。
福沢にとって残念なことには、大正から昭和の大衆化とマスメディア伸長の社会にいたって、官尊民卑はますます顕著になり、軍国政府の硬直化を招いて壊滅的敗戦に収束します。
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二宮金次郎の銅像がかつて全国の小学校の校庭にありました(合併で廃校になった小学校の金次郎が小田原駅構内に移設されています)。小学生の夢は金次郎であるべきなのか?この人(二宮 尊徳 一七八七年―一八五六年)は勤勉努力の結果、江戸時代の農村に組合(の原型)を作り銀行(の原型)を作り会社(の原型)を作って江戸時代農村の経済を活性化しました。日本資本主義の祖父(父は渋沢栄一)と呼ばれています。
信念をもって資本主義を追求する人もいますが、信念をもって社会主義を追求する人のほうが多いようです。青少年は社会主義の理想的美しさに惹かれるからでしょう。
社会主義はエリートや政治家の信念と希望でかなりのところまで行けますが、資本主義はエリートや政治家の信念だけではうまくまわりません。多くの人々が身の回りの経済の現実に希望を持たなければだめです。逆にいえば実際そうであったから、現代にまで、しぶとく生き残っています。
時代が進んで、結局、社会主義が先に挫折したようですが、資本主義も楽観や希望が希薄になってきているようなので危なくなるかもしれません。
グローバルには世界に楽観は満ちている(拙稿84章「幸福な現代人」)。どの国のGDPも数%、あるいはその数分の一だったりしても、間違いなく増加しているし、平均寿命は延びています。
なにより一人当たりGDPと各人の余命は間断なく伸びています。GDP世界順位は、中国やインドが上位に迫っていますが、日本も抜かれながらもそれほど落ちているわけではない。
前世紀から先進国である国はそうすぐには破綻しません。今世紀中も日本は上位グループから脱落することはないでしょう。国の順位競争がすぐ個人の幸福に結びつくわけではないから、駅伝の観戦程度に応援すればよい。
中国やインド、インドネシアなどアジアの人口大国が経済や外交で活躍する時代がきたのは、百五十年前から前世紀末まで、日本が孤独な非西欧国として欧米を相手に頑張ってきた姿に感化されたからといえます。
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諸国はそれぞれ明日の希望に賭ける。個人、家族の幸福。国民の幸福のために政府は雇用、起業、教育、福祉、治安を推進しますが、その基礎はもともと個人の希望からくる。
個人の希望は、将来を楽観できる社会の上に作られます。いつかマイホームを購入できる、自動車を所有できる、自分の会社が大きくなっていく、という夢を信じられる。成長期の日本がそうでした。
今の時代、科学技術立国あるいは観光立国を目指そう、ということになっています。それは実現可能にみえるから将来は楽観できると思うことにしよう、ということです。
それは間違いではありませんが、楽観がいきわたって全国に活気が満ちあふれるには、もうすこし大きな目標が必要でしょう。
例えば日本は世界に認められるような幸福な平和国家を目指す。ほかの国の人がうらやむような良い国になろう、とか高邁な理想が必要そうです。
世界に認められるためには、松陰が夢見たように、世界を先導する勢いを持たなくてはならない。その目標に向かってインフラ、技術、教育の再生産システムを構築する。政府も会社も投資家も、その能力を持ち寄って、その方向へ急ぐ。それが今日の資本主義が描き得る明日の夢です。
政府や大会社ばかりでなく個人も起業家も勤勉に努力すれば希望がかなうシステムを作り上げることが資本主義の夢でしょう。
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江戸時代がそうであったと現代人が夢想するような泰平安楽のユートピア、その平和と安逸を資本主義社会に求めることは間違いでしょう。
悲観が蔓延すると資本主義は危うい。だれもが自信をもって明日を夢見ていないと、資本主義の社会はだめになります。
明日になれば収入も財産も増える、しかもそのあと増え続ける、という予想が確かでなければなりません。それでこそ機関車は改良され、鉄道は敷かれ、駅前に店舗が立ち並びます。資材を作る工場は敷地を買い増し、工員を募集するでしょう。
明日の夢があり、投資がなされ、技術が普及し、教育が敷衍し資本主義システムは回転する。逆にその回転が阻害されると夢はしぼむ。社会は停滞します。悲観が蔓延する。人口も増えない。個々の人生はだめになっていきます。
現代世界でいまや信頼できるものは、結局、資本主義しかないようです。社会主義も独裁政権も、そのほかの統治システムも結局は幸せをもたらさない。長くなさそうにみえます。
そして資本主義を支えるものは明日への夢しかない。そうであれば現代人が救われる道は、なけなしのリソースを明日に投入するしかありません。
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政府、マスコミはバブルを警戒し防止策を張り巡らしますが、バブルを防げば防ぐほど、社会は停滞し緩慢な破滅に近づくとすれば、どうすればよいのか?
富裕層や会社に余裕資金があり、国の将来を楽観視する世論傾向があるときバブルは発生します。余裕がなく悲観的世相であるときは発生しない。
故にバブルを予防し規制するには、余裕資金を退蔵させ、将来への悲観を喧伝すればよいでしょう。しかしそれをするほど時間遅れで社会が停滞します。生産性の低下、潜在失業、モラル後退、犯罪増加が起こります。
悲観的世相は、ますます臆病になる国民から規制を要望する傾向が強くなるので、マスコミも規制、抑制を支持する発言を多く取り上げる。正のフィードバックが長期間働いて、なかなか活気が出ない、となります。パンデミックと人流規制のようなものでしょう。資本主義の成長にはよくない悪循環となります。
将来を楽観視できるためには、過去の歴史に見られるように経済状況が年々向上することです。これもまた正のフィードバックになっていて、景気上昇と楽観が好循環となります。
政府は、デフレを嫌う場合、この好循環エンジンを駆動するために大量のお金を社会につぎ込む、金融緩和、財政出動が政府・中央銀行によって行われますが、これだけでバブルが発生することはありません。
個人や会社の中に増えた余裕資金があり、楽観的世界が長期に続くと本気で感じる人が増えると、突然バブルが起きます。
余裕資金の一部が株式や土地の投機に回る前にデフレ圧力が相殺すればバランスが取れますが、なかなか安定したコントロールはむずかしい。
コントロールがうまくいけばよいとも限りません。予想が付きにくい将来の不安が常時停滞するため悲観が消えません。経済の成長が永続すると信じられる楽観的世界観が、ある程度、あるいは相当程度、資本主義の継続には必要なのではないでしょうか?
逆にいえば、資本主義の継続のためには、バブルとその崩壊を永久に繰り返すしかない、資本主義社会に継続的安定はない、と言わざるを得ません。
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資本主義の勃興期、貿易で蓄積された資本は投機に向かいバブル崩壊を繰り返します。オランダでのチューリップバブル(1637年)、イギリスでの南海会社バブル(1720年)、フランスでのミシシッピ会社バブル(1720年)などなど歴史上有名です。
そのようなとき資本主義社会での中産階級はだれもが資産増大を求め上流に這い上がろうとして殺到し、逆に破産し下層階級転落への恐怖にとらわれて気違いになる、という人心の真理を語るエピソードになっています。科学の天才、サー・アイザック・ニュートンは南海会社の株を買いすぐ売って大儲けしましたが、さらに買い増ししたところ大損したそうです。
好不況、バブルとその崩壊は、自由市場の欠点だということになっていますが、むしろバブルの夢を追って全員が夢中で馳せ参じるところに資本主義の本質があります。
バブル崩壊の経験は、当事者には惨憺たる記憶を残し長く語り継がれますが、世紀を超える資本主義の歴史にとっては成長の糧になっています。南海会社バブルによって産業革命期の株式増資システムやベンチャーキャピタルが発展したし、ITバブルによってその後のDXが本格化したということができます。
愚かな群集心理として歴史に記述される大小のバブルは、むしろ実は、資本主義の神髄でありそれなくしては衰退しかないのではないでしょうか?
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資本主義は利潤を追って投資を拡大する、といわれています。だがなぜ利潤を追うのか?資本主義以外の経済システムはこれほど性急に利潤を追うことはないようです。資本主義諸国の国民だけが特に貪欲なのでしょうか?
そうでないとすればむしろ資本を拡大するために利潤を追っていることにしているのではないか?地球全体に自己増殖する生物系のようなエコロジーが資本主義の本質ではないでしょうか?
近世、日本が鎖国している間に、大型帆船と天測技術を使って大洋を横断する地球的貿易を発明したスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランスなど西洋諸国は莫大な利益を蓄積しました。重商主義諸国は海外へ商圏を拡大するために株式会社を作り帝国主義活動を広げていきました。
エコロジーの比喩でいえば、オランダ東インド会社の設立は、DNA制御機構を持つ真核生物の出現に匹敵する地球史上の大事件であった、といえます。
会社というシステムは存続するために拡大しなければならない、といわれます。成長なくして分配なし、といいます。しかしむしろ分配の機能を装備した会社だけが成長の機能を獲得できるのではないか?分配の機能があるからこの会社というシステムが維持されるのではないか、ともいえます。
もし夢を追って戦うために国家がつくられているとすれば、安定を志向する国家は、松陰がいうように、衰退する運命にある。歴史の終わりが来たといわれる現代にまだ存在している国々は、このままの体制を続けようとする限り、早晩消滅する運命にあるということになるのかもしれません。
資本主義は、もともと現状の境界の外に新しい商機が見つかり、その夢に向かって多数の投資が殺到するという現象としてあらわれるものでした。境界が閉じてしまえば停滞、不況、ゼロサムゲーム、さらには戦争に向かうしかない。
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