シマウマはライオンの身体を持っていないのに、なぜライオンの身体の動きが分かるのか? という疑問がでてきますね。もっともです。シマウマの内部にあるライオンの動きのシミュレーションは、たぶん、本物のライオンの筋肉運動とはちがうでしょう?
ライオンが動くのを認めるとき、(拙稿の見解では)シマウマの身体が自動的に反応して逃げの姿勢をとる。この姿勢を感知してシマウマはライオンの動きのシミュレーションを作る。
自分と同種の動物ではない身体のちがう運動体の動きのシミュレーションを、哺乳動物は作れるらしい。たとえば、サルは人と肩の構造がちがうのでオーバースローで石ころを投げつけることはできませんが、人が腕を上げて石を投げつける動作を始めると投げる前に逃げようとする(二〇〇九年 ジャスティン・ウッドル、デイヴィッド・グリン、マーク・ハウザー『人類特有の投擲能力は非投擲霊長類から進化した:行為と知覚の分離』)。
たしかにフリスビーを投げられない犬は、主人が投げたフリスビーをキャッチできますが、猿の場合は、投げる人の目つきだけで自分に石が飛んでくるのを予想できるようです。いくつかの体験によって、犬や猿は、投げる人の動きと飛んでくるものの軌道と、自分がどう動けば身体のどこに投擲物が着弾するかを予測できる。
投擲物の軌道を予測する動物は、その内部に持つ運動予測シミュレーションを使って、(投げる人、あそこを狙っている)という(概念、運動目的イメージ)の二項形式を作っていると考えられます。
ライオンとシマウマの話に戻ります。ライオンがシマウマを追って走っている。遠くからこの場面を人間が見ているとすれば、その人たちも、ライオンとシマウマの運動のイメージとして(ライオン、シマウマを襲う)という形式の運動目的イメージを持っている。ライオンがシマウマを追って走っている光景を遠くから眺めて、人間は、次の瞬間にライオンが跳躍してシマウマの背中にのしかかる場面を思い浮かべます。そのイメージが人間の持っている(ライオン、シマウマを襲う)という形式の運動目的イメージです。
その人は同時に、人間ですから、言葉を使って「ライオンがシマウマを襲う」という意味のことを隣にいる人に向かって、日本語あるいはケニヤ語で、言う。このとき、その人たちはライオンの目的を知っている。ライオンがシマウマを襲う目的を知っているから「ライオンがシマウマを襲う」という意味のことを、日本語あるいはケニヤ語で、言える。
何語で言ったとしても、その裏には、(ライオン、シマウマを襲う)という二項形式の運動目的イメージがある。ここで、「襲う」という言葉を使う話し手もそれを聞き取る聞き手も、両方とも、襲うという行為の目的を知っている、ということに注意してください。
この日本語あるいはケニヤ語の話し手たちは、ライオンの行動を見て、その行動の目的を見て取っています。ここに人間特有の目的行動の鍵がある。言語を話さない動物と違って、人間は、シマウマの後ろを走っているライオンを見て、「襲う」という目的行動を見て取る。
逆に言えば、(拙稿の見解では)こういうように物事を見て、それを、目的を持った行為とみなすことができるから、人間は言語を話せる。
さてここで、「襲う」という行為を表す言葉について、その使われ方を少し詳しく調べて見ましょう。「襲う」という意味の(日本語あるいはケニヤ語の)言葉を使う場合、人間が人間を襲うという場合に使うのが基本でしょう。この言葉に関して、基本の使い方はどうなっているのでしょうか?
たとえば、ある男がある女を襲う。具体的な固有名詞を使えば、A君という人物がB子という人物を襲う、という話です。その場面を言葉で表現することを考えて見ましょう。
全力で走っているB子が見える。その後ろからA君が全力で走っているのが見える。
この場合、それを見ているC氏という人が「A君がB子を襲う」と言ったとします。このとき、(拙稿の見解では)C氏は、B子を襲うA君の目的を知っている。あるいは少なくともC氏としては、その目的が分かっていると思っている。逆に言えば、C氏が、A君がB子を襲う目的を自分は知らないと思っている場合、「襲う」という言葉を使うことはできない。
たとえば、A君がB子を追って走っているのを見ても、C氏が、A君がB子よりも全然弱くて、どんな場面でもB子に打ち倒されてしまうに違いないと確信している場合、C氏はB子を襲うA君の目的が分からない。たとえば、A君が泥棒でB子が警官であることをC氏が知っている場合、しかもA君の体重がB子のそれの半分に足りないというようなケースですね。
そういう場合、C氏はA君がB子を襲うとは思わないから、「A君がB子を襲う」と言うはずがないのです。そのかわりに、たとえば「A君がB子に追いすがる」などと言うでしょう。
男が女を追いかけているからといって、襲おうとしているとは限らない。だいたい、人間以外の場合、動物のオスはメスを襲ったりしない。メスに害を与えるようなオスは子孫を残せないからですね。害を与える目的で追うのでなければ「襲う」とはいえない。
ある行為を観察してそれを言葉で言い表そうとしている観察者は、その行為を見るとき同時にその行為の目的を見取るから、その行為について言葉で言い表せる。
もっと一般にいうと、Zという人が「XがYをする」と言う場合、Zは、YをするXの目的が分かっている。観察者Zは、YをするXの気持ちが分かっている。ZがYをするXの気持ちになって、XがYをしようとする目的が分かって、だからXはYをするのだと思って「XがYをする」と言うところから(拙稿の見解では)私たち人間の言語はできあがっている。