哲学の科学

science of philosophy

幽霊はなぜ怖いのか(6)

2014-12-20 | yy42幽霊はなぜ怖いのか


そもそも幽霊は物質ではないのではないか?物質でないものは知覚できないという科学者の意見に従えば、そこに見えるように感じられる幽霊は物質である。あるいは物質である、と言い切らないまでも、あたかも物質であるかのように知覚される存在である、ということになります。つまり幽霊は、幽霊が見えるような感じがする限りにおいて、物質のようなものです。
そうでなければ錯覚ということです。
幽霊は、私たちが人間を見る場合、人間が物質のように見えるというような意味あいにおいて、物質である。あるいは逆に言えば、幽霊は、人間がただの物質とは違って、物質以外の何かを含んでいるように感じられるという意味あいにおいて、ただの物質ではない何か人間的な存在である。あるいは、幽霊は、人間という存在から物質的なものを除いて後に残るものに似ているものである。
それは魂でしょう、という意見があるでしょう。しかし(拙稿の見解では)言葉を正確に使うと、魂というものがあるということは不可能になります(拙稿8章「心はなぜあるのか)。残るものは、人間を目の前にした場合の私たち自身の身体の反射から生じる認知感覚でしょう。人間の身体の内側には心があるように感じられる、その認知感覚です。
薄暗闇に枯れ尾花を見た場合、錯覚してそこに人間のような影を感じ取ればそれが幽霊になる。そのとき、枯れ尾花の内部には、たしかに幽霊が存在する、と言うこともできる。存在とは何か、という存在論的問題でもあります(拙稿25章「存在は理論なのか?」)。

幽霊はなぜ怖いのか、そしてふつうの人間はなぜ怖くないのか?その理由はひとつです。私たちが、人間というものを、どこかしら、幽霊のようなものと思っているからでしょう。つまり幽霊に毛が生えたようなものが人間。いや、幽霊に足が生えたようなものが人間である、と私たちは思っているからです。
足が生えていれば、その幽霊のようなものは人間であるから恐くない。しかし足が生えていなければ、その人間のようなものは幽霊であるから怖い。■




(44 幽霊はなぜ怖いのか? end)



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幽霊はなぜ怖いのか(5)

2014-12-13 | yy42幽霊はなぜ怖いのか

しかしこの幽霊のようなものが作り物の人形だと分かって、その声が録音再生音声だと分かった場合、あまり怖くない。子供はそれでも怖がるでしょうが、しっかりした大人は怖がらないでしょう。つまりそれが生きている人間の類であると思うか否かによって、怖さがあるかないかの違いになってくるようです。
人間は単なる物質ではない。では何なのか?
人間は、自分たち人間というものを何であると思っているのか?
そこに、幽霊とは何か、が関係しています。
死体は単なる物質であるのか?それとも生きている人間の類だと思うか?幽霊の人形も人間の類と思うか?ロボットも人間の類と思うか?というところに関係しているようです。
科学的な言い方をするならば医学生物学では、受精卵から死後硬直まで生きている人間の身体を指して生体、つまり生きている人体という。死体は生体ではない。違いははっきりしています。
しかし、医学生物学と関係なく、私たちの直感では、人間そっくりの形をしていて気持ちが通じ合うかどうかで判断する。会話ができる、あるいは気持ちが通じ合う、という場合、その相手を人間と思う。人間そっくりの形をしていても、こちらの気持ちがまったく伝わらない場合、それは狂人、異星人、ロボット、お化け、幽霊、などであると思われます。

脳死の人体は生きていると言えるのか?極度の認知症の老人は人間として生きていると言えるのか?生まれたばかりの嬰児は人間と言えるのか?胎児はどこまで人間なのか?受精卵は?植物人間は?しばしばマスコミの話題になる法医学的、法的な意思表示能力の境、それを死なせた場合、殺人と認定されるのか否かの境といわれるグレーゾーンの問題であるかも知れません。そのグレーゾーンと幽霊の出現する薄暗闇とはかかわりがありそうです。
生きているか死んでいるかは、どちらかひとつが正しい。生きているけれども死んでいる、とか、どっちでもあるとか、どっちでもない、とかいうことはない、とされています。黒か白か、其の中間のグレーゾーンなどあっては困る。私たちは直感でそう思います。
そうであるから、脳死など分かりにくい問題は気味が悪い。そういう意味あいで幽霊も気味が悪い。





(幽霊はなぜ怖いのか? end)



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幽霊はなぜ怖いのか(4)

2014-12-07 | yy42幽霊はなぜ怖いのか
とにかく、人間の内部には心があるらしい。しかもその心は眼で見えない。外見では判断できない。だから細心の注意を払って人の心を推測しなければならない。そうすることによって互いに信頼し、遠慮し、裏切りを用心し、協力し合い、愛し合って生きていく。私たちはそうして社会を維持しています。人間は神秘的な心というものを内部に持っている神秘的な存在であるから、そのようにしてこの社会は維持されています。
つまり、人間が神秘的でなくなると、このようにして社会を維持することはできない。たとえば人間の集団が野獣の群れのようになってしまうでしょう。野獣の群れでは生産力の高い社会は維持できません。高い生産力がなければ人類社会は維持できません。逆の言い方をすれば、人類社会が維持できるためには人間は神秘的でなくてはなりません。

あなたは神秘的でなくてはならない。もちろん、私も神秘的でなくてはならないでしょう。さらに彼も彼女も人間は全員が神秘的である必要があります。

幸い、人類の身体にはこの必要性を担保する機構があるようです。人間の脳の認知機構では、目の前にある物質が人的存在である場合と、そうでない場合とで、違う神経回路が働くようにできています(拙稿8章「心はなぜあるのか」)。そこにあるそのものが人間である場合、自分の身体がその人の身体と重なりその人の運動を自分がしているように感じ取れます。人間の神経機構はそう働くようにできています。これを拙稿の用語では「運動共鳴」と呼びます。

そこにある人間のようなものに対して運動共鳴が働くとき、そこにあるそのものは心が通じる人間と感じられます。そうでなくて、人間のようなものではあるが、それと運動共鳴が働かないと感じられる場合、人はとまどい、不快や恐怖を感じる。言葉が通じない人、幼児、認知症の老人、狂人、人間そっくりのロボット、異星人、ゾンビ、死体、幽霊とかがそれでしょう。
人間のように感じられるけれども生きた人間ではないもの、その典型は死体です。実際、生きていた人間が死んだだけの物体ですから、眼に見える形は生きている人間と同じ。しかし息をしない。心臓が動かない。目を閉じている。呼んでも答えない。ピクとも動かない。そういう物体が人間の死体です。これは、ふつう、怖い。医者や葬儀屋さん以外、触るのも怖い、という物質です。
幽霊は死体に似ている。似ているというよりも死体そのものが空中に浮かんでおぼろげに見えている、という現象でしょう。筆者も見たことはありませんが、見たという人が言うところによると、そのようです。「うらめしや」とかしゃべるらしい。上目使いで見つめたりするらしい、です。
これは怖い、と思えます。






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幽霊はなぜ怖いのか(3)

2014-11-29 | yy42幽霊はなぜ怖いのか
人間にとって人間とは不気味で怖いものである。古代ローマ人は「人間にとって人間は狼である」という箴言を残していますが、実は狼よりずっと怖い不気味な幽霊のようなものである、というほうが当たっているかも知れませんね。人的存在とは霊的存在である、とむずかしく言いたくもなりますが、ようするに幽霊は不気味で怖い、ということでしょう。

まず、人間とは不気味で怖いものである、という感覚に注目しましょう。暗闇に突然、人影が現れるとき、緊張しますね。近くに来て明るいところで見ると、ふつうの人らしい。微笑んだり、会釈してくれたりすると、もっと安心できます。話しかけてくれれば、すっかり安心。怖いとか不気味とかは、まったくなくなります。
話が通じ合う、あるいは、心が通じ合う人間は怖くないし不気味でもない。笑って挨拶してくれる人は怖くない。こちらを向いているのに目が座っていて笑わない人は怖い。白目になっていればもっと怖い。
つまり人間のように見えるけれども心が通じるようには見えない、そういう存在を感じると怖い、という感覚でしょう。もしかしたらこの人は正常な心がないのではないか、人間ではないのかもしれない。こういう場合が一番、怖い。幽霊は、いわばこの類でしょう。
人間そっくりに作られたスーパーリアルな人形やロボットも人間のように見えるけれども、心が通じるようには見えない。「不気味の谷間」というロボット工学の概念がそれでしょう。ロボットは人間に似ているけれども、人間ではないという存在である。だから不気味でもあるし、好奇心をそそるという意味では魅力的でもある。

人間にとって人間は神秘である。しかしなぜ人間にとって人間は神秘なのか?この世に神秘などない(拙稿34章「この世に神秘はない」)と公言している拙稿としては、ぜひこの問題を解明しなくてはならないと思います。

まず、自然は神秘である、というところから自然科学がなりたっていますが、また、人間は神秘である、というところから人文科学が成り立っている。
もし人間が、木石に比べて、何の神秘もないという存在であれば、人文科学の上に立つ文学部や人間学部などは人類学あるいは動物学の一分野に成り下がって理学部の片隅に追いやられてしまうでしょう。
それでは文学部の先生たちは困る。ということよりも膨大な数のいわゆる言論人、知識人、ライター、ジャーナリストの人たちは社会的ステータスを失ってしまいます。そればかりか、町を歩く私たち全員が困ってしまいます。なぜならば、私たち人間は、毎日、人間は神秘的だ、というようなことを暗黙の前提として、お互いに語り合って生きているからです。





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幽霊はなぜ怖いのか(2)

2014-11-22 | yy42幽霊はなぜ怖いのか

まず死んだ人のことはともかく、私たちは生きている人のことを何と思っているのか?生きている人は単なる木石ではない。これは明らかです。では、生きている人は単なる動物であるのか?これも、たぶん違う。生まれたばかりの赤ちゃんや植物状態の瀕死の重病人は、たぶん、ただの動物といってよいでしょう。しかししっかり覚醒している大人の人間は、言葉を話すところからして、もうただの動物とみなすことは無理でしょう。
人間は、ほかの動物と違って意識がある(拙稿9章「意識はなぜあるのか」)とか、心がある(拙稿8章「心はなぜあるのか」)とか私たちは言います。
生きている人間は心がある。魂がある。物質でできている身体の内側に物質ではない魂を持っている、という霊魂信仰があります。
動物のうちで人間だけは、身体の内側に物質とは違う自分というものを持っている(拙稿31章「身体の内側を語る」)。私たちは毎日の生活で、あるいは人々との会話で、こう思っています。あるいはこう思っているかのように会話をします。
つまり、私たちは、自分たち人間を物質だけの存在だとは思っていない。こう言うとたいていの人は、「それはそうだ、当たりまえだ、人間には精神がある。心がある」と言います。しかし少数の人は、主に科学者ですが、「この世に物質以外のものはないから人間も物質だけでできている」と言う。ふつうの人は、科学者の意見は何を言っているのかよく分からないので、無視します。
テレビや新聞に出てくる有識者は、「心は脳の働きなのですね」とか言うが、これも分かったようで何も分からない説明です。

生きている人間というものであっても、このように分かりにくいところがある。そのうえ死んだ人間となると、これはなにものであるのか、きちんと説明することは実はとてもむずかしい。死んだ人間は死体だから単なる物質でしょう、といってもそうは割り切れません(拙稿15章「私はなぜ死ぬのか?」)。単なる物資であれば、なぜ死体を拝んだり葬ったりしなければならないのだろうか?
つまり死んだ人間というものも、実は生きている人間と同じくらい分かりにくいものなのです。そういう分かりにくい死んだ人間が化けて出てくる幽霊というものが、不気味でないはずはありません。

幽霊が怖いということは、結局、人間というものはよく分からなくて怖い、というところからくる感情でしょう。つまりだれであろうとも、人間というものは他人も自分もよく分からない、不気味なところがある、という思い、あるいは神秘感であるといえます。これは人類発祥以来、また幼児が大人になる過程で、他人を意識し自分を意識し、人の死を意識するたびに、必ず感じ取る神秘感です。



 

 

 

 

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幽霊はなぜ怖いのか(1)

2014-11-15 | yy42幽霊はなぜ怖いのか
(42幽霊はなぜ怖いのか? begin)



42 幽霊はなぜ怖いのか? 


 


小学生のころ、多摩川園のお化け屋敷によく行きました。友達、二、三人と入る。先頭を歩くのはいやでしたね、怖いから。暗闇から不気味な人形が飛び出すものが一番怖かったような記憶があります。たいてい腐敗した死体のように作った人形でした。多摩川園は、客が少なくなったためでしょうが、消えてしまいましたが、今でもこういう商業施設はやっていけているのでしょうか?


大人になってからは、子供のお供で何度か似たようなお化け屋敷に入った経験がありますが、子供の反応に興味が行っていたからか、全然怖さは感じませんでした。さらにじゅうぶん年をとった今では、幽霊どころか、ガンも放射能もちっとも怖くありませんが、年齢と関係なく幽霊が怖いという人は多いようです。


この世で一番怖いものは何、と小学生に聞くと、たいていの子は、幽霊、お化け、などと答える。夜暗くてさびしいところは怖い。墓場は怖い。などと言います。ハロウィーンなどは幽霊が怖い子供たちが皆との遊びに変えることで怖さを紛らそうというお祭りでしょう。大学生くらいまでその気分は残っているようで、肝試し会などで暗い墓場に行ってくる、とか、お化け人形とか、ホラー映画とか、怖いから大好きという若い人は多い。


年をとって人生経験豊かになると、とにかく現実世界に忙しくて、夢や幻やおとぎ話や幽霊の話などには興味がなくなります。「この世で一番怖いものはお金のために人をだます人間だ」などと言うようになります。しかし、子供は正直です。正直に幽霊を怖がる。原始人や未開人も幽霊をひどく怖がるようです。


幽霊が怖いということは人類共通の、生まれつきに近い感性ではないでしょうか?


もしそうであるとすれば、動物の中で人類だけが幽霊を怖がるという性質を持っているということでしょう。なぜそうなのか?


なぜ人間は幽霊を怖がるのか? 拙稿本章ではそれを調べてみましょう。


 


幽霊はなぜ怖いのか?


というより、まず、怖くない幽霊などいるのか?


怖いから幽霊がいるのではないか?


漫画のオバQなど幽霊のようだが、怖くない。あれは、妖精のようなもので人間に悪さをしないから怖くない、といわれます。幽霊は死んだ人が恨みを持って出てくるものだから怖い、といわれます。


ところで幽霊は人に害を及ぼすのか?昔の人は、幽霊に取り殺されたりしています。怖いものであるからには、ひどい害を及ぼすものであるはずです。


しかし現代人の感覚では、幽霊は人を殺したり、障害を与えたり、物を壊したりしない。江戸時代くらいから後の幽霊は、「うらめしや」と怖い声で言うだけで、ものを変形したりする物理的運動能力はないようです。


それではなぜ、そんな無能力の幽霊が怖いのか?


見かけが気持ち悪いから?死体みたいな外観をしているから?「うらめしや」と怖い声で言うから?恨む必要がないのに関係ない私たちまで勘違いして恨みそうだから?


昔の人が信じていた幽霊は、やたらに嫉妬深いというか、八つ当たりというか、自分が死んでしまったのにまだ生きているやつはけしからん、と思うのか、見境なく生きている人を殺したりしたようです。吸血鬼やゾンビみたいに生きている健康な人を襲って死なせて仲間に引きずり込む。


そういう迷信を信じていた昔の人たちの不安はよほど強かったようで、葬式や埋葬の習慣はその不安を緩和するためにできてきたといえるようです。


ところで、その人類共通の生得的ともいえる素朴なその感情はどのような仕組みで作られているのでしょうか?


 


幽霊はなぜ怖いのか。一見素朴に見えるこの問いには、人間は人間というものを何と思っているのか、という深遠な存在論の一端が含まれています。






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