たとえば個々の人間を見れば、生まれて子を残して死んでいく。身体は骸骨になってその後、埃となって消えていく。たしかにDNA情報は子に残っていきますが、親の身体は跡形もなく消えていきます。
生命という現象は、現代科学の知見によれば、DNA(例外的にRNA)分子の複製による自己増殖です(二〇〇九年 本庶佑「いのちとは何か」)。最近は工学的操作(PCRなど)を除く、としなければなりませんが。
生物は時間と空間を超えて自動的にDNA情報を複製し伝達していく自然のシステムです。この自然現象を見て私たち人間は、いのちが継承されていく、と思います。
これをアリストテレスのように、目的論で言ってみれば、たとえば個々のミドリムシあるいは人間は、自分のDNA情報を伝達し拡散することを目的として存在しているシステムである、となります。私たちの目に見える個々の人間の身体、手足や顔や脳は、微視的な卵子あるいは精子に固有のDNA情報を搭載して次世代に送り込むために存在していることになります。
物事はその目的のために存在するべきである。というアリストテレスの存在論にしたがうならば、その生殖細胞に効率よくDNA情報を運搬させることが真の人間の在り方でありましょう。
擬人化すればDNA情報は、自分の生き残りのために乗り物として人間を利用している、ともいえます(一九七六年 リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子The Selfish Gene)。
チンギス・カンは無数の敵を殺し、奪った多くの女に自分の子を産ませ、その子孫にユーラシア大陸全域を支配させたため、そのDNA情報は世界中に拡散していると推測されています。これがDNAの運搬装置としての人間の正しい生き方なのでしょうか?
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(77 いのちの美しさについて begin)
77 いのちの美しさについて
「ライフ・イズ・ビューティフル」(La vita è bella 一九九七年 ロベルト・ベニーニ監督作品)のタイトルはレフ・トロツキー(一八七九年ー一九四〇年)晩年の日記から引用、とされています。「人生は美しい。未来の世代には、そこから悪と抑圧と暴力をすべて洗い流させ、その楽しみをつきつめさせようではないか(訳筆者)」
人生。英語ではライフ、生命の意味もある。多くの言語でも生命と人生は同語です。生命保険など、人生の保障です。生命がなければ人生はない。しかし人生がなくても生命はあります。(拙稿74章 「子供にはなぜ人生がないのか」)
明治期に西洋語を導入した語学の先輩たちはライフ(ドイツ語leben フランス語vie スペイン語vida イタリア語vita ラテン語vita ロシア語жизнь)に生命、生活、人生、いのち、という日本語の概念をあてました。
いのち、という日本語が一番古いようですが、現代人の使う、いのち、という語の内包は、はたして生命、なのでしょうか?
「永遠ではないもの、花の儚さに似て、その一瞬一瞬が生きてる意味」(二〇一五年 乃木坂46「命は美しい」)。今この瞬間、ここに生きている、というこの感覚は、まさに、いのちの美しさ、という表現にあらわされるものでしょう。
目に見える生物、動物も植物も、生まれて成長して一瞬の花を咲かせて消えていく。花は種となり草木として一生を繰り返して土に還る。このサイクルを見て、昔の人は、いのち、と呼んだのでしょう。ここには、この私もその一環である、という自己認識が根底にあります。
「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ 西行(1118年-1190年)」
たしかに花、たとえばさくらに象徴される春夏秋冬は、人生に伴う時間経過を想起させます。桜の花芽が夏に分化し開花抑制DNAが転写されることにより開花DNAが抑えられた後、冬の長期低温効果で発現する冷風RNA(cool air RNA)が開花抑制DNAに蓋をするようにかぶさることによって抑制を抑制した状態で冬を過ごし、春の気温上昇により開花DNAが抑制なしに転写されることで、突然開花が始まります。このように温帯の生物は季節周期を利用して生存戦略を展開しています。DNA情報を複製拡散していきます。
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たとえば、物干しを作る。垂直の木を二本見つけてその間に水平の木を渡す。長方形になります。応用で、ベッドもできるし、高床やイカダもつくれます。この技術を数千年もくり返し使用していれば、四角という幾何学的概念を言葉として作ることもできるようになるでしょう。
四角という言葉が作られて使われるようになれば、幼児でもすぐ理解して使いこなします。たぶん新石器時代以降の住宅や什器には四角に作られたものがかなりあったでしょう。これらを四角い,と形容することで、四角の概念が定着します。そうなればますます四角いものが作られ、ついには現代のように、人間の身の回りは長方形や正方形で埋め尽くされることになるでしょう。
人間の身体が動きやすい形を作っていくとそれを概念として定着することができます。幾何学ができる。幾何学を使って自然を測定すると単純な方程式になる。力学ができる。そうなると、自然は数学で記述できるようになります。これが科学者の作った現代科学です。
天動説でも自然は理解できるが地動説で説明するほうが結局は簡単で分かりやすい。数学に合わせて科学を作ると使いやすくて便利です。現代人は、立体幾何学を使って人工衛星も飛ばせるからカーナビも天気予報も信用できます。
現代人の生活は、幾何学の上に作られている、と言えばその通りでしょう。その幾何学は結局、四角い、四角くない、という直感的な空間感覚に基づいている。空間感覚は人間の身体の中に作りこまれているようです。これは生まれつきそうなっています。
チンパンジーは、四角い、四角くない、は分かるのか?分かるようですね。しかし四角いものを作ろうとはしない。そこが人間との違いでしょう。
四角を四角いと思えるから私たちは四角で文明を作り、正方形と長方形に囲まれて現代人としてこのように生活している、ということになります。■
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逆に人間の身体が水平と垂直の軸を決めている、とも言えます。たしかにまっすぐに立っている人は両肩を結ぶ直線が水平軸であり頭から両足の間の重心をむすぶ直線が垂直軸である、となります。
面白いことに、机の上に置いた紙に絵を描くときは前方が上、手前が下として、描きますね。自分の身体の軸を上下軸とみなしています。垂直軸を90度回転させて水平面に埋め込む操作をしなければなりません。幼稚園児でも当然としてこの回転操作をして、紙に絵を描きます。顔が下を向いていても額の方が上で顎の方が下と決まっているようです。
そうであれば、机の上に置いた紙に人間の絵を描けばその足は手前にあって頭は向こうにある、という絵になります。山を描いてもそうです。山のてっぺんは前方で裾野が手前になるでしょう。
地面は、それに乗って身体が移動する平面ですから、その広がり具合は直感ではっきり分かっています。人間の、というより、陸上動物すべての神経系にこの直感システムは埋め込まれているはずです。
地面は理想的には水平面である。水平面から傾いていればすぐ分かります。水平面に置かれる直線は水平線です。
水平線が作れれば、それに垂直な線が描ける。水平線がある空間を左右二つに分けます。右手と左手のように向き合って同じ空間が作れる。右半空間と左半空間は対称です。真ん中の縦線が左右どちらにも傾いていない。きれいにバランスしている。水平線と垂直線は左右に対称な角を作る。直角ですね。バランスが美しい角です。直角の美しさは感情に訴える。
つまり、人間の身体が自然に運動することで垂直軸と水平軸は美しいものとして感知できるから、目をつぶっても頭の中にその軸線が描けます。もし必要ならだれでも、だいたいではあるが、ほぼ水平垂直の図形は描けるはずです。
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