敗戦直後に日本人論として広く受け入れられた米国人の著作では、西洋文化と日本文化との違いが強調されています。
日本人は集団主義的である。村落共同体志向である。恥の文化(一九四六年 ルース・ベネディクト「菊と刀 The Chrysanthemum and the Sword (1946)」)である。など人類学からの理論が日本人論として見られます。
一億玉砕(大本営発表)と叫んで敗戦し次の瞬間には一億総懺悔(敗戦直後の東久邇稔彦内閣)を唱えた政府。いかにも日本人らしい表現としてその後の日本人論に多く引用されています。
日本を占領した連合国軍最高司令官(SCAP)であったダグラス・マッカーサー(一八八〇年―一九六四年)は日本の戦時統制システムを換骨奪胎して脱軍事の政治経済システム(Japanese modelをもじったSCAPanese modelという)に改変しました。
わずか六年間のSCAP占領期間で現代日本の土台となるこのシステムが完成した驚異的な事実については、占領軍の立場を理解し意図を利用して協力の形をとった日本政府の改革努力が功を奏したという理論がありますが、これもまたタテマエの権力をダブルスタンダードとして利用することに長けているという日本人論になっています(一九九九年 ジョン・W・ダワー「Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II 『敗北を抱きしめて』」)。
SCAPanese modelの成功と朝鮮戦争特需に支えられて急成長した戦後日本経済は一九七〇年代には世界最高(一九七九年 エズラ・ボーゲル「Japan as Number One: Lessons for America」)と称賛されますが、この時期、国内でも日本人論は最高潮に盛り上がります。
この時代、若輩だった筆者はNASAやヨーロッパ宇宙機関での会議で生意気にも世界戦略などを述べたりしていましたが、欧米人たちが殊勝に聞いてくれているのでかえって心配になった覚えがあります。
日本人は忍耐強い、計画的である、用意周到に実行する、不言実行である、などなどと褒めながら、彼らも半分は本気でそう信じていたようです。