哲学の科学

science of philosophy

日本人論の理論の理論(10)

2021-07-25 | yy78日本人論の理論の理論


「今こそ全ての日本国民に問います」というナレーションが流れるNHKのクイズ・バラエティ番組が人気を集めているようです。全ての日本国民、という語感のレトロな諧謔性が現代の視聴者に新鮮なパロディと受け取られ好まれているようです。これは、しかしながら、日本人論の現代における変質をよくあらわしている、ともいうことができます。
すべての日本国民が同一の問いに集中する時代は、昭和が最後だったのではないでしょうか?昭和とそれ以前の日本人論はまさに日本国民の運命共同体について語っていました。すべての日本人は、日本人全体がどうなのか、どうなるのか、に強い関心を持っていた。そのことに自分と家族の生活と運命がかかっている、と思っていたのでしょう。
令和の日本人は違います。外国人との違いに興味を失ったわけではないけれども、いまや日本人の間の階層、職種別などの違いが自分の問題の根幹にかかわっているとの感覚が強くなっているようです。所得格差。所属組織、エリートと非エリート、富裕層と貧困層、学歴格差、与党と野党、世代間格差、男女格差、趣味、性格、社交能力などなどの相違点、メリットデメリットに関心を持ち話題にします。それに比べれば外国人がどうであるかには昔ほど関心がない。

昨今の日本人論としては、現状の経済的落ち込みの原因を旧来から言われている日本人の同調指向、統制好きに結び付けて論じる理論が目立ちます。昔から日本人は、個人的達成を認めず組織ブランドを信頼する。それがいけない。個人の責任を回避し組織とその構造に責任を負わせようとする傾向が強かった、と論じられます。
高度成長期には日本人集団の利点とされていたこれらの性向が逆転して、いまや生産性を損なうものとなった、と論じられています。
これらの反省的日本人論は、しかし、昭和期以前のそれと違い、あまり熱を帯びていません。理論としてもそれほど売れているようには見えません。自国の反省よりも近隣のライバル諸国の勃興がむしろ話題にされます。
中国、韓国、台湾、香港、シンガポールなど旧儒教文化の国々の新興が目立つ時代になりました。これらの国民の民族と文化は西洋と違い、日本人にかなり似ている。この状況で、日本と西洋との違いだけを強調して日本人論を論じる方法は説得力に欠けるでしょう。

それにかつての最大問題であった欧米との格差はすでに解消されている。大戦争のリスクは極小化している。現実に世界平和が続いています(拙稿75章「現代を生きる人々」)。













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日本人論の理論の理論(9)

2021-07-17 | yy78日本人論の理論の理論


さて昭和の終わりと同時に、日本の高度成長には早くも終焉が来ます。株価大暴落、地価バブル崩壊。その間、ソ連邦崩壊、米国一極化。本格的なグローバリゼーションが襲来します。
日本企業は一斉に中国をはじめとする人件費の安いアジア諸国に工場、技術、資本を移し始め、また製品の販売先である欧米諸国に生産拠点を移しました。結果、国内の産業は空洞化し、労働人口はサービス業など非正規雇用に重心を移し、海外投資からの利子配当金が増加すると同時に国内の賃金は上昇しなくなりました。
国内で完結していた官僚指導による生産秩序、企業集団、系列、年功序列終身雇用など、ジャパンモデル(ないしSCAPanese model)は昭和の終焉とともにグローバリゼーションに蝕まれ機能不全に陥りました。
世界の工場として石油と原料を輸入し自動車、家電、製造機械を輸出する生産システムは、西洋から来てわずかの間、日本で繁殖繁栄し、次に中国他、アジア諸国に移っていった、とみることができます。
つまりこのモデルは昭和に生まれ昭和の終焉までしか機能を発揮できなかった、いわば昭和ジャパンモデルと呼ばれるべき、ある時代に最適応した日本特有の経済社会システムであったといえます。

ちょうど平成元年からスイスのビジネススクールIMDが世界競争力ランキング(グローバルなビジネス環境に重点)を発表しはじめました。日本は世界一位でした。これが平成の最後の年二〇一九年には三〇位にまで落ちています。この落ち込みを経験したことは日本人論にどのような変化を与えたのでしょうか?












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日本人論の理論の理論(8)

2021-07-10 | yy78日本人論の理論の理論


敗戦直後に日本人論として広く受け入れられた米国人の著作では、西洋文化と日本文化との違いが強調されています。
日本人は集団主義的である。村落共同体志向である。恥の文化(一九四六年 ルース・ベネディクト「菊と刀 The Chrysanthemum and the Sword (1946)」)である。など人類学からの理論が日本人論として見られます。
一億玉砕(大本営発表)と叫んで敗戦し次の瞬間には一億総懺悔(敗戦直後の東久邇稔彦内閣)を唱えた政府。いかにも日本人らしい表現としてその後の日本人論に多く引用されています。
日本を占領した連合国軍最高司令官(SCAP)であったダグラス・マッカーサー(一八八〇年―一九六四年)は日本の戦時統制システムを換骨奪胎して脱軍事の政治経済システム(Japanese modelをもじったSCAPanese modelという)に改変しました。
わずか六年間のSCAP占領期間で現代日本の土台となるこのシステムが完成した驚異的な事実については、占領軍の立場を理解し意図を利用して協力の形をとった日本政府の改革努力が功を奏したという理論がありますが、これもまたタテマエの権力をダブルスタンダードとして利用することに長けているという日本人論になっています(一九九九年 ジョン・W・ダワー「Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II 『敗北を抱きしめて』」)。
SCAPanese modelの成功と朝鮮戦争特需に支えられて急成長した戦後日本経済は一九七〇年代には世界最高(一九七九年 エズラ・ボーゲル「Japan as Number One: Lessons for America」)と称賛されますが、この時期、国内でも日本人論は最高潮に盛り上がります。
この時代、若輩だった筆者はNASAやヨーロッパ宇宙機関での会議で生意気にも世界戦略などを述べたりしていましたが、欧米人たちが殊勝に聞いてくれているのでかえって心配になった覚えがあります。
日本人は忍耐強い、計画的である、用意周到に実行する、不言実行である、などなどと褒めながら、彼らも半分は本気でそう信じていたようです。











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日本人論の理論の理論(7)

2021-07-03 | yy78日本人論の理論の理論


明治期の日本人論の中には日本独自の武士道が近代化の基礎になったという理論(一八九九年 新渡戸稲造「Bushido:The Soul of Japan『武士道』」)があります。江戸時代の武士は各藩に所属し扶持米に依存し藩に忠誠心を持ち武芸とともに外国語である漢文の読解に励みました。
明治維新後、階級制は実質廃止されましたが、武士の子孫は官僚、軍人、教員など新国家の構築に人材を供給しました。つまり近代化を担うための人材が豊富であった、という理論です。
また富岡製糸工場の例にあるように労働者の教育が成功した。成功する条件、モラル、習慣、つまり近代化の素質が農民あるいは士族出身の労働者の中にもとからあった、という理論もあります。

開国で現前に現れた彼我の格差を知ってがく然としつつも無我夢中でそれを追ってついに追いついた。それは百年前かなり追いつけたと思うところまで来ました。その過程で国民としての集団意識が強く醸成されてきたとみることができます。また、ここに日本人論の原点があるといえそうです。
当時の状況を冷静に観察していた先賢は、日本人は背伸びしすぎて限界を越しているのではないか、という疑問を呈しています。
「体力脳力共に吾らよりも旺盛な西洋人が百年の歳月を費したものを、いかに先駆の困難を勘定に入れないにしたところでわずかその半に足らぬ歳月で 明々地に通過し了るとしたならば吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇り 得ると同時に、一敗また起つ能わざるの神経衰弱に罹って、気息奄々として 今や路傍に呻吟しつつあるは必然の結果としてまさに起るべき現象でありましょう。」(一九一一年 夏目漱石「現代日本の開化」)

第二次世界大戦での敗北によって日本は四等国に落ちた、といわれました。しかし四半世紀で経済を大復活させ、欧米に匹敵する大国として世界に再登場します。











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