現代先進国のシステムはまあ快適です。物価はまあ安定している。ただ、消費税を払わなければ買い物もできない。消費税を払えば自由に何を買ってもよい。実際には買うためのお金があまりないので本当に自由とはいえないが、お金さえ手に入ればいろいろ買えるだろう。自由とはそんなものだ、と思います。
このような現代先進国のシステムは強固です。モブ個人としては、制約された可動範囲内で動いていれば極端に不条理なことは起きない、と思えます。経済がまあまあうまく回っていれば、モブは穏当に毎日の生活を繰り返していればよい。つまり自己利益を追求して自律的に動いているように見えます。
モブは、システムで決まっている可動範囲内で自由に自己利益最大を求めて頑張ることができます。個々の動きはきまぐれでランダムに見えても統計的にはシステムの許容範囲内で整然と動いている。渋谷のスクランブル交差点のようです。
そうであればボスはシステムを維持するだけで統治できます。パワーを露骨に見せつけて威圧する必要はありません。モブもボスもパワーの発露を見たくない、見せたくない。実際、ほとんど見なくてすみます。
軍人系のボスは武力による抑止は得意だが、モブを萎縮させてしまう。官僚系のボスはうまくモブを懐柔できるが、セキュリティ保持に弱い。バランスが肝要、と昔からいわれる通りでしょう。
府朝議欲遣人行湘州事而難其人西中郎中兵参軍劉坦謂衆曰湘土人情易擾難信用武士則浸漁百姓用文士則威略不振必欲鎮静一州軍民足食無踰老夫(一〇八四年 司馬光「資治通鑑」)。
現代の先進国では武力が暴走しないように制約するシステム設定の知恵を持っています。たとえば司法の独立。透明性のある警察や裁判所やウオッチドッグをキチンと作っておけば大丈夫でしょう。軍隊はシビリアンコントロールが必要です。外国との抑止力バランスで適当な防衛武力を維持できるように立法が予算資源を調整するシステムを作っておきます。
あとはマスコミが時事評論をいろいろやってくれるので、それを参考に、外国のマスコミ情報や高名な評論家、学者の意見も参考にして、可及的すみやかに対応策を算出します。ほぼ正解な対応策で毎日システムをコントロールしていれば統治はほぼ完璧です。人工知能でもうまくできそうです。
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武力、軍事力は目に見える分かりやすいパワーですがその背景である経済力も、現代人の目には見えやすいパワーとなっています。
パワーの保有者もかつての軍閥から官僚、富裕層、資本家、大株主、さらに大企業経営者層に移っています。
統治システムは政治制度、法体系、行政組織、軍隊、警察など、見ようとすれば目に見えます。このシステムは時代とともに進化してきた結果の産物に違いありませんが、私たちはこれを、機械的静的な構造とみなす傾向があるようです。時間的に変化しない堅固な構造とみてしまいます。
システムの中で生きる私たちは、きっちりした今のシステムの安定性を信頼して、自分に与えられた可動範囲の中を動いていきます。
私たち個人個人とすれば、違反するとポリスに捕まるからしない、とか、逆らった言葉をいうとサークルから疎外されるからやめよう、とか思っています。こういう制約構造がシステムを支えている。その制約はシステムの構造から来ていますが、その構造はそもそもパワーが支えている。つまりパワーがシステムの土台になっています。
現存するもろもろのシステムは、これが進化の最終到達点であると思えば、絶妙に、あるいは巧妙に、うまくできている。たしかに個人の努力を超越した厳然とした存在構造に見えます。
私たち現代人は、結局いろいろ不満をもってはいるが、今あるシステムが最終状態である、と思っています。日本や欧米など現代の先進国では、とにかく平和である。しかもかなり安全である。そして実は、私たちはそのシステムを信頼している。そのうえで、まあ満足している。あるいは少なくとも、満足している、と思いたい。
百年前の哲学者の予言のようです。今や羊飼いはいない。いるのは羊の群れだけである。そう思わない者は精神病院行きだ。私たちは利口で現実世界をよく知っている。だからいつもシニカルだ。(一八八五年 フリードリヒ・ニーチェ「ツァラトゥストラはこう語った」)
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法や規則が遵守される社会である場合、そのルールに則って選挙などで統治権を得たものがボスになります。ルールで構成される統治構造の上でボスは動きますので、信頼性があり、責任は明確です。
つまり統治がうまくいくためにはボスがパワーを持つだけではなく、そのパワーを埋め込んだ統治構造、ガバメントシステムができている必要があります。封建システムとか独裁システムとか資本主義システムとか官僚システムとか、多国籍企業システムとか、それなりに安定して継続するシステムです。ボスがその上に座れる既存の統治システムがあればとてもよい。なければ自分で作らなければなりません。
統治システムを新しく作るのはとてもむずかしい。現実世界ではゲームのように簡単にできません。現存のシステムを壊して新しく持続可能な統治システムを現実に作ることは至難の業です。レーニンや毛沢東のような天才でも欠陥品しか作れませんでした。岩倉具視もまあ成功した天才的ボスでしょう。
革命を起こして新しいガバメントシステムを作る。強烈なパワーを身につけた天才ボスでなければできません。しかしパワーで統治権を奪うことに成功しても持続するシステムの構築はさらに難しいようです。徳川家康は持続する完璧な封建システムを作った天才です。
ボスが持つべきものはパワーとシステム。君主に必要なものは軍隊と法である、と昔の賢人は書いています(一五三二年 ニコロ・マキアヴェリ「君主論」)。君主論で称賛されているスペイン王国の創始者フェルナンド二世(一四五二年ー一五一六年)は休みなく対フランス戦、対ポルトガル戦、カスティーリャ統一戦、グラナダイスラム王国殲滅戦、再度フランス戦、ナポリ平定戦など戦争に次ぐ戦争を起こし、その過程で最強の軍隊を育て豪族たちを自分の封建システムに組み込んでいきました。戦争が王のカリスマ性と統治の大義を正当化する、とマキアヴェリは書いています。
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まあ、パソコンの能力はだんだん良くなるでしょうから、ボスのキャラクターをいろいろ面白くすることができるはずです。たとえばエリート型ボス、ヤクザ型ボス、ペテン師型ボスなどいろいろ作って、リアル世界をシミュレートできるでしょう。
エリート型からボスが出ればよいのですが、腐敗官僚とかヤクザ政治家とかエゴイスト幹部とかがボスになってしまうと国がダメになるでしょう。ペテン師や手品師が支配する独裁国家などがありうるわけです(一九〇〇年 ライマン・フランク・ボーム「オズの魔法使い」)。国が健全に統治されるためには、その統治者のボスが自分の指示した結果に責任を持たなければならない(一九一九年 マックス・ヴェーバー「職業としての政治」)ということでしょう。
ボスモブが他のモブをしっかり統治しているとすれば、統治力、つまりガバナンスを持っている、といえます。統治の源泉は、たしかに圧倒的な武力パワーです。剣を伴わない契約は人を拘束する力を持たない(一六五一年 トマス・ホッブズ「リヴァイアサン」)といえます。実際、昔の統治者、貴族やサムライは甲冑をまとい馬にまたがって剣と槍を持っていました。
しかし武力パワーだけでは一時的な支配はできても長期にわたる統治はできません。では、ボスモブはどのようにしてゲーム世界を統治すればよいのか?
統治するためにはボスがパワーを発揮した結果の責任を取れる構造がなければなりません。人格者であるカリスマ統治者の場合、統治される人々はその人格を信頼して従うことができます。カリスマは人格者なので堂々と結果に責任を取ってくれるでしょう。
封建社会など伝統的社会である場合、世襲などによって君主の地位につく人は統治の結果責任をとってくれるはずです。王室の存続という責任です。その世襲地位の権威がパワーの源泉になっているので力強い統治がなされます。
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エリートにとっては、モブは国を構成し税金を払ってくれる栄養供給の源泉ですが、統制に失敗すると群集心理が暴走して何をするか分からない怖い存在でもあります。モブが自己利益だけを夢中で追求していてくれれば問題はありませんが、だれかに扇動されて変に政治や宗教に染まると危険、ということでしょう。
英語でモブとは、群衆、暴徒、ヤジ馬、下層大衆という意味で使われます。この語は、上から目線での軽蔑と恐怖の混ざった感情的表現です。
マインクラフトの目線はどこなのか?上からのエリート目線でもなさそうです。自分の手が見えている。眼の前に現れているものがよく見える。はじめて世の中に飛び込んでいく若者の目線でしょうか?実際、プレイヤーはモブを利用したり、ときにはそれに襲われたりして、スリルを楽しむ仕掛けになっています。
さて、マインクラフトではボスモブというモブが登場します。ボスモブは異常に体力が強く、その破壊力を皆が恐れています。ボスモブは強烈な破壊力を持っていて、これに遭遇したプレイヤーはたいてい殺されてしまいます。するとゲームは終わってしまいます。
ボスモブは、他のモブよりも格段に破壊力つまり武力、パワーがある。他のモブが簡単に倒されてから登場して驚異的な力でプレイヤーを倒します。その力をもってすれば他のモブを威圧し支配できるでしょう。ガキ大将や暴力団の親分、というイメージです。ボスモブが、そのパワーを利用して周りのモブたちを威嚇し支配するところまで狡猾になれば現実世界に似てくるのですが、ふつうビデオゲームはそこまで設計されていません。
さらにゲームをリアルにするために、ボスを支配するボス、そのまた上のボス、というようなピラミッド構造ができてくると、現実社会のマフィアとか官僚制国家のようになっておもしろい。残念ながら、マインクラフトではそこまで複雑には設計されていません。
ヴィジュアルな動画を楽しむゲームでは、目に見えにくい社会的な構造を作るよりも、見て分かる物理的な構造を精緻に作るほうが楽しくプレイできるからでしょう。やたらに複雑な社会的現実を模擬しても、絵にならなければユーザーがついてこない。それにシステムを複雑化すると、実際、市販のパソコンの能力を超えてしまうので組み込めません。
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