もともと身体に合わないから嫌いである勉強が、社会的抑圧と認識されると、ますます逃げたくなります。嫌いな学校に閉じ込められる若者は、実際にそこから退出(登校拒否、中途退学)したり、実質的に退出(サボリ、内職)したりします。退出者が少数である場合には、残りの健全な若者を効率よくまとめるために、落ちこぼれは排除できるシステムが便利です。
落ちこぼれの割合が相当な割合になると、これは困る。学校制度を改革する必要が出てきます。落ちこぼれる若者と、こぼれない者とを分けて取り扱う制度を考えるとか、勉強内容をぐっと易しくする、とかの対策がとられます。
しかし若者を選別したい側、採用企業や人事担当者の側からすると、いずれにしろ、落ちこぼれずにつらい勉強に耐える者だけを見分ければよい。それには正しく学歴を判定すればよい。正規の学校に通って正規の課程で教育された若者を選定すればよい、ということになります。情実や不正や偶然の要素が入らないような正規の卒業証書を得た者を選定する作業になります。
何が正規なのか、ふつうそれは政府が決めます。各国の政府は国際競争を意識しますから先進国の教育は結局似たようになります。他の国も追随する。教育のグローバリゼーションです。
しっかりした国ほど、正規の教育が普及するでしょう。これは良いことですが、それで勉強が嫌いな若者が救われることにはなりません。情実や不正や偶然の要素が排除されるほど、平等さが増すほど、競争は激化します。根本にこの構造がある限り、学校改革の成果は、結局は、勉強のつらさを緩和することはできないでしょう。
勉強のつらさの根本原因が学歴を求める競争にあるならば、競争を抑制すれば、つらさも少なくできるのではないか?たとえば、性別で差別することを禁止するように、学歴、学校歴で差別することを禁止したらどうでしょうか?
ところが実際は、禁止できない。なぜか?まず、禁止する必要がない、という意見が世の中に多くあるからです。若者を勉強に駆り立てるには学歴獲得を目指させる必要がある、学歴獲得が社会への入り口である必要がある、という考えは、実はかなり根強い。
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たとえば、クロスワードパズルを勉強しています、と言っても、ふつう勉強とは思ってもらえません。楽しみで楽にしている、と思われるからです。
現代経済学を勉強しています、GDP概念を理解しました。と言えばいかにも勉強家らしい。上司に言われたのでGDPR(欧州一般データ保護規則)への対策を研究しています、とか半値八割二割引(下げ相場の格言)を応用しています、とか言う場合、ふつう、実務ではあるが勉強という範疇にあるか、疑問ですね。
勉強とは、たいていは、顔も知らない大先生が書いた抽象的な文章や数式を苦しみながら理解して、自分で応用できるようになることです。楽にできるようならば、勉強とはいえないでしょう。
社会にとっては、協力する能力が高い人間が役に立ちます。社会を支配しているシステムの維持拡大を求める人々は、そういう人を選んで仲間にしたい。選別のために評価したい。それは長期間、学校に通ってつらい勉強に耐える能力を評価すればできます。
学校に通って勉強に耐える能力を評価する制度が学歴であり採用試験です。それによる選別の結果、若者の社会的価値、つまり収入と待遇の格差ができます。
そうであるから、社会の入り口における競争、つまり学校での勉強における競争が激化する。若者はまず学校の入り口に殺到しなければなりません。それは学校への入学と卒業の人数枠をめぐる争いになります。
受験競争といわれるこの状況においては、勉強は、つらさを耐える実績を得るためにつらさに耐えるという苦行です。これは超長期間続く我慢大会になってきます。
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勉強を強いられる青少年のほうは、書物に向かって身体を押さえつけられる抑圧を嫌がるのは当然です。若者は勉強が嫌い。文章が嫌い。特に長い文章が嫌い。
だれかが書いた文章を読み取って理解することは、いくらかの努力を必要とする。理解することは脳神経系への負荷です。身体にとってのコストです。コスト負荷は避けるべきでしょう。動物としては。
社会の要請としての勉強とそれを忌避する若者という図式は、あらゆる文明社会のストレスとなっています。まずエリート層の子弟が勉強を強いられ、続いて庶民層の子弟もまたそれを追うように仕向けられる。
この図式は人類文明の構造をなしているので容易には改善できません。各国で頻繁に試行される教育改革もなかなか成功しません。
学校や大学の構造を改善すれば、若者は救われるのか?勉強がつらい原因は本当に学校の構造にあるのか?学校の内容がどう変わっても依然として、勉強のつらさは変わりないのではないでしょうか?
今は公務員でもノーネクタイですが、筆者が現役の頃は、男の公務員や会社員は全員ネクタイを締めていました。暑苦しい。でもやめない。というか、暑苦しいからこそ、ネクタイをやめない理由があった、と思います。
だれもが勉強は嫌だからこそ勉強をやめてはいけない理由があるのではないか?もしそうであれば学校を改革しても事情は変わらないでしょう。
紙に書かれた文章を認識するという、退屈な、めんどうな作業を続けられる、そのつらさに耐える若者を文明社会は要求しているのではないでしょうか?
そうであれば、勉強という試練は、そもそもつらいからこそ存在していられる。もし仮に、楽で楽しければ世の中に存在しているはずがないようなものなのかもしれません。
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正しく育つ、とはどういうことか?
粗暴な行動をしない。静かに人の話を聞いて、上の人の言うことを納得し、尊敬するようになる。文字に書かれた文章を信頼し、その文章を作り出した大人たちの社会を信頼するようになる。その結果、素直に人と協力できるようになる。周りの人の気持ちを理解して期待された行動を取れるようになる。そのように正しい人間になることが重要です。
静かに文字を読むことで、書いた人の心を冷静に読むことができるようになるからです。文章を書いた偉い人たちの心を読むことができる。社会の骨組みを作っている人々が共有している大事な知識、価値観を理解することで、その人達が何を期待しているかを理解し、社会に出て人々と協力できるようになります。そうなることが大事であることを理解し、そうなった先輩たちを尊敬し、そうなった人々で作られている社会を信頼するようになるはずです。
そして互いに安定した人間関係を作り、集団として、組織として、行動ができるようになる。社会のために組織された、家族ではない人たちと、すぐに協力できるようになる。若者たちをそのように育てるために、社会は、勉強を強いる必要がある。権力者たちは昔からそう考えていたし、今もそうです。
若者たちを強いて、テキストに向かわせ、文字や数字を読みこなし文章を読めるようにしつける。そうなれば協力して生産力を保持し、さらに文章とデータを使う社会を作り出していけます。知識と道具を活用する近代的な生産システムを発展させることができ、そうして社会を強く維持する事ができる。
文字を介して社会システムを維持する。それは近代以前から、歴史時代から社会の支配者が持っていた暗黙の知恵です。したがって文明社会は、伝統的に、青少年に勉強を強いる社会となっています。
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