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哲学の科学

science of philosophy

徒歩圏宇宙の構造(7)

2019-03-30 | yy67徒歩圏宇宙の構造


徒歩圏宇宙の概念は、都市計画にも使われています。
アメリカでマイカーが普及し始めた一九二〇年代、自動車を迂回させる徒歩圏サイズの居住域を建設するアイデア(一九二九年 クラレンス・A.ペリー『近隣住区論:新しいコミュニティ計画のためにThe neighborhood unit: in regional survey of New York and its environs』)が提唱されました。これが現在各国の都市計画の原型となっています。
小学校の周辺、半径四百メートルくらいの住宅地に公園、商業店舗、医療施設、レクリエーション施設など公共施設を配置することによって、だれでも徒歩八百メートルの徒歩圏内だけで生活できるコミュニティを作り出すという概念です。
国土交通省の都市計画運用方針(二〇〇一年策定)ではこのアイデアを敷衍してコンパクトシティという概念を提唱しています。自動車に阻害されずに徒歩一キロメートル以内くらいで生活に必要な公共施設、商業店舗などに到達できるコンパクトな居住街区を指します。
都心部では、古い建物や施設を改築してまとまった再開発エリアをつくるプロジェクトが実行されますが、なかなか徒歩圏宇宙の広さを確保できません。細長い遊歩道がしばしば作られています。河川や線路を歩行者道路や遊歩道に変えます。キャットストリート(1.7キロメートル 旧渋谷川暗渠)、ニューヨークハイライン(2.3キロメートル 旧高架線路)など、人気の散歩道になっています。これらの細長い空間も長さは徒歩圏宇宙の大きさにだいたい当てはまっています。人が気楽にぶらぶらと歩けるように設計されているといえます。

マイカーで高速道路をどこまでも遠く走る、というアメリカンドリームにあこがれる人は減ってきたようです。逆に徒歩圏内で生活する。遠くへは行かないで済ます、という人生が理想なのか?哲学者カントのように、一生生まれた町ケーニヒスベルクを出ずに過ごす。あるいは小国寡民。隣国相望鶏犬之声相聞民至老死不相往来(老子道徳経)というごとく、宇宙船のような徒歩圏宇宙の内部で一生を終える人民の世界が理想的なのでしょうか?

拙稿の見解によれば、徒歩圏宇宙は人間の身体に付着している空間というべき概念です。その内部だけで動いていれば『旅に出る』という緊張感を持たずに過ごすことができる。エンジンやモーターのようなエネルギー駆動機械に依存せずに人力だけで日常生活をおくれる、というイメージのエコなシステムです。閉じたシステムともいえます。なんとなく、ポストモダンの感じがしますね。古き良き日のイメージであると同時に、未来的イメージとも思えます。
一方、日常生活の退屈から逃れて遠くに旅行する、という趣味の人も多い。これは安楽すぎて退屈な徒歩圏宇宙から非日常的な世界へ、時々は脱出したいという、これももっともな欲求です。いずれにせよ、徒歩圏宇宙の境界が日常と非日常の境界となっています。

宇宙飛行士はロケットに乗って、非日常的に、宇宙へ脱出するが、到着点には宇宙ステーションがあってそこで宇宙服を脱ぎ、安楽な日常生活を享受する。これがステーション宇宙です。退屈すると、宇宙遊泳などをしてスリルを楽しみます。さらにそこから他の惑星に向かう計画を立てるでしょう。宇宙時代であっても、いつまでたっても人間のすることは変わらない、といえます。■








(67 徒歩圏宇宙の構造 end)





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徒歩圏宇宙の構造(6)

2019-03-23 | yy67徒歩圏宇宙の構造


人間の工作物の一種として、歩く楽しみのために作られる空間があります。人工的な徒歩圏宇宙です。

まず庭が最も素朴な人工徒歩圏です。はるか昔から作られています。住宅の庭、中庭、共有空地、コモン、公園など。歩けないくらい小さい坪庭などから富士箱根伊豆国立公園くらい大きなエリアまで、いわゆる庭という概念でくくれます。楽しく歩くためにある、という共通のイメージがあります。だいたいは徒歩圏内に入る大きさでしょう。ふつう、大きくても半径八百メートル前後。ニューヨークセントラルパークや新宿御苑くらいの大きさになると、徒歩圏をいくつかつないだ大きさです。国立公園は大きすぎて、徒歩圏の概念の外ですね。
これらの庭の中には、まず工場や会社など生産的な施設はほとんど入っていません。自動車道路も、原則、ない。ベンチや東屋のようなリラックスするための工作物が設置されています。植木、植え込み、花壇、池、など自然を模擬した人工的風景として作られています。つまり、楽しむための空間を作ると、こうなるのでしょう。
現代の都市開発で、しばしば行われている歩行者専用エリアは、人工的で快適な徒歩圏宇宙を作っていくことです。市街地に、半径八百メートルくらいの歩行者エリアを作ります。徒歩圏の大きさの人工空間を作る。フェンスなどで外界と隔離された孤立した閉鎖空間。いわば巨大宇宙ステーションです。
銀座の歩行者天国(長さ千メートルくらい)、ディーズニーリゾート(半径八百メートルくらい)、 御殿場アウトレット(半径八百メートルくらい)、などの近年作られた歩行者専用エリアは、ちょうど拙稿のいう徒歩圏宇宙の大きさになっています。遊歩道沿いに店舗あるいはアトラクション施設が立ち並ぶ、思い切り斬新なデザインの街路になっています。自動車道路のような緊張を強いるものはありません。
昔作られた公立の都市公園は大きさが徒歩圏より少し小さくて、日比谷公園、浜離宮、新宿御苑など、どれも半径三百~四百メートルくらいです。境界線が近すぎて外の世界が意識できてしまう。少し大きい宇宙ステーションというところですね。むしろわざと外界が見えるように、小さく作ったのかもしれません。境界線の外側は建て込んだ高層ビルなど市街地であり、これらの公園は何もない空間。そのコントラストが美的魅力を作り出している。
境界がぼやけるような徒歩圏宇宙の概念を実現するには半径で倍くらいが必要です。東京ではあまりありません。上野公園、代々木公園、井の頭公園、小金井公園、昭和記念公園などの大きさがちょうど拙稿のいう徒歩圏宇宙の大きさになっています。この大きさになると、中心に立つとき遠い境界線が意識できません。













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徒歩圏宇宙の構造(5)

2019-03-16 | yy67徒歩圏宇宙の構造


徒歩圏という語は不動産業界で作られて、もっぱらそこで使われていますが、便利な概念です。人間の空間感覚をよく表している。徒歩でラクラクと行ける範囲の空間は、感覚的に、それより遠い空間とは違う構造をしている。そもそも空間とは人間にとって先験的に身についている直感の構造である、とカントは言っていますが、徒歩圏宇宙はまさにこの直感的構造です。
「どちらまで?」「すぐそこまで」というとき、そこというのは徒歩圏内ということでしょう。飛行機に乗って一週間の旅にでかけるとき、すぐそこまで、とは言わない。空間の性格が違う。「すぐそこ」というときの「すぐ」は十分くらいの時間を指す。「そこ」は八百メートル以内の距離を指す。そうであるとすれば「すぐそこ」すなわち徒歩圏宇宙の内部、ということです。
一方、徒歩圏宇宙の外部空間、つまり遠い空間の構造はマップの構造です。地図を広げて一点を指差し、ここに行くのだ、と思う。自分がその地図上のどの地点に今いるか、よく自覚しています。そういう空間は幾何学的空間です。外国に行く場合など、地球に沿った球面幾何学の世界です。飛行機航路や鉄道路線図に沿った構造を持っています。東京から新大阪まで何時間何分かかるかが重要。切符代も気になります。
遠い空間は構造がはっきりしている。詳細な地図ができている幾何学的な空間です。そうでなくては、人間は遠方へ出かける計画など立てられません。数万年前の狩猟採集の時代、ある部族長は数十キロ先へ行く遠征計画を立てたでしょう。たとえば縄文時代、大阪から奈良への大遠征。地図無しで行く。それは彼が英雄的な知力と胆力の持ち主だったからです。
そういう遠距離空間に比べて徒歩圏宇宙の構造は、何もかも明確ではありません。まず紙に描いたマップがない、というよりいらない。体感でわかる。間近の部分は鮮明に見えています。遠いところは、ぼやっとは見えるが体感に響かない。であるから徒歩圏境界のあたりは存在感が薄い。イメージはあるが、ぼやけています。
しかし遠くを気にする必要はありません。徒歩圏内であれば、ラクラクと歩いていられます。見通せる距離ですから、安全かどうかは見れば分かる。安心できるとき進めばよい。間違ったら引き返せばよいだけです。いずれにしろ、通過するのに大した時間はかかりません。

徒歩圏宇宙の中だけを歩きまわる、という場合、私たちは気軽に歩きだします。遠くに行かなければならない場合と違って、緊張感がまったくない。そうであるから、逆に、人を気楽に歩きまわらせるためには、ここは徒歩圏内ですよ、と知ってもらうとよろしい。半径八百メートルくらいに境界線を引いて、この中だけ歩いてください、といえば気軽に歩きだしてくれるわけです。












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徒歩圏宇宙の構造(4)

2019-03-09 | yy67徒歩圏宇宙の構造


ウオーキング、つまり散歩は最も高尚な趣味である、と百年前の知識人は言っています。「目的があつて歩くものはだと、彼は平生から信じてゐたのであるけれども、此場合に限つて、其の方が偉い様な気がした(一九一〇年 夏目漱石『それから』)。」
でない人、つまり紳士とかサムライとか高等遊民とかは、ようするに行く先も決めずに徒歩圏宇宙を遊泳することができるのである、趣味の散歩である、と言っているようです。
散歩の場合、よほど暇人でない限り、二十分か三十分で切り上げて仕事など必要な所用に戻ります。まったくの時間つぶしが必要な暇人であれば、時間も気にせず、さらに散歩を続ける。ポケモンゴーをしたり、インスタグラムにアップする写真を撮り続けます。パチンコ屋に入る人もいます。しかしたいていは、夕方になるとか、ある程度の時間を過ごせば帰途につく。あるいは居酒屋に入る。山頂とか川岸とか、商店街の端とか、休憩所とか、なにかを目標地点として、そこに達すると帰り始めます。それまでは次々と徒歩圏宇宙を乗り換えて、ふらふらと渡り歩いていることもできます。
小学生の頃は学校の帰り道に野良猫がいると、それを追って横丁に入ってしまいます。チンドン屋が通ると当然それについて隣町まで行ってしまう。ハーメルンの笛吹のようです。子供は徒歩圏宇宙の中だけに生きている。

地図を見る、あるいはグーグルアースを見ると、徒歩圏宇宙の外側に無限の世界が広がっています。しかし実際、地球を俯瞰できる人は宇宙飛行士だけです。地面にへばりついて生きているふつうの人間ほか、あらゆる生物は、自分の身長の千倍くらいの直径の移動可能圏の内部しか、感覚器官では感知できません。徒歩圏宇宙の外側は、地図のような知識と経験と想像で頭の中に描いている世界でしかない。
目や耳や嗅覚など、人間の感覚器官で瞬時に感知できる、あるいはすぐに感知できるような気がする空間がここでいう徒歩圏宇宙でしょう。ちょっと小高い丘があれば見通せる範囲。あるいは大きな木に登れば見渡せる範囲です。

この空間は自分の身体とともに動きます。自分の身体にまとっている衣服のようなものです。巨大な宇宙服です。はじめの一歩を踏み出した途端、半径八百メートルくらいの球形空間が、身体の延長として身体にくっついて動いてくる、というようなことでしょう。その中では端まで行けばそこでまた同じような徒歩圏の中心に自分の身体がある。そこから動いても動いた分だけ徒歩圏がずれてくるだけです。
カーナビやスマホナビの四角い画面のようです。動いた分だけスクロールしてくれる。逆にいえば、スマホのナビ画面は徒歩圏宇宙を画像化したデジタル製品です。当たり前ですが、移動した分だけ自分は違う場所に来ているはずです。それは間違いなく感じ取れますが、そこであらためて感じ取る徒歩圏はいつも同じような感じで自分の身体の周りにあります。











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徒歩圏宇宙の構造(3)

2019-03-02 | yy67徒歩圏宇宙の構造


徒歩圏宇宙の外に行く場合、意識が違ってきます。まず行き先を意識する。次に経路を意識します。乗り物が必要である場合は経路や混雑状況、所要時間、交通費をチェックする。徒歩の場合であっても、遠くへ行くとなると、どこをどう通って何時間かかるか?どのくらいくたびれそうか?ペットボトルが必要か?などを推定しておく必要がある。経路に間違いはないか、わずかではあるが緊張します。まったく気軽に行くということではない。こういう場合、ふつうの意味で『行く』、『移動する』という言葉が当てはまる。
徒歩圏内を動く場合は『行く』、『移動する』というよりも、『ぶらつく』とか『歩く』とか『近寄る』とかいう言葉のほうが適当でしょう。
自動車を使えば行動範囲は広がる。数分で行ける距離は十倍に広がる。数千メートルくらいでしょう。それでその半径数千メートルの円盤はマイカー圏宇宙と言えるか?気軽に運転していけるならば、その空間をマイカー圏と呼んでよいでしょう。運転がかなり上手な人の場合ですが。
マイカーで行く、というと自由に移動できる、というイメージがあります。しかしマイカーでの移動は徒歩に比べると実際は、意識的に、かなり面倒です。まず、走る前にガレージに行き、そこから引き出さなければならない、という小さなストレスがある。運転中はいつも行き先を記憶していなければならない。次にどの交差点を曲がるか、あらかじめマップを頭の中に描かなければなりません。交差点でのレーンを間違えると戻るのはかなり面倒です。カーナビをセットするか、あるいは頭の中がナビになっていなければなりません。運転を開始したら、速度制限を守らなければならない。勝手に駐車してはいけません。なにより安全運転義務が課されています。
自転車やバイクならば楽かというとそうでもありません。自転車もバイクも収納場所から引き出さなければならない。ロックを解錠しなければならない。バイクはヘルメットをかぶらなければなりません。止まるたびに足を降ろさなければならない。駐車にはスタンドを降ろさないとならない。道路際に放置すると、叱られる、または盗まれる。気楽に行ける場所は、いつも行く近くのスーパーや駅の駐輪場くらいしかありません。
ようするに、これらいろいろの理由で、徒歩にせよ乗り物に乗るにせよ、徒歩圏宇宙より遠方に出かけるのは大小のストレスがあります。私たちが、野良猫のように無意識に気楽に動き回れる場所は、結局、徒歩圏宇宙の中しかない、という結論になります。これが徒歩圏宇宙独特の気楽さ、心地よさという感覚に結びついています。その中にとどまっていればストレスが無い。着慣れた服を着ていればリラックスできる、というような感覚ですね。








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徒歩圏宇宙の構造(2)

2019-02-23 | yy67徒歩圏宇宙の構造


徒歩圏宇宙からワープする場合、高速移動システムに搭乗する。つまり自転車に乗る、または車を運転する。あるいはタクシー、バス、電車に乗った場合、徒歩に比べれば当然はるか遠くに行くことができます。電車で遠距離通勤する人は、らくらくと隣の県、さらに隣の県との間を毎日往復するでしょう。
それでも乗り物を降りてから、いくらかの距離を歩くことになります。つまり、駅から出てそこの徒歩圏に入る。乗る前の徒歩圏宇宙から降りた場所の徒歩圏宇宙へワープする。高速移動の最中は着いた先の徒歩圏宇宙の構造などは考えません。とにかく目的の駅に降り立ってから、そこでの徒歩圏はどうなっているかな、と考えればよろしい。
結局、だれもいつでも、乗物から降りて歩きだしたとたんに、自分の周りに広がる徒歩圏宇宙の中心に自分がいる、ということでしかない。徒歩圏宇宙は広げることも縮めることもできません。その人の直感で決まっています。
この宇宙は、どこへ行こうという意識を持たずに身体が移動できる範囲のことです。ふつう円形で境界の円周に囲まれているはずですが、どこが境界線かは自覚できません。しかしこの宇宙の実際の大きさはだれもあまり違いはない。だいたい半径八百メートル前後でしょう。
昔の人が使った距離単位は、たぶん、徒歩圏の大きさから来ているようです。たとえば一里は江戸時代からは四キロメートルになりましたが、鎌倉時代以前は、七里ヶ浜を見ても分かるように、六百メートルくらいでした。西洋のマイルは古代ローマのmilliariumから来ていて、これは二千歩(千複歩)ですから千五百メートルくらいです。徒歩圏の直径ですね。感覚的にそのくらいの距離がすぐ歩ける範囲ということでしょう。徒歩圏の概念に一致します。
自分の徒歩圏宇宙の中ではいつでもどこでも自由に行ける気がする。さっと行ける。すぐ行ける。すぐ戻れる。一方、この宇宙の外に行こうとすると、気楽に簡単には行けない。行き先を意識してしまいます。徒歩圏の内側と外側は感覚的に違う空間です。







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徒歩圏宇宙の構造(1)

2019-02-16 | yy67徒歩圏宇宙の構造

(67 徒歩圏宇宙の構造 begin)





67 徒歩圏宇宙の構造

徒歩で十分くらいの距離を徒歩圏という。
不動産広告などに〇〇駅から徒歩十分などと書かれている場合、一分で八十メートルの速足で歩けば、十分でその物件に到着できます。つまり半径八百メートルの円内が徒歩圏。面積は約二平方キロメートルですね。
すぐ行ける距離内が徒歩圏。逆にいえば、それより外側の世界は「さてどこへ出かけるか」と計画しないと出かけられない遠方です。

徒歩圏内ならば、強い意志を持たなくてもぶらぶら歩いているうちにすぐ着きます。角のコンビニでアイスを買うか買わないか、決めなくても出かけることができる。さっきは買わなかったがやはり買いたい、ということになれば、もう一度出かければよいからです。
途中に歩道橋などあると嫌ですね。向こう側にわたる勇気が出ない。交通研究者によると、歩道橋の向こう側では徒歩圏が実質七十メートル縮まる。高齢者の場合、百六十メートルも縮まるそうです。半径八百メートルの徒歩圏は歩道橋があると(高齢者の場合)半径六百四十メートルになってしまうということです。
アインシュタインが言うように宇宙ではブラックホールなど大きな物があると空間がかなり歪む。徒歩圏宇宙では歩道橋や信号が長い交差点があると、空間はやはり歪みます。歩道橋の他、工事中の道路、狭すぎる歩道、変な行き止まり、なども徒歩圏宇宙を歪ませます。
さて、とにかく十分か十五分くらい、ぶらぶら歩くと徒歩圏宇宙の果てに行きつきます。そこから周りを見渡すと、ふつうまた徒歩で進める空間が広がっている。今ここを中心として半径八百メートルの円が、今また新しい徒歩圏宇宙になっています。
そこでこの新しい宇宙を進んでみます。もと来た方向へ戻らずに新しい方へ行ってみましょう。もちろん、徒歩で。

町中であれば、たいていは同じような街頭風景が広がっています。ランチを食べる店を探すとか、目的があれば、目がきょろきょろして店の看板などがよく見えます。逆に食べ物屋以外のものは見えない。美人を見つけたり花が咲いているのが見えたりするときは、目的もなく散歩しているときですね。散歩のときは徒歩圏宇宙の宇宙遊泳。徒歩そのものが目的です。
行き先がはっきりしているときは、最短距離で行く。できるだけ直線で進む。放置自転車なども邪魔です。
ルーティンになっている歩行は徒歩圏内が多い。通勤通学とか、車でない場合、徒歩圏宇宙の圏内に駅やバス停があれば使います。そこまで毎日同じ道を歩く。ふつう最短経路を取ります。行き先がはっきりしている場合、最短経路を取ることが一番楽です。
ルーティンな徒歩圏内では、目をつぶっても歩ける、というほどではありませんが、経路を意識せずに歩けます。らくらくと歩きスマホ(あるいはフォーンウオーキング)できる。どこを歩いているかなど意識せずにスマホに集中しながら移動できます(危険ですが)。逆にスマホで遠くの(友達の)宇宙につながっていないと、頭が暇でしかたない。前を美人が歩いていれば別ですが。

徒歩圏から出る場合。つまり八百メートル以上遠方の目的地へ徒歩で行く場合、徒歩圏の縁くらいに中継点を決めて、それを目指す。大きな交差点などです。それを目指して最短経路で歩く。
中継点に達すると、次の中継点を目指す。それも当然、次の徒歩圏の縁にあります。
これを繰り返して遠方の最終ゴールを目指します。徒歩圏の周りの風景は、ふつう、どんどん変化していきます。それで退屈しない。歩いても歩いても変化がないと、かえってつらい。
知らない土地で、完全な直線を一時間以上も歩くという経験は、皆さん、一生に何度もないでしょう。筆者は二〇代の頃、アメリカ中西部の、三百六十度地平線しか見えない草原を走る完全な直線道路を、一時間半歩いて空港にたどり着いたことがあります。レンタカーを借りるにはそこしかないと言われたからです。途中でタクシーかバスに乗れば良い、という東京人の間違った常識で歩きはじめました。実際はバス停もない。タクシーどころか車もほとんど走っていない。その土地の現実を認識した頃には、戻るのもいやになるほどホテルから離れてしまっていました。
閑話休題。目標地点がかなり遠い場合、気楽に歩いていくということはできません。地図を見ながら、あるいはナビを見ながら歩く。あるいは富士山やランドマークタワーなどを目指して歩く。つまり遠い目標に向かって最短経路を黙々と歩く、ということになります。徒歩圏を次々と貫いていかなければなりません。ゴールを強く意識してしまいます。
らくらくと気楽に歩くためには、やはり、遠いゴールなど決めてはいけません。徒歩圏内から出ることを考えないで数分だけ歩いてみる、というようにする必要があります。もちろん結果的には出てよいのですが、出た後のことは考えない。
徒歩圏の端に着いてしまったならば、改めて、そこを中心とした新しい徒歩圏を思い浮かべればよろしい。その新しい徒歩圏宇宙を感じ取った上で、あらためてその中を数分だけ動くことにする。これを繰り返して、実際ずいぶん遠くへ行くことができます。






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