(34 この世に神秘はない begin)
34 この世に神秘はない
一五九六年というと、フランスではデカルトが生まれた年で、日本では豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵していたころですが、オーストリアでは二十五歳の天文学者兼占星術師ヨハネス・ケプラーが「宇宙の神秘」(一五九六年 ヨハネス・ケプラー『宇宙の神秘』)という本を出版しました。コペルニクスの地動説(一五四三年 ニコラウス・コペルニクス 『天球の回転について』既出)を擁護する本です。
水星、金星、地球、火星、木星と土星、これら六個の惑星(天王星、海王星などは発見されていなかった)は地球を中心に惑っている星なのではなくて、太陽の周りを整然とした楕円形を描いて周回しているのである、惑星を動かす力はその軌道における太陽光線の強さと比例しているらしい(のちにニュートンが発見した万有引力)、と書きました。この整然とした法則性は、まさに神秘である、神の意思を表す宇宙の神秘的な秩序である、と彼は書きました。
十七世紀頃、最先端の知識人にとって世界最大の神秘は、宇宙の秩序であったのでしょう。現代でも、宇宙があることの神秘に人は魅かれます。
ケプラーが描き出した太陽系の軌道はニュートン力学を使って計算すると明快に導き出せます。つまりニュートンが作り出した科学によれば、太陽系は宇宙のどこにでもあるはずのありふれた惑星系の一つであることが分かる。実際、最新鋭の天文観測により最近の十数年で次々と太陽系外惑星系が発見されています。
現代科学によれば、宇宙は百三十七億年にわたって膨張し続け冷え続けているが、その過去を観測するためには高性能の望遠鏡が必要となる。肉眼で見えるものは宇宙のごく一部であり、時間的には一瞬の姿であるので、身の回りを見渡しているだけで毎日を過ごしている私たちには、永遠に変化しない宇宙の風景、つまりありふれた月や太陽や星々しか見えません。
私たちの惑星である地球については、人類の活動、つまり産業化と都市化が進み、人の住んでいる土地の風景は十年単位で変わっていくのが現代の時代ですが、それが宇宙の神秘とは思えませんね。
現代人にとって、宇宙の神秘は、ビッグバンなどの無から宇宙が生じたという話、あるいは宇宙を生成する素粒子の話、あるいは未来に起こるであろうといわれる太陽系の消滅など、でしょうが、どれも天体物理学者にやさしく解説してもらっても理解しがたい科学理論でしかありません。それでも、宇宙の謎についての本はベストセラーになったりしますから、ふつうの人もまた、これらに神秘を感じているということでしょう。
現代人は科学理論として時間空間をイメージしないと宇宙の神秘を感じることはできませんが、昔の人は肉眼で雷や虹、流星や日食を見上げるだけで、素朴に、深い神秘を感じました。大昔、人類が暮らしていた自然の中には謎の現象、神秘の体験がけっこうあったでしょう。それらは目や耳で、体感で、直接に感じられるものです。そこから八百万の神をはじめ、もののけ、精霊、龍、天狗などいろいろな神話や伝説あるいは理論が生まれてきました(拙稿3章「人間はなぜ哲学をするのか 」)。
それら神秘あるいはそれを説明する理論もひとつひとつ大いにおもしろいですが、拙稿本章では、それらに現代人の感じる神秘もひっくるめて、神秘はなぜ神秘なのか、私たちはなぜ自然あるいは人生あるいはこの世について神秘を感じるのか、について調べてみようと思います。
拙稿の見解では、現代は神秘が衰退し、矮小化されていく時代です。都会の夜は明るく、天文台は人里離れた高山に移転していきました。闇の想像力は発揮される場を失い、何事も科学理論によって解釈されてしまいます。しかしそれでも、神秘が霧消することはないでしょう。