哲学の科学

science of philosophy

惰眠する人々(3)

2022-10-30 | yy86惰眠する人々


人生の入り口に激しい競争がある。未授精卵に殺到する精子の群れのイメージです。 
結果的に一匹の精子が卵子に侵入すると残り数億の精子の努力は無駄になります。これではあきらめて惰眠を決め込む精子がいてもしかたがない、という気がします。
しかし宝くじ売り場にはしばしば長蛇の列があります。これ仮に抽選日が三十年後であれば一人も並ばないでしょう。今週の金曜日に当選発表だから並んでも買う。
自分の当選が幻想であることは誰も知っています。知っていてくじを買う。外れれば惰眠する。この繰り返しでもよい。ときには買う。ささやかな幻想に酔う。外れを確認してやっぱりと思う。人生はそんなもの、と確認します。

動物は夢を見るか?人工知能は夢を見るか?見ないでしょうね。惰眠しないものが夢を見ることはありません。惰眠のほうが、覚醒よりも真の人生かもしれない。黄粱一炊の夢。
粟粥を炊く間に惰眠するのもよし。
盧生欠伸而悟見其身方偃於邸舍呂翁坐其傍主人蒸黍未熟觸類如故生蹶然而興曰豈其夢寐也翁謂生曰人生之適亦如是矣生憮然良久謝曰夫寵辱之道窮達之運得喪之理死生之情盡知之矣此先生所以窒吾欲也敢不受教稽首再拜而去(七八一年 沈既済「枕中記」)










自然科学ランキング
コメント

惰眠する人々(2)

2022-10-22 | yy86惰眠する人々


老荘思想は昔から日本では好まれていて原典から取った四字熟語がよく引用されます。無為自然、和光同塵、万物斉同、上善如水。昭和のころまでは日常会話にも使われていました。
つまり何もしようとせず自然に任すのが良い、という消極主義の言い訳に利用されました。たとえば、何もしないことが一番良いのだ、という無為無策戦略を政治家がとる場合、ふつう評判が悪いですが、後世では評価されたりします。
戦争を避け経済最優先でイギリスの繁栄を招いた初代首相ロバート・ウォールポール(一六七六年―一七四五年)。植民地拡大に反対し経済優先を主張した石橋湛山(一八八四年ー一九七三年)。どちらも戦争を避けるばかりの無為無策大臣といわれました。後世の評価はどちらも高い。
日本では昔から、地位の高いえらい人はきれいごとをいう他、寝ていればよい、という思想があります。この国では本気でこれを実行する社長や政府高官や大先生が現代でも結構いるようです。
昔、国際宇宙連盟の会長指名委員をしたことがありますが、会長の任務は何か、という話題になり、イタリア代表が「just enjoy high position」と冗談を言ったので筆者が笑ったところ、カナダ代表がムッとした表情でノーと言っていました。このカナダ人は三年後に会長になりました。

熾烈な受験競争に疲れた若者は惰眠を決め込む。中国の若者に広がる「寝そべり族」。似たような傾向は現代日本にもあります。競争する人生に疲れた、ということでしょう。それも社会人になる前からです。
一口に大学受験の弊害という前に、なぜ苛烈な受験競争があるのか、という現実認識に原因がありそうです。









自然科学ランキング
コメント

惰眠する人々(1)

2022-10-15 | yy86惰眠する人々


(86  惰眠する人々  begin)




86  惰眠する人々

惰眠をむさぼる、という。
たまには惰眠をむさぼりたいな、と思ったり、いや今の自分は何も本気でやる気がでないから、惰眠しているのと同じだろう、と思ったりします。惰眠を謳歌する、とうたったボーカロイド作家もいます(二〇一七年 カンザキイオリ「命に嫌われている」)。
座布団を二つ折りにして寝転がっている。昼間から。野比のび太のように。いやのび太は小学生だから良い。大学を出たいい大人が、することもない場合、ニートといわれます。

百年前のインテリは高等遊民と自称してろくに仕事もせず難しいことを口にしながら結局は惰眠していた人がかなり多かったようです。「なぜ働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いんだ。」(一九〇九年 夏目漱石「それから」)と言い訳していました。
只飯が大好きなスヌーピーに似ている。いつもは寝転がって高尚な哲学を考えているが「お食事」と呼ばれるとすっ飛んでいきます。「僕は今寝ているが、それは、明日になれば偉大なことをしなければならないかもしれないからなのだ」Sleeping again ??  https://thecuriousbrain.com/?p=38382)。

高学歴でもワーキングプア。百年前からあります。
「生きるための職業は魂の生活と一致するものを選ぶことを第一とする。しかれざれば全然魂と関係のないことを選んで、職業の量を極小に制限することが賢い方法である。魂を弄び、魂を汚し、魂を売り、魂を堕落させる職業は最も恐ろしい」(一九一四年 阿部次郎「三太郎の日記」)

オタクは惰眠する暇人に似ていますが、実際は趣味の追求で、かなり忙しく、あまり惰眠しないようです(二〇一九年パトリック・ガルブレイス「オタクと想像力の追求Otaku and the Struggle for Imagination in Japan」)。
不出戸知天下不闚牖見天道其出彌遠其知彌少是以聖人不行而知不見而名不爲而成(紀元前四世紀以降 老子「道徳経」)
家を出なくても世の中を知っていることはできる。窓から覗かなくても空があることは分かる。むしろ遠くへ出かけるほど物事を理解することが少なくなる。聖人は何もしないことで何事もなすことができるのである。老子がそう言っています。(拙稿62章 「探検する人々」)









自然科学ランキング
コメント

現実を語る人々(9)

2022-10-08 | yy85現実を語る人々



ではインターネットがない時代はどうだったか?筆者など昭和の人間は新聞とテレビしかなかった時代をよく知っています。人々は今以上に新聞を読みテレビを見ていました。毎日の現実はそれで作られていました。核戦争の幻影におびえてはいましたが、それで元気が出ないとか日常生活が不幸だとか、思ってはいませんでした。
メディアの記者や発言者にも今よりインテリ的な人が多かったのでしょう。観念的というか思想的というか、組織化が好きな人も多くデモなどいつもしていましたね。今の感覚ではイデオロギーに毒されていたといえます。
左右の党派争いが深刻に報道されていましたが、実際はみな一様に貧しく経済格差は今ほどではありませんでした。
現在は、グローバリゼーションが最大期に達したらしく、どの国でも底辺が豊かになり上層は超富裕層になっています。格差へのジェラシーは昔と同様に根強くありますが、一様に幸福になってきたという感覚があるのでしょう。闘争よりも諦観と退屈が時代の気分となっているようです(拙稿84章「幸福な現代人」)。

現代社会になって、私たちが互いに現実を語る能力は進歩したのでしょうか?マスメディアやインターネットの中で語る人々が、経済的に社会的に立場を得て、元気に満ちているように見えることは確かです。それが現実を必要とする私たちユーザーにとって良いことなのかどうか?
インターネットのSNSは現実語り機構を安定化させるバッファー効果があるようですが、しばしばそれよりも偏向を極大化する発散効果が見られます。
現実を語るシステムは年々その能力を増大させているようですが、ちょっと離れてみると、巨大なこっくりさんがうごめいているかのように見えます。■









    
(85  現実を語る人々 end)








自然科学ランキング
コメント

現実を語る人々(8)

2022-10-01 | yy85現実を語る人々


ピューリッツァ賞や日本新聞協会賞を取る人の場合、まさに現実を作り出すことになります。ジャーナリストとして名を成す人は評論家、大学教授、政治家として出世する道も開けます。社会としてはこのメディアビジネスが正しい現実を作ってくれることを期待しています。
SNS上の匿名の発言もまた現代の現実を作っています。インターネット上の発言者は圧倒的に匿名が多い。それがときにバズります。それが匿名の発信者の目的になっている場合があるでしょう。
ポジティブでもネガティブでもバズらせることが快感。リツイートする人々はバズらせて発信者の現実を確認してあげることが快感。というようなシステムがなりたっています。その結果それは新聞、テレビにも表れる。現実が作られていきます。マスメディアの消費者やインターネットの消費者は、毎日一定量の現実を供給され、それを消費することで毎日の幸福を維持している、といえます。
それを噂の種として人と語り合い、現実を把握していると感じ、現実をリツイートし、一日中それに浸ってその現実を消費することを求める。消費に対応する供給者はその要求に応えることでシステムが恒常的に維持されています。
















自然科学ランキング
コメント

文献