哲学の科学

science of philosophy

勉強が嫌いな人々(20)

2020-05-02 | yy72勉強が嫌いな人々


アルバイトや正規就業が大学生や高校生にも解禁されれば、経済的な自立は早まり、実家から出たり、働いたり遊んだり恋愛したりが自由になります。
ほとんどの学生の実質の生活がそうなってくると、ようやく世間も親も、大学や高校が形式だけのものとなり実際は不要なことに気づいてくるでしょう。
そうなれば形骸化したシステムはついには消えていく。全員高校へ行くという十代の宿命も消えていきます。そのうち中学校へ行かなくても不安はないという時代になる。
勉強が嫌いな人は勉強しなくてもよい、好きな人はいくらでも勉強すればよい。勉強と収入とは無関係。社会的地位とも無関係、となります。つまり多様なライフスタイルが十代から始まります。
そういう時代になってもそれが現実となれば、これはこれでつらいことや悲しいことは多い。もしかしたら勉強よりも苦しいことも多々あるでしょう。若者にユートピアは来ません。しかし、選択の自由は広がる。それが幸せかどうか?
たぶんですが、今よりかなり気持ちがよい世界になるでしょう。■






(勉強が嫌いな人々 end)



自然科学ランキング
コメント

勉強が嫌いな人々(19)

2020-04-25 | yy72勉強が嫌いな人々


空想ではそうあるべきだ、といっても、現実では逆に、勉強への強制は続きます。実際、近い将来、すべての若者は大学まで勉強を続けさせられるでしょう。
大学院あるいは専門課程の勉強はさらに続く。勉強が好きな人には天国でも嫌いな人には地獄になってきます。

状況は、しかし悲観的なばかりではありません。長期的には、全員が高学歴化することで学歴は形骸化する。
あまり遠くない将来、学歴のメリットは限りなくゼロに近づきます。だれもが学歴を目指す限り、勉強そのものが結局は無意味な方向に行きます。形骸化した勉強はますます実務の役に立ちません。就職に不必要どころか障害となってくるでしょう。
学生にとって就職はますます勉強と乖離してくる。学校の看板は最後まで残るかもしれませんが、学生の日常生活は勉強から離れる。つまり学校から自由にならざるを得ません。
たとえば籍は学校においてあるが、教室に座っていなくてもよい、毎日の通学はしなくてよい。年数回、先生と面談することだけで単位はもらえる。
勉強はインターネット、あるいはライブラリィ。あとはアルバイトや遊びや放浪や、うまくすれば相当収入の高い仕事をしている、という生活になるでしょう。そうなるとすれば、勉強のつらさはずっと減ります。
今ももう大学生の一部はこれに近い生活をしています。さらに、大学の卒業証書をもらう必要がなくなれば、高校生も大学を目指しての勉強はする必要がなくなる。






自然科学ランキング
コメント

勉強が嫌いな人々(18)

2020-04-18 | yy72勉強が嫌いな人々


そういう社会に近づくためには、まず政府としては、景気をよくして経済の自由化を進めることです。国際競争力の増進、新規参入の規制緩和、交通通信インフラ高度化、ベンチャー支援、貧困対策、格差対策、高福祉、医療、生活安全など、政府には国策の正面作戦でがんばってもらうことが一番ですね。
学歴にこだわる古い体質の大企業でなくても、スタートアップやベンチャーなど生産性の高い新企業が成長できる環境を作る。既存企業の転進、新規分野進出も促進する。新技術の研究投資、新産業特区の開発など、それらが世界水準を超えられれば若年層の就職機会は多様化するでしょう。
青少年の多くは、大金持ちになりたい、有名人になりたい、という夢を持っていますが、それと同時に、早く親から離れて独立したい。退屈な勉強などしていないで早くお金をかせげる仕事をしたい、かっこよくなって異性にもてたい、と思っています。それは正しい夢です。あきらめろと説得すべきではないでしょう。
非正規でも、臨時雇いでも、賃金が低すぎず、いつでも転職先が見つけられて、その転職歴が学歴よりも次の就職に有利になるならば、若者は学校より就職を選ぶでしょう。
人生の成功は年功序列組織への終身就職ではない、となってくるでしょう。
成功とは何か?若いうちに、早くお金をかせげるようになって親から独立する、恋愛する、結婚する、人の役に立つ仕事を続ける、チームワークに貢献する。人に認められる。あるいは、人を助ける、人に親切にできる、毎日を楽しむことができる、というような昔から大事なこととされてきた個人的成長を達成することが、人生の成功と思うようになるはずです。






自然科学ランキング
コメント

勉強が嫌いな人々(17)

2020-04-11 | yy72勉強が嫌いな人々


学歴世襲現象による階層化の弊害を緩和する策として、大幅な奨学金制度、学費免除、在校中の生活費補助など、経済的障壁の緩和策は実効的でしょう。
また、就学機会の多様化、たとえば、どの年齢でもだれでもいつでも大学、学校に入学できる、転学休学も自由、とすればよいかもしれません。あるいは社会人教育(職業経験後入学の奨励制度)の拡充、企業留学、取得単位交換制度、通信教育、オンライン教育、電子教材の普及、などが現代では徐々に試行されています。これらの施策は学歴の世襲化を防ぎ階層化を緩和する効果があるでしょう。
しかしそれと同時に、一方では学歴取得機会の平等化を進める結果、競争を激化する面があることは否定できません。階層化などの弊害が緩和され学歴競争が正当化されるほど、学歴の社会的価値を高めてしまい、ますます勉強のつらさを増す、という逆説的現象にもなりかねない面を持っています。一生だれもが勉強を続けられる、続けさせられる。という世界は良いのか、悪いのか?答えは明らかなのでしょうか。

いずれにせよ、少しずつ目標に近づいているという達成感を持てれば、勉強のつらさは我慢できるものになります。目標とする学歴を得るため、あるいは学歴や資格によって社会的地位や収入が安定した職業を得るため、あるいは社会階層を上昇するため、というように、いずれにせよ何かの目標意識が強くあれば嫌いな勉強も進んでしたくなります。
目標が持てない場合、嫌いな勉強は逃げたくなるだけです。目標を持てず、かつ勉強が嫌いな場合、勉強は強いられた苦役でしかなくなります。
若者が目標をさだめやすいように設計された現代の学校制度は階段状にステップアップできる形になっています。学年を順調に進めることを目標にすれば勉強は進めやすい。ただし学年スキップはできません。逆にステップの途中でつまずくとキャッチアップはむずかしい。つまずいたら実質上そこでおしまい、という設計です。
勉強が嫌いな場合もともとつまずきやすいのに、つまずくと終わり、というのでは落伍者あるいは実質落伍者が多くなるのは当然でしょう。かくして目標を固定されたステップ式の学校制度が逆説的に勉強嫌いを増やしていきます。
ある目標を見失った場合、他の目標を見つけてそれを追うことに切り替える、ということは日常生活ではいつもすることです。猟師はシカを見失えばイノシシを追うでしょう。ところが学校制度ではそれができない。進めなくなっても、あくまで正規の勉強という一本の道しかありません。

勉強が嫌いかどうかに関わりなく目標選択の自由、人生進路の自由が若者に開かれた社会が必要でしょう。
若年者に学歴不要で良質な職業への道が多様に開かれていれば勉強以外の目標は見つけやすい。それは試行錯誤でもよい。小さなステップアップの積み重ねでもよい。十代から試行錯誤が許されれば、二十代の終わり頃には自然と落ち着いた社会生活になじんでくるものです。その年令でもまだ野心に満ちている人もいますが、多くは淡々としたストレスの少ない生活を好むようになっているでしょう。そこで転職するとか、結婚するとか、学校に行き直すとか、改めて人生を選ぶことができる。





自然科学ランキング
コメント

勉強が嫌いな人々(16)

2020-04-04 | yy72勉強が嫌いな人々


民主主義思想は「天は人の上に人を作らず」であるからこそ、社会階層は学問の成果によるべきである、という考え方がもとにあるのかもしれません。
「身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺にいわく、『天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり』と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。」(一八七二年 福沢諭吉「學問ノスヽメ」)
この偉人の言う学問とは経済社会を開拓していく実力としての知識教養のことを指していますが、この言葉を伝え聞いた人々は、大学や学校に行って卒業証書をもらわなければいけない、と思ってしまいました。旧来の士農工商に置き換わる新しい身分制度が出てきた、と捉えたのでしょう。いわば、ここから学歴競争がはじまり、勉強嫌いのつらさが始まった、といえます。

旧来の階級制が崩壊していく中で、エリート階級は子弟の学歴獲得に相当の熱意を維持し、いわゆる高学歴カルチャーを継承することで暗黙の階級アイデンティティを保持していったようです。このエリート階級の行動は徐々に庶民層に浸透し、大衆的な高学歴化が起こってきます。大学、高校など上級学校が増加し、受験産業が発展し、相補的に、ますます高学歴化は進行します。勉強嫌いの人には過酷な社会現象です。




自然科学ランキング
コメント

勉強が嫌いな人々(15)

2020-03-28 | yy72勉強が嫌いな人々


こうした教育縮小案は実際、前述したように、皆さんの反対が多そうなので実行不可能でしょう。
仮に実行できたとしても、最後には、学歴による階層化の弊害が残ります。高学歴を獲得した人が上級市民でそうでない人は下級市民、というとらえ方が敷衍してしまっては困ります。
欧米社会では、歴史的に根強くある階級社会の弊害が、現代に至って、学歴による階級分断の再生産という社会現象になっています。富裕層が高学歴を占有し、その子弟が親の資金力と高学歴カルチャーによる進学指向によってふたたび高学歴を占有するというサイクルです。
これはまたグローバリゼーションの副次効果として、新興国・発展途上国も含め世界中で、現代の階級階層化というべき学歴の世襲現象にもなっています。
社会現象の解釈における原因と結果の倒錯の一例といえますが、上級階層であるから高学歴になれた、という見方よりも、高学歴であるから上級階層になれた、という認識のほうが定着しやすいようです。
高学歴であれば大企業、上級官庁など社会的に上級といわれる組織に採用され、そのような組織に所属することで上級階層になれる、と思われています。このような世間の認識は、逆に、上級階層のコミュニティを維持するために高学歴者を選別して採用したい、という潜在的な動機を採用する側に生じさせます。
組織としての権威を維持したいという暗黙的な意図を持つ役所、公企業、有名大企業など、終身雇用年功序列の残照が残る職場は高学歴を好む、といわれています。このような組織は実際たしかに時代とともに減ってきていますが、一般認識の時間遅れによって社会全般では、かえって高学歴組織のブランド価値は高止まりしている、ように見えます。
このいわば幻の組織ブランド価値が学歴階層化の背景にあるため、多くの若者が学歴獲得を目指すつらい勉強に追い込まれている面がある、といえます。
こうして学歴の階層化が進むということであれば、国民の平等という理念からすれば、まことにけしからんことです。マスコミや知識人など理想を語る人々から警戒と批判の声が上がります。
一方この学歴による階層化については、一般の人々からの深い怒りはあまり報道されません。たしかにこの階層化現象は、封建時代の身分階級のように、武力や法や因習的圧力から強制的に来たわけではありません。むしろ本人の努力によって獲得した学歴による、いわば自己責任による後天的な属性の差異である、と認識されています。
しかも現在の階層位置から上へ登る機会は原則として必ずある、いつでも次回の挑戦権は確保されていると思われています。意欲さえあれば、学齢を過ぎた成人でも、あるいは少なくともその子弟は、勉強などの正当な努力を積み重ねることで、それを獲得することに障壁は大きくない、とされているようです。
そうであれば学歴による階層化は、世襲制の身分格差のように怨念や諦観を呼び起こす種類のものとは感じられないでしょう。自由経済の市場原理から来る富の蓄積格差の一形態として、流動的な、いわばゲームの途中経過として捉えられているといえます。






自然科学ランキング
コメント

勉強が嫌いな人々(14)

2020-03-22 | yy72勉強が嫌いな人々


大学のレベルを維持するためには学生数は少数でよい。毎年、定員を減らしていきます。学期ごとに厳しい試験で成績の悪い学生を退学させてよし、とすれば卒業時には入学時の半数くらいになります。
少数の教育しかしない大学に多額の公費は投入できませんから大学の経費は主に授業料と寄付や研究支援金などで賄うしかありません。教員を充実させると、当然、学費は世界一級にまで高くなります。
それで富裕層の子弟だけが有利にならないように(公的私的、ひも付き、ひもなし)奨学金を十分に用意する必要があります。たとえば欧米の例にならえば、大学への(公的私的)研究資金を潤沢にして研究プロジェクトに学部生・院生を雇用させ実質奨学金を支給するシステムなどが可能でしょう。
学生を続けるには、奨学金を得る、あるいは大学プロジェクトに雇用されるために学業成績を上げるというつらさがあり、成績が悪いと卒業できないリスクがあります。ますますいやな学校になります。
行きたい人は多くない。それでも勉強が嫌いではない人はよろこんで勉強して大学を出るでしょう。社会としてはコストもあまりかからず、必要な人材は確保できます。







自然科学ランキング
コメント

勉強が嫌いな人々(13)

2020-03-14 | yy72勉強が嫌いな人々


学歴を評価できないとなれば応募者をどう選別すればよいか分からない。コネや縁故による前近代的な採用に戻るのは禁止されている。そうであれば、結局、独自の入社試験を開発するか、優秀な業者の試験問題を買うか、中途採用で実績のある人材を常時探し続けるか、幹部や社員の人脈を頼って、あるいはフェースブックを見て人材ハンティング、人材紹介エージェントによる引き抜き、あるいはインターン採用または期限付き試験雇用にして正社員雇用に値する人材に当たるのを待つか、試行錯誤を繰り返すしかありません。採用コストは高くなる。採用担当はタフビジネスになります。安易な学卒一括採用・終身雇用は崩れます。
そういうことで産業界はやっていけるのか?国際競争力は大丈夫なのでしょうか?
まあ、心配することはないかもしれません。インターネット求職システムや失業保険のような制度を拡充して解雇の弊害をなくす、人材紹介業は需要が高まるので優秀なプロが増えるでしょう。労働行政が雇用流動性を適切に監視し転職サポートセンターや人材紹介業の質を監督する。また転職が一般的となれば欧米のように仕事仲間が仕事を紹介するというような習慣ができてくるでしょう。
一方、人材の流動性にさらされて企業内の評価方法も洗練されてきます。頻繁に勤務実績で厳しく評価して給与、昇格を与える。上司だけでなく、同僚、部下やお客さんに評価をもらう。イントラネット、SNSで稼いだ評価ポイントで昇進させる。など新システムを活用して、雇用の安定と仕事への意欲、企業への忠誠心、競争意欲を両立させる方策はあるでしょう。

このような空想の社会になったとしても、つらい勉強に耐えることが嫌でない若者も少数派ですが、やはりいるでしょう。そういう若者は、勉強が厳しい学校で卒業証書をもらえばよい。自己満足は得られる。しかし安定した高収入は保証されない。となれば、大学へ行く人は漸減するでしょう。
学生以外の人々、つまり社会全体としての立場でいえば、大学のレベルは高いほどよい。世界第一級の研究と教育の能力を持ってほしいものです。教授をはじめ講師や大学院生など研究者は、世界中から優秀な人材を好待遇で集めるべきでしょう。そのためには講義も英語で聴くしかなくなるかもしれませんが。





自然科学ランキング
コメント

勉強が嫌いな人々(12)

2020-03-08 | yy72勉強が嫌いな人々


嫌いな勉強をしなくても、中学、高校、大学に行かなくても、良い職業につける、収入にも満足できる、転職も簡単、休職して海外放浪も自由、というように働き方のシステムが大きく変われば、青少年のバラエティに富んだこういう成長例は多く見られるようになるはず、と思われます。
前提はもちろん空想的な社会システムです。十代の青少年にとって学歴不問で安全で待遇が悪くなく、おもしろそうな仕事がいつでも何度でも容易に見つけられる、という空想の就職市場が存在する必要があります。
近い将来に産業界がこういう方向に変わっていく、という楽観論はあり得るでしょうか?少子高齢化の国では勤労人口一人当たりの生産性を成長させて非勤労人口を支えなければなりません。働く意欲がある人が元気よくどんどん働いてもらう必要があります。実際、近年、有効求人倍率は上昇し完全雇用状態になってきています。働きたい人はすぐ働き先が見つかるようになってくるでしょう。後は若者にとってやる気の出るような良い就職先が見つかりやすいかどうか、です。
若いアントルプルヌールが輩出し、新しいマーケットが次々と大発展し、そこに若々しい元気な若者が参集して新産業が続々と興隆する。経験の少ない若者も職業経験によって新しい知識や技術を素早く身につけてより大きな挑戦が可能となる。そのような理想の産業社会が間もなく来る、という人もいます。
もしそうであれば学歴に関係なく勇気と知恵と情熱だけで勝負できる若者にはすばらしい仕事が待っていることになります。そうなるように、この国でも産業の体質が変わっていくことはできないのか?学歴にこだわる慣性の大きい旧世代をしり目に見て一挙に世代交代を進めることはできないでしょうか?
長期的観点からは世界の潮流に乗り遅れないように、世代交代は早めに進める必要がある。
まあ、しかし、グローバリゼーションの中で生き残りに悪戦苦闘している現実の産業界に、青少年の育成に配慮して世代交代する余裕はありませんから、残念ながらこれは空想でしかないでしょう。

さて、現実はさておき、空想のこの社会システムでは、採用試験の履歴書には、アルバイト歴や職歴やスポーツ歴やpc歴の話は書けるが、学歴は書いてはいけないというルールになっています。学卒一括採用、あるいは同一年齢の若者を並べて学歴で選別することは無意味になります。
そうなれば同年齢どうしの勉強競争はなくなる。勉強が嫌いな青少年は救われ、社会にとっても不都合はなさそうです。将来、国が良くなるかどうかは別としても、すぐに困るのは教育業界と企業の人事担当者でしょう。




自然科学ランキング
コメント

勉強が嫌いな人々(11)

2020-02-29 | yy72勉強が嫌いな人々


極端な例を作ってみましょう。フィクションですが。
勉強が嫌いな少年A君は、たとえば小学校卒業の時点で中学校に行かずにプロサッカーの選手を目指します。親も学校の先生も反対しません。プロサッカー選手養成学校に行くとします。
学費は教育財団が出してくれました。養成校では、まず身長を大きくするためのおいしい栄養食を取らせます。三食とおやつも無料です。それと並行して基礎体力、基礎運動能力を訓練する。サッカーの技術教書を読ませる。身体運動の物理学と生理学を教える。同時に、海外に進出できる能力、英語力や国際マナーを学ぶ。そうして、毎年実技と理論の定期試験を受けるでしょう。十四歳で一回目の試験には合格。
先生は「まあ、身体が大きく成長すればプロになれるかも」と言ってくれますが、A君本人は、身体が大きく成長するかどうかは確実ではないし、それからプロになるのはもっとむずかしそうだ、という考えを持ち始めます。
そこで今度はプロのユーチューバーになるためにプログラミング学校に通います。パソコンに精通して、コードも書けるようになり、インターネット世界もよく分かるようになりましたが、プロのユーチューバーは安定した収入がありそうにないことが分かってきました。十六歳になったA君はアルバイトの経験がしたくなり、宅配便のワーカーになります。しかしすぐに退屈し、もっと面白い仕事はないか、と思い始めます。
仕事仲間から聞き込んだドローン配達オペレーターの募集に問い合わせたところ、三ヶ月のトレーニングが必須と言われて訓練所に入りました。そこで知り合ったドローンの先生から配達ロボットの開発をしていると聞いて、ドローン操縦のオペレーターをしながら研究所のアルバイトをさせてもらうことになりました。A君十七歳のときです。
ロボット研究所で大学院生の助手になってプログラミングの補助をしました。プロジェクトに参加させてもらい、毎日、ロボットの開発に夢中になっているうちに五年経ってしまいました。正規の研究補助職の試験に合格しました。給料もあがりましたが、そのとき「君の実力なら博士号をとれるよ」とみんなが言ってくれるので、大学院入学検定の準備をはじめました。英語と中国語の勉強は大変でしたが二年間で大学院入学資格が取れたので博士課程に入学しました。A君二十四歳のときです。
四十歳になったA君は家庭も持ち、ロボット開発会社の社長として世界中を飛びまわりながらも、ボランティアとして、少年サッカーチームのコーチをしています。








自然科学ランキング
コメント

文献