デジタルという語はラテン語のdigitus指、から来ていますが、まさに指でボタンを触るシステムと解すれば当たっている。
指で軽くタッチすることでほとんどのシステムを動かせるようになっている社会は便利な社会です。軽い、心地よい社会です。これをデジタル社会という。
デジタル社会形成基本法(二〇二一年九月一日施行)の施行によって日本も国を挙げてアナログからデジタルに変身することになりました。
デジタルはアナログより高級。本当かな。筆者が若いころ、AD変換機(アナログデジタルコンバータ)を見ると、やはりアナログはさっさとデジタルにしてしまえばよいのだ、と直感していました。そう感じるエンジニアは多かったでしょう。
筆者が学生のころ、デジタルを扱う離散数学は連続値の関数解析や確率論より幼稚な低レベル数学というイメージでした。簡単なものが好きな筆者は微分方程式より差分方程式の勉強のほうが楽だった覚えがあります。そのころ確率過程を二値還元した推定モデル(誤差楕円体による推定法と宇宙航行への応用NASDA-TR-7,1977)を考案したことがあります。
テレビもいつの間にかデジタルになりました。その前に写真機がデジカメになった。当然ビデオもそうなりました。時計も電話もすぐそうなった。銀行窓口はいつまで残っているのか?会社の仕事も学校の授業もリモートになる。そのうち自動車も電車も完全自動運転になって運転手という語はエレベーターガールと同じ死語になります。
昔、コーラが自動販売されているのを見て驚きました。今はアマゾンが巨大な自動販売機ですね。こうなると人間もマインクラフトの四角人物のように直方体の手足を高速で振り回す存在になるのかな?
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(80 デジタル その魅力と退屈 begin)
80 デジタル その魅力と退屈
昔、男はタバコを吸うときが至福の瞬間でした。今は、男も女も、スマホを操作しているとき癒されています。
歩きタバコは消えたが、代わりに歩きスマホは全盛。親指でゲーム入力。あるいはライン、ユーチューブの操作。自分が世界を探索し変革してるように思えます。おもに親指で。
寝るまでスマホを握りしめているという人も多いそうです。簡単に言って、スマホは人を世界につなげる。つながっていることで、人は安心し気持ちよくなるらしいですね。
首都圏で震度5地震のとき電車再開まで駅で待たされた人々は、全員スマホで時間つぶしができたようです。刹那的ではあってもユーザーは幸せになっている。逆にいえば、持ち合わせていない人は不幸、となるのでしょう。
スマホの社会貢献度はかつてのタバコより大きい。歩きタバコより歩きスマホの方が多い。産業規模も大きくなるばかりでしょう。タバコは病的な欠点がありましたがスマホは依存性があるとはいっても身体への悪影響はあまり言われていません。
現在のスマホの基本デザインはスティーブ・ジョブズ(一九五五年― 二〇一一年)のiPhone(二〇〇七年)によっています。スマートな美しい形状はたぶん歴史に残るマスターピースになるでしょう。
ジョブズという人は天才発明家・デザイナーです。自分の手でこの世にないものを作り出して売りまくりたい。それも美しいすばらしいものを。
美しくすばらしい、だれもが喜ぶものとは何か?
今の世では、それはコンピュータを内蔵する機器になります。その中をデジタルデータが流れるものになる。つまりこれからは、デジタルな時代ですね。
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新しい資本主義といっても、バッファーの出し入れ加減が上手か下手かの問題。個人の人生としては、その流れにさおさして、時流の端っこにできるよどみやマスコミがしばしば呼び込むブラックホールに流され込まれないように、小さなさおで多少のコントロールをしていくだけです。
土曜日の神宮橋交差点で信号待ちをしていると緊急事態解除の人出なのか、以前の活気が戻ったようです。神宮側にわたると人はぐっと少ない。神社に向かう多くはベリーヤング。高齢者は我々夫婦くらい。帰ってくる若者たちは大門で振り返り礼をします。宗教が生きている図かもしれない。外国人家族も多いが、さすが礼はしないようです。一方、若者でも神社にスマホカメラを向けている人も絶えない。現代らしい混沌でもある。
警官も警備員も立っていませんが、人の列は整然と左端を進んでいます。真ん中の砂利部分がすいているのでそこを歩いてみる。意外と歩きやすい、と家内がいうので、敷砂利と下の地面の設計がいいからだろう、と神社のシステムを褒めておきました。
休憩所でソフトクリームを買ったら、レジの女性は伝票を書いて後ろのおじさんに渡す。おじさんは丁寧にクリームをカップにねじりだしてからもう一度伝票を見て、あ、コーンですね、まちがえました、と言ってそれを全部捨ててしまいました。外科医用の手袋をした手でコーンを持ち、もう一度ひねり出して渡してくれる。
しばらく意味が分かりませんでしたが、たぶん、おじさんはレジの店員から渡された伝票を読まずにソフトクリームをひねり出していたのでしょう。コーンの注文者はほとんどいないので無意識の繰り返し動作になってカップで受けようとしたと思われます。
それにしても素人っぽい店員さんでした。経営者が出ているのかもしれません。緊急事態解除直後なのでアルバイト採用が間に合わないのかもしれない。
人生はどこまでも事故が連続するようです。■
(yy79 物事と人生の関係について end)
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スーパー成城石井に行きましたがやはりパンドミがありません。午後五時に入荷するとのことで四時ころ行ってもまずありません。五時まで待つわけにもいかないので、隣にある・・・ベーカリーで食パンを買う。値段がかなり高いわりに味はふつう。それでも買いに来る客は結構多いらしい。ドアの外にテーブルがあるのでそこでパンを食べる人がいつもいます。
それにしても隣に安くておいしいスーパーがあるのに、なぜ高い店がやっていけるのか?不思議です。
午後五時まで待てないので高い店のほうで買う客がいるからか?
スーパーのパンドミは、朝など、昨日の売り残りがありますが、午後にはなくなります。パンドミの隣に値段が安いふつうの食パンや一割くらい値段が高い湯種食パンが並べてありますが、こちらはいつも売れ残っています。このスーパーは売れ行きをチェックしていないのか?パンドミをもっと多く仕入れればよいのではないでしょうか?それか、パンドミを少し値上げしたらどうか?
自由市場の原理はしばしば働いていません。公正取引委員会はどこまで自由市場を守ればよいのか?消費者も流通システムも市場のプレイヤーとして自由を守る責務を負っているのではないか?
消費者は市場の主権者でしょう?一票が変革力を全然持たないとすれば消費行動はむなしい。主権者が選挙のたびにニヒリズムをつのらせていくのはおかしい。
肉食動物といえども草食動物の集合離散に命がかかっている。売れなくても構わないという生産者や流通システムは市場のねじれです。後ろしか向かない公務員。会社アイデンティティを死守する大企業。ブランド権威主義のねじれかもしれない。
ねじれエネルギーは巻き戻されなければならない。巻き戻しの惰性で市場価値は振動する。振動を減衰させるバッファーが政府の介入でしょう。その介入がしばしば自己保存本能を持つ。政府が強すぎると自由が弱くなる。安全に閉じこもる家計から投資は出てこない。市場は消える。昔テレビで見たソ連のデパートのようになります。
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テレビを見ていると自由民主党総裁の党内選挙が始まっていて今回は派閥投票をやめて自由投票にするとか、地方党員の人気の影響とかの推定をコメンテーターが懸命にしゃべっています。四人の候補者が横並びでのテレビ討論会なども放映しています。真剣な顔がアップになるし、数日後に結果が出るので、見ている側としては競馬と同じくらい面白い。一か月後に衆議院選挙があるので党首選びに投票する各議員も真剣だということです。
たしかに議員としての自分の人生がかかっているとなればぜひ自分の票集めにプラスになる党首の顔が欲しいでしょう。派閥の仲間や親分の力が大きくなるような投票もしなければなりません。皆さん事前にツイッターで支持候補を表明するほうがよいでしょう。それらを読んで下馬評を語るのも楽しい。
候補者の政治家たちは、自分が総理大臣になってあれこれをしたい、と政見を述べています。国家と国民への愛を語っています。
しかしこれは国民が決める選挙ではない。国民ができることは、選ばれたその党首を掲げるその政党を数十日後の総選挙で追認するかどうかだけです。
私たちは、ではなぜ、この党首選挙に関心を持っているのか?総理大臣がだれになるかによって、私たちの人生はどう推移し変遷するのか?
首相決定以降、あるいは総選挙の後、国民あるいは外国からの政府与党の信頼度はどうなるのでしょうか?まず株式市場はまっさきに動くでしょう。どの会社の景気がよくなるか?どれが買いでなにが売れるか?財政はどうなる?それで家計はどうなる?結局、社会のもろもろのシステムはどう変わっていくのでしょうか?先に読んで少しでも損を少なくしたい。だれもそう思います。
テレビでの公開討論会などを見ると、この保守党も現代的に透明化してきたなと思えます。筆者の若い頃もずっとこの党が支配政党でしたが、内部が深い闇に見えて巨大な権威というか不気味感がありました。今の首相候補者たちは身の回りも頭の中もすっかり見せましょう、という姿勢が現代では好ましいと知っているようです。全員が若い世代の活性化、未来志向などと言っていますので、これでは野党は苦しいでしょう。
与党の人々もイメージチェンジが求められていることははっきり分かっているようです。政党とマスコミはともに改革を唱えながら、種々のフェイントを交えて互いにパフォーマンスを披露せざるを得ません。結果、前後しながらも徐々に世代交代が進むでしょう。それが国全体の若返りにつながるかどうかが国民の関心事です。
うまくいってもその変遷は二年三年かかる。私たちの人生にとって三年は長い。それでも期待が持てるとすればそれが総選挙での投票に影響する。各政治家は今回もそれで行動を決めた、といえます。
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