(81 ノーチェンジャーゲーム begin)
81 ノーチェンジャーゲーム
ゲームチェンジャーとは、業界の常識を塗り替えるような革新的なシステムを開発して市場を席巻し大成功するビジネスのことです。
通信販売の覇者アマゾンは、パソコンやスマホの上でどんなものでも簡単に買えるオンラインショッピングを実現して世界中の小売業を圧倒しお客さんを奪いました。アップル社のiPhoneはスマホの広大な世界を開き、通信、写真、動画、エンターテインメントその他既存媒体の市場を破壊し新世界を創造しました。
現代の巨大なゲームチェンジャーは、人々の日常生活の基盤を刷新し、まったく新しい世界に放り込みます。
文字の発明以来、読み書きは人類文明の基礎になっていますが、数百年前までその媒体は紙を使う手書きと書写でした。印刷機と活字の発明で書物の世界が生まれましたが、つい百年前まで出版会社だけが大量コピーを製造するシステムとなっていました。
今思えば一九世紀末にタイプライターが出現したころが現代世界というゲームチェンジのはじまりだったのでしょう。欧米ではタイピストが女性の花型職業となりました。日本では筆者が小学生のころ、日本語タイプは普及せず学校の先生たちが配るガリ版コピーが先端技術でした。
数十年前にコピー機が普及し、すぐワープロの時代になり、ゲームは急速にチェンジしていきました。パソコンが万能の時代になり、すぐスマホが文字世界を制覇します。
音楽の媒体も蓄音機、円盤レコード、カセットテープ、ウオークマン、CD、DVD、ストリーミング、スマホと次々にゲームチェンジが起こり、覇者が入れ替わっていきました。
カメラは一九世紀に大成功した発明品ですが二十世紀には小型安価簡便に改良され個人用に大普及しました。ところが世紀をまたいでデジタル化されると瞬間的に大普及しましたが、すぐにスマホにその機能を乗っ取られゲームから消えていきます。
ステーキはおいしいが値段が高い。ナイフがないと切れない。一口でかみ切ろうとしても堅い。ハンバーガーは安くておいしい。すぐ噛める。カリフォルニアから全米に展開したマクドナルドは人々を幸せにしました。
マクドナルドはまた、カウンターセルフサービス、ドライブスルーによる安価、簡便な外食の可能性を開きました。
シアトルから進出してきたセルフサービスのカフェ、スターバックスやタリーズは安価簡便ばかりでなく、美味とおしゃれな内装で若者の人気を集めました。
セルフサービスのスーパーマーケット、コンビニエンスストア、セルフサービスガソリンスタンド、回転ずし。この半世紀に世界中に普及したセルフサービス店舗は客が店員を介さずに自力で商品を獲得できるという経験の心地よさをも売り物にしています。
これら現代に成功したセルフサービスシステムは、消費者に施設や機器を自由に操作させることで人件費を節約して低価格を実現すると同時に快適な操作体験を提供するというゲームチェンジャーです。焼肉屋やお好み焼き屋などの顧客参加システムを他業種に応用拡大したものといえます。
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もし革命でないとすればだれも怖がらない。同時に熱心に追従する人は少ない。それでも徐々に便利なものから取り入れられる、ということになるでしょう。
洋装化の場合なら兵士、鉄道員、看護婦、警察官の服装などから始まる。デジタル化は政府、行政、大企業から始まるでしょう。それからスマホの個人ユーザーが便利なものを使いこなします。それがどこまで行くか?
変化を嫌がる人は実は相当多い。報酬につられてあるいは不便から逃れるためにいやいやデジタルを取り入れるが、なかなか普及しません。それに行政や企業の末端の人は変化が嫌いです。上からの圧力に迎合して形だけの見かけを装うからかえって面倒なことになったりします。
人々が好きでないデジタルは形骸化し、陳腐化します。予算の無駄遣いに見えてきます。そして見捨てられる。そういう虚しいものにあふれる世の中は退屈です。もし不幸にも、それがデジタル社会の行きつく先であるとすれば、本気で頑張る人はあまり多くないでしょう。■
(80 デジタルその魅力と退屈 end)
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仮にデジタルが革命を起こすとしても、平和な革命はない。革命は急激な進歩であり輝く希望ではある。しかし実際、革命で多くの人は不幸になります。それを知っている世代は内心、進歩と革命を嫌っています。
政府がデジタルの旗を振っても多くの法人や個人が内心で嫌いなものは浸透しません。強引に形だけ進めれば逆に形骸化が明らかになり、推進側の権威は低下するでしょう。失望と退屈が残ります。
外国の成功例を観察すると喜んで使われるシステムが普及に成功しています。グーグル、アイフォン、スマホ、ライン、アマゾンなど若い世代が嬉々として参加することで浸透しました。
先端のデジタル技術を応用してアニメ、ゲーム、ポルノ、オークション、ユーチューブ、ズームなど次々とサブカルチャーがメジャーカルチャーになりあがり成功者になっていきました。権威ある新聞、テレビ、書籍なども懸命にデジタルを利用して性能向上をはかっていますが、利用者は減り続け、だんだんと見捨てられていきます。
現代に顕著なそれらの現象がデジタルをプラットフォームとして社会の表層を変えていきます。先日来、ついに政府が旗を振り始め、行政、大企業、教育、生活産業がデジタル導入(DⅩというらしい)を急いでいるようです。
明治の洋装化のようです。和服はもうだめだ。靴を履いて帽子をかぶらなくては古い人間に見られてしまいます。世間から見捨てられます。最新のスマホを買って、どんどんアプリを使いこなさなくてはなりません。
これは大衆運動なのか?文明開化なのか?これがデジタル革命なのでしょうか?
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今世紀に入ってから目立つ米国や中国の躍進は創始者、成功者に資源が集中する投資システムの勝利です。そうであるとすれば、ある意味対極にある日本のシステムを破壊する改革がなされなければ時代を変えるというところまではできません。
その世界観が嫌いだといいながら敗者にならないために全国民が髷を切るのか?前世紀に大成功した日本システムを捨てて逆方向に舵を切ることができるでしょうか?
新たな技術が出現するときの常ですが、そこに資源を集中できる政府や大資本、大企業など強者がさらに有利になり格差が拡大し、末端の個人は抵抗しにくくなります。いつの間にか滔々たる流れになっているデジタルのおかげで個人としてはそこそこ便利な生活にはなったが、その底に無力感と退屈が深くよどんでいるような時代になっているのかもしれません。
パンデミックでの人心の動揺を機会として政治力が分配をコントロールできる時代が来た、という観測もあります。
戦争など危機感の時代には強くなった政府が分配を強化し、平和が戻ると市場が格差を拡大する(二〇一三年 トマ・ピケティ「二十一世紀の資本 LE CAPITAL AU XXIe SIECLE」)という経験を年寄りは人生の中で経験もしています。
若い人は、ときには、将来に期待できる、別のときは、期待できない、とマスコミなど世相に頼りたくなります。が、マスコミは人心の変化を拡大して反映するだけです。やはり政治システムの循環論(紀元前2世紀 ポリュビオス「歴史」)が説くように、平和が続けば格差が拡大し、高まる不満が強権を生み同時に国内での分配を強化していくでしょう。
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